鬼刻(きこく)
暖かい春の日差し。
例年を上回る陽気が桜の開花を急がせる。
満開の桜が春の優しさを詠う。
一人の男が墓前に立っていた。
「遅くなってすみません」
平井家と刻まれた墓石。
鬼籍に入った、かつての師に朝倉は深く頭を下げた。
来る途中で購入した花を添え、線香を灯し手を合わせる。
徐に朝倉は上着のポケットから煙草を取り出すと火をつけ線香と並べた。
平井が好んで吸っていた銘柄だ。
その煙草から一本抜くと箱もまた墓前に添えた。
「五年も経ってしまったんですね。何から話しましょうか?」
朝倉は手にした煙草に火をつけ静かに吸った。
五年前、平井三郎と共に遭遇した怪事件…”鬼”の存在。
二人が追った知られざる組織…”闇風”。
そして神崎直人の死。
朝倉はその後、組織の一員となり日々駆け回る事となった。
「…結局”長い物には巻かれろ”って言う最も嫌っていた論理に今、自分は嵌っているんですよ…笑っちゃいますよね」
朝倉は、あの事件をきっかけに住む世界が一変した。
闇の風を知り、鬼の存在を知った朝倉は組織という大きな生き物に飲み込まれ、日々発生する妖魔災害の隠蔽及び、特殊鬼動戦闘員の援護や手配に追われる毎日を送っていた。
刑事であり”鬼退治”に貢献した事が引き抜かれる要因となったようだ。
このようなヘッドハントは珍らしいと言う。
最も与えられた辞令では公安警察所属という事になっている。
「…今や、公安です…大出世ですよね」
その後、朝倉は特務機関の諜報員としての訓練を受けた。
警察官のそれとは訳が違う。
「それにしても、ここ最近の妖魔災害…特に”鬼”の出現率が上がっているそうです。十年前とは比べようがないそうですよ。どう言う事でしょうね平井さん? 「時代の裂け目に鬼が出る」という言葉があるそうです…今がその時なんでしょうか。時代が裂け目に突入した”証”が鬼なんでしょうか…」
治まる事のない凶悪犯罪、終わる事を知らない世界各地で繰り広げられる暴動や地域紛争、そして強行されるテロ事件…戦争。確かに世の中の治安は悪化の一途を辿っているのかも知れない。
「俺は思うんです。もし、そうであるなら彼…神崎直人はその鬼と”対”となる…世界が生み出した”自然の摂理”だったのかも知れない、と…神崎には特殊な力があったそうです。鬼を殺す「邪鬼滅殺」の力があったと言います。それがどんな”力”なのか正直俺には理解できません…ただあの日、あの現場で見た光景は生涯忘れる事はないでしょうね…人知を越えた強大無比な力の存在を」
朝倉は再び煙草を深く吸い込み煙を吐き出した。
「…今となっては、神崎とゆっくり話が出来なかった事が悔やまれます。それと、平井さんには感謝していると同時に恨んでもいます。あなたの開いた道が俺の進むべき方向を定めたから…知らずに済めば幸せだったかも知れない…だが、知ってしまったからには俺は進みますよ…闇の風として」
朝倉の目が鋭く光る…五年という歳月がそうさせたのか、闇風としての決意がそうさせたのか解らない。だが、その顔の刻まれた皺が苦悩を物語っていた。
ピリリリリリリリリリリッ
その時、スマートフォンが着信を告げた。
「はい」
朝倉は表示を確認すると溜息を漏らしながら電話に出た。
「は~あ~い。テッちゃん…わ・た・し」
陽気な声に決意を砕かれそうになるのをグッと堪える朝倉。
「…通常任務ですか、それとも…」
「休暇中にごめんなさいねえ~」
声の主は安西玲香だった。
恐らく朝倉が”闇風”に編入されたのは玲香の推薦があったからだろう。
何故だか、朝倉は玲香に気に入られていた。
「…いえ。それで任務は?」
静かに朝倉は答えた。
「もお、い・け・ず~。あの熱いの夜を忘れたなんて言わせないわよ。ダーリン…」
スッ
朝倉は玲香の言葉が終わらぬ内に通話を切った。
ピリリリリリリリリリリッ
「…もしもし」
「もう、冷たいんだから! でも…そんなところも良いのよねぇ」
「用件をどうぞ」
玲香は朝倉の直接の上司だ。
「…本当にクールガイね~。まあいいわ…彼女がまた”例”の場所に行っているそうなの、研究施設から連絡があったわ。連れて来てあげて、そこからならそれ程かからないでしょう?」
「了解…」
朝倉は玲香の依頼に応えると電話を切った。
オフの日の居所までお見通しか…さすがは公安だ。
そんな苦笑いを朝倉は浮かべた。
「そう言う訳です平井さん。もう俺は、ここへは来ないつもりです…あなたの様に妖魔災害で亡くなる人を一人でも減らす為、がむしゃらに前進します…本当にありがとうございました……」
