27 . 不老不死の泉〈三〉
この知識修得の一端としては、千景が家にある文献を読み漁っていたことにある。
けれどそれ以上に、スポンジのように物事を覚える幼少期に、千景の周りにいた愉快な大人たちが大きく起因していた。
例えば知育玩具の代わりに呪具を与えられたり。
呪術方面に脚色された絵本を読み聞かせられたり。
終いには酒に酔った勢いでSF並みの呪術を目の前で披露されたり。
もちろん普通の勉学や一般常識などもしっかり教えられはした。
ただ、良くも悪くも常識に囚われないアホな大人たちがいたからこそ、今の千景が形成されたといっても過言ではないのだ。
この桃太郎云々の話もいつどこで誰に享受されたものだったろうか。
おそらくこれも幼少期に、興が乗った誰かに吹き込まれたことだけは間違いない。
「ところでさ、なんで桃太郎のお供が猿とキジと犬だったか知ってる?」
「んなの考えたこともねえわ」
「物事には少なからずなんらかの意図があるんだよ。まず考えるのは、鬼が北東にいるっていうこと。『鬼門』って言葉くらいは聞いたことあるでしょ」
「それはまあ、なんとなく。風水とかでもよく聞くしな……つかなんで北東?」
「とりあえずこれぞ鬼って姿をイメージしてみて。どんなのが浮かんだ?」
「角生えてて虎パンツはいてて金棒もってる」
「それが理由だよ」
「……どれ?」
紐解くキーワードは、志摩が抱いた鬼のイメージ像の中に詰め込まれている。
けれど答えを知らない側からすればまるでちんぷんかんぷんな話だ。
「あんたが想像した通り、鬼と言われて思い浮かべる最もメジャーなイメージは、角が生えてて虎柄のパンツを履いた姿。ここからは連想ゲームみたいなものだね。角が生えた動物といえば?」
「ジャコブヒツジ」
「うん、ウシだね。でもって虎柄のパンツを履いてるということで、鬼を十二支で考えると丑寅の方角ってことになる。つまりは北東。元々は丑寅の方角が鬼門とされてて、そこから牛の角に虎柄のパンツっていう鬼のイメージが生まれたとも言われてる。まあ、今はそこが論点じゃないから細かいことは別にいいけどね」
十二支を方角に当てはめて考えると、子は北を指し、その対角に当たる午は南を指す。
そこを基準にして方角を十二分割すると、鬼門、つまり丑寅の方角は北東ということになる。
このような考え方は、平安時代に盛んだった陰陽五行説に基づいている。
今でも鬼門の方角である北東には、キッチンやトイレなどの水回りや玄関を避けた間取りの家が多いようだ。
この時代に鬼門だなんだと気にしている人間は少ないだろう。
しかしこうして何気ない生活の一部にも呪術の考え方は根付いているのだ。
「じゃあ本題。鬼が丑寅の方角に棲んでいるとすれば、その対極にいる存在は?」
「これも十二支ってことだろ。子、丑、寅、卯ときて……」
方角と照らし合わせながら志摩は指折り数えていく。
「……あー、そういうこと。申あたりだな?」
「正解。きっちり真反対ってわけじゃないけど、丑寅に棲む鬼の対極は申、酉、戌に当たる。そう、桃太郎がお供にした猿とキジと犬だね。桃太郎の最終目標は鬼の討伐なんだから、その対極にある三匹の動物をお供にするのはすごく理にかなってる。それに加えて、強い霊力を持つ桃の加護も受けてるとくれば……」
「そりゃ強えわ桃太郎。鬼も負けるわな」
「『桃太郎』という御伽噺の深さをご理解いただけたようで何より」
桃太郎に限らず、昔から伝わる物語には実は深い意味が込められている作品が多々ある。
何度も読み返して完璧に内容を把握していようとも、別視点から一つ一つ紐解けば、また違った楽しさがあるものだ。
千景とて万人にこの世界観を知ってもらいたいというわけではない。
