98 . 秋宵騒動〈二〉
室内にいたのは四人。
七々扇、南条、八神、西園寺の当主たちだった。
そこに二人を連れてきた東雲も加わり、術師会主幹九家のうち五家の当主が揃ったことになる。
この面々を見るだけでも、この集まりがただの集会でないことは明白だった。
九月上旬の悪霊狩り以来、思ったよりも早い再会となった家出息子に対し、七々扇巽は変わらずの鋭い視線を投げる。
「何をしに戻って来た」
「………」
「帰って来る気にでもなったか?」
「…………」
煉弥は何も答えない。
問い掛けに対し言葉を発しないのは今に始まったことではない。術師会ではそれが常だった。
「仮にも七々扇の人間だ。今ならまだ容赦をくれてやるぞ」
「……………」
煉弥の無言はすなわち否定を意味する。
以前の”連れ”に対する態度が例外すぎただけであって、彼の本質は何も変わっていなかった。
「まあいい。此処に連れて来られた意味、お前ならわかるだろう。どれだけ反発しようとお前は術師会の人間だ。今回は無理矢理にでも働いてもらうぞ」
東京に来ていた煉弥を見つけたのは偶然だった。
彼らがその偶然を逃すはずもなく、わざわざ東雲に迎えに行かせたのだ。
そこには勝手に姿をくらませた実力者を連れ戻す意も確かにあったが、煉弥を連れて来たのには他にも理由があった。
術師会において貴重な戦力である煉弥にはどうしても働いてもらう必要がある。
それほど厄介な問題を、現在術師会は抱えていたのだった。
此処に術師を集めたのもそれが理由だ。
「今日はあの女は来ていないのか?」
あの女、と聞いて、各々が思い浮かべた人物は同じだった。
蛇と狐を連れた綺麗に笑う女。
それと同時に、底冷えするような冷笑も思い起こされる。
ただ、あの時あの場にいなかった八神史朗と南条真澄だけは巽が指す”女”にイマイチピンときていないようだった。
もちろん煉弥の連れとして噂程度には知っている。
その女の特徴も人を通して把握していた。
しかし実際に自分の目で見るまではやはりその人物像はあやふやなままだった。
「……だが、今日はまた別の”連れ”がいるようだな」
今の今まで触れられなかった志摩の存在に、ここでようやく巽が目を向けた。
極力壁際に寄り、厄介ごとに巻き込まれたくないと全身で表すように気配を消していた金髪の男。
面倒そうな視線だけが返ってくる。
「その男は誰だ」
「………」
「お前は人と連まない人間だと思っていたが。案外そうでもないのか?」
七々扇の術師としての煉弥を見てきて、かれこれ二十年。
その間、友人はおろか仕事抜きでの人との関わりなどほとんどなかった煉弥が立て続けに他人と共に行動している。
今回は前回の彼女ほど親しくはないようだが、それでも珍しさが勝る。
いや、もはや珍しいというより異常だ。
もとより煉弥の本質はそこまで排他的ではなかったのか。
それとも身を置く現在の環境が彼に合っているのか。
様々な邪推を巡らせてみてもその正しい理由を知る本人は口を閉ざしているのだから、その真意は誰にもわからなかった。
問いを投げ掛けはしたがそもそも言葉が返ってくることを期待していなかった巽は早々に煉弥との会話を切り、早速本題に入った。
「現在、術師会はいくつかの呪術案件を抱えている。どれも手口や目的は同じものと推測できる。被害はいずれも術師会の人間やその管轄だ。標的はおそらく術師会組織。ただの嫌がらせか明確な攻撃か、目的は定かではないが、なんらかの意図を持った個人あるいは組織による犯行だろう」
日本の術師を統括しているのは術師会だ。それは変わらない。
だが全ての術師が術師会に属しているわけではない。
どこにも属さず個人で活動している術師もいれば、叶堂のように術師会に属さない家もある。
だからどうしても術師会の管理が行き届かない術師が一定数生じてくる。
その中には当然、術師会を好ましく思わない人間も含まれている。
そういう術師が水面下でコミュニティを作り、術師会に攻撃を仕掛けてくることは茶飯事である。
それでもそういった瑣末な悪意自体はさして珍しくもない。
強大な力と規模を有する術師会は、これまでもそれらの反勢力を幾度となく鎮圧してきた。
ただ、今回ばかりは術師会も少々手を焼いていた。
