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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第一章
33/103

33 . 研究者



 ◇ ◇ ◇




 ───カツン、カツン。


 自然と響く足音を鳴らしながら、いかにも怪しい路地の階段を降りる。


 周囲に人の姿はない。

 昼間でも薄暗く、何があるのかさえよく分からないこんな場所に、好き好んで来る者などいはしない。


 一歩間違えれば簡単に心霊スポットと化してしまいそうな雰囲気の古びた建物。

 ここに来るのは配線やガスの点検業者か、何度も迷ってやっと辿り着いた配達業者か、あるいは明確な目的を持ってやって来た怪しげな術師───千景くらいのものだろう。



 

 一見廃墟にしか見えない建物も、中に入ってしまえば邸。


 外観からは想像もつかないシンプルモダンなリビングで、その中央に鎮座するソファに遠慮なく腰掛けた。


 家主は見当たらないが、気にすることはない。

 一応携帯には一報入れてから来たし、玄関口の家主直通ベルも鳴らしておいた。


 とりあえず手近な雑誌に手を伸ばして、千景はゆっくり待つことにした。




 紫煙とともに奥の扉が開いたのは、それから数分後のこと。


「待たせたわね」


 煙草を咥え、白衣を翻しながら姿を見せた女性は、正真正銘ここの家主だ。


「ううん。大丈夫」


 同性から見てもハイレベルな顔の造り。

 だがしかし。

 目の下に深く刻まれた隈と、まったく覇気を感じさせない表情が、それらすべてを台無しにしている。


 正直残念としか言いようがないが、それもまた彼女の個性だろう。


 相模(さがみ)(かなえ)

 呪術に精通した研究者でありながら、術師でもある人物だ。



 鼎は相変わらず生気のない双眸で千景を見遣る。


「で、用件はなにかしら」


 千景がただ純粋に遊びに来たという可能性をこれっぽっちも考えていない鼎は、雑談も交えず、本題を促す。

 こういう、極力無駄を省いて本質だけを求めるところには、研究者としての性質がよく表れているように思う。


 千景は鞄から小さなガラス瓶を取り出し、テーブルに置いた。

 それを手に取った鼎は、瓶を照明に翳してじっくり観察する。瓶の中で揺れるのは青透明の液体。


「なによこれ」


「んー、不老不死の泉?」


「───…は」


 驚愕の眼差しで千景を凝視したまま鼎は固まった。


「この前ね、たまたま偶然入った山にあったんだよ。そこの山神と取引っていうか等価交換みたいな? 山神に手を貸す代わりに不老不死の泉を頂戴って言ったらくれたんだよね。で、成分とか効果とか諸々を鼎ちゃんに調べてもらおうと思って。そういう研究大好きでしょ?」


 驚きを通り越して絶句している鼎の手から瓶を抜き取り、改めてその中身を眺める。



 あの山で見た輝くような青がそのまま小さな瓶に収まっている。


 青い水色(すいしょく)なのは、てっきり空の青さが反射しているだとかアルミニウムなどの水中成分や太陽光の影響だとばかり思っていたが、泉を少量抽出してみてもその青さは健在だ。


 つまり、泉の水自体が青を帯びているということ。

 例えばそう、かき氷のシロップを薄めたような透明感のある青。



 一目で普通の水ではないと分かるが、これまでの経験上、こういうものに過度な期待を抱いてはいけない。


 確かにあの山にあったのは不老不死の泉なのだろう。

 しかし、その場を離れてしまえばなんとやら……というのがこういう場合の大体の顛末だ。


 たとえその泉の本来の効能を得られずとも、神秘と謳われるそれの含有成分くらいは調べておきたいところ。


 果たして有益な情報を得られるかは定かではない。

 それ以前に、千景にはそれを調べるだけの知識も道具もない。


 というわけで、呪術や怪異を専門的に研究している鼎にいつも通り解析してもらおうじゃないか、というのが今回の事の次第だ。



 千景相手にいちいち驚いていても仕方がないことを知っている鼎は、すぐに正気を取り戻し、今度は興味津々といった様子で千景の手の中から瓶を抜き取った。


「それにしてもよく手に入ったわね。不老不死の泉なんて、ひと昔前に流行ったもはや伝説級の代物じゃない。術師の中には今でも喉から手が出るほど欲しがっている人もいるでしょうし、なんなら神話のように語り継がれているものだから、眉唾だって思う人の方が多いんじゃないかしら」


「そりゃあ私だって本当にあるとは思わなかったよ。ほんとにたまたま、偶然なんだって」


「とはいえ、見つけたのがあなたってことには妙に納得だわ。ええ、任せなさい。余すとこなく調べてあげる」


 うんうん、と数回頷いた鼎はなにやら得心がいったようで、快く千景の頼みを引き受けてくれた。


 「少し時間をもらうわよ」と、すでに研究者の顔になった鼎の言葉には二つ返事で了承した。

 千景としては解析結果を急いでいるわけではないため、急かす必要は全くないのだ。



 再び奥の扉が開いた。

 そこから控えめに顔を覗かせた青年は、千景を見るなり軽く頭を下げ、鼎に声をかける。


「えっと、実験の準備が整ったのでお伝えに……」


「わかったわ。もう少しで行くから先にこの前のデータをまとめておいてくれるかしら」


「わかりました」


 短いやり取りの後、青年は再びぺこりと頭を下げ、部屋の奥に引っ込んでいった。


 ここへは何度も来たことがあるが、彼を見るのは初めてだ。

 そこそこ若いように見えたが、白衣を着ていたということは彼も研究者。さしずめ鼎の助手といったところだろうか。


「あれー、鼎ちゃんの彼氏ぃ?」


「わかっているくせに訊くのやめてくれるかしら。あの子はあたしの助手よ。これからも会うことはあるでしょうし、よろしく頼むわね」


 名を佐久間(さくま)と言うらしい。

 断じて彼氏ではないと、そこはきっぱり完全否定された。


 男っ気のない鼎にもついに春が到来したかと思ったのだが、どうやら妄想の余地すらないらしい。



 鼎も忙しいようなので、そろそろお暇しようかと立ち上がりかけた千景だったが。


 すかさず差し出された二杯目の珈琲で、結局ソファに収まったままとなった。


 これは鼎からの「まだ話がある」という意思表示だ。


「それよりもあなた、山神に手を貸したって言っていたけれど大丈夫なの? 人知を超えた存在に関わるなんて、ろくなことに……」


「ならなかったよ」


 半ば言葉を被せるように、千景は鼎の危惧を肯定した。


 やはり呪術方面に精通しているだけあって、鼎は”神”に関わることへの危険性を知っている。


 術師の中には、神に関われば多大な恩恵を受けられると考える馬鹿も多い。

 けれどもその実、神なんて存在は人間の手に負えるわけがない、というのが呪術有識者の一致した見解だ。



 今回の場合では、千景は神に手を貸してあげた(・・・・・・)というのが真実なのだが、それでも神に関わったことに変わりはない。

 


 ───『現在あるもので代償に釣り合わない場合は、過去もしくは未来をもって残りの代償の引き換えとする』。



 それは神に感謝されるほど協力した千景とて例外ではない。

 その代償は、容赦なく、平等に降りかかる。





「霊力っていうか、呪力っていうか……まるっと全部無くなったんだよね」




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