二百六十三話 怖い龍
ピリッと張り詰めた空気。耐え難いそんな空気。
そんな状況なので、私はそこから抜け出した。
「の、飲み物取ってくるね!?」
そう言い残して。
少女が一人で執務室を飛び出した後。
その少女と似て非なる少女。赤双眼の少女は、王女を観察し、見定める様に視線を走らせる。
そんな品定めでもされているかも同然の目の動きは、当然王女にとって楽しくもない。それにより益々不信感、あるいは嫌悪感を抱く。本来なら、よく似た少女の姿に親近感を覚え、好意的な印象になっていても不思議はない筈だったのに。
理由は単純。
双赤眼の少女から、人を寄せ付けぬ憎悪とも言うべき感情が漏れ出ていて、他者に強烈な忌避感を与えているから。
瞳は鋭く、人を疑ってかかり誰も寄せ付けようとしない。人を嫌っている様な雰囲気。どことなく危険にも見え、本能に直接恐怖を与えている。それに合わさるのが神々しさ。
神々しさ自体は、部屋から逃げた少女からも発しているのだが、魔法でそれを感知させない様にしている為か、かの少女から感じ取れる者はいない。少なくとも感情のスイッチが切り替わるまでは無垢で儚い少女。そう見える筈だ。
それならばついでに乙女はと言えば‥‥‥単に空気が軽い。
こちらも少女と同じく、スイッチが入らなければごく普通の自分勝手な女の子。良くも悪くも前世の乙女とそう変わっていない。
神々しさ、なくはない。が、残念そうな空気の方が勝っている。
元々、基本的にはオープンな性格なので周りも付き合い易いのは長所だ。空気が軽いのは短所だが。
本来、龍とは自然そのものみたいなものだ。到底人間の力で抗える存在でなく、理解する事も、見る事も、そこにいる事を認識する事さえも不可能に近いものだった筈だ。
王女が龍に触れ、知り、理解したと勘違いしただけ。
侮り。傲慢。その他言い知れぬ悪感情。
ヒトが必ず持っているであろうどうしようもない感情。
本来は少女が異常なのだ。
少なくとも少女の父は、それ程この国に固執していたと言うわけでもない。程々の距離感を保ちつつ、この国を観測していただけに過ぎず、気が向いたら手を貸していた。たったそれだけの感情。仲が、良いと悪いの真ん中を維持していたのだ。
世代を重ねた王家も巫女も、少なくともそう教わり引き継いできた。
我々は特別ではない。ただ仕える事。主従の間柄。小言さえ許されないと。重ね重ね黒龍の機嫌を損ねるなと。
そして黒龍は父から娘へ。あやふやなまま。
どの様に向き合うかは黒龍の決める事。
少女自身が選び、少女自身の進む道。だから少女が王女と「仲良くしたい」と言えば止める者はいない。
だがまだそう言われていないので、赤眼の少女は、王女に対して敵意が剥き出しになっている。
例え黒龍の全てを妹に差し出したとしても、生来の魂から滲み出る強者の雰囲気は消せない。隠す術も妹に差し出した。
「何だ。ジロジロ見て」
「っ、!?」
怒りを含んだ様な声音で話しかける赤の少女。
王女は威圧されて咄嗟に声は出ない。
そして掠れ掠れに「なんでもないです」と言うことしかできなかった。とても嫌な予感がしたので頭を下げた。怒らせたら不味い。そう思った。
今この目の前にいる人が、どうも得体の知れない化け物に感じてしまったから。先程まで抱いた嫌悪感は益々強くなるが、身の危険を感じて慌ててそれを隠し通そうと努めた。
「私の、イヴに用があるみたいだが」
「私の」の部分を強調して言った。その言葉からは、触れさせない、誰も近寄らせないという意思を感じる。
その時。イヴ様対して深い愛情を持っている事が、漸く理解できて、二人は姉妹なのだろうかと思うことができた。
後から考え直してみれば、確かそんな事を言われた様な。
この目の前の人が気になって仕方がなくて、話を聞き漏らしていた。
と、いうよりも何故か聞きたくないと思ってしまっていて、無視に似た反応をしてしまったのだ。
しかし、恐怖を感じたおかげか冷静になった。
冷静に成れたので目の前のこの方の恐ろしい雰囲気も何となく納得した。
恐らくこの方は、イヴ様に部外者を近寄らせたくないのだろうと。
私だってもし、イヴ様に変な虫がついてしまったら嫌だ。交友関係には口出しはできないけれど、けれど、嫌だ。
つまりそういうことだ。
物凄く警戒されている。
ならばと思い、警戒を解こうと思う。それは至極当然の考えで間違ってはいなかった。
ただ、答えるべき内容が間違えていた。
「と、友達です!今日は遊びに来ました!」
「遊びに??」
そう。友達というのは嘘じゃない。
遊びに来たのも嘘じゃない。
しかし、嘘でも遊びに来たというべきではなかった。
「ほぉ、へえーー?」
笑っているのに笑ってない。
ごく稀に、お父様が失敗をして、それを叱る時のお母様の顔によく似ていた。
一方その頃逃げ少女。
廊下を歩いて食堂へ。
メイドを求めてぺたぺた。飲み物と間食の用意をお願いする為に探していた所である。
「機嫌悪かった。二人とも。相性良さそうな気がするけどすごい険悪だった。なんでだろ?」
頭を捻りながらてくてく。
本気で分からない。と顔に書いてある。概ね原因は少女自身だが知る由もなし。
しかし、そうやって小さな事を考えていればメイドが見つかった。
「あ、オルトワさーん」
「はい?何ですかイヴお嬢様」
「ラーナちゃんが来てて」
「ああ、はい。おもてなしの用意はしています。直ぐ行きますね」
「あっ、じゃなくて執務室に」
「運べば良いですか?」
「う、うん。ごめんね」
「いえ。こちらこそ申し訳ございません」
身勝手に物を動かしてと言ったのに謝られてしまった。寧ろ謝りたいのはこっちなんだけど、謝罪合戦が始まるからやめておく。何でも主人は謝ってはいけないのだとかで、必ずオルトワさんに非がある様に議論を持ってかれるから。
それはとても心苦しいけど、向こうが悪くないのに謝られる方が苦しいから我慢する。
お願いは一応できたので私は戻る事とする。
少し時間が経って、アイちゃんとラーナちゃんが仲良くなってる様にとお祈りしながら執務室に戻って来た。
扉の前に立つと何やら声が聞こえて来たので聴き耳を立ててみた。
「王女ともあろうものがこんな事も分からないのですか?」
「す、すいま、せん」
呆れる様な声。
啜り泣く声。
私は嫌な予感がして、扉を思い切り開けて執務室へと入るのだった。
王女の尊厳を折るバキバキタイム始まるよ。
それはそうと、主観が変わるので見難いですかね?
ごめんね。
謝っておきます。m(*_ _)m