#6 オレ様ランプの精は注文が多め
――この国はもっと強くならなければならない
父フリーマン・ハイロッシュの口癖だった。母と出あう前から考古学に通じ、先代国王の右腕という多忙な身分でありながらモンザ・ケビーラについて研究を積んでいたという。まだ幼なかったリーにモンザ・ケビーラの話をしたのもフリーマンだった。
――そうか、リー。おまえもモンザ・ケビーラがあると思うか
母の曰く、邸内で父の考古学講義を喜んで聞くのはリーだけだったので、何か成果があると父は決まってまだ言葉もおぼつかないようなリーを相手に講義をおこなっていたのだそうだ。おかげでリーが考古学オタクになってしまった、というのが姉たちの談である。
覚えているのは部屋に散乱していたさまざまな図形や言語の書かれたメモ用紙だ。古びてカビと湿気の臭いが染みついた文献。なにをかたどったのかよくわからない土器や石。
父の講義を最後に聞いたのはいつだったろう。母はさびしがる娘たちにやさしく言った。『お父様はこの国とあなたたちを守るために戦っていらっしゃるのよ』。
“イオール・ビアーマ”はリーが父のもとで覚えた単語のひとつだった。ヴァスラの書にイムラーン。自分で選び、自分の足で探して得てきたはずなのに、たまにリーは、まるで父の落としていったかけらを順に拾って父を追いかけているようだと思うことがある。
(…嫌なこと思いだした)
冷たいな、と思いながら、リーは目を開けた。背中が硬いのはベッドではなく石床に寝かされているためだ。熟しきってほとんど腐っている果物のような独特の臭いには覚えがある。
『この指何本に見える?』
体を起こしたリーの前、ハーディが指をつきだした。三本、とリーが返すと、「よし、頭はたしかだな」とうなずく。
『ここがどこかわかるか?』
「王城の地下牢かな、授業で見に来たことがあるよ。実はマハラ・ヴィーラの城はもともと別の場所にあって、約八百年前、アマシス三世がこの場所に移転した。外の城はのちに改築に改築を重ねて今の形になったよ。この地下牢をアマシス三世はとても気に入っていて、ほら、あそこに窓が見えるでしょ、海につながっていて、水責めもできるんだって」
『……』
リーの指さした窓を見つめたまま、ハーディが沈黙した。なぜかうらめしそうにリーを見、まあいいや、とかぶりを振る。
『あのセドリックとかいうキザロリ野郎にハメられたのは覚えてるか? おまえらはあのあと全員城に運ばれてよ、センセイとねーちゃんは左、小僧は右の牢だ。無事だぜ、気は失ってるがな』
「ハーディはやさしいね」
リーが礼をいうと、ハーディが意外なことを言われたようなおかしな顔をした。立ち上がって、リーは鉄格子に近づいてみる。
鉄格子はネズミがようやく一匹出入りできそうな間隔ではめられており、大人の腕ほどもありそうな太い鉄の閂でしっかり閉じられている。蹴飛ばして開けるのは無理そうだとリーは思う。
光源はろうそくのみ。向かいには同じ構造の牢、見える範囲で数えてみると全部で八つあるようだ。ハーディが言うには出入り口は奥の階段だけらしい。
『入ってんのおまえらだけだったぜ。ここはどういう連中が入るんだ?』
「先々代国王の時代までは処刑対象の犯罪者を収容する場所として使われてたよ。新しい収容所ができてからは使われてないって聞いてる」
『おまえ本当サラッというよな』
ハーディが上着の裾を払うように片腕を振り、宙にあぐらをかいた。
『ハイロッシュ公ってのはたしか、おまえの親父さんなんだよな』
「そうだよ」
リーがうなずくと、ハーディが「そうか」とつぶやく。
『おまえが気絶してる間に、あのギザロリ野郎とランプを調べてたぜ』
「…願いを叶え終えるまで、別の人はランプを使えない?」
さあな、とハーディが肩をすくめた。
『なんせおまえでやっと二人目だ、俺もよくわかんねえんだわ。だが、こうしておまえの前にいるってことは、そうらしいな』
「…何か言ってた?」
『何か?』
「…。ランプが本物だってわかってたのかなって思って。ハイロッシュ公は現実的な考え方をする人だし、目的もなく試すことはしないと思う。あのセドリックって人も、たぶん。だとしたら、どうしてそう思ったのかなって」
そのランプはリュックと一緒にとりあげられている。どうやってとりかえしたものか、とリーは考える。
そのうちに地下の扉が開き、兵士が降りてきた。左右の目覚めた気配はまだない。リーはとっさに気を失っているふりをする。
「なんだ、まだおねんねか」
「アルサラム大学考古学部の連中はへたすりゃベテラン兵より戦闘慣れしてるって噂だからな、ガキ相手でも加減するなって言われたんだよ。フィールドワークだっけ? 同行した部隊長がスカウトしてえっつってたもん」
「マジか。でもしょせんガキだろ、死んでねえだろうなあ」
牢の中をのぞきこんでいるのだろう、ろうそくの火影が牢内に伸びた。まもなく裾を引きずるように移動して、アーシェが入っている隣へ移る。
明かりに反応してか、アーシェが目覚めた。
「イテテ……好き勝手やりよって…」
「ようやく一人お目覚めか」
酒場の踊り子をひやかすように、兵士が「おい」とアーシェを呼ぶ。
