二百十八話 私以外の為に
白色の龍はその仮初の姿に翼だけを生やして空を高速移動している。
元々は有翼種族では無く、翼を得てから凡そ三ヶ月程度。人間だった過去を捨て、龍として生まれ変わった。
まだ生まれて間も無いと言っても過言では無い筈なのに、白龍はその翼の使い方を完全にマスターしている。まるで元人間だったのが嘘の様に。
もしこれが乙女でなければさらに苦労していたであろう事は間違い無い。
一応、空を飛ぶ事は難しい事ではない。
但し、乙女の様に速度を出しつつ制御する事は中々できる事ではない。
当たり前の様に翼を使いこなしているが、元人間としては異常な素質。乙女自身は気が付いていない事だが、乙女は天才だった。
空を泳ぎ、天高く高度を維持していたが、若干角度を下に向けて地上へと近寄れば、そこには街がある。
乙女は自身の姿を隠し、ゆっくりと着地してそのまま歩いて、大きな屋敷へと誰にも気付かれない様に侵入した。
自らの部屋へと帰って来て、椅子に座りながら透明化の魔法を解除する。
「失敗した」
乙女はただ一言溢す。
その声音は諦観。
「こうなるって分かってたんだ」
乙女は机に置いた手を握り込み、歯を噛み締める。悲しみの感情を隠せず思考に耽る。
真実を話してくれていた。
これから私が努力をしても、きっとあの子の心がこちらには靡かない。
だからこそ、一縷の望みを残してくれていたんだ。
私を利用する事になったとしても、助けたい人がいる。
でも、その所為で私の心を傷付けてしまう事も、私が救われない事も理解していたと思う。あれ程頭の良い親友が、その事を理解していない筈がない。
誤解を解けていたらどうなっていたのだろうか。
行き着く先は同じ。ただ、私か、そうじゃないかだけ。アイちゃんを起こす事に成功したら、挽回出来るかもしれない。
いや、きっとそれ以外に道が無い。
私が悪い事をしたら?
感情に敏感なあの子なら恨まれるだろうね。
そもそも完全に失敗したら?
きっと、誤解は一生解けない。
私がやった事にすればまだ可能性はある。
それを私に言わなかったのは、その事を気付かせる為。
そもそも逃げる選択肢なんて無い。だから私に任せたんだ。私を信じて。
じゃあ、どうするか?
必要な物はイヴの青の力。どんな能力かは判らないけど治癒とか、護りの能力とかだろうか。私の回復魔法と似た様な物だと思う。起こすって言ってたし。
次に器。多分魂を入れる。
イヴ自身が強くなり過ぎて、2人分の魂が存在出来なくなった。
だから新たな身体を用意しないといけない。その為に錬金術師を探す。あの人だと思う。
私に武器【白玉】をくれた人。
何処にいるのか。情報は一切無い。けど、関係無い。やるだけだから。
嘆きの色は失われ、宿る光は覚悟。
椅子から離れ、今一度空へと戻る。
誰も居なくなった部屋に訪れる人影。それは屋敷のメイドだった。
「フユお嬢様?」
丁度すれ違いになってしまった。
乙女は窓から出たので、扉から来たメイドとは会わなかった。しかし、メイドは少し前にそこに誰かが居た痕跡を見つけた。
椅子が微妙に動いていた。あとは閉めていた窓。風が入って来ている。
残っていた雰囲気は毎日同じだが、今回だけはどこか寂しそうな空気が残り、屋敷の主人が家を出た時と似た様な感覚に思える。
メイドは目を細め、窓へと手をやりながら独り言を喋る。
「イヴお嬢様が家を出てからと言うもの。王女様はめっきり来なくなりましたし、フユお嬢様も最近慌ただしく何処かへ出掛けています。戻ったのなら、食事位して行かれれば良いですのに」
溜息混じりの愚痴は憂いを帯びて消える。
部屋の空気を変えていた窓は閉められ、再び静寂が支配する。
1人で使うにも大きい位のこの部屋は、殆どが留守になってしまった。
主人の居ない屋敷はやるべき仕事が少なく、来客も減ってしまって、現状メイド達は退屈をしている。
仕事が無くても給料は貰える。しかし、だからと言って働かないで済む事に幸運を感じる程、メイド長は怠け者では無い。
仕事が無いなら掃除でも何なりと探す。暇ならば主人の側に控えるのがメイドの責務。
だが、肝心の主人がいない。
主人があるからメイドというものに存在意義が生まれ、仕える事への喜びが与えられのだ。
そうメイド長は考えながら悶々としていた。
現在の仕事の給料は高い。働かなくても貰える高い給料。公爵に仕える事も大変な名誉だ。その分責任も重いが、メイドを志す者から見れば最も理想の仕事と言えるだろう。
だが、そんな事はどうでも良かった。
名誉に関しては元々王家に仕えていた事もあったので、それは求めていた物では無い。
メイド長の思うメイドとは、忠誠を捧げる事で褒めて頂く事が何よりも大事だからだ。
そもそもお金欲しさにメイドを目指す者はごく稀で、大概はコネか、血筋によって与えられる仕事なのだ。まあ何事にも例外はあるが。
例外はさておき、主人無き今のメイドは居候に等しい。まして、責任感の強いメイド長なら尚更思う事があるだろう。故に愚痴が溢れるのだ。例えそれが、無礼な事だとしてもやり場の無い感情が漏れ出てしまうのは仕方の無い事だった。
竜聖国首都より東へ。かつて出会ったという情報のみで、錬金術師を探して空を飛ぶ。
一度会った場所を基点に捜索範囲を広げるが、出会えるかどうかはわからない。
しかし、乙女はそんな物は捨て置く。
「会えるかどうかじゃない。必ず見つけないといけないんだ」
言葉にする事で不思議と目標が見えて来た。
乙女の冷静な思考があらゆる可能性を導き出し、数多の結果を映し出す。
二人が揃わないと世界が終わる。
私との関係は改善される事無く、あの子を止める手立ては無いまま怒りの末。
壊れちゃったから。
私では止められない。私だけでは。だから必要なんだ。
全てを理解した時には私は死んでる。間に合わなくなる前に捕まえないと。
死ぬ事よりも、あの子の寂しそうな瞳を見てしまう方が嫌だ。
だから、我慢するよ。
それは、夢では無い何か。
失敗だらけの未来から一縷の希望。
奇跡は幾つも起こして来た。失敗も。
理想の夢では無い。しかし、それしか無い。
道は示された。
乙女の、少女達の未来の為に。