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怨みつらみの愉快日録  作者: 夏風邪
第一章
20/103

20 . 隠す意義



 つつ、と指先でドアの表面をなぞる。

 確かめるように、ゆっくりと。


 無言で何かを探っている千景を志摩と久瀬は固唾を呑んで見守る。

 

 暫くドアを辿っていた指先は、やがて離れた。

 次にインターホンの上、お洒落な字体で『久瀬』と書かれた表札に触れた瞬間、ピタリと動きを止めた。


「……上手いな…」


 やや眉根を寄せる。


 些細な気配の元、元凶に触れただけでは読み取れるものは少ない。

 もっと本気で探ればその先を知ることは可能だ。しかし千景はそれ以上何もせずにあっさり指先を離した。


「……チカ?」


 凍てつく氷が溶けるように、ふわりと空気が和らいだ千景に、訳が分からないといった様子の二人が困惑した顔を見せる。


 思わず口元に弧を描いた千景はつくづく思う。

 やはり自分の嫌な予感、というか今回の場合は厄介事の予感だが。

 そういう第六感は本当によく当たると。


「どうやら今回のお相手さん。結構厄介みたいですよ」


「どういう事だい…?」


「まあ詳しい話は後で。お待たせしてすみません」


 ニコリと笑えば、久瀬は相変わらず千景の意味深な行動に首を傾げ不安を覗かせる。

 反対に、千景をよく知る志摩はその笑みから過度な心配はいらないと感じ取ったらしく、いつもの調子に戻った。



 久瀬の案内で通されたリビングからは綺麗な夜景が一望できる。

 モノトーンで統一された室内は、生活感を残しながらも余計なものがなく整頓されていて、綺麗好きであろう久瀬の性格が垣間見えた。


 こういう高級マンションに立ち入ったことがない千景と志摩は、興味深そうにキョロキョロ見渡しては意味のない感嘆符を漏らす。


 ふかふかのソファに座って待つこと数分。

 ラフな格好に着替えてキッチンから出てきた久瀬はカップを三つ持ち、それぞれの前に紅茶と珈琲を置いた。


「はいどうぞ」


「ありがとうございます」


「どーも」


 先ほど喫茶店で頼んでいたものから好みを把握したのか、個人によって出すものを変える細やかな気遣いが流石だと思った。


「君のペットたちも何かいるかい?」


「いえいえ。こいつらのことはお構いなく」


 基本的に首元に巻きついて動かない朱殷と、ソファに座った瞬間から千景の膝を独占する銀。

 どんな場所だろうと誰が相手だろうとマイペースを崩さない二匹はいつも通り自由にやっている。気遣いは無用だ。


 自らも湯気の立ったコーヒーカップを手にソファに座った久瀬は、ちらりと千景を見る。

 しかしなんと問えば良いのか言葉を選んでいるようだったので、千景の方からその話題を持ち出すことにした。


「ねえ久瀬さん。貴方を悩ませている呪いのことが色々わかりましたよ。聞きますか?」


「……聞かないって選択肢もあったんだね。とりあえず全部話してくれると嬉しいな」


 頷いた千景は本人の希望通り、ひとつずつ話していくことにした。



「やっぱり状況を把握するためには実際に見てみるのが手っ取り早かったみたいです。結果的にいうと、あなたやっぱり呪われてますね。しかも、結構厄介な感じで」


 そう断言する千景の言葉を聞いて、一瞬久瀬の顔が強張った。

 しかし目に見えるリアクションを起こす代わりに深く息を吐くことで、渦巻く感情を抑え込んだようだった。


 彼は今まで自ら「呪われている」と言っていたが、やはり心の何処かではそんなはずはないと思っていたのだろう。


 もしこれがそこらのただの術師の言葉であれば、きっと疑い半分に聞いていた。

 しかし、出会って間もないながらもそこそこ信頼を寄せていた千景が、実際に見てそう判断したのならば、久瀬の中ではそれはもう疑う余地のない真実となる。


「……厄介というのは?」


「これは呪術による呪いです。先ほど、呪いというのは霊主体と人間主体の二つに分けられると言いましたが、今回は人間主体によるものですね。久瀬さんに直接危害を加えているのは毎夜やって来るという女の霊ですけど、呪い自体をかけているのは人間、つまりは術師です。その術師は、間接的に霊を操ることで対象人物を祟るという類の呪術を用いたのでしょう。ちゃんと目印もありましたしね」


