二百八十四話 西へ⑤
未知なる来訪者は影の如く無から顕現した。
目付きの悪い小さな少女と、その背後に佇む全身白色の女性。
その二人から向けられる棘の様な鋭い視線。
自然と空気が張り詰める。
彼女らはどこから現れたのか。皆目見当もつかない。
警備の兵士も居た筈で、家人達も見知らぬ人間を黙って通す様な真似はしない筈だ。なのにこの場に現れた。
多くの目を掻い潜ってここまで来た様子だがそんなあり得ない事をどうやって成し遂げたのだろうか。
何者か。暗殺者の類いか。恐らくはそれが最もあり得るだろうと推測する。
成る程、であれば理由は?人から恨まれる謂れは‥‥‥あったかもしれない。
が、答えを聞かなければそれも推測の域を出ないか。
と、ここまで考えたが、それらは無駄な事だ。今、何よりも重要な事は、彼女らは何の用事があってここに現れたかだ。
目の前の少女が口を開いて名を名乗る。それが本名かどうかは定かではないが、それもまたどうでも良い事だ。
奥に居る無口の女性。大人とは言えないギリギリのラインで少し幼さがまだ残っている。しかし只者ではない事だけは雰囲気から感じ取れる。
当然目の前の小さな少女もだ。
彼女らの目的を探る為に会話や観察で情報を集める。
明確な敵である事は理解したが、逆に言えばそれ以外に得られる事がない。殆どが謎に包まれていて、影を相手にしているかの様にも感じるのだ。
実態が掴めず暗闇にも見えてくる。
小さいのか大きいのかも分からなくなる。そんな、揺らいで、存在しているのかさえも不可解。そんな少女だ。
竜聖国との戦争で信じ難い噂を耳にした。
小さな少女がどこからともなく単騎で現れ我らの軍に立ちはだかった。一切の怖気さえもなく、我が軍の前任の将軍に戦いを挑んだのだと言う。
彼はその戦争により行方不明となり、将軍を失った我が軍は撤退したのだ。
当然、将軍を守ろうと近衛が立ちはだかるものの、あっという間にのされた。近衛曰く、恐らくそれが黒龍なのだと報告したが、結局よく覚えていない者が大半で、信じようにも訳が分からなかったと。
近くに居た兵士達もよく分からないが怖くなって逃げてしまったとも。
そんな事を今の今まで忘れていた。何故ならば明らかに冗談にしか聞こえなかったからだ。
もしかして、目の前の少女は。
しかし少女の口振りからそれが否定された。
但し、黒龍にとってこの少女は重要人物である事も理解した。なので逃すわけにはいかない。
そう思ったから、腰に下げた剣を構えていつでも斬り伏せられる様に身構えたが、少女からは少しの動揺すらも感じ取れず、こちらを睨んだままだ。
奥の女性が少し動いただけの変化。
一歩踏み出せばその鋒が届く距離なのに。
脅しにすらならなかったのだ。
少女らは消え、その張り詰めた空気も去った。しかし心には不安が残り、自分の判断が正しかったのかどうかを疑っている。そして、戦う事さえもこれで良いのかと。
噂程度の有り得ないだろう事も、今になってみれば本当にあった事ではないのかと考えてしまうのだ。
コンコン。
扉を叩く音が部屋に響く。
追って声が来訪者の身分を明かす。
「あなた?誰か来ていた様ですけれど」
その声は最愛の妻であり、良き相談相手でもある彼女は、幾度となく助けを差し伸べてくれた。
彼女はそんな事はないと否定をするだろうが、少なくとも彼女が自らの心の支えである事は確かだ。
「いや、何でもない」
しかし、こんな事は彼女に相談できない。
己は、一応将軍という身分を与えられた身であるため、この程度での事は自分で判断するべきだと思った。
あと、些細な見栄みたいな物が邪魔をして、彼女に要らぬ心配を与えたくなかった。
「そうですか?女性と口論していた様子ですが」
「いや、気にしないでくれ」
彼女が心配している。しかし、話せる事でもない。
少しだけ沈黙を挟んで彼女は了承したみたいだ。「わかりました」の一言を置いて足音が部屋から遠ざかっていった。
この様に足音が聴こえたりすれば良い。しかし何も無い所から突然敵が現れるのであってはどう対処すれば良いのか見当もつかない。
そもそもそんな方法があるのなら、竜聖国はこちらの主要人物を片っ端から暗殺する事が可能だ。
では何故それをしない?
ハッタリの類いか。それとも、
「黒龍は慈悲深く」
「私には関係ない」
「今すぐにでも滅ぼしてやっても良い」
「誤魔化す方法なんて幾らでもある」
少女が言った言葉を思い返す。
そもそも本当に黒龍とやらが慈悲深いなら戦争をしたがらないのではないか。もしも本当に慈悲深いならば付け入る隙はあるかもしれない。
ただ、問題は黒龍自体にどれだけの力があるのかという事。
もしも、もしも、これはただの妄想だ。
もしも黒龍が、街一つを壊滅させるのが容易な程強大ならば。
それ程でも無くとも、単騎で万の兵力に値するなら?
想像だにしたくない事だ。
有り得ない事を考えていた。
それ程の恐怖だったという事だ。
でも何故か有り得ない事でもないのではないかと、妄想に対して一抹の不安が拭えない。
少女の瞳からそう思わせる不思議な雰囲気が出ていた。人間らしからぬ、化け物にも等しい様な何かが。
今日はきっと眠れない。
かの化け物がいつ何処に居るのか、常に見られている気がしてならないから。
「さて、盗聴器も仕掛けましたし、数日調査を行いますよ」
「えぇー、ダルい」
「そうですか?ところでここに私の手作りのシュークリームがあるのですが」
「え!?なんでそんな物が!?」
「残念ながら私は食事が出来ません。フユはいり」
「わーい食べる!!」
「食い気味ですね。まあ、あげますけど。手伝ってくれますよね」
「んんー。甘い!美味しい!」
「カスタードクリームを作るのにワイバーンの卵を代用してます。鶏卵と違い少しだけ卵黄が固いため濃厚な舌触りの筈です」
得意げに解説する少女に、目の前のお菓子に夢中で何も聞こえていない乙女。
敵地の中で緩やかに過ごす少女達なのであった。
不可視の衣は自身のオーラ的な物を隠します。
誰しもが持っている雰囲気的な物ですね。オーラ。その人の背景みたいな。
能力の大半を妹に譲渡しているのですが、生まれ持っての悪意は隠しきれていませんね。隠す手段も譲渡しましたので。
戦闘能力も防衛手段もほぼ皆無ですが知恵でゴリ押しです。知識は力なのです。