二百七十二話 遺した心
つい、先程。お店に【closed】の看板をかけに行ったリドさんが戻ってきた。
「それで、落ち着いたかい?」
そう一言。店員さんに声を掛けてその隣に座る。
一方声を掛けられた女性の店員さんは布で目の下を撫でている。
私達はお店の奥に通されて、子綺麗な部屋のテーブルに、フユと隣同士で座っている。お茶菓子を振る舞われ、私達はそれを摘みながら小さな声で会話をしていた。
「どうしたらうまくいくかな」
「ほっとけば勝手にくっつくでしょ」
私は小さな企みを提案するが、それに対してフユはあまり興味がなさげだ。どちらかと言えばお菓子に興味津々。それは私もだけど。
「すみません店長」
「いやいや気にしなくて良いよ」
お店を閉めてしまった事を謝り、それを気にしないと言った感じで慰めるリドさん。
一連の動作がごく自然の流れの様に見えて、私は思わず溢した。
「‥‥‥必要なさそうだね」
「そそ。後はセリーヌさんが頑張るだけ」
「ん?セリーヌさん?」
「うん。このおねえさんの‥‥‥あ!?」
「え、何で知ってるの?」
「いやぁ、えっとねぇ」
私は店員さんの名前を知らない。知らなかった。
けど何故かフユは知ってる。なんとなく疑問に思った。それを訊ねただけ。
「あわわ」
フユは目を逸らすし何かを隠している。
あやしい。何かやましい事でも隠してるのかも。ジトー。
「ああそうそう、ルビー君」
「何?」
フユと睨めっこしてたら、リドさんに話し掛けられた。仕方ないので一旦フユの事は置いておいて返事をする。
すると何やら大きな箱を机の上に置いた。リドさんは、私に受け取って貰いたい物があるって言ってたからこれの事だろう。
リドさんが目で「開けてごらん」と言ったのでリボンを解いて中を確認した。
まず目につくのは仮面。それと布が入ってた。布を持って広げてみると、昔貰った物と同じ様な見た目の外套だった。赤色の表面に黒の裏地でフードも付いてて、私の身体をスッポリと覆う事の出来る少し大きめの外套だ。
そして箱の底には動き易そうな洋服とスパッツ。少し服を持った所、やや重い気がしたから金属が編み込まれている。右眼でみたら薄い鉄を縫っているみたいだった。
あの頃を思い出した。
心を躍らせながら変装して街の外に出る日々。それは短い間だったけれど楽しかった。翠木亭で過ごすのとはまた違った非日常。
そんなかつてを思い起こす衣装が目の前にある。あの時の物とは別物だが。
「えっと?」
受け取ってくれと言う事なのだろう。
顔を見合わせるとそう言いたげなのは察した。けれど、私がこれを貰う理由がない。
そもそも私は、一年前にお世話になりっぱなしで、素材を持ち込むと約束したのに、その約束を殆ど守れないどころかお礼も顔すらも見せずに一年が経った。
勿論。色々とここに来れなかった理由があったり言い訳はある。けれどそんな物はリドさんには全く関係ない話で。
その当時はちょっと行ってまた帰ってくるつもりだったし。
しかし今は竜聖国が帰るべき場所。私の居るべき場所だ。冒険者なんてやってる暇もない。あの頃の装備だって、ずっと衣装棚の中でお休みしている。
私には‥‥‥もう。
「必要ない」
自分でも吃驚した。
それ程までに冷たい声だった。言った後で後悔した。
見た目が気に入らないと言う事ではなくて、寧ろとても良い品物だと思う。ただ、私には勿体ない。どうせ役立てられないだろうから。
「そうか」
リドさんがひどく寂しそうな声でそう言った。
黙って受け取れば良かっただろうか。
そうすれば今の声は聞かなくても済んだかもしれない。
でも、仕方ないんだ。こんなに良い物を受け取ってもお返しが出来ないから。それに折角受け取ったのなら身に着けないと意味がない。
どうせ私は着ないから。
「ほんとに要らないの?」
「うん」
フユが勿体なさそうにしている。
けど私の考えは変わらない。
だって受け取れないもん。
「あー、そう。ちょっと店長さんこれ借りるね」
「あ、ああ」
