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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第一章
31/103

31 . 不老不死の泉〈七〉



 泉を守るかのようにそこに存在している大木。

 正真正銘、この山の主。

 

「私を呼んだのはあなたですよね」


 目も口もない”彼”はただ静寂を纏うだけ。


 それでも、千景の直感は”彼”が山神であることを疑わない。

 ”彼”が千景を此処に導いた張本人だと疑わない。



 まるで人間の体温に触れるように、緩やかな風が千景の体を包み込む。

 脆くて儚い生き物を傷つけてしまわないように、優しく優しく、そっと。



《───浮世の者よ。私に力を貸して欲しい》



 脳に直接届いたその声は、柔らかくもどこか無情で、ひどく優しい響きをしていた。



 おそらく志摩には聞こえていない。

 千景は志摩の手を離し、今度は大木と正面から向き合うように数歩歩み寄る。


 これ以上志摩を近づかせたくはない。

 この状況と、独り言のような千景の言葉から感じ取るものはあるだろう。


 しかし相手は山神だ。

 完全にこちらの領分である事情に、術師でない人間を踏み込ませるわけにはいかない。


 たとえ神に祟られるようなことになったとしても、それを被るのは千景一人で十分だ。


「力を貸して欲しい、というのは?」


《───私はこの山の主として、遥か昔より山を守護し、神秘が宿る泉を管理してきた。だが、その泉の効力は人間にとって、計り知れぬ魅力だったようだ。人々は泉を求め山に入り、自然を荒らしに荒らした。私には、山を守る力はあれど、根源である泉をどうにかすることはできぬ。何より、この山の象徴たる神聖な泉を、主である私が左様な理由で冒すことなどあってはならぬのだ。そんなある時、一人の人間が私の元を訪ねた》



───この泉は私が封じましょう。効力を保てるのは数十年から数百年ほど。緩んできたらまた、相応しい人間に封印を締め直してもらってください。


───大丈夫。山の主であれば、相応の人間を見つけ出すことなど造作もないでしょうから。



《──それ以来、度々山を訪れた人間の力を借りては、泉を封じ直してきたのだが……》


「そろそろ次の封じ直しをしなければならない時が来た、と。その大役に私が選ばれたわけですね」


 肯定するように大木は枝を揺らす。


「なぜ、私を選んだんでしょう?」


 一陣の風が千景の髪を掬った………ような気がした。



其方(そなた)からは、何か、特別なものを感じた。なんの力も持たぬただの人間ではない。しかし、この山に入り込んだ霊力を持つ者達とも、また似て非なる。其方はまるで──……》


「事情はわかりました」


 やや強めの語調で続く言葉を遮った。


「ただ、もし協力するのなら。私としても条件があります」


《申してみよ》


「決して悪用はしないから。ひと瓶分だけ、不老不死の泉をください」


 この山の事情と現状、千景に求められているものは粗方理解した。

 その上で、人間とは棲む世界の違う天上人に向けて、身の程知らずの要求を示す。


 神秘の封印に携わることで、術者にどのような副作用があるかはわからない。


 大きな力には大きなリスクが伴う。

 それが世の理だ。


 その理に、ただの人間風情が今から身を捧げようとしているのだ。

 リスクを前にリターンのない慈善活動を行うほど、千景という人間は物分かりのいい生き物ではない。

 


 しばらく黙考するように、大木は静かに時を刻む。


 やがて大きく枝葉を撼るがせ、千景の脳に言葉を響かせる。



《───…いいだろう。許可しよう》



 交渉が成立したことで、千景は山神の指示に従う。

 泉の封印に取り掛かることにした。


 泉の水は事前報酬として約束通りひと瓶分だけすでにもらっている。

 少なくとも働き損になることはないだろう。



 泉を取り囲んで五芒星を描くように周囲に六箇所、それぞれに配置された霊符。その位置を確認し、ひとつずつ術を施していく。


 霊符には『×』の印が描かれていた。

 これの記号にも意味がある。『×』とはすなわち、現世と異界の交錯を封じるという意味を持つ。


 異界の産物である不老不死の泉を現世に顕現させないという意図で、最初に封印を施した人間がこの記号を用いたのだろう。



 その霊符に、術者の生命を吹き込む。

 つまりは千景の血液と息吹を与え、霊力を宿していく。


 ひとつ仕上げるごとに、少しずつ霊力が奪われていくのを肌で感じながら、それでも丁寧に均等に手順を踏む。



 六箇所全てを終えた頃には、気怠さがずしりと重く体にのし掛かる。


(……さすがは山の神秘。いつもの呪術とは比べものになんねえわ)


 各地点を結んで創り上げた六芒星にも、当然意味がある。


 陣に囲まれた内側は不可侵領域として封印され、外側からの魔の侵入を阻む。

 陰陽道系の呪術を度々扱う千景にとって、五芒星と並んでこちらも慣れ親しんだ形だ。


 最後に、山の主であり泉の管理者でもある大木に触れた。

 あとは山神に千景の霊力を捧呈することで、封印の儀式は完了する。

 

「お待たせしました。封印に必要な力は満たせたはずです」


《ああ、十分だ。感謝しよう、浮世の者よ》


「礼には及びません」


《其方を否応無く連れてきた手前勝手ではあるが、泉を封じることで其方に不利益が生じることだろう。個人差がある故一概には言えぬが、其方の生命に著しく関わるものでないことだけは保証しよう》


「それを承知で協力したのは私です。あなたが気に病む必要はありませんよ」


 あの状況で山神からの所望を断ることは確かに難しい。

 しかし不可能ではなかった。


 リスク等全てを承知して、その上で引き受けたのは千景だ。

 それを今さら、後出しだ理不尽だと訴えるのはまさに愚の骨頂。


「では、封じます。もし次の機会が来るとしたら、それはずっと先のことなので。安心してもらって大丈夫ですよ」


 大木に触れていた右手から一気に力が流れ出ていく。

 それと同時に、泉全体が青白い光を放つ。

  

 本当にファンタジー世界に入り込んでしまったかのように錯覚する。



 志摩は大丈夫だろうか。

 こんな光景を前にして、ふと、そんな不安を覚えたが、いつのまにか銀が志摩の傍に佇んでいた。無用な心配だったようだ。


 そしてもう一方はというと。


(ほんとお前は、相変わらずだねえ)


 当然のように体に絡みついている慣れ親しんだ圧迫に、千景は満足げに口元を緩めた。


 

 ひときわ強い光に包まれて、目の前が一瞬真っ白に染まる。


 術師としての感覚から、無事に封印できたことはわかる。

 それでも、ここまで壮大なものだとは思わなかったというのが千景の率直な感想だ。



《───……ありがとう。──の者よ》



 霊力と生気を、空っぽになるまで吸い取られたことで低下した意識の中。

 より鮮明に千景の脳内に届けられたその声は、最後だけ靄がかかったように、音がぼやけた。


 抗いきれない脱力感に襲われた千景は、そのままプツリと意識を手放した。




 ◇ ◇ ◇




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