24 . 変わり者
◇ ◇ ◇
そのまま倒れるように眠ってしまった千景は、結果的に久瀬宅に一晩お邪魔することになった。
朝食のいい匂いに起こされたのが七時少し前のこと。
もともと睡眠時間がやや短めの千景は、四時間ほど寝れば大体の体の不調はリセットされる。粗方いつも通りのコンディションに戻った。
とはいえ、たかだか数時間程度の睡眠で全身疲労と寝不足が完全に解消されることは端から期待していない。
あくまでも起床後明るいうちは普通に動ける程度の回復具合だが、今はそれで十分だ。
ふと目についたテレビからは朝の情報番組が流れている。
今日は一日曇り空だという他愛もない情報が取得できた。
雨の予報ならば傘の有無が気になるところだが、大気の気まぐれで太陽を隠される程度なら聞き流してしまっても問題はない。
千景の中での久瀬は、もはやハイスペック紳士と位置付けられつつあった。
そんな彼が用意してくれた朝食を食べながら、呑気にティータイムと洒落込む。
千景は紅茶をもらったが、紳士代表久瀬と紳士研修生の志摩はエスプレッソをエスプレッソで淹れたようなエスプレッソ風高濃度物質を啜っていた。
一応カフェイン過剰摂取を心配してみたが、全く問題ないと真顔で返されたのでそれ以上の追求はやめておいた。
その後、意識が落ちる前の科白通りに室内を清めた。
とくに玄関や窓際など、邪な存在が入ってきやすい場所は徹底的に。
護符やその他諸々の小道具は千景が寝ている間に銀が取ってきてくれていた。わざわざ金縷梅堂に道具を取りに戻る手間は省けたのでありがたい。
やはり持つべきものは優秀なペットである。
「…一応できることは全てやっておいたので、もう大丈夫だとは思います。ただ、どんな術にも絶対というものはありません。霊的存在や呪術の干渉を受け続ければまた同じようなことが起こる場合もあります。ということで、はいコレ」
小さなメモ紙を久瀬に手渡す。
「何か困ったことがあれば連絡ください。力になれると思うんで」
「ありがとう」
「それと、名乗るのが随分と遅れちゃいましたね。叶堂千景って言います。名前と連絡先はトップシークレットなんで他言無用でお願いしますね」
人差し指を立てて”秘密”とジェスチャーしてみれば、久瀬はにこやかに頷いてくれた。
「もちろんだよ。君のことを誰かに言うつもりはない。本当にありがとう」
「礼には及びませんよ」
「君も……志摩くんだったかな。付き合わせて悪かったね」
「いやいや。俺も勝手についてきただけなんで大丈夫っす」
玄関先で久瀬と別れる前に、そういえば、と。
もうひとつ伝え忘れていたことを思い出した。
「そうそう、久瀬さん。もし呪い殺したい相手がいるなら私に言ってくださいね。特別に格安でお引き受けしますから」
パチン、とウインクを添えた千景は今度こそ久瀬の部屋を後にした。
午後からバイトだから帰って寝ると言っていた志摩とは途中で別れ、千景もまっすぐ金縷梅堂兼自宅へ帰った。
寝不足だが体はまだ元気だ。
気力が保つ限り店を開けることにして、軽くシャワーを浴びてから店のカウンターでまったり過ごす。
ここに来る客は有難いことに金縷梅堂が不定休であることは大前提として、営業時間がバラバラであることも当たり前だと認知している人が多い。
だからこうして気まぐれ営業を続けることができているのだ。
もしこの日この時間に絶対買いに来たいという人がいれば事前に連絡をもらっているので、そういったトラブルが起こることもなく比較的平和に営業できている。
──ピコン、ピコン。
穏やかな店内で茶菓子片手に煎茶を啜っていると、携帯がメッセージの受信を知らせた。
何事かと見てみると、そこにはここ最近ご無沙汰だった名が表示されていた。
「へえ。あいつ生きてたんだ」
現在の生死確認が取れたところでチャットアプリを開いてみれば。
──────────────────
:久しぶり
今ヨーロッパに旅行に来てるんだけどお土産買ったから
:《写真》
:《写真》
:《写真》
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送られて来た写真を見て、相手が相変わらずの奇人であることに果てしなく安堵する。
三枚の写真は送り主の旅行風景の写メのようで、上からブルックリンブリッジ、サルタンモスク、カルナック神殿だ。
どれも送り主の姿は映っていない。自撮り写真というよりは、そこに行ったという記録を残すためのものなのだろう。
「…………………」
言いたいことや疑問を全て溜め息に乗せて長く吐き出す。
もしかしたら見間違いかもしれないと、送られて来たメッセージをもう一度一文字一文字しっかり目で追う。
確かにそこには『ヨーロッパ旅行』と記されている。間違いなく。
しかし千景の記憶が正しければ、送りつけられた写真はそれぞれアメリカ、シンガポール、エジプトの観光名所だ。
「……ヨーロッパの片鱗ゼロじゃーん」
もはや世界旅行と表現した方が正しい文と写真の見事な乖離具合。
考えることを放棄した千景は感謝のスタンプを送って画面を閉じた。
何をしに行ったのか。
いつ帰って来るのか。
そもそも今どこにいるのか。
疑問を挙げればきりがないが、あの奇怪な人間について深く考えたところで何も生まれない。
ここは深く考えず、素直に旅行の土産が貰えることを喜んでおくのが最適解だと長い付き合いから知っていた。
そこでふと目についたのはレジ横の置物。
そういえばこれもその奇怪人間から貰ったものだった。
某真実の口のようなオジサン顔に、ふさふさの髭を取り付けてもっと目を見開かせたような頭部。
そこからやけにリアルな生足を二本生えさせ、なぜだか頭部の天辺に取り付けられた右手には松明のようなものが握られている。
見れば見るほど不思議な、なんとも面妖なデザイン性を秘めているそんな置物。
「……どこぞの妖怪ですか、って話よ」
この置物も以前どこかの土産品にと渡されたものだった気がする。
申し訳ないが、これのどの辺りに琴線が刺激されたのかは全くわからない。
せっかくだからとこれをレジ横に置いてしまったのが運の尽きだった。
以来、店主である千景がそういう趣味なのだと勘違いした客から、度々個性的な貰い物をすることが増えてしまったのだった。
何度も撤去しようとは考えたが悲しいかな、これはもはや金縷梅堂のトレードマーク的な存在だ 。
結局のところ、今もこうしてインテリアの一部として店内のカオスな雰囲気づくりの一端を担っているのだから今更撤去などできるはずもあるまい。
休日ということもあってかそれなりに客足は多かった。
しかし夕方にもなると再び睡魔に襲われ、多少の粘りを見せたものの、もう無理だと判断した千景は日没と同時に店を閉めた。
今夜は睡眠に全てを捧げることにしようと心に決めて。




