16 . 呼び出しの末に
1時間半のケーキバイキングを終え、店を出た頃にはだいぶ陽も落ちていた。
駅前の喧騒にはスーツ姿のサラリーマンも混ざり、先ほどよりも人が増えた印象だ。
「この後どうする?」
「んーそうだなあ。買い物かカラオケか……」
とりあえず時刻でも確認しようと、何の気なしに携帯に目を移して。
ロック画面に表示された怒涛の通知に思わず眉を顰めた。
(メッセージ16件、着信9件……志摩に何かあったか?)
さっと険しい表情になった千景の顔を未生が覗き込む。
「どうかした?」
「あー……ごめん。ちょっとこのあと用事できちゃったかも」
「じゃあ今日はこれで解散にした方がよさそうね」
「ごめんね」
「なにアタシに気を遣ってんのよ。大丈夫、また今度ゆっくり遊びましょ」
「ありがと」
千景の物々しい雰囲気を感じ取ったのか、気を利かせてくれた未生に手を振ってその後ろ姿を見送る。
とりあえず厄介ごとに巻き込まれているであろう怒涛の通知を送ってきた苦労人に電話を掛けた。
プルルルル、プル…───。
『…もしもしっ』
ほぼワンコールで出た志摩の声は案の定焦りを含んでいた。
「ごめん気づかなかった。大丈夫?」
『とりあえずはな。今どこ?』
「駅前」
『ちょうど良かった。オブジェのとこまで来て。俺もすぐ行くから』
「はいよー」
志摩からのこういう電話は珍しくない。
今でこそ少なくなったものの、少し前までは頻繁に掛かってきていた。
慣れたとは言いたくないが、驚きも心配もあまり感じなくはなっている。
指定されたオブジェの前で待つこと数分。
知った気配に気づき顔を上げれば数人の男子集団がこちらへ向かって来るではないか。
てっきり一人でいると思っていたが、どうやら志摩も友人たちと遊んでいた最中だったようだ。
「悪ィ。待った?」
「いや」
待ち合わせの常套句風に軽く首を振り、とりあえず志摩に目立った外傷がないことを一通り確認する。
切羽詰まった通知を送ってきただけに何やら大事かとも思ったが、先ほど電話口で言っていた通り、今のところは無事らしい。今のところは。
「おい志摩、待ち合わせってその子?」
「おまっ、彼女いないって言ってたじゃねえかよっ…!」
遅れてやって来た友人たちの声は笑顔で受け流す。
そんなことよりも気になることがひとつ。
(…助けてって、そういうことか……)
ジト、とした視線を志摩に送れば、苦笑いでそろりと目を逸らされた。
大体の事情を察した千景は溜め息を飲み込み、志摩の友人たちにニコリと笑いかける。
「どーも。悪いけどこいつ、ちょっと貰ってくね」
「えっ、あ…うん…」
「じゃあな。また今度」
「お、おう…」
いまいち状況を飲み込めていない彼らを置いてさっさと歩き出す。
その後ろを友人たちに別れを告げた志摩が追う。
一拍遅れて、後方から誰かの声が聞こえてきたような気もしたが気のせいだろう。
「……悪いな。毎回急に呼び出して」
「私は大丈夫だけどさ。それよりもお前……なんてもん連れて遊んでんの?」
「……いや、俺も途中で気づいて……いつの間にか居たんだよ…」
ちらっと後ろを見て、今度こそ深く息を吐いた。
志摩の友人とはあのオブジェの前で別れたが、そのうちの一人が今もあとを追うように二人についてきている。
二メートルほどの一定距離を空けてはいるものの、離れる気配がまるでないのは不気味で仕方ない。
「あいつら中学のダチなんだけどさ。最初は四人で遊んでたんだぜ? けどふと気づいたら五人になっててマジ焦ったわ……。他の奴らはなんのリアクションもねえしまるで居ないみたいに扱うから。それで気づいた……」
「はは、あんたもほんと大変だよねぇ」
