狭間 4
雷鳴と共に雨が降っていた。
昼間の茹だる様な熱さを忘れさせてくれる激しい夕立。
子供のすすり泣く声が聞こえた。
直人は質素な和室の隅に立っていた。
目の前には病に侵され、床に就く女性とその傍らに寄り添うように座す少年がいた。
ピシャアンンンッ
落雷の衝撃が辺りに轟く。
氷室。
それが誰なのか直人には理解できた。
「ううう、母上…母上!」
少年は必死に母の手を握る。
「…晃治…」
母はそんな晃治を優しい眼差しで見つめた。
「母上っ」
「…もう泣くのはおやめ…あなたはこの「氷室」を束ねていく宗家の嫡男…そんなに泣いていてはなりませんよ」
母は優しく晃治の頭を撫でる。
「ううう、でも…母上が」
晃治は尚も泣いた。
「あなたは優しい子…「氷室」に強い素質を持って生まれたばかりに苦しまなくてはいけない宿命を背負わされてしまった。母はあなたの成長する姿を見る事が出来ない…でも、あなたは進む事を止められない…出来ることなら…「氷室」の呪縛から解き放たれ、自由に生きて欲しい…でも、闇の風に生を受けた者の運命」
「…運命?」
「ええ、でも…運命はきっと変えられるもの、その命は自ら道を切り開き進んで行ける…ですが、背負って生まれた宿命は変えられない…あなたの持つ強き力があなた自身を追いつめ、周りの人達があなたを苦しめるかも知れない」
母は涙を流しながら晃治に語る。
「宿命? 母上…何言ってるのかよく分からないよ」
「いいのです。きっと解る時が来ますよ…その時はきっと心の強い、他人を思いやる事の出来る真の力を持った闇風となっているでしょう…晃治…「氷室」という宿命と戦いなさい。そして、自ら運命を切り開き。強く…強くおなりなさい。他を寄せつけないくらいに強く、そうすればきっと…ゴフっ!?」
母は言葉が終わらぬ内に吐血した。
「母上!?」
未熟な晃治には母が言わんとした事がまだ理解出来なかった。だが、母の命の炎が消えようとしている事は幼い晃治でも理解出来た。
母の吐血は止まらない。
異変に気がついた祖父や父が駆け込んでくる。泣きながら晃治の服にしがみつく幼い妹。
世界が色褪せていく。
晃治はその場から逃げ出すように激しい雨の中に駆けだしていた。
ザア、ザアと生ぬるい雨風が晃治を洗う。
必死に駆けた。
靴も履かずに裸足で泥の中を駆けていく。
この氷室の里で一番大きな桜の木の下まで来ると晃治は大声で泣いた。だが、青々と茂った桜の葉は強風に激しく煽られ、その泣き声は嵐の轟音でかき消された。
暗雲に覆われた空に稲光が走る。
頭の中が真っ白になった。
景色がぼやけ色褪せる。
母上が死んでしまう…居なくなってしまう…いやだ!
晃治は必死に泣き叫び、それを否定しようとするが全ては雷鳴が掻き消し雨が全てを洗い流してしまう。
「…これが母上の運命なの…これが宿命なの…母上えええ!!!」
晃治は母の言った言葉を思い出し、ただ叫ぶ事しか出来なかった。
雨脚が弱くなった頃、赤い傘を差したおかっぱの少女が晃治に近づいてきた。
「…晃治君」
少女は遠慮がちに小さく晃治を呼んだ。
「…小夜ちゃん…母上が…ううう」
「晃治君…お母さんが…」
小夜子は目をそらして言葉を濁した。
「…う、そんな…う、う、うああああああああああああああああああ!!!」
晃治は小夜子が伝えようとする事の本質を本能で読みとり獣の如く泣いた。
母が死んだ。
晃治の中で張り詰めていた、何もかもが一瞬にして砕け散った。小夜子はそんな晃治の傍らに寄り添い雨から守るように傘に入れるとそっと、ただそっと何も言わず背中をさすり続けた。
直人はこの世界に干渉出来ずに、その光景を黙ってみる事しか出来ない。
時は流れ季節は冬の山。
一面の銀世界。
どこからともなく何かがぶつかり合う音が聞こえる。
直人の意識はその音のする方へと移動した。
「たああああああ!」
色黒の精悍な少年が木刀で打ち込んだ。
カーンッ
「くっ」
それを受ける色白で繊細な造りの晃治。
母の死という出来事を乗り越え心身が幾分、逞しくなっている。
「はぁ!」
色黒な少年が下段に構えた桃迅激を振り上げ足下の雪を晃治目掛け散らせた。
眼くらまし!?