朝倉は平井の眠る墓前に再び手を合わせると、煙草を携帯灰皿に押し込み、最敬礼をするとその場を後にした。
共同墓地の外に止めてある愛車の白い新型スポーツカーに乗り込みエンジンをスタートさせた。
ダッシュボードに押し込んであるサングラスを掛け、朝倉はアクセルを踏み込むんだ。
五年前、鬼との戦いで眼鏡が砕け、玲香の目を頼りに発砲した事を教訓に今ではコンタクトレンズに変えていた。
満開の桜並木を駆け抜ける白い新型スポーツカー。
まだ陽が高い…絶好のドライブ日和だと朝倉は一路、奥田間「安らぎの森」パーキングを目指した。
一時間程走ると目的地に着いた。
朝倉は春の日差しを身体一杯に浴びながら登山道へ足を運ぶ、程なくして現れた脇道…獣道を伝い奥へ奥へと進んでいく。
しばらくすると視界が開けた。
若い草が黄緑色に萌え、そこはまるで高原のように眩しかった。
風に乗って満開の桜の花びらが舞う。
山を桜色に染める光景は美しい。
一人の女性が一際大きな桜の木陰に座し、よく晴れた蒼天を眺めていた。
ゆったりとした桃色のワンピースに白いカーディガン。
優しい風に撫でられた、長い黒髪に手を添え遠くを見つめる憂いだ瞳。
朝倉はその女性を確認すると歩を進めた。
途中、まるで城跡の堀跡の様に削られた、大きな窪みが西方へ走っていた。
朝倉の脳裏に五年前…この地で見た光景が浮かんだ。
あれが人の成せる業なのか…この目で見た今でさえも受け入れ難い現実…だが、こうして現場に立つとやはり、あれは実際に起こった事なのだ。木々は薙ぎ倒され地面を削り白き獣が駆け抜けた大きな傷痕。だが、今はその痕跡も若草に飲まれ既に風化している。
「…朝倉さん」
朝倉が記憶を辿っていると、桜の下に座していた女性が空を仰ぎながら声を掛けてきた。
「ゆかりさん。また、ここに来てたんですね」
朝倉はゆかりの所まで進んだ。
「…ここは、あの人の最期の地ですから」
ゆかりが膝の上のステッキを心なしか握ったように見えた。
あの人…浮かぶ少年の姿。
「気持ちは分かりますが…みんな、貴女の事を心配しています。それにもう貴女一人の身体じゃないんですよ。身重の方には、ここに来るのはキツイと思いますが…」
朝倉はゆかり同様によく晴れ渡った空に目をやった。
あの後、玲香から聞いた話では闇風の研究所内で学者達は大騒ぎだったらしい。
伝説の秘剣術を放った少女に興味を持ち色々と、ゆかりはモルモットの様に検査を受けさせられた。だが、その工程上で発覚した事実…ゆかりは身籠もっていた。
今度はその事で様々な物議を醸し出したという。
通常、鬼に犯された女性というのは生きている可能性がかなり低い、何故なら鬼に殺されているからだそうだ…また、生きていたとしても受精したという事例はない。
生まれてくるのは”人”か、”鬼”かと学者達の興味の対象は移っていったと言う。
全くひどい話である。
しかし、胎児の成長は4ヶ月目に入った時点で止まってしまった。当初は死産かと惜しまれたが、そうではなかった。仮死状態…休眠状態に入ってしまったのだ。理由は全く解らないらしい。
母体のメンタル面での影響ではないかと言われているが定かではない。
事件直後から呆然自失し、無気力となっていたゆかりは妊娠している事を知った時、狂ったように暴れ自ら命を絶とうとしたが取り押さえられ、拘束具まで着せられ事なきを得たという。そんな母の心の叫びを読み取ったのだろうか…まるで、現世に生まれ出る事を拒むかの様に胎児の時が止まったのだ。だが、それをきっかけにゆかりは少しずつ冷静さを取り戻していったという。例え如何なる業を背負った”生”だとしても、産まれてくる新しい命には何の罪もない、子は親を選べないのだ。もしかしたら、どこかでそんなお腹の子は「神崎直人」の子だと気づき、信じようと必死だったのかも知れない。
例えば想像妊娠というケースもある。それを踏まえると、この様な症例も有り得る事なのかもしれない。母親の精神状態が胎児に及ぼす影響は計り知れないからだ。結果として流産しなかった事が不思議なくらいだ。
しかし皮肉な事に、この時点で宿った子供が”普通で無い”という証明となってしまった…それから五年。
胎児は成長を停止したままだ、”妊娠13週”と言う事で、ゆかりのお腹は然程目立つ事はない。
朝倉はそんな事を考えながらゆかりを見た。
スッ
ゆかりの光を無くした黒い…どこまでも黒い瞳が朝倉を捕らえた。