「笑い事じゃねえっつの」
二人の後を追ってきたのは志摩の友人、ではなく。
一見ただの青年にしか見えない彼の正体は紛れもない霊だった。しかも途中から志摩たちの集団に入り込み、ずっとついてきているというではないか。
気づいたら一人増えていたという笑えないオカルト体験をした志摩の心中を察し、少しだけ同情した。
「今のところ何の害もないみたいだし、これはただの死霊だね。ちゃんと祓ってあげるから大丈夫だよ」
「助かる。マジ勘弁してくれって感じだわ…」
長年霊とともに生きてきた志摩は霊被害の上級者とも言える。
恐らくこの霊が何の害もないただの霊だということはわかっていたはずだが、やはり意味もわからず長時間ついてこられてはさすがに恐怖心も煽られていたのだろう。
疲れた顔をしている志摩を連れて人目につきにくいビルの陰に入る。
辺りはだいぶ暗くなり、周囲の光が届きにくい此処はより一層暗く感じる。
こういう状況の行動パターンがすでに染み付いている志摩は一歩下がる。
後をついてきていた霊も同じように陰に入ったのを見計らって、千景は小さく読誦した。
「───死霊を切りて放てよ梓弓、引き取り給え経の文字」
唱え終わるのと同時に、死霊の姿はあっという間に消え去った。
駅前の喧騒がやけに大きく聞こえる。
ちらりと横目に捉えた志摩は安堵の表情を浮かべ、すでに消えた霊の方を見ていた。
毎回毎回ほとんど同じようなことをやっているのだから飽きないのかと尋ねたことがあるが、こういう超常現象のようなものはいくら体験しても新鮮な気持ちになるらしい。
「チカ、この後の予定は?」
「とくにないけど」
「じゃあ飯食ってこうぜ」
「いいね」
この流れもまたお決まりのパターンである。
助けてくれと呼び出され、その後互いに用事がなければそのままご飯を食べにいく。
志摩はいつもさらっとお金を出してくれることが多いが、千景が一仕事終えた時は必ずと言っていいほど奢ってくれる。
決してたかっているわけではない。
志摩相手に見返りを求めたことは一度もない。
ただ、この男はこう見えて実は紳士的一面を秘めている。そこに、人の厚意は素直に有り難く受け取るタイプの千景が便乗しているというだけの話だ。
焼肉、中華、寿司、ラーメン、またファミレスでもいんじゃね、なんて思いつくものを挙げていき、それぞれの気分と協議によってその時々で行く店を決める。
ちなみに千景はスイーツはまったくの別腹ですタイプの人間だ。つい先ほどケーキバイキングに行ったとか太っちゃうとか、そういう乙女的事情はまったくの無視である。
ああでもないこうでもないと短く議論を交わした結果、今日もまたファミレスのお世話になることを決め、通りへ引き返そうとした時。
通りとビル陰の境界付近に、一人の男が佇んでいることに気づいた。
「ねえ、そこのお嬢さん」
少し声を張り上げた男はこちらにも聞こえるように少し声を張る。
この場で『お嬢さん』に該当する人物は千景しかいない。
知らない男にいきなり話しかけられたことでこちらが警戒を顕にするのも構わず、コツ、コツ、と革靴の音を響かせながら、男は迷いのない足取りで近づいてくる。
そして、千景の前で足を止めた。
「君は……術師と呼ばれる類の人間かい?」
ああ、見られていたのか。
直感的にそう思った。
彼には何が視えて、何を知っているのかはわからない。
ただ、一般人の口から『術師』という存在が出てくることは滅多にない。
「だったらどうします?」
否定も肯定もしない千景の返答に、男は迷わず次の言葉を返す。
まるで初めから千景が術師であることを確信しているかのように。
「力を貸して欲しい。たぶん僕は───呪われている」