13 . 京都観光
「おばちゃん、わさびのり煎餅二枚ちょうだい」
「はいよ、毎度ー!」
「すみませーん、コロッケ三つ」
「おおきにお嬢ちゃん! 毎度ありっ!」
「抹茶ソフトくださーい」
「ありがとうございますー!」
煎餅、コロッケ、アイスと両手いっぱいに食べ物を抱え、ウロウロと往来を行き来する。
空腹の末に選んだのは京都の超定番観光スポット、清水寺だ。
どこかの店でゆっくり昼食をとるのも良かったが、今日は千景と銀と、それと何も言わないがおそらく朱殷も腹ペコ状態だった。
というわけで、一人でいくら買っても怪しまれない食べ歩きをすることにした。
こういう人混みを歩いているとごくたまに、目を見開いてこちらを凝視する”視える”人間ともすれ違う。
なんとなく親近感を感じつつ、向こうからアクションを起こさない限りは全て無視だ。
一通り腹を満たしたあと、せっかくここまで来たのだからともちろん清水寺を拝観していく。
ここに来るのは高校の修学旅行以来だ。
そういえばあの時は、まるでご当地キャラのように道中には彼らがいた。
身の危険を感じたらしい志摩が千景のそばを離れたがらなかったのを思い出す。
それゆえに、おそらくこの機に志摩とお近づきになりたかったであろう一部の女子生徒からの視線が痛かったという懐かしい思い出付きだ。
仁王門を抜け、西門、三重塔を横目に本堂へ入る。
薄暗い堂内はひんやりと涼しい。
毎度のことながらこういう清らかな場所に来ると、銀はともかく朱殷を連れて入るのはどうしても罪悪感を感じてしまう。雀の涙程度だが。
そのまま人の流れに沿ってゆっくり進んでいけば、一番の名所の舞台に出た。
写真を撮る旅行客やカップルがわんさかいるなか、千景は然りげなく崖下に目をやった。
「やっぱり、此処も相変わらずだなぁ…」
『清水の舞台から飛び降りる』なんて言葉がある。
一説によれば、これは江戸時代に色恋沙汰や貧困を理由に願掛けとして行われていたらしい。
数多くの人々、とくに若者がこの舞台から飛び降りた。
しかし当時は崖下には木々が生い茂り土も柔らかかったためか、生存率は高かったという。
けれども少数とはいえ、やはり死者はいた。
似たような願掛け・自殺スポットとして富士山の樹海が挙げられる。
そういう死者の魂が集まりそうな場所には、当然のことながら死霊というものが存在する。
それはこの清水寺も例外ではない。
「……そりゃいるよな…」
舞台下、目を凝らせば現在ではまばらになった木々の陰にいる何か。
遠目からなのであくまでも薄っすら見える程度だが、五感でははっきりとその存在を感知していた。
ここを訪れたのはこれで三度目だ。
しかしあれらをなんとかしようと思ったことは一度もない。
見るものすべてを対処しようとすれば、体一つでは到底足りない。
そもそも見ず知らずの他人のために呪力を使うような真似はしたくないのだ。
だからこういう場所では自分に害がない限りは「あー、なんかいる」と認識するだけで、完全に放置することにしていた。
「う、うわぁっ……!」
ただし、無条件にそれらの影響を受けてしまう人、もっと言えばそういう健気な子供には手を差し伸べてあげるのが術師としての千景の流儀だった。
引き攣ったような子供の悲鳴。
横を振り向いてみれば、千景と同じように舞台下を覗いていた少年がカタカタと体を震わせ、目にいっぱいの涙を溜めていた。
ただ視えるだけか。それともすでに恐怖体験を経験済みなのか。
どちらにせよ”視える子供”という時点で千景の保護対象に入ることに変わりはない。
「やあチビ。お前にはアレが視えてんのかな?」
「………う、うん。…お姉ちゃんにも……?」
「まあね」
膝を折って少年と目線を合わせ、目尻に溜まった涙を拭ってやる。
こういう時、蛇姿である朱殷は子供の恐怖心を煽りやすい。
だから少しの間だけ服の下に潜ってもらっている。
「お父さんとお母さんは? 一緒じゃないの?」
「いっしょにきてるよ。……で、でも、ぼく、だれかに呼ばれたようなきがして…それでっ……」
「そっかそっか」
どうやらこの少年は意識せずとも死霊の声を拾ってしまうほど強い霊力を持っているようだ。
話しているうちにまた目に涙が溜まってきた少年。
怯えきっているその姿には大変庇護欲が擽られたが、ひとまずショルダーバックに仕舞っておいた術師会の霊符を渡す。銀のものと合わせて四枚ある。
「はいコレ。怖いものが寄ってこなくなるお守りだから、肌身離さず持ってな」
「…おまもり?」
