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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第一章
30/103

30 . 不老不死の泉〈六〉



 突如として掛けられた、威嚇とも警告ともとれる鋭さを含んだ声。


 千景に驚きはない。

 けれど、どうしたものかと頭を捻らずにはいられない。

 どう対応するのが一番なのか。熟考を悟られないよう、ささやかな時間稼ぎとしてゆっくりと体の向きを変えた。



 声音からして性別は分かっていたが、目をやった先に立っていたのはやはり女だった。

 その双眸には険しさが宿っている。明らかにこちらを訝しんでいるようだ。


 その身に纏うは赤と白を基調とした和装束。

 千景の記憶にある色合いや形とは違えど、この怪異渦巻く山に、明らかに登山に適さない格好で臨む人間など極端に限られる。


 あの組織では和装が義務付けられているのか。

 それともそこに所属する人間は伝統を重んじる矜持でも持っているのか。

 どちらにしろ、彼女が一般人でないことは火を見るより明らかだった。


「あなたは誰ですか。一体何をしに此処へ? 答えて下さい」


 再び問われた声音には少しの圧に混じり、彼女なりの自制や配慮が感じられた。

 まだこちらが一般人である可能性を視野に入れているのだ。



 千景としては、朱殷と銀を視られた段階で、彼女の中ではすでに千景が一般人である可能性は除外されたと考えていた。


 見る人が見れば、この二匹が霊体であることはわかる。


 その時点で、こちらが”視えるだけの人間”か”術師”かの二択に絞られる。

 取り憑かれているならまだしも、寄り添うように霊を連れている(・・・・・)一般人などいはしないのだから。


 そもそも式神ではない本物の霊を傍に置く酔狂な術師すら滅多にいないだろうけれど。

 

「何をしにって、山に来てすることなんて登山か森林浴くらいじゃん」


「道も整備されていないこんな山奥にですか?」


「ちょっと迷っちゃっただけだって」


「それを私が信じるとでも…」


「へえ、この山にはそれ以外にも楽しいことがあんの?」


「……………」

 

 彼女は考えていることが顔に出やすいタイプなのだろう。

 わかりやすくきまりの悪そうな顔をして、そのままピタリと口を閉ざしてしまった。


 たとえ目的が同じであったとしても。

 たとえ同じ情報を持っていたとしても。

 まさか言えないだろう。『不老不死の泉がこの山にあるとの噂を聞き、調査しに来ました』なんて。


 千景が一般人ではない可能性がちらりとでもある以上、彼女はその有益な情報を他者に口走るような真似はしない。


 なぜなら、そう教育されているから。


 持ち得る情報は絶対外部の術師には渡さない。

 情報も利益も恩恵も、余すことなく独り占めにして、いつまでも呪術界の絶対的組織であり続ける。

 

 そうやってあそこの権力者たちは独裁的な術師管理を行い、暴利を貪ってきた。



 ───彼女が属する術師会とは、そういう組織なのだ。



「………今回だけは見逃します。二度はありませんのでご注意を」


 見逃してやるのはこっちの方だよ、なんて余計なことは言わない。


 深く探られたくない向こうと、極力関わりたくないこちら。

 保身のために一時的な利害関係が成立したと判断した千景には、わざわざ彼女から提示してくれた”引き際”を断る理由などどこにもないのだから。



 彼女の強がりを笑みひとつで受け入れて、そのまま踵を返した。

 もうこれ以上誰にも会わないことを願いながら。


「……誰? 知り合い……ってわけじゃなさそうだったけど」


「たぶん、きっと、間違いなく、術師会の人間。まさかこんな眉唾の噂に、あそこが首を突っ込んでくるとは思わなかった。完全に想定外」


「そんなにやべえの?」


「やばいっつうか面倒くさい。会いたくない。関わりたくない」


「ふは、お前が術師界嫌いなことはよくわかったわ」


 興味本位で京都に赴いて以来、やはり術師会とは深く関わり合いたくないと心の底から再認識していた。

 あんな心根の腐った連中と関わろうものなら、確実に、こちらの純真で真っ白な心根も侵されてしまう。


「なんか今日はもうダメな気がする。一刻も早く宿に帰って温泉に入りたい」


「んじゃ帰るか」


「え、いいの? お前不老不死の泉見てみたいんじゃなかった?」


「別にそんな無理してまでは。そもそも、あるかどうかもわかんねえだろ。どうせチカがいねえと俺は山歩けねえし、お前が帰るんなら俺も帰るよ。さっさと戻ってウマい飯食おうぜ」


