狭間 3
ザンッ
突如、影が舞い降りた。
「ん、何だ貴様…?」
(誰っ!?)
ゆかりと鬼神氷室の間に黒い影が立ちはだかった。黒い服に身を包み、ただ黙って氷室を見つめる男。ゆかりはその後ろ姿を知っていた。
甦る懐かしい記憶。しかし、そんな事はあり得ない、ある筈もないと必死にゆかりは否定した。きっと恐怖で頭がおかしくなったに違いない。そう思う事しかゆかりには自我を保てなかった。
「…誰かと思えば貴様か…久しいと言うべきかな。性懲りもなく、また私の前に立つというのか」
男は黙したまま静かに前屈の構えを取る。
「何だそのナリは? 死に損なった所為か。ずいぶんな落ちぶれようだな…言葉も忘れたか」
放たれる男の殺気。
「…あれ程に感じた猛々しいまでの気迫がその程度とはな…私が強くなったからか…いや、もはやどうでもいい事か。今度こそ迷い出ないように葬り去ってやるぞ…京一!」
「!? と、父…様…」
氷室の言葉がゆかりの心に突き刺さった。
ダッ
京一が先に動いた。
その動きは疾風の如く。
ドーピングした人間を凌駕した動きだ。
その速さは先程展開されていた、直人の戦闘のようだとゆかりは感じた。
どうして?
どうして父様が生きているの…。
どうして、そんなに速く動けるの。
ゆかりの頭の中がグルグルと回る。
キーンッ
京一の先手の手刀が氷室に弾き飛ばされた。
どうしてここにいるの?
どうして…今まで、どうして私に会いに来てくれなかったの。
氷室は凶悪な笑みを浮かべながら、弾き飛ばした京一の手刀を掴み取ると逆背負い投げの体制に入り関節を決める。だが、それを取られまいと京一が自らバク宙返りに入ると氷室の顔面に回転膝蹴りが炸裂する…しかし、膝が砕けた。氷室は怯む事無く技を振りきり、京一は着地すると膝蹴りを繰り出した左足がガクリと折れ片膝を突く。が、構わず掌ていを氷室へ打ち込んだ。
ドガッ
氷室の脇腹に京一の掌が決まった。
二人はそのまま動きを止めた。
「…懐かしいな。京一…合同修練ではいつもお前の一撃で勝負が決まったよな…だが、今のお前では私を止める事は出来ない…そんなに弄られガラクタと化した…今の貴様ではな!!!」
氷室の怒りに満ちた鬼気が溢れ、掴んでいた京一の右手首を砕いた。
飛び散るオイルと血液。
砕け飛ぶメタルパーツ。
機械。
「空裂破っ」
ドゴンという鈍い音を立て京一は吹き飛び、剥き出しの岩に背中を打ちつけた。
ゴボッ
口から吐き出される真っ赤な血。
「いやああああああっ」
ゆかりの悲鳴が上がる。
理解できなかった。
生きていた父様。
機械の身体の父様。
血を吐き朽ち果てようとする父様。
ゆかりは何も考えられなかった。
誰か、誰か父様を助けて。
そんな思いがゆかりの心を占めていくが、その思いに応える者は誰もいない。
優しかった父様。
私を見て優しく微笑む父様。
そんな記憶がゆかりの脳裏をよぎる。
しかし、今、現実の父様は血を吐き、無表情でただ冷たい視線を氷室に送るだけ…もしかしたら、私も鬼と対峙している時はあんなに冷たい目をしているのかも知れない。でも…何かが違う…あれだけの戦闘をしているのに表情が全く変らない…まるで感情をどこかに落として来てしまったかのように。あれは父様の顔をした戦う機械仕掛けの人形? 変わり果てた父の姿だが、根本的に以前の父とは何かが違うと感じ、ゆかりは鉛のように重く言う事を聞かない身体を引きずり更に目を凝らした。
「無様だな京一」
氷室はゆっくりと歩を進め京一との距離を詰めていく。
カチャリ
京一の左腕が氷室に向けられ、レーザーサイトから照射された光点が顔面を捕らえた。
赤い線が京一と氷室を結ぶ。
シュバアアアッ
