二百六十八話 姉と妹
風に流され白い雲に紛れる。緩やかに進みながら周りの雲を追い抜いていく。ひんやりとした湿り気を肌に感じながら、腰と太腿の辺りにある温もりを取り込む。
特に意識をして体温を奪っているという事でもないけれど、どうもここは地上と比べてかなり寒い。
凍える程でもない。しかし何となく寒いかなと体感する。だからその体温との温度差を埋める為に、自然と目の前の温もりを、自分の意思とは無関係に受け取ってしまうのだ。
そう。仕方ない。これは自然な事。
そんな事を頭の中で、誰にとも言うわけでもない言い訳をする。
まあ今更だ。家族と触れ合ったり、距離感が近いのは信頼の証。身体を預けても大丈夫。家族だし。
けどそう考えてると少し照れくさくて暑くなってきた。
だって、ずっと笑顔で見つめられてるんだもん。
頬が火照っちゃうよ。
ぱたぱた。
手で自分を扇ぐ。
その行動を見たフユが、私を心配しながら話しかけてきた。
「暑い?もう少し涼しいほうがいいかな?」
「そ、そんな事ないよ?」
「そう?暑かったり寒かったりしたら言ってね」
いつでも私に気を回してくれる優しい姉。
私を常に見てくれているんだと思う。心配性なのかもしれないけれど、その気配りこそがフユの優しさなのだ。フユって名前が寒そうに感じるけど、目の前の人はその名前に反してとても心が暖かい人だ。
「さて右手をご覧ください」
フユが右手を見てと言ったので見た。フユの右手を。私の両足を支えている。
「そ、そうじゃなくてね。右を向いてくださいってこと」
フユにとっての右って事?
私から見て右だったらフユの後方になる。それか私の正面。
どちらでも変わらず特に何かがあるという事でもない。
「彼方に見えますのが、あー、うん。雲です」
「うん。確かに見えるね」
言われた通り雲が浮かんでいる。
それがどうしたのだろう。気になる。
「えっと」
何かこう、微妙な間があった。
何か意味があるのだろうか。続きが気になる。気になって仕方がない。
「さて、もうすぐ目的地に着きます。安全に着地するまでシートベルトはそのままでお願いします」
特に何も無かった。と言うか適当に話しを逸らされた様な感覚。
ふと気になった。しーとべるとってなんだろ。うーん。考えてもわからない。なんかまあ、フユがノリノリだから良いや。
目的地に着くなら、そろそろ身分証の用意をしないと。そう思って胸に手を当てた。
昔作ったあの冒険者カードを取り出そうとしたが、よくよく考えたら今の私は私服だ。
冒険者をしていた頃は、外套の内側に小物を入れる場所があって、そこに冒険者カードを入れていた。
その感覚で取り出そうとしたが‥‥‥無い。
つまりお家に忘れてきた。
外套を普段身につける事が無かったので、かなりの期間、それも箪笥を開けられる事すら無いまま眠ったままだ。
「取りに帰らなきゃ」
と思って声を出し掛けようとしたが、もう既に下降を始めていた。そして気付けば街中。あっと言う間だった。
そしてそこは沢山の人で賑わい、忙しなく動いてる人々が見える。
地上から5メートル程度の所で、浮かんだまま私達は人々を観察していた。
周囲の人に見つかると良くないと考えた所、フユは浮かんだまま近くの路地裏に入って地面に着地した。
多分私と同じ事を考えて移動したのだろう。
結局遅くなったが、私はフユの手の中から降りたタイミングで身分証の事を伝えた。
「身分証忘れちゃった。どうしよう?」
「え?ああ、まあ良いでしょ?」
確か街に入る時に提示しないといけない。
もう入っちゃったけど。ルール違反だ。
「良いのかな?」
「んー、心配なら持ってこようか?」
「えっ、でも悪いし」
「良いよ良いよ。どこにある?」
「赤色のマントの中。内ポケット」
「ふーん。よし、えーと」
フユが目を閉じて何かに集中している。空を飛ぶでもなくその場で動かぬまま。
突然目を開けたと思ったらその手には冒険者カードらしき物が生えていた。勿論、私のだ。
何故、どうやって。と、私が驚いていたら、イタズラが成功した子どもの様な無邪気な笑顔で、しかしどこか自慢げにも見える表情になるフユ。
顔には「褒めて」と書いてあるので、(文字通り書いてある訳ではないけれど、そう見えてしまうくらいに分かりやすい)素直に私は驚嘆の言葉を贈った。
「凄い」
「でしょでしょ。お姉さんは魔法使いなのだ」
なにを急に。とても当たり前な事を言ってる。フユが魔法を使える事なんて知ってるよ。今更だ。
フユが魔法使いな事に驚きはしないけれど、冒険者カードをどうやって出したのかは気になる。けど理解る訳ないので諦める。魔法なのは確かだけど。
「さて、お昼までショッピングでもしますか?」
そう言って私の手を引くフユ。こうやって私を導いてくれるのは内心とても嬉しい。無理矢理にでも足が動けば迷ってる暇なんて無くなっちゃうから。
まあ、つまり私は優柔不断なのだ。すぐに答えが出せなくて、いつも引っ張って貰ってばっかり。
私と違ってフユは完璧だ。何でも出来る。気配りが出来て、私より強い。理想の姉だ。
「うん」
こうして表通りに出てお店巡りが開始した。
そして改めて実感したのが視線が凄く集まるという事。
かつて私が仮面に外套の姿で歩いていた時よりも視線を感じる。その理由は少し歩いてから気が付いた。
私の姉は目を引く美人だった。いつも会って見ていたからか、慣れて特に思わなかった事。いや、綺麗だなとか、美人だなとかは思ってた。けれど改めて理解した。
しかし、そんな視線が集まっている事を一切気にしていない様子で話しかけてくるフユ。
「なに買う?欲しいものある?」
「仮面」
「あれ、イヴって仮面マニアだっけ。ロッカーの中にもあるし」
「違う。けど、欲しい」
「ふーん。そっかそっか」
「あっち」
「あい。了解」
昔、仮面を購入(貰った)したお店に誘導する。何となく仮面が欲しくなった。あと、久しぶりに会いたい人がいる。お世話になった人。
他にお世話になった人は沢山いる。けど仮面無しで会うのはちょっとだけ勇気が必要だ。
今の私は顔を隠したい気分なんだ。
「いやー、楽しいな。ねえ?イヴ」
「うん」
楽しそうに鼻歌を歌う姉。
心臓の早鐘に意識を割きながら、それと向き合いつつ、姉について行く為に引く手に身体を預けるのだった。
「身分証を出したのなら仮面も出せば良くね」
そう思った貴方。確かに。
まあ、その瞬間を楽しみたい乙女がそんな野暮な提案はしませんよ。だからデートを純粋に楽しみたい乙女は敢えて言わないだけです。そう、敢えてです。