服の一式を右手に抱えて強引に奪い取るフユ。
空いているもう片手で私の手を引く。
「えっ、あの。フユ?」
「はいはい。イヴはこっち」
何だかわからないけれど、どこかの部屋に連れてこられた。勝手にお店の中に入って怒られないだろうか。
そんな事に気を使っていると、フユから一言。
「脱いで」
「え!?」
「早く。さもないと脱がす」
「ひぃ」
有無を言わさぬ雰囲気。
そしてあっという間に一枚、二枚とすぽん。
「ぱ、パンツまで!?」
「あっ、ごめんごめん。つい」
「もう」
「あれ、これ何か巻かないと。下着代わりに」
「どして?前は着けてなかったよ」
「いやーコレは重いから擦れるよ。多分痛い」
「そっか。どこかに適当な布ないかな」
「ん?これどうやって着るの」
「これは、こうで」
気付いたら何かこう、ノリ的な物で着替えた。
断れる雰囲気じゃないし。まあ試着するだけなら。
「よし。出来上がり」
「あ、あと、仮面も」
「んー、仮面も着けたら完全に不審者だね」
「むう」
なぜ私が仮面を着けたら不審者だと言われるのか。納得がいかない。いかないから頬を膨らませて抗議する。
仮面のお陰で見えないけどね。
「あははごめん。よく似合ってるよ」
抗議は通じたのか謝られた。けど別に怒ってはない。まあ、もう慣れっ子だし。
「そう?」
お世辞だって事はわかっているけど似合ってると言われて少し照れてしまう。
まあ、フユの事だからどんな格好でも褒めてくれるんだろうけど。なんとなくそんな気がするんだ。
「よし。コレはもう良いよね」
「え?なにが」
フユが一言告げた先にある物が消えた。
こう、フワッと。私の服が。
「イヴの服は私が食べました」
「ええッ!?」
「と言う事で大人しくそれで過ごしてね。少なくとも帰るまでは」
「で、でも。私、貰うわけには。せ、せめて買わないと」
タダで貰うのは忍びない。そう思って装備を買う為のお金を出そうとした所で気付く。今は一切お金を持ち歩いていない事を。「今は」どころか常にの間違いだが。
「ん?どしたのそんな焦った顔して」
「おかねない」
「んー、私がお金持ってるけど、そもそも向こうはお金を受け取るつもりなんてないよ」
「えっ、それだと私」
返せない物を貰い続けてどんどん積み上がっていく。
蒼玉のペンダントもリドさんから無料で頂いた物だった。今はもう私の手元にはない。ラーナちゃんにプレゼントしたから。
あげちゃった事を後悔はしてないけれど、貰い物を他人に譲渡するのは良くなかったかもしれない。
それでもあれだけ喜んでくれたのだから、今更返して欲しいとも言えない。
そもそもの話。宝石だとか煌びやかな物は、私が持つよりも、王女であるラーナちゃんにこそ相応しいとも思うし。
今になって考えてみれば、私が誰かに何かを与えられる程の多くの物は持ち合わせていない。
受け取れば貯まっていく恩。これ以上は受け取れない。
だからこそ、誰かしらにお世話になったら、その恩を返す事も叶わないまま何処かへと旅をする。逃げる様に。
これ以上増えるのが怖くて。
今も。昔も。そして、どうせ未来も。
私はずっとそうだ。何一つ変わらない。
生まれて間もない頃。この命を家族が守ってくれた。かけがえのない大切な家族。
お父さん。お母さん。アイちゃん。フユ。
お世話になった人は数知れず。逃げてきた回数も。
今の今まで生きてきた中でも沢山。
「まーた難しい事考えてる」
「え、?」
「良い?贈り物は素直に受け取るの。それから出来る限りのお礼と笑顔で返せば相手も満足するから」
「でも、そんな物で?」
「私が保証するから!はい。いくよ!」
慌てる私の手を引くフユ。
私の逃げ癖を封殺する強引な力。
光の中で何かが思い浮かぶ。それは不思議な感覚。まるで暖かい春の風の様な。私の燻る心を柔く解きほぐして行く。
「でも」
「折角。‥‥‥‥から。行こ‥‥‥ちゃん」
大変遅くなりました。
取り敢えず生きてます。言い訳はしません。
しかし謝罪はさせてください。ごめんなさい。