そう咄嗟に判断し視界を確保する為に晃治は後方へ跳んだ。
ザッ
降り注ぐ雪を斬るように色黒の少年が真横に一刀を放った。
「空裂破っ」
素早く印を切り現れた少年に晃治は術を放つ。
「うわ!?」
ドオーン
衝撃波は少年の足下に炸裂して雪が舞い視界を遮った。
今だっ!
晃治は勢いよく駆け寄り、少年が居るはずの所に桃迅激を振るった。だがその瞬間、雪礫が晃治目掛けて命中する。
「な!?」
少年の姿を晃治は見失った。
気配。
「上!?」
カアアアンッ
ぶつかり合う桃迅激。
「えっ!?」
晃治は驚いた。
自分の攻撃はただ上から降ってきた桃迅激を弾き飛ばしただけだからだ。
「いただき!!!」
少年の声が背後から聞こえた。
「くそおっ!」
晃治は振り向こうとした。
「空裂破っ!」
「ぐわあああ!!!」
瞬間、少年の掌が晃治の脇腹に打ち込まれ激しい衝撃が走った。
晃治はそのまま吹き飛んでしまった。
「勝負有り…かな?」
今まで二人の戦いを黙って見ていた、長くなった髪を後ろで一つに結った巫女の少女が首を傾げながら言った。
小夜子だ。
「決まりだな」
少年は満面の笑顔で言った。
「…ま、まだ、まだあっ!」
ゆっくりと起きあがり晃治は哮える。
「止めとけよ晃治。身体が壊れたら意味無いぞ」
「うるさいっ…あと一息だったんだ」
「うん、危なかったよ…晃治は俺よりもセンスがある癖に最後の詰めが甘いよな」
「…もう一回やったら、僕が勝てるっ。勝負だ京一!」
叫ぶ晃治。
京一はそんな晃治に呆れて両手を上げた。
「晃治君。今日はもう、このくらいにしよう。冬の合同修練は始まったばかりなんだから…ね」
小夜子は哮える晃治を諭すように言った。
「でも、小夜ちゃん…僕は悔しいんだよ!」
「晃治、今の模擬戦で四回目だぜ。俺二勝、晃治も二勝。と言う事は引き分けなんだ。どうして、そんなに俺に噛みつくんだよ…」
京一は呆れて言った。
「僕はお前のそんな態度が大嫌いなんだ!」
「…そんなにハッキリ言うなよ…ショックだ…俺は晃治の持つ「氷室」直系の力が羨ましいんだ。俺は「穂村」の代表だけど直系じゃない…だけど「穂村」の嫡子の力が俺よりも劣るから出られないってんで、分家の、そのまた分家の俺が選ばれた。それに俺を引き取ってくれた家もまるで厄介者を見るように扱う。正直言って「穂村」は俺に期待なんかしていない」
「…京一」
小夜子は京一の境遇を思い出し目を伏せた。
京一の両親はまだ幼い頃、街で事故死をしていたのだ。
「だけど!」
晃治もその事情は知っていたが、どうにも京一とは馬が合わない。
「だから俺は必ず頭首の座を穂村に持って帰るんだ。里の奴らを驚かしてやるんだ。その為に頑張るつもりだけど、合同修練で晃治と対峙すると「真祖」の力って奴を否応なしに感じてしまう。俺はお前がうらやましい…ただ晃治は、俺の繰り出す変則的な攻撃に翻弄されているだけで…決して俺に劣るなんて事はないんだ。俺にはお前の力を前にして、そうする事しかできないんだ…剣技が同じようなレベルなら尚更、俺は得意な体術を駆使して戦う…これも戦術だ。晃治」
「でも、僕は第一試合で京一に負けた…お前は強い…だから僕はお前に勝たなきゃいけないんだ…それに訓練でも圧倒的に僕の方が黒星が多い!」
