第二話:アストリッドの自宅に放火される
アストリッドは荷車を借りて、それにスヴァンテを乗せて家に戻ることにした。
雨の中、重い荷車を必死になって運ぶ。
アストリッドの家は王都の郊外の邸宅だ。
スヴァンテ・アベニウスが政府公認の大魔法使いだからこそ、当局が豪華な家を用意してくれた。
家の近くまで行くと、人だかりがしているのが見える。
何だろうとアストリッドが思っていると、
「アストリッド」と後ろから小さい声で呼ばれた。
家の近所に住んでいる主婦のヨハンナさんが、庭のミカンの木の陰に隠れて、アストリッドに向かって手招きをしている。
「危ないからこっちへ来なさい」
「あの人たちは何なんですか?」
アストリッドが群衆を指さした。
「亡くなった兵士の家族が抗議に来たみたい」
「そんな、悪いのはドラゴン使いのバルタザールって奴じゃないですか。私のお爺様に抗議されても」とアストリッドが戸惑っていると、家に火が放たれた。
「何をするんだ!」
アストリッドが自宅に向かって走ろうとするが、ヨハンナに止められる。
「下手すれば殺されるかもしれない。とにかく気づかれないうちに、私の家に隠れて、早く!」
急かされて、仕方が無くアストリッドはヨハンナの家にスヴァンテを運んでいった。
家に入って、ベッドにスヴァンテを寝かせる。
窓からそっと自分の家を見ると、燃えている家を近所の人たちが消火しているが暴徒がそれを邪魔したりしている。
あの家には大事な魔法書が沢山おいてあるのに。
アストリッドは悔しくて涙が出そうになった。
スヴァンテの方を見るとベッドに横になったまま動かない。
「お爺様、お爺様」とアストリッドが呼びかけるが、ただ少しうめき声を出すだけだ。
暴徒が感づいて押しかけてくるかもしれないから医者も呼べない。
仕方なく、ヨハンナがスヴァンテの介抱をしてくれた。
翌朝、スヴァンテが寝ているベッドの側の椅子に座って、アストリッドがうつらうつらとしていると、
「アストリッド……」とスヴァンテが力なく呼びかけた。
アストリッドが飛び起きる。
「お爺様、大丈夫ですか」
その様子に気づいたのかヨハンナも部屋に入って来た。
「どこか痛くないですか?」とアストリッドが話しかけると、
「……ニコモール大王のところへ行くんだ。ベルーダドラゴンを倒す方法を知っているはず……それで、ドラゴンキラーの剣を使って倒すんだ……」
「どうやって行けばいいんですか」
「ニコモール山の横穴……」そう言って、スヴァンテはまた気を失ってしまった。
「アストリッド、あなたはお城に行きなさい。スヴァンテさんの看病は私にまかせて」
「でも、お爺様の事が心配です」
「あなたはお城に入れる通行証を持っているんでしょ。今、スヴァンテさんが言ったことを政府の人たちに早く伝えないと。ドラゴンは明日にでもこの首都を襲ってくるかもしれないし」
アストリッドの両親は、彼女がまだ赤ん坊の頃、相次いでこの世を去った。
父や母の記憶はほとんどない。
そのため、スヴァンテが親代わりに育ててくれた。
アストリッドはこのままスヴァンテの側に居たかったのだが、事態は切迫しているようだ。
「わかりました、ヨハンナさん。あたし、お城に行ってきます」
「あと、あなた、昨日から全然、食事を取っていないじゃない。これを持って行きなさい」
ヨハンナがミカンを五個差し出した。
今までも庭の木になっているミカンを散々おそす分けしてくれた。
実はあんまり好きではないのだが、お世話になっているから、断るわけにはいかないのでアストリッドは受け取って鞄の中に入れた。
アストリッドはヨハンナから綺麗な服を借りることにした。
お城の中に入るには、それなりの恰好をしなくてはいけないと思ったからだ。
鏡で自分の恰好を見る。
似合わない。
おまけに、このそばかすだらけの顔。
やれやれ。
城に行く前に、アストリッドは自宅の様子を見に行ってみた。
暴徒の連中はもういない。
家全体の三分の二くらいは燃え残ってはいるが、肝心の魔法書庫が全焼している。
大事な本が全部焼けてしまった。
今、手元にあるのは自分が持っている魔法豆辞典しかない。
一旦、ヨハンナの家に戻ったアストリッドは眠ったままのスヴァンテに静かに声をかけた。
「お爺様、行ってきます」
アストリッドはヨハンナにスヴァンテをあずけて城に向かった。