狭間 6
夏。
剣の様な三日月が夜の静寂を彩る。
昼間の激しい太陽の照り付けにより地面の気温が下がらず寝苦しい熱帯夜。
ドゴオオオンッ
真夜中の破裂音で時が動き出した。
「何だ!?」
氷室の長、晃治の父は夜更けに一人、濡れ縁で涼んでいた。
鬼気。
「こ、これは…一体?」
かつて、鬼と対峙した時の記憶が甦る。しかし、これ程巨大な鬼気はかつてのそれとは段違いだった。
鬼気の方角を探る。
「…この方向は…まさか!?」
神棚に鎮座する退魔刀を手に取り、疾風の如く鬼気に向かった。近づくにつれビリビリと鬼気の重圧が強まる。宗家秘伝氷室流結界式までも吹き飛ばされている事に驚きながら意識は目的の場所へと向けた。
氷室の本家だけが知る「封印の祠」の入り口まで来た。小さな洞穴の入り口が中から吹き飛ばされたように岩々が散っていた。
影。
そこには一つの影があった。
目を凝らす。
「晃治っ!?」
氷室晃治。
七年前に神隠しにあった我が息子の姿がそこにあった。行方知れずになった当時の面影のまま、まるで時間の流れを知らない姿で…だが、明らかに違うのは晃治から放たれる気配だ。
「晃治…これはどういう事か」
認めたくない事実。
「…父上」
晃治はゆっくりと口を開いた。
「どういう事かと聞いている」
「何の事ですか?」
「とぼけるな! その鬼気だ…七年もの間、姿を晦まし突然現れたと思えば、その鬼気…答えろっ」
父は叫んだ。
「…七年…」
晃治は一瞬、父の言葉の意味が分からなかったが直ぐに理解した。鬼石内での時間の流れと外の世界とでは誤差があるようだ。
当然か。
人の精神世界に感応した時、外と中では時間差が生まれる…まして封じられていた「鬼」は鬼精体。
本当の意味での異界に晃治は引き込まれ「鬼」と死闘を繰り広げた。
戦った時間はほんの数日間だと晃治は体内時計で判断していたが、外の世界では七年の歳月。
まるで浦島太郎だな。
乾いた笑みが溢れる。
「何がおかしい晃治っ」
「いえ、まさか七年もの時が流れていたとは、と驚いているのです」
「何だと。不出来な子よ…あの時、消えなければ頭首の座は我が「氷室」に転がり込んだものを…ましてや闇風の「真祖」の血筋から”鬼”を出す事になろうとは…」
スラリと父は刀を抜いた。
「あなたは何も変っていないという事ですか? 頭首がそんなに欲しいですか…不出来な子を自ら斬り捨てるというのですか!」
晃治は凶悪な憎悪の塊と化した眼力を父にぶつけた。
「!? く…これ程とは!」
父は呻くと、その場で抜いた刀身を鞘に収め居合いの構えを取った。
距離八メートル余り。
「抜刀術か…倒せるとお思いですか、今のこの私を?」
「名も無き封印されし鬼よ…よくも晃治を喰らったな」
ズイと間合いを詰める。
「父上、あなたは勘違いをしている。私が鬼に喰われたのではない…喰らったのだ!!!」
晃治の額が蒼く輝き出す。
溢れ出す鬼気。
「バカな!?」
父の叫びを尻目に晃治の額に鈍い光を放つ二本の角が出現した。
瞳が紅く染まる。
「父上…私は力を手に入れたのです。母上が私に望んだ力を、憎き京一を倒せる力。闇風を手に入れる…頭首にふさわしい絶対にして強大無比な力を!」
「もはや貴様は…人に非ず…「氷室」より”鬼”を出したとあっては末代までの恥。せめて私の手で逝ける事が…名も無き鬼よ、貴様を斬る!」
「くだらない。やはりあなたは…いや、「氷室」は私が滅ぼして差し上げましょう…くだらない人間共を私が掃除しましょう」
「この汚名、我が一刀を以て…」
「出来ましょうか…父上」
対峙した二人は沈黙し、微動だにしない。
ピリピリと鬼気と霊気が干渉する。
身を低く構えた父が微かににじり寄る。
「…氷炎烈風斬っ」
カッと瞳が見開き電光石火の抜刀。
蒼い炎を放ち真空十字の衝撃波が地面を削りながら鬼と化した晃治に迫る。
もはや問答無用の父の先手。
鬼気が膨らむ。
晃治は片腕を前に出し刀印で五芒星を切った。
「散防壁」
パーンッ
接触に伴い蒼く浮かび上がる五芒星。
真空十字の衝撃波が目に見えない壁に阻まれ四方に飛び散った。
「何とっ!?」
父の驚愕した顔。
「この通り鬼気で「術」を行使すれば、あなたの最大にして最強の必殺剣ですら、子供でも使える初級防御術で身を守る事が可能なのですよ…父上!」
晃治の血のように紅い眼が父を捉えた。
「うぐうっ!?」
呻く父。
「鬼の力とは素晴らしい…眼力だけで動きまでも縛れる…これが力の差です父上」
金縛り。
「くっ!」
呪束に似た目に見えない力に押さえつけられ、身動き一つ取れずにもがく「氷室」の長。
「あなたに良いものをお見せしましょう…そう、冥土の土産です。今の私なら完成出来るかもしれません。人であった時はどうしても放てかった形だけの技。様々な角度から考え導き出された「闇風」、伝説の秘剣にして秘術…これは実験です」
鬼気に充たり過ぎた父の顔からは既に生気が失せている。
三日月に雲がかかる。
静かな森に生ぬるい風が木々を撫でた。
暗闇に覆われた広大な森。
ドオオオオオオンッ
衝撃と轟音。
天と地を眩い光の柱が結んだ。
同時に、鳳凰にも似た朱き影が一瞬舞い上がる。
そして氷室の里が燃えていた。
一望出来る高台に一つの影があった。
雲に覆われていた三日月が今顔を出す。
優しく降りそそぐ銀光。
照らし出される影。
晃治だ。
眼下に燃え広がる生まれ故郷を眺め、愉悦の笑みを浮かべていた。
「力とはなんと素晴らしいものか…だが、まだ足りぬ。まだ、あれで完成ではない…」
笑みと共に言葉が漏れた。
刹那。
「ぐがあああ!?」
晃治の身体に激痛が走った。
メキメキと音を立て両腕が黒く大きな異形に変り始める。
「…制御出来ていないというのかっ!」
晃治は意識を腕に集中させ元に戻す。
「力だ…まだ足りぬ…力こそ我の証」
鬼気を制御できない事よりも晃治は更なる力を欲した。しかし晃治は気づかなかった…”私”ではなく”我”と言った事に、何の疑問も持たない自分自身に。そして炎揺らめく里を背に晃治は消え去った。