しかし志摩のように、呪術に少しでも片足を突っ込んでいるような人間には、こういう見方もあるのだと頭の片隅に留めておいてもらうのも悪くはない。
雑学に近い雑談を交えながら河原でしばしの休憩をとったのち、再び山道を進む。
さすがにここまで来れば人とすれ違うこともない。
自分たちしかいないと錯覚してしまうほどの広大な山を奥へ奥へと歩く。
一応目的地はあるものの、そこへ案内してくれる道標はどこにもない。
霊力を辿ってみてもそもそもこの山全体が強い霊力を帯びているため、どこか一箇所を特定することはできそうにない。
登山素人が知らない山を闇雲に歩けばかなりの高確率で迷うのだろう。だがそこの心配は初めからなかった。
こちらにはナビにもコンパスにもなる二匹がついているのだから。
足のコンディションにさえ注意していれば、あとは体力と相談するだけだ。まだ帰り道を心配するような時間帯でもない。今はただ思うままに進むことにしよう。
「…あ」
不意に千景が立ち止まった。
それにつられて同じく足を止めた志摩が何事かと窺ってきたが、千景は前方に注意深く目を向けるだけで返答はない。
「チカ? どうしたよ」
「……んー…」
肉眼で見える範囲内に何かがあるわけではない。
だが、この肌に纏わり付くような、ピリピリとした感覚にはよく覚えがあった。
(……霊、かもしれないけどなんか違うような気も…)
今の今までこれといって特出したものは何も感じなかった場所から、突如放たれた強い霊力。
これが何によるものなのか、瞬時に特定できるほど人間の感知力というものは優れてはいない。
それでも、この先にどういうものがいるのか、もしくはあるのか。
その考え得る可能性はこれまでの経験からある程度予想できる。
「ねえ、どう思う?」
千景ひとりでは曖昧となってしまう憶測を補完するため、千景の諮問機関的役割を担っている動物に意見を求めた。
《そうやねぇ。とりあえず動いとる気配は感じますなぁ。モノや自然現象ちゅうよりは、意思のある霊やんな。ほんでビシバシ悪意感じとるし、こら悪霊一択やわ。しかも結構強いやつなぁ》
人前では滅多に口を開かない銀も、この場にいる”他人”が志摩だけとなると話は別だ。
やはり普段よりは口数が減るものの、何かを問えば普通に喋る。
同じように、人前では口を開かず普段でさえも興が乗らなければ喋らないような面倒くさがりの朱殷との大きな違いと言える。
感知に優れた銀の意見は大体千景と同じものであった。
やはり銀の方がより多くのことを感取している。情報の補完としては十分な役割を担ってくれた。
銀が言うように、前方からの嫌な霊力は千景も感じていた。
だがその正体を悪霊一択に絞るというのはどうにも解せない。
ここはどんな怪異が存在しているのかもわからない山の中だ。悪意を感じるからといえど、その元凶が必ずしも悪霊だとは限らないのだ。
しかしこれを銀に提言する必要は全くない。
呪術にも怪異事にも精通している銀が、これを念頭に置かずして話を進めるはずがないのだから。
《そやけどまぁ、邪気を帯びとる言うてもそれが悪霊だとは限らへんなぁ。悪いことと何の関係ものうても邪気を帯びる場合もありますわ》
「だよね。てことはもしかすると…」
《クク、そやねえ。その可能性は限りのうゼロに近いんは確かやけど。ありえへんとも言い切れまへん》
ちらりと思い浮かべた可能性を銀に問えば、それが有り得ることは皆無に等しいが完全否定もされない。
千景とて言ってみたものの本当にそうだとは考えていない。
しかしここは、人間には到底推し量れない未知が広がる山の中。
実際に見てみるまでは何がどうなっているのかなんて分からないのだから、それを確かめてみる価値は十分にあると言えよう。