二人は睨み合いながら反発する。
深山神社の境内に空から粉雪が津々と降り注ぎ始めた。
「さあ、もう稽古は終わりにして家に戻ろうよ。ね、二人とも」
小夜子が二人に助け船を出した。
「そう言えば小夜子だって「深山」の代表なんだぜ。何でそんなに稽古に身が入っていないんだよ?」
京一の言葉に晃治も小夜子を見た。
「…わたしは「深山」の家に生まれて、たまたま呪術に関する素質が他の子達よりあったから代表になっただけだもん。深山は昔から頭首の座になんて就いた事なんか無かったんだよ…氷室や穂村、そして鈴宮のような剣技や体術が凄い系譜じゃないもん。深山は呪術を専門とする退魔法、後方支援的な役割をしてきた家よ。だから私は頭首がどうとか言う以前に、ここにいる事の方が変な気がするよ…こんな事言ったらお父さんやおじいちゃんに怒られちゃうけどね」
肩をすくめて小夜子はニコリと笑った。
互いの事情を知った三人は自然に一カ所に集まり世話になっている深山の家に黙って帰る事となった。
「じゃあ、小夜子は頭首なんてどうでもいいって事だよな…やる気が無いよなあ。そうだ、じゃあ、俺と晃治のどちらかが頭首の座を取ったらさホッペにチューしてくれよ。そうすれば、お前もやる気出るだろう」
京一は小夜子を見ながらトンチンカンな事を言った。
「何言ってんの京一。やーらしー、だから男子は女子に嫌われるんだよ。スケベ!」
小夜子は頬を赤らめ京一を睨みつけた。
「スケベって言ったなあ!」
「言ったわよ、変態。行こう晃治君」
ムキになった京一を尻目に小夜子は、晃治の手を取りスタスタと境内にある社務所の奥の母屋へと向かっていく。晃治は京一を一睨みして小夜子に引かれるままその場を去った。
「な、なんだよ晃治までそんな顔してさあ…じょ、冗談だって、待ってくれよー」
京一は二人を追いかけた。
晃治は京一と小夜子のじゃれ合いに嫉妬し、また素直な京一が羨ましいとも思っていた。
春。
桜の咲き乱れる「穂村」の里で京一と晃治は剣撃の稽古に勤しんでいた。
時折、風に煽られ舞い上がる花吹雪。
「空裂斬っ」
二人は叫び共に真空の斬撃を放った。
再び舞う桜の花びら。
ぶつかり合う風が二人の間に小さな竜巻を発生させて消えた。
人知れず覚えたての闇風流剣術を確かめ合う二人。
「…あはははははははっ。出来たっ出来たよ晃治!」
「うん、出来たね! 京一」
喜び合う二人。
言い出したのは京一だった。
技を伝授されたが、二人は上手く技が出せなかった。
必死になって練習を重ね、先に体得したのは晃治。出来ない京一はそれをムキになって繰り返し、声が嗄れ身体が気力を使い果たすが、どうにも技が出せない。そこで”真剣さ”が足りないと言いだし晃治に「空裂斬」を自分に放つように頼んで、京一は今習得したのだ。
穂村の指南役に見つかれば大目玉ものだ。
前回の合同修練では鈴宮の教官に見つかり、小夜子も巻き込み大目玉を喰らっていた。しかし、成長期真っ只中の二人にはそんな教訓はどこ吹く風であった。
立派な悪ガキである。
「俺達、最強の闇風になろうな」
「うん、伝説の秘剣にして秘術…「四聖獣鎧破」を会得しよう」
京一の言葉に晃治が応えた。
「ああ、まだ誰も実現した事のない剣技…口伝のみ伝わる秘術」