辺りを光が照らした。
左腕の途中から火花を散らし、京一の左手が六メートル程の距離を瞬時に飛んでいき氷室の顔を掴みかかった。
ガッ
ワイヤーアームロケット。
氷室と京一はワイヤーで繋がった。
「…何の真似だ?」
京一の掴んだものは氷室の顔ではなく、咄嗟に庇った左腕だった。
ブーン
氷室の左腕が小刻みに振動した。
「なっ!?」
紅い眼が一瞬驚きの色を見せた。
スパーンッ
氷室の、いや。直人の左腕が瞬時に弾け飛んだ。
高周波振動粉砕。
氷室の狂喜の前で赤い花が咲いた。
しかし。
「面白い仕掛けだ京一」
四散した肉片、飛び散る血しぶき砕けた骨。それらは夏の夜の打ち上げ花火のように宙に咲いたまま静止していた。刹那、それらが元ある場所へ戻ると黒い鬼気に囲まれ一瞬にして粉砕した筈の左腕が復元された。
恐るべき再生能力。
京一はその様をただ黙ってみていた。
「お返しに私の力…闇風と鬼の力を融合させた技を披露しよう」
丁度、氷室の足下に隆司が使っていた枯れ枝が転がっていた。音もなく、スっと氷室の手に収まると瞬き一つの間に再び剣となっていた。だが、今度は日本刀…いや、太刀と言うべきだろうか。
「我が荒ぶる絶対にして強大なる黒き闇の力
今、その命を鬼気とし
森羅万象の理のもと
前方なる敵を粉砕せよ
黒き風はそれを砕き
瞬く閃光はその者を焼きつくせ」
氷室の詠唱に反応するように上空の暗雲が唸りを上げ風を起こし辺りを煽る。
ピシャアアアンッ
雷光が地面に影を落とした。
雷鳴と共に黒き稲妻が走り氷室の掲げる太刀に集結する。
「受けよっ! 閃光空牙あああ!!!」
振り上げた太刀を一気に振り斬る。
剣圧により生じた黒き風が砂塵を舞い上げ鎌鼬現象を生み出し、その中を稲光が駆け抜けた。氷室の言霊により発動した鬼神の業が京一を目掛け一直線に走る。
ドオオオオオオンッ
落雷に似た衝撃。
先程まで京一と呼ばれていた黒い物体がそこにあった。周辺には白く輝くメタルパーツ、そしてそれらに付着する血液やオイル、肉片の数々。だが、京一は半身を失ってもなお、生命活動を停止していなかった。
「そうまでして、まだ生きているか京一…機械の傀儡となり果て生きる…哀れだ。驚愕すべきは、お前をこんな姿にしてまで生き長らえさせている”闇風”の力…鬼を倒す筈の集団が、その力を欲している。滑稽だな」
京一はやはり黙って冷たい目で氷室を見ていた。
「今…その惨めなる魂を、肉体の鎖を…機械と言う名の呪縛から解放してやろう…さらばだ、友よ」
そう言うと氷室は既に黒い塊と化した京一に近づき始めた。
「やめてえええっ」
ゆかりの哀願。
ガッと京一の頭部を氷室は鷲掴みにした。
京一の瞳が氷室の顔を映す。
「憎め、哀れめ、そして己の力の無さを呪い苦しみ悲しめ! そうすれば貴様の魂も私の力となる…我が糧となり共に生きよ…京一」
額にある二本の角が激しく輝く。
「父様ああああああ!!!」
ゆかりの悲鳴が虚しく上がった。
「ゆ…か、り…」
マシンボイスにも似た京一の言葉がゆかりに届いた。
グシャリッ
「いやあああああああああ!!!!!!」
頭部を砕かれ京一は、ようやく生命活動を停止した。
朽ち果てた京一の亡骸から、魂が揺らめきながら蒼く瞬く角へと吸い寄せられる。京一の魂を双角が吸収していくこの感覚を氷室は快感に感じていた。超える事の出来なかった京一を今、喰らった。
そんな充足感で氷室の心は満たされていく。
鋭利に伸びた爪から真紅の液体がしたたり落ちた。
「…小夜子は私の物だ…」
知らず言葉が漏れる。
ゆかりの母”小夜子”と混同している氷室の狂気に満ちた紅き眼は泣き崩れるゆかりの姿を捉えていた。