「おまえ、面白い特技持ってるらしいじゃねえか」
リーは思わず顔を上げた。面白い特技。一体何のことかと耳を澄ませる。
「名前くらいは知ってはいたが、モンザ・ケビーラなんておとぎ話だと思ってたからよ、公が大真面目に口にした時は正気を疑ったよな。イオール・ビアーマ? そんなもん本当にあるのかねえ」
「どうだかな、俺はまだ疑ってるぜ、こんなこぎたねえガキがその“鍵”だっつうんだろ、地方で飼われてた奴隷のガキが」
舌打ちして、兵士が鉄格子を蹴った。
「前の飼い主にずいぶんかわいがられてたんだってなあ? 残念だが公は高潔な方だ、前の主人のようにはいかないからな。くれぐれもけがらわしい真似をして公をけがすなよ」
「せーへんし、むしろ舌噛んで死ぬで! オレにどんなキャラ求めてんねん!」
それまで黙っていたアーシェが耐えきれないとばかりに否定した。
「なんやねん、アンタら。わざわざ雁首揃えて遊びにきたんかいな、ごくろうなこっちゃ。アンタらみたいな兵士に守られとって、国王サマもさぞかし心強いやろな」
「なんだと!?」
「我らを愚弄するか、奴隷め!」
兵士たちが抜刀した。たたきつけるように響いたのは閂を外す音だろうか。いけない、とリーは思う。
セドリックたちに彼はずいぶん痛めつけられていたようだった。疲労だってまだ残っているだろうし、市場での怪我もある。兵士たちの気を一度引くため、リーがすばやく起き上がったときだった。
「ねえ、兵士さん」
女性研究員が兵士たちを呼んだ。舌ったらずな甘い声で、続いて彼女は具合の悪いことを申告する。以下、一部始終を見ていたハーディによると、女性研究員は兵士たちの前で服を脱ぎだし、兵士たちに確認を求めた。兵士たちが先を競うように閂を外し、牢内に入ってきたところを女性研究員とゼノンが同時にしとめた、ということだ。
おとなしそうな容姿におだやかな物腰は、どうしてもゼノンを年中研究室にこもっているようなインドア型研究者に見せてしまう。実際、考古学部に護身術の授業があると知りながらもゼノンをナイフの使い方も知らない非戦闘員として見ている者は多い。
が、実は学部内で最も速く的確に敵を倒してみせるのがゼノンだ。どのくらい彼が強いのかと、一度考古学部の学生有志十数名でいっせいにゼノンに挑んだことがあったが、ものの数秒で全員床に沈められてしまった。
アーシェ、続いてリーの牢の閂を外しながら、ゼノンが言う。
「逃走経路を説明するよ」
さすがは建築考古学者として王城の構造を知り尽くしているゼノンだった。くわえて実際に登城もしており、兵の配置も把握している。警備が手薄かつ最短の順路は、リー一人であったなら組み立てられなかっただろう。だが、ひとつだけ気になることがあった。
ゼノンの提案したルートが兵の多い昼間ではなく、兵の数が少ない夜を前提としていることだ。ここには窓がないのに、どうして今が夜とわかるのか。
指摘したリーに、だいじょうぶだよ、とゼノンが言う。
「彼らからは煙と香水のにおいがした。外の松明のものだ」
王城は窓が多く、そのくせ夜になると松明を燃やし部屋という部屋にあかりをともすので虫が寄ってくるのだ。そこで松明に香木やハーブの葉を混ぜ、虫よけにするのだが、そのにおいがドレスや髪につくのを嫌い、貴族の女性たちは香水をたっぷりとつける。
そのにおいが今床でのびている兵士たちからしたと彼はいうのである。
「深夜になればもっと手薄になるけれど、そのまえに彼らが目覚めないとも限らない」
ゼノンが床で伸びている兵士たちを見る。念のため彼らを牢の中に入れ、閂をしてから作戦を開始した。
城を無事に脱出した後は西に向かうこと。港市場で商隊にまぎれて国外に出るのがもっとも簡単だが、関所に早馬を出されてしまうだろうとゼノンは言った。マハラ・ヴィーラで商売ができなくなっては困るので、問い詰められれば商隊はあっさりリーたちを引き渡すだろう。
集団で行動すると目立ちやすくなるため、作戦はゼノンと女性研究員、リーとアーシェの二手に分かれておこなわれた。途中部屋にとびこんで巡回の兵をやりすごしながら、内心リーは困ったなと思う。
セドリックたちに回収されただろう、ハーディのランプとリュックだ。父も一緒に調べたのなら、可能性として考えられるのは父の執務室だろうが。
ハーディがリーの様子に気づいてどうした、と声をかけた。アーシェに聞こえないよう、リーは小声でランプのことを説明する。なるほど、とハーディがうなずいた。
『そうだな、俺なら誰にも見つからずに城中好きに動けるだろうな』
「…だめなら一つ目の願いにしてもいいけど」
『ふーざーけーんーな』
ハーディが心底気分を害したというように顔をしかめる。リーに顔を近づけ、額をはじくように指を伸ばした。
『だから俺は本物だっつってんだろーが。しかも記念すべき一発目を、ンなしょぼいことに使われてたまるか!』
それに、とハーディが仰々しいしぐさで肩をすくめる。あわれむような眼でリーの、主に胸元を見て言った。
『おまえじゃどんなに色目使ったところで、せいぜい宴会芸にしかならねーだろうしな』