「でも、何で誰も使えなかった技があるんだろう? もしかしたら眉唾かも知れないよ。京一」
「う、うーん…ほ、ほら、編み出した人間がいたんだから、きっとその人が使ったんだろ…たぶん”真祖”なんだよそれ!」
「そう…だろうか、確かに”真祖”が使えたっていう説は有力だけど…僕は思うんだ。もしかしたら、そんな技ホントは無いのかもしれないって…言い伝えでしか存在しない技なんだから…どうしたら発動するのかも解らない。ただ解っているのは四神の力を使うってだけだよ」
「もしそうだとしたら俺達で編み出そう、いつかきっと俺達で実在する”技”だって事を証明してやろうぜ!」
京一のそんなぶっきらぼうで、実直な所が晃治はいつしか好感を持つようになっていた。
「四聖獣って方位を司る四神だから…やっぱり呪術的要素が多いのかもね…」
「呪術…か、なら、そっちに強い小夜子にも力を借りないとダメかもな…よし! 次の修練は深山だから座学も真剣に受けるぞ!」
「くくく、京一らしいな…面白そうだからそうしよう。うん、僕達の力で…」
晃治はそう言うと手にしている桃迅激を前方に上げた。京一もそれに応え重ねた。二人は命を育む春の暖かい光を身体いっぱいに浴び、風で舞い上がる桜吹雪の中、重ね合わせた桃迅激を高らかに掲げ誓い合った。
強くなろう。
晃治の頭に母の最期の言葉が甦っていた。
十五歳になった年の秋、晃治達は元服を迎え最終試合に臨んだ。よく晴れ渡る紺碧の空の下、晃治は京一に見事な一本を取られ「氷室」「深山」とも頭首決定戦に敗退し次期頭首の座は「穂村」が手にした。
現頭首、「鈴宮」の長である翁から、その証とされる闇風の守護刀「金剛剣羅刹」が穂村京一に手渡された。
金剛羅刹。
神代の時代から在るとも云われ、また何から出来ているのかさえ解らない太刀。
元々の形は両刃の剣で在ったとも云われ、形を変え今の刀の姿になったとも伝わるが定かではない。
言い伝えでは鬼が自らの角を切り落とし鍛え上げたと言われる刀。
折れない。曲がらない。朽ちない。
羅刹は砕けることなく、曲がっても瞬時に元に戻り、錆びてもその下から真新しい白銀の輝きを生み出すという。
材質は国の研究機関を持ってしても不明。ある者は「オリハルコン」と呼び。またある者は「ヒヒイロカネ」とも言う。その神秘の刀身は秋晴れの陽光に照らされ四方へ輝きを散らす。
だが、真に羅刹の力は、その金属にあるのではないと言う。
邪鬼滅殺。
あらゆる魔を斬り。
あらゆる鬼を滅する破邪の力。
その剣撃は空を裂き海を割る。
その斬撃は大地を揺るがし炎を生み出す。
故に金剛羅刹は使い手を選ぶ。
心悪しき者を選べば「邪」となり人の世を喰らい。
正しき者を選べば「聖」となり世を守る聖魔の剣。正邪曲直、諸刃の心剣なり。
晃治はよく祖父に聞かされた「羅刹」の口伝を思い出していた。そんな中、羅刹を手にした京一を目にしながら、母との約束が果たせなかった己の未熟さを呪った。また、京一になら”それでもいい”と思える程の戦いを繰り広げた自分を誇りに思い、父や祖父とは違い晴々とした気持ちでもあった。実際は負けた事への悔しさも感じるのだが、それ程までに京一は強く成長していたのだ。そして、この御前試合こそが晃治、京一、小夜子の闇風としての卒業式であった。