朝倉はそんなゆかりの瞳から視線を外す。
この五年の間にゆかりは完全に視力を失っていた。恐らく肉体の限界を超えて放った闇風秘剣術の影響だろうという。
「大丈夫ですよ、朝倉さん」
「しかし、ゆかりさん…貴女の目は…」
「視力を失ったお陰で私は以前よりも周りの事がよく見える様になったんですよ…前にも言ったと思いますが…心配しなくても大丈夫。今の私は第三の目のチャクラの開眼により霊視が出来るんですから…でも、いつも目を開けている状態ではなく、必要な時に必要なだけ見る事が出来るの…これは天眼通力って言う極意なんですよ。ダメですよ、世の中は目に見える物だけが全てじゃないんですからね。朝倉さん」
ゆかりは静かに座し朝倉を見上げていた。
「しかし…こちらとしてはとても心配なんですが」
「ふふふ、朝倉のおじちゃんは”心配性”なんですって信也」
ゆかりはお腹を撫でながら、宿るその子に優しく話しかけた。
「…シンヤ?」
朝倉はオウム返しをした。
「ええ、この子の名前です…”信じる也”と書いて信也。この子にはどんな時でも人を信じ、自分を信じて道を切り開く信念を持った強い子に育って貰いたい…」
「一応、女の子の名前も考えておいた方が…」
朝倉は遠慮がちに言った。
「――娘なら”真夜”と考えていました。でも…夢を…最近よく夢を見るんです」
「夢…ですか?」
「ええ」
「どんな夢なんですか」
「私が海岸を歩いていると向こうの浜辺からあの人…直人が小さな男の子と楽しそうに遊んでいるんです。声を出そうとしても声は出ないのですが…直人がこちらに気づくとその子の手を取って私の所まで来るんです」
時折、風が優しく桜の花びらをそよそよと散らす。
「…はあ」
「あら、夢見は大切ですよ朝倉さん…でも、この子には…私達のような”闇の風”としてではなく…そう、この暖かい日差しの中、澄み切った空の下を生きて貰いたい。でも、この子はきっと苦難の道を歩く事になるでしょう…それが不憫で堪りません…だけど、きっと気づいてくれます。心の置き方一つで世界は明るく幸せに満ちる…そんな世界で生きる事が出来る”可能性”に…きっと」
ゆかりは優しく微笑み、お腹を撫でながら光のない瞳を落とした。
それは紛れもなく母の面持ちであった。
五年…五年という歳月が少女を母の顔にしたのだろうか…確かに五年もあれば人が変るには十分だ。ゆかりにとって、今の境地に辿り着くには間違いなく苦難の五年間だった筈だ。だが…胎内に命を宿すとはこう言う事なのだろうか…女性とは強い生き物だ。
そんな行為に朝倉は、自分と比較して五年という歳月が齎した結果に改めて感心した。
「さあ…そろそろ日が陰ってきています。帰りましょう」
朝倉はそう言うと手を差し伸べた。
「信也、早く出ておいで…母様は早くお前を抱きたいのよ」
「ゆかりさん…」
優しく朝倉は声を掛けた。
「…あっ!?」
その時、ゆかりが驚いたような、嬉しい小さな悲鳴を上げた。
「ど、どうしたんです!?」
「…今、信也が動いたんです…五年ぶりに…動いたんですっ…」
ゆかりはハラハラと涙を流し我が子を摩った。
ゴウッ
春の強風が二人の間を駆け抜け、桜色の花びらを天高く舞い上げた。
紺碧の空をキラキラと彩る桜の花びら。
春うらら。
ヒュウ
風が吹く。
桜が詠う弥生の月。
どこかの空で鬼がせせら笑う。
いつまでも…彼方までも…
刻の裂け目なり。
「時代の裂け目に鬼が出る」
鬼刻の夜明け 完
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
参考文献
● 『日本の伝説(下)』 松谷みよ子 講談社文庫
● 『鬼の玉手箱』 小松和彦 福武文庫
● 『日本の呪い』 小松和彦 光文社文庫
● 『日本妖怪異聞録』 小松和彦 小学館ライブラリー
● 『鬼の研究』 知切光歳 大陸書房
● 『鬼の研究』 馬場あき子 ちくま文庫
● 『鬼の伝説』 邦光史郎 集英社
● 『鬼』 新紀元社
● 『神秘の道具 日本編』 新紀元社
● 『精神分析』 心の謎を探る会 角川夢文庫
● 『超心理の謎』 富田陸 青春出版社
● 『日本の地名と苗字』
● 『誰でも書ける小論文』 高田芳夫 興学社
● 『文章教室20講』 馬場博治 大阪書籍
● 『妖怪の本 異界の闇に蠢く百鬼夜行の伝説』 学研プラス
● 『犯罪捜査と裁判』 河上和雄 講談社文庫
● 『日本警察の基礎知識』
● 『夢占い辞典』 夢のミステリー研究会 ワニ文庫




