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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第一章
22/103

22 . 除霊



(……解錠されたか…)


 さすが高級マンションなだけあって蝶番が音を鳴らすことはない。

 微かに空気の流れが変わったことで、玄関の扉が開かれたことが分かる。


 一連の音を聞いて志摩と久瀬は部屋の奥で息を呑む。

 千景はゆっくりドアノブを捻って、誘うようにリビングと廊下を繋げた。



 ───…ペタ…ペタ…。



 数センチしか開いていない扉から向こうの様子を見ることはできない。

 しかしだいぶ音がクリアになったことで、フローリングの上を素足が伝う音が聞こえてくる。


(…怖っわ……)


 こう見えても千景は防衛本能を奮い立たせる程度の恐怖心は抱いている。

 案の定、全身にゾワリと寒気が走った。



《───………、どこォ……》



「ちょっ、いまなんか……!」


「……声……聞こえたんだけど」



《───………ねェ、ドコにいるノォ……、…ヤットハイレたよォ…》



 直接吹き込まれたような女の声が脳内に響く。

 不気味な気配と足音が徐々に近づいてくる。


 恐怖と警戒心を前面に押し出す男たちの『早く近くに来い』という無言の圧力を感じ取り、千景はとりあえず部屋の隅へ戻る。


「……何があっても私から離れないように。まだ死にたくはないでしょう?」


 隠れるように千景の背後にいる二人に、それはもうコクコクと首振り人形のように全力で頷かれ、彼らがいかに今を生きるのに必死なのかが伝わってきた。



 いずれ強い風に吹かれたようにリビングの扉が開く。


 バンッ、と勢いを殺しきれずにストッパーにぶつかった。

 その反動で再び閉まりかけた扉に、今度は所々爪が剥がれた青白い五指が掛けられ、ゆっくり押し開かれる。



《……みぃつけたァ……》



 まずは頭部。

 ヌッと頭を覗かせた霊は、白粉を塗りたくって無理やり赤で色味をつけたかのように、それはそれは血の涙を流す日本人形のような様相をしていた。


(何で毎回毎回ホラー要素強めなんだよ……もっと普通の悪霊はいないのかよマジ怖いんですけど…)


 もはや恐怖よりも逆ギレに近い怒りの方が勝っている今の千景に物怖じという言葉は存在しない。

 

 コテリと首を傾けながら一歩一歩着実に近づいてくる壊れた日本人形風悪霊と真正面から対峙する。



《……………ナンでカギ……、……………アケテくれなかったノォ……? ……………ねェ………ドウシテ……………ねェ……ネェ………、ドウシテナノッ………? ……ねェ!! ドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテッ……ネエェェェェェッッ!!!!》



 語尾を強めながら狂ったように同じ言葉を繰り返す霊。

 感情をぶつける先は、もちろん呪う対象である久瀬だ。


 瞬き一つしない、やたらと黒部分の大きい目に底知れぬ恐怖を煽られた久瀬は、とにかく霊と距離を取るため一目散に後ずさろうとする。


 しかしその前に千景に腕を掴まれ、命からがらの逃亡は不発に終わる。

 何をするんだと自身の腕を掴む千景に訴えようとしたが、その顔を見て瞬時に口を閉ざした。


 肩越しに首だけ捻って振り返った千景はニコリと笑う。


「私から離れんなって言ったよね?」


 声音はいつもと変わらない。

 口元にも綺麗な笑みが浮かぶ。


 ただ、寄越された流し目だけは鋭利な刃物のように冷たさと殺気が内包されていた。


 食物連鎖の頂点に立っていると誤認する平和ボケした人間の本能に、”狩られる恐怖”を思い出させるには十分だった。

 途端に、先ほどまで気にならなかった朱殷と銀の存在も不気味に見えてくる。



 人間代表の久瀬は、逃げることと此処に留まること、どちらがより安全であるかを瞬時に弾き出し、逃げの姿勢を解いた。


「ふふ、大丈夫ですよ。私がちゃんと守るんで」


 千景の瞳に温度が宿る。

 久瀬はひとつ息を吐いて安堵の表情を浮かべた。


 この一連の流れを、苦笑いを零して見ていた志摩はというと。

 すでに数年前に同じやり取りを経験していただけあって、それ以来このような状況下で「傍を離れるな」という千景の忠告を無視したことは一度もなかった。


 

 千景は軽く深呼吸をして精神を鎮める。

 それを合図に、しゅるりと千景から離れた朱殷は迫ってきていた悪霊に絡みつき、その動きを静止させる。



《……ッアアア…、……ハナセヨオオオォォ……!!》



 叫び散らす霊の言葉には一切耳を貸さず、千景は無慈悲にも呪文を誦する。



「───オン枳利枳利吽発吒」



 右手は立てて親指と人差し指で、左手は掌を上にして寝かせ親指と中指でそれぞれ輪を作り印を結ぶ。



「オン、カラカラビシバク、────、──ジャクバンジャク────。綜べて綜べよ──────────立てさまなれや、十文字。────何れもよりて悪風をからめとり給え。オン、カラカラ、ビシバクソワカ」



《……ア…ゥア……アアアアァァ……ッ…!! イアアアァァアアッ、……ウゥァ……、……ウ゛ウゥゥァァアアア゛、ッッ……!!!》



 朱殷に縛られたまま苦しそうに呻き声を上げる霊を見据え、パン、と両の指を交互に絡ませるように合掌する。



「オン、ソンバニソンバ、───つなぎ留めたる津まかいの綱、行者解かずんばとくべからず」



 唱え終わるのと同時に朱殷は拘束を解いた。



《……ゥゥ……、…ッ…アァァ………》


 

 やっと自由になった霊だが、もうそこに抗うだけの力が残っていなかった。

 地面に蹲り、喉の奥から絞り出したような声で呻吟することしかできない。



 術をかけながらもその様子を無表情で見ていた千景は右手で刀印を結び、九字を切る。



「──────────」



 最後にスッと横に指を走らせれば、一切の遺恨すら残さず跡形もなく霊は消え去った。


 こうして久方ぶりの安寧と静寂が久瀬宅のリビングに訪れたのであった。

 



 おそらくこういう調伏(ちょうぶく)現場に立ち会うのは初めてなのだろう。

 久瀬は事の一部始終を目撃し、現在軽い放心状態だ。


「お疲れ。終わったか?」


「ん。とりあえず霊の方は。悪いんだけど玄関の鍵かけ直してきてくれる? もう何もいないから安心して大丈夫だと思うけど、怖かったら銀連れてっていいから」


「りょーかい」


 こういう状況には慣れきっている志摩にお遣いを頼む。


 快諾はしてくれたものの迷うことなく銀を連れて行くあたり、やはりまだ一人では行動したくないらしい。

 心霊番組を見た後に一人でトイレに行けなくなるのと同じ原理だ。



 大したことはしていないのに、何故だかどっと疲れが押し寄せる。


 そういえば今日、というか正確には昨日だが。

 久しぶりに朝から大学へ行き、学校終わりに未生と遊び、その後志摩からのSOSに応えて除霊し、初対面の久瀬になんだかんだ呪術講座をしてからの二度目の除霊。


 思い返せばてんこ盛りの一日に、そりゃ疲れるわけだ、と納得。


 しかし、千景にはもうひと仕事残っている。



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