「目印って……さっきの玄関の?」


「ええ。少し呪いの気配を感じたので探ってみましたが、やっぱりありました。術師は呪う対象の居場所としてあの表札に目印をつけ、霊はその目印に導かれて毎日やって来ていたんでしょう」


 数ある呪いの中にも、対象に直接術をかける場合もあれば、今回のように霊を使って間接的に仕掛けてくる場合もある。


 目的や状況に応じてそれぞれメリットデメリットがあるため、どちらが有効かは一概には言えない。

 しかし呪いという時点でどちらも厄介であることに変わりはない。


「この前来た術師はそんなこと言ってなかったけどな…」


「気づかなくても仕方ありませんよ。びっくりするほど巧妙に隠されてましたから。これは、結構腕の立つ術師の仕業かもしれませんね」


「……やっぱり、僕を怨んでいる人がいるということかな…」


「そうだと断言することはできません。まあ、その術師が久瀬さんの名を知ってることは確かなようですけど」


「名前? どうして」


「基本的に呪術というのは、対象の個人情報を知っていればいるほど効力は高まります。偏に個人情報といっても、その人の容姿や住所などいろいろなものがありますが、呪術において最も重視されるのは本名です。生まれた時から死ぬまでずっと持つもの。名前は個人を表す何よりの証明になりますからね」


 これは千景が無闇に名を教えない理由の一つでもある。


 ただの一般人であれば、挨拶の一環として名を名乗ることが日常的であるし、そこまで気にする必要はない。


 だが術師ともなると、霊もしくは同業者に怨まれ呪いをかけられる対象になることも少なくない。

 その時、本名を知られているのといないのとでは効き目に天と地ほどの差が出てくる。


 そのため術師は自ら名乗ることを好まず、また、無理に聞き出すことをしないのが暗黙の了解となっている。

 例外として、七々扇(ななおうぎ)のように呪術界でも有名な家の人間はそんなことお構いなしに広く名が知られていることもあるが、それでも下の名まで名乗ることはあまりないだろう。



 相当な術師ともなれば、名を知らずとも強力な術をかけることは可能だ。

 しかしそんな術師はそうそういない。

 大抵の術師にとっては、名を知っているか否かが呪術のキーポイントとなる。


 とはいえ千景の場合、それは本名を名乗らない理由の一端に過ぎず、もっと大きな理由が他にもあるのだけれど。


「呪いの目印がつけられていたのは表札でした。正しくは『久瀬』という苗字の方だと思いますけどね。これは術師に久瀬さんの名が縛られている証拠です」


「困ったな……仕事の関係上名乗ることはよくあるし、僕の本名を知っている人は結構多いよ」


「心当たりがないのなら無理に依頼者を特定しなくても大丈夫でしょう。術師が腕試しの一環で無作為に呪っているという可能性も否めませんしね」


「そういう場合もあるのかい?」


「怖いもの知らずの馬鹿がたまにやるそうですよ。ふふ、迷惑な話でしょう」


 若気の至りで誰彼構わず呪いをかけて逆に呪われるという話は今も昔もちらほらあるらしい。


 「テメェの力量も量れねえ馬鹿はとっとと呪い殺されちばいいさ。酌量の余地すらねえわ」と鼻で笑い飛ばしていた紫門の冷めきった目は今でもよく覚えている。

 その意見は千景としても同感ではあったが。


「……それで、その目印とやらを君は解いてくれたんだよね?」


「まさか。そのまま残してきましたよ。目印がなくなって、今夜霊が来てくれなかったら困るじゃないですか」


 ニコニコとそう言ってのける千景に、久瀬は隠しきれない溜め息を吐いた。


 これは何も千景の愉快犯的一面が出たわけではない。


 もし目印となっている呪いの片鱗を解いたとして。 

 確かに久瀬にかけられた呪いが解けて一時は霊が来なくなるかもしれない。

 だがその後、術師の意思とは関係なく、またその霊が久瀬の元に来てしまう可能性も十分考えられる。


 それを警戒していつまでも神経を尖らせているより、今日確実に来るとわかっているタイミングで祓ってしまった方が手っ取り早いというだけのことだ。


 というような話を久瀬にすれば、返ってきたのはやはり苦笑だった。

 それは今の己の状況に対してなのか、それとも千景に対してなのか。


 とりあえず今日だけで何回久瀬の苦笑を見ただろうかと、そんな今はどうでもいい思考が千景の頭を過って消えていった。





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