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短編

ハイゼル・トゥーアについて

 ハイゼル・トゥーアが死んでから1年と半年がたつ。

 鱒卸町から二サアットほど東にあるつまらない小山の麓に流れるハイゼル川のほとりに建っている、鳥の巣箱みたいに小さな丸太小屋にその爺さんは住んでいた。

 ハイゼル川はその名のとおり、ハイゼル・トゥーアにちなんで名付けられたものだ。その川でも鱒は釣れるが、どいつもこいつもめだみたいに小さいから、爺さんみたいな変わり者以外、この川に好き好んで来ることはない。だから皆このつまらない川を爺さんに譲ってやった。

 爺さんも山や川と同じくらいつまらない奴だった。日の出とともに起きて鱒を釣って、その鱒を焼くなりして食べて、ボロ小屋に戻ってリラを弾きながら歌をぶつぶつ口ずさんで、日が登りきったらまた鱒を釣って、その鱒を煮るなしして食べて、ボロ小屋に戻ってリラを弾きながら…なんて具合の一日をばかみたいに繰り返している。

 そんな爺さんも月に一度か二度はリヤカーを引きながら半日かけて町にやってくる。仕事を探しにだ。

 だいたい正午過ぎに爺さんは町にたどり着いて、馴染みの家に「何か困りごとねえか」と訪ねてまわる。

 爺さんは日曜大工の達人で、テーブルでも棚でもなんでも作れるし、屋根の修理だろうが壁の塗り替えだろうがお手の物だ。

 仕事が見つかると、爺さんはさっそく工具店で必要な物を買い揃える。買う金はもちろん依頼者持ちだ。第一、爺さんは金は文字通り一銭も持っていないから。

 仕事の内容によるけど、どんな作業だろうが日暮れ前には終えてしまう。そしてその日は「一晩いいか?」と言って、仕事をもらった家に泊めてもらい、翌朝には仕事の報酬であるパンやビールなどをリヤカーに乗せ、次のクライアントの家に向かう。

 とまぁこのような具合で、爺さんは一週間ほど町に滞在してはたくさんの手土産とともに、またあのつまらない川へ帰っていくのだ。

 爺さんは町の人にとっては顔見知りはおろか、親戚のようなものだった。だからどの家も大体、爺さんをもてなすために、少しばかり上等なハムやワインを用意していたものだ。

 さて数年前、鱒卸町にとうとう機関車の駅が開通した。これで町の人らは遠くまで行けるようになった。

 若者たちは、もっといい仕事を探すために町からいなくなった。年寄りたちは、もっと静かな田舎へと越し、静かな老後を望んだ。地元を離れるということは、乳離れみたいに当然のことである。そんな価値観が根づき始めた。

 だから、爺さんの知り合いはどんどん減っていった。リヤカーを引きながら、はるばる町へやってきても仕事が見つからないことなんてザラだった。そんなわけだから、爺さんが町にやってくるペースは月に一、二回から二ヶ月に一回程度になり、三ヶ月に一度くらいになり、とうとう半年に一度顔を見せるくらいになってしまった。

 心配になった俺は、こっちから爺さんのつまらない川へと訪ねてやった。

 爺さんは首を吊って死んでいた。片手にはコインが詰まった麻の袋が握られていた。あの金はきっとこの前、珍しく爺さんが町にやってきたときに、これからの時代は金がないとやっていけないぜと俺が手渡したものだろう。俺は爺さんの死体を静かに下ろすと川に流してやり、町へと帰った。

 鱒卸町が活気付いていくごとに、だんだんと川では鱒が獲れなくなっていった。雨後の筍みたいに乱立する工場が流す排水で川が汚れてしまったから。でも工場のおかげで町はどんどん大きく、そして裕福になっていった。

 すると、あの日旅立った若者たちが大人となり、たくさんの財産を手土産に地元へと戻ってきた。町はもっともっと大きくなった。

 もう死んでいるけど、どのみちハイゼル・トゥーアみたいな爺さんを必要とする人はこれでいなくなった。

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