「イケメンかよ……」


 ここは遠慮なく志摩の言葉に甘えさせてもらおう。

 まだ日も高いが、同じ場所に術師会の人間がいると分かった瞬間にどっと疲れが押し寄せてきた。

 肉体的にではなく、精神的にという意味で。


 加えて、足場の悪い傾斜道を歩き続けたことで、脚から全身にかけて疲労も溜まってきている。

 宿に戻りたいというのも温泉に入りたいというのも、心からの本音だった。


「じゃあ銀、帰り道教え……、」




《………─────》




 思わず足を止めた。


 右、左。異常なし。

 前、後ろ。異常なし。


 ぐるりと全方位を見渡してみるも、なんの変哲もない森が広がるだけで何もない。


「チカ?」


 いきなり立ち止まった千景の不可解な行動に、いつものこととはいえ、志摩はどこか不安げな表情を覗かせた。

 しかし今の千景には、その不安を解いてあげられるほどの余裕はない。


 なにか言葉を紡ぐ前に、ズキリと鋭い頭痛がし、片手で頭を抑える。



《───────》



「……っ、…なに……」



《───────》



「……ぅ、…」


 もう一度脳髄を震わせるような痛みが駆け抜ける。

 直感的に、まずい、と思った。


 千景の嫌な予感は本当によく当たる。

 だからこそ咄嗟に手を伸ばして、志摩の手首を掴んで引き寄せた。

 



 サアッっと吹き抜けた強い風が激しく木々を揺らす。


 反射的に目を瞑る。

 正直瞼を上げたくない。


 疲れ果てて一刻も早く帰ろうとしたが公共交通機関が止まっていたとき然り。

 台風で九割がた休校だと思っていたのに朝起きたら快晴だったとき然り。

 千景の意識はすでに怪奇現象多発現場からフェードアウトしかけていたのだ。たぶんこれ以上は気持ちが持たない。


 けれどもどんなに都合よく現実逃避したとしても何も始まらないし、何も終わらない。


(……まじ豆腐……ひっさびさの豆腐メンタルきた。しかもちょっと腐りかけ)


 目前に広がるものをなんとなく想像しながら、仕方なしにと千景はゆっくり目を開けた。


「………ほんっっと嫌になる。私の嫌な予感、当たりすぎだろ」


 大方の予想が的中してしまっていたことを嘆くべきか。

 思い浮かべていた風景よりも格段に明媚なこの現状を素直に感嘆するべきか。



 目を開けて飛び込んできたのは、一瞬にしてすっかり変わってしまった景色。


 まず、青が見えた。

 色鮮やかな木々と、苔の生えた岩。

 降り注ぐ日光をその水面に反射させ、キラキラと揺れ動くその神秘は美しいとしか言いようがない。


 幻想的という言葉を極限まで具現化させたような。まさにグランセノーテ。

 心なしか、周りの自然も青々としているようにさえ感じる。



 思わず魅せられていた絶景から意識を引き戻し。

 しかと右手に絡んだ温度を確かめ、安堵する。


 こんな山の中ではぐれるという最悪のケースだけは避けねばという思いで咄嗟に引き寄せた志摩は、無事に五体満足で千景の隣にいる。

 朱殷も銀ももれなく、それぞれの定位置にピタリと張り付いていた。


「………なあ、チカ……これって…」


「うん。お前がいうところの”二次元御用達の産物”、だね」


「マジであったのかよ……」 


 誰かに明確な答えをもらわずともすぐに分かった。

 目の前に広がっているものこそが探し求めていた例のもの、『不老不死の泉』であるということを。


(……あーあ、連れてこられちゃったよ)


 ズキズキと痛んでいた頭は、今やすっかり平常を取り戻している。


 探す手間は省けた。しかし山から撤退しようとしていた直後にこれだ。

 どちらかといえばプラス寄りのプラマイゼロ。




 ひしひしと感じる霊力の導きに従って、自分たちをここまで連れてきた”彼”の意思通り、まずは挨拶から。



「───初めまして。山神様」



 ひときわ大きく立派な大木が、呼応するように枝葉を揺らした。



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