「そう。あんまり人に見せたりしちゃダメだぞ。効き目がなくなっちゃうからね。これはお前を守ってくれるものだから、お前だけが効果を信じて持っていればそれでいい。わかった?」
「う、うん。ありがとうお姉ちゃん!」
「どーいたしまして」
おそらく千景の言った意味はよく分からなかったはずだが、少年は先ほどよりも安心した顔で笑い返してくれた。
「じゃあね。もう泣くなよ」
「うんっ…」
わしゃわしゃと少年の頭を撫でた千景は早々にその場を離れた。
涙をこぼす少年に声をかけたのは仕方なかったとして、ここに千景がいたということを誰かに印象付けたくはなかったから。
「さて、次行くか」
そういえば久々に顔を出すにも関わらず手土産を何も買っていなかったことを思い出し、とりあえず参道で八ツ橋だけは買っておいた。
(それにしても京都在住の人に京都の定番土産って……まあ、諧謔性がある土産ってことでいっか……)
記憶と地図を頼りに辿り着いた目的地は、数年前に見た光景となんら変わらない。そのことに安心感を覚える自分がいた。
遮蔽性に優れた高い竹垣からはその内側の様子は一切窺えない。これぞ秘密主義者の家といった佇まいだ。
しかし何度も中に入ったことのある千景はこの向こう側に大きな屋敷があり、明媚な庭があり、鯉が泳ぐ綺麗な池があることを知っている。
表札のない荘厳な門から呼び鈴を鳴らす。
しばらくして、小さく門が開く。
「…どちら様でしょうか?」
姿を見せたのは初めて見る青年だった。
明らかに警戒した声音と表情でこちらを訝しんでいる。
この屋敷の男女比からして男が出てくることはある程度予想できたが、この男は知らない。この近年で入ったのだろうか。
「……………」
千景とペット二匹を見て、さらに警戒心を強めた青年。
危害を加える意思はないという意味を込めて、千景はにこりと笑った。
「こんにちは。当主はいますか?」
「……………」
とりあえず目的の人物の所在の有無を確認しようと問うてみた。
しかし数秒待っても青年からの返答は一向にない。
「あのー、今日は当主サマいます?」
「………えっ、あ…いや、えっと、」
二度目の質問をしたところでようやく相手からどもりにどもった返答が返ってきた。残念ながら何を言いたいのかは分からない。
挙動不審に視線を彷徨かせていた青年は、やがてコホンと咳払いをした。
「……申し訳ありませんが、外部の方に当主の情報を教えることはできません」
「あー…まあそりゃそうか。じゃああの人にこれ渡しといてもらえます? もしいなかったら結城さんでもいいので」
いつもなら千景を知る人が出てくるか、あるいは門前で一悶着やっていれば当主の方から嬉々として出てくるのだが、今日はそれもない。
ということはおそらく今この屋敷にはいないのだ。
そもそもが忙しいあの人のことだ。此処にいる確率も五分五分だと思っていたので問題はない。
当主に渡すため金縷梅堂から持ってきていた呪具を一つと、つい先ほど術師会から貰った塗香と勾玉をそれぞれ二つずつ。
手土産の八ツ橋も忘れず青年に渡し、「ではこれで」と踵を返した。
「……あ、あの! 待ってください」
数歩行ったところで後ろから呼び止められ、肩越しに顔だけ振り返る。
「すみません、先ほどのご無礼をお詫びします。結城さんのことも知ってるということは……あなたは当主様のお知り合い、ですよね?」
「うん、まあね」
結城というのはいつも当主の傍にいる秘書のような側近のような人のことだ。
彼の名も出したことで青年からの警戒が解けたらしい。
「お二人とも、仕事の都合で数日屋敷を空けています。明日か明後日には帰って来ると思います」
やはり当主は仕事に出ていたようだ。
多少の残念さは残るものの、会ったら会ったでまた面倒なことになるのも目に見えているので丁度良かったかもしれない。
「ご丁寧にどーも。じゃあ戻ってきてからでいいんで、私が来たことはそれを渡すついでに言っといてください」
「承知しました。……あの、名前を伺っても?」
伝言役を全うするべく、そう訊いた青年。
その時の顔がやけに真剣味を帯びていて、千景は思わず笑ってしまった。
クスクスと緩んだ口元に人差し指を持っていき、パチン、とウインクをひとつ。
「秘密」
目を見開いたまま固まった青年をしっかり見届けてから、千景は今度こそ踵を返した。
《……………》
《ククッ、ほんまタチ悪いわぁ》
「うるさいよお前ら。祓っちゃうぜ」
こうして二泊三日を予定していた京都旅行は、一日目にして全てのミッションをコンプリートしたのだった。
◇ ◇ ◇