二百九話 覚悟と共に
今、目の前に魔物がいる。
私が今まで見た中でも取り分け大きく見える。そんな蜘蛛の魔物は、地竜と比較すると小さいのだけれども、蜘蛛としてはかなり大きいと思う。だからミュエラも驚いたのかも。
そもそも蜘蛛というものは、手のひらよりもひとまわり小さいイメージだ。
いや、何となくそう思ってたけど違うのかもしれない。そこはちょっと自信ない。
まあ強さは大した事ない。
右眼で見た結果がコレだもの。
白化蜘蛛
体力 170/170
筋力 58
敏捷 245
防御 13
魔力 366/389
耐魔 198
特殊能力‥蜘蛛糸 吸血活性
地竜と比べれば全てにおいて弱い。魔法も使えないみたいだし。
それでも特殊能力は見ておかなければ。
蜘蛛糸‥‥身体から蜘蛛の糸を生成可能。魔力を使用して、身体以外からも使用可。
吸血活性‥‥他の生命体から血を吸収する事で、自身のエネルギーに変換する。但し、血以外から栄養を摂取する事は出来ない。その代わりに、吸い取った血の質に応じて、あらゆる変化が発生する。
うん。大した事ない。強いて言えば、何も無いところに蜘蛛の糸を出せる事か。
それから、この魔物は他者から血を吸う事で生き延びて来た魔物だと容易に想像出来た。
ふと、気になった事がある。
この魔物がここまで大きく成長するのには時間が掛かる筈。だと言うのに、森の中でしかも、これ程目立つ白色。一度も天敵と呼べる者に遭遇していないのかもしれない。
他には、この魔物が村人さん達を襲っていたのは間違いない。腕が腫れていたのは吸血痕だと推測する。
取り敢えずそうだと仮定して、獲物から血を吸う事が出来たならば、何故命を奪わないのだろうか。
これは恐らくだが、獲物を殺したら血を二度と吸えなくなるから。
自分より弱い生き物。つまりは餌を生かす事で、また何度も血を吸えるから敢えて生かしている。
確かに血を吸うだけなら、獲物を殺さなくても済むかもしれない。
殺さない方が、後程餌に困り難いのはその通りだ。
しかし問題なのは、それ全てを意図的に行なっているかどうか。
もしかしたら知恵を得た魔物なのかも。
名を与えられた地竜よりも遥かに弱い。だが、知恵を持っている場合、事は単純では無いかもしれない。
村人を殺さなかったからこそ、誰もなんともしようと思わなかった。それが今に繋がった。
ミュエラが油断したとは言え、私の警戒を振り切って、ミュエラの足を捕まえた。
これは、ひょっとすると危険なのでは?
私は警戒度を引き上げた。
さっきみたいに足を取られ、そのまま抵抗できなかったら殺されるかもしれない。
私の油断で、ミュエラが死ぬなんて許されない。
私は、最近思い始めた事がある。
戦いは、純粋な戦闘力のみでは決まらないと思う。
初めてフユと戦った時。明らかに向こうは油断をしていた。あの時は負けたけど、もしかしたら勝てたかもわからない。
この前の再戦時もそう。私は勝てないと思ってた。しかし、フユには何らかの弱みがあって、私に攻撃を当てるつもりは無かった。逆を言えば、この間はそれが読めたから勝てた。
戦いは状況判断によって全てが決まるとしたなら、私が黒龍として如何に強くても、必ず勝てるとは限らない。
私は理解している。油断こそが最大の敵であり、これこそが全てを決めかねない、と。
私の思考は加速する。
そして、深い心の底から声が届く。
《貴女は油断さえしなければ何でも出来るのですよ》
声は魂に溶け、記憶に焼き付く。
「今更なにさ。偉そうに」
私は嬉しい感情と、その反対の心の声を込めて大切な人を恨む。
行き場を失った優しさが、反転して憎しみへと変わった瞬間。これは何度も繰り返された。
そして今回も、その心が緩もうとする頬を叱りつけ、涙へと変換する事で、全てを洗い流す。
忘れさせようとする為に。
「言われなくてもわかってる。大馬鹿」
ほんの少しだけ受け入れた。
そして、過去から引き継いだ怒りは反転する。
怒りとは正反対の輝き。その輝きは、目の前の魔物に対するそれとは違い、寧ろ庇護の対象には向かない様に、赤色の輝きを制御する。間違えてしまわない様に。
産まれてすぐの少女に青色の瞳が発現する事は無かった。
しかし、今。絶対の赤色を超えて光り輝く。小さなきっかけが、少女の魂を、かつて持っていた色に染める。
焦がれ、憧れたそれを呑み込み、自身を取り戻す。
貰った力では無く、己を。少女は思い出す。ここでの記憶を。
激しく周囲を照らす青の光。
とても強い光なのに、目を焼く者は居ない。不思議と自然に馴染む優しい明るさ。
エルフも、蜘蛛も、少女を見詰めていた。眩く感じたとしても目を離せない。
少女は、ポツリと音を発した。
耳に入れば、ふわりと撫でる様な、耳を溶かす天使の声音。
思わず聞き惚れてしまう。
「私は、沢山お世話になった。幾つもの約束をした。果たされた物は無い」
何かに感謝を伝え、それでもどこか寂しそうな声。
抑揚は無いのに、どこかずっと聞いていたい声。
駄目だと分かっていても、拒む事は出来なくて、聞き続けるだけで幸せになれる。そんな声。
まるで、理性までもが溶かされてしまう様な。
金の風人は今理解した。少女が只者ではない事を。
「信じる。私はそれが全てだった」
少女は祈る。大切な者の為に、大切な者へと。
少女。優しさ。オーバーフロー。
しかし、戦闘中なのに脱線気味。
まあ、仕方ありませんね!