明らかに人間の仕業と思われる呪術被害・霊被害が各地で頻発しているのだ。
それを処理すべく、適材適所の人員を配している術師会は現在人手不足に直面していた。
ただでさえ呪術業界は万年人手不足なのだ。
一般人からの依頼を片付けつつ湯水のように湧いてくる問題も対処するとなると、どう見積もっても手が足りない。
「そんな状況下で、どこぞの天才術師が姿を消したとなれば、それはそれは事態も深刻化するというものだ」
限りなくひとりの人物を念頭に置いた皮肉を混ぜた嫌味。
それを受けてもなお、やはり当人の表情が変わることはないし口を開くこともなかった。
「東京近辺でも厄介な案件を二つほど抱えているが、そこらの有象無象では話にならん。つまりだ。それらの対処にお前も加われ。問題が片付くまでの間、お前たちにはしばらく此処にいてもらうぞ」
これまでの傾向からも、術師会が”厄介”と断定する案件は本当に厄介だ。
だからその対処に当たる術師には量より質が求められる。
天才と評される煉弥は九家に名を連ねる当主と同等あるいはそれ以上の実力を有する術師だ。
彼が加わるだけでも術師会にとっては貴重すぎる戦力となる。
この案件に関しても、やはり煉弥の返事は必要としていなかった。
もはや決定事項となった巽からの命令。
それに最も不満を覚えたのは、命じられた側ではなく、もちろん命じた側でもなく。
この場にいるというだけで巻き込まれた不憫な一般人なのだった。
「………なんで、俺も含まれてんスかね…」
巽は言った。
『お前たちにはしばらくここにいてもらう』と。
それはつまり志摩も帰す気はないということ。
流れに身を任せていればよくわからない場所に連れて来られ、初対面の人間たちの何やら込み入った事情に否応なく巻き込まれた。
とりあえず面倒ごとから抜け出したい。
そこそこ東京を満喫して帰りたい。
それが無理ならせめて千景と合流したい。
志摩としても心細いわけではないが、こういう慣れぬ地で、長いこと千景と離れることは避けたかった。
主に霊被害でという点で、不安があるから。
そんな志摩の事情など知ったことではない巽は、やはり煉弥の知り合いという時点で彼を見逃す気はなかった。
煉弥の抑制剤として使えるかもしれない人間。
その可能性が少しでもあるのなら、素性や関係性を洗い出すまでは手放せない。
さらには煉弥の同行者という点で、もしかしたら彼も術師なのではないか、もしもそうなら遠慮なく事態収拾のために利用させてもらおう、などといった打算も少なからず含まれていた。
「悪いがお前も此処に居てもらう。力ずくで出て行っても構わないが……その場合はこちらとしても実力行使は厭わないつもりだ」
暗に、怪我をしたくなければ大人しくしていろ、と言われているようなもの。
そう言われてしまえば、志摩に残された選択肢などひとつしかなかった。
「……別に何もしないっすよ。俺も無駄に怪我したくないんで」
普通の人間ならまだしも相手は術師。
純粋な力だけでどうこうできる相手ではないことをよく理解している志摩は、それ以上を噤んだ。
「君は、やけに落ち着いていますね」
そんな志摩の傍らには、いつの間にか穏やかな微笑を浮かべる男が立っていた。
わずかに目を細めて志摩を見据える男。
すべてを見透かすようなこういう視線にはどこか覚えがあった。
周囲に聞こえぬよう、男は声を潜める。
「見たところ、あなたは術師ではないようですね」
「…そういうのって分かるもんなんすね」
「私はそういうのに敏感な性質なんですよ。貴方も、こういう状況には慣れているんでしょうか?」
「慣れてるんだったら初めから反論なんてしませんよ」
これまでひとりの術師しか知らなかった志摩にとって、術師同士のいざこざなんて初めましてにもほどがある。慣れているわけがない。
ただ。
こういう状況でも落ち着いていられるのは。
唯一知っているその術師の、のらりくらりとした処世術にかなりの信頼を置いているから。
問題を片付けるにしても、さらに掻き乱すにしても。気づけばきっとこちらに不利益が生じない程度に上手い具合に物事が片付いているはずだ。
その時、周囲がどれほど荒れた状況になっているかなど知ったことではないが。




