約束 1
声が聞こえる。
ゆっくりと瞼を開くと板張りの天井が少年の目に入ってきた。
母屋のようだ。
ふと横を見る。
まだ乳飲み子の美和が隣で静かな寝息を立てていた。
障子を一枚挟んで人の話し声が再び耳に入る。
「何と言う事じゃ」
嗄れた老人の声が聞こえた。
「まったくだ」
父の声がした。
「ですが、あの子は必死に…」
母の声。
「問題は内容ではない。結果だ」
「そうじゃ、そもそも「闇風」とは氷室を祖として発生したのじゃ。それが今では宗家を蔑ろにし分家である筈の穂村や山猿の深山が幅をきかせ、挙げ句の果てには頭首の座を余所者の鈴宮に奪われてしまっている。真に嘆かわしい事じゃ」
その意見に賛同する、多数の人が唸る気配があった。親族会議のようだ。
「しかし、世代交代の第一試合を負けたのは大きい。穂村に後れを取るとは」
「まったくじゃ。まさか穂村の小倅があれ程の力を持っているとはな。晃治は合同修練で気づかなんだか」
祖父は厳しい眼差しで父を見た。
「あれはまだ幼く技も未熟、故に見極めが出来ません。潜在能力では穂村の京一よりも上だと私は見ています。それだけに今日の御前試合での一敗は痛い」
「間抜けな話よ」
「どうか父上様、あの子に優しい言葉の一つでも…」
「次の試合まで、まだかなりの時がある。晃治めを鍛え直せ。現在、頭首の座にある鈴宮はこの試合には参加できんのじゃ。深山は問題にはならん、穂村じゃ、あの小倅にさえ勝てばいいのじゃ」
「ですが、鈴宮の三兄妹は侮れません。”霞”等と言う通り名まであります」
「かまわぬのじゃ。次期頭首さえ氷室が手にすれば、後はどうにでもなる」
少年は隣の部屋から聞こえてくる声を聞きながら再び眠りの底へと落ちていった。
雨が降っていた。
母が病で逝った。
祖父は未熟だからと嘆く。
父は喪が明けきらないと言うのに頭首の座の事しか言わない。
京一を倒せと。
そんな身内達を少年は許せなかった。京一とは合同修練を繰り返すうちに友となった。時が経ち少年は青年となり深山の娘に恋をした。
御前試合で三敗を喫した氷室は敗れ、穂村が次期頭首の座を獲得した。しかし、それでも構わなかった。始めは京一の事が大嫌いだった、だが共に過ごし互いを切磋琢磨する内に打ち解け合い親友となった。共に最強と詠われるようになろうと誓った仲だった。だからこそ、「敵わない」そう心から素直に思えた。だが、頭首の証である「金剛羅刹」を使い熟せるまでになった京一は全ての権利を放棄した。そのため氷室に次期頭首の話が鈴宮からきた時、父と祖父は大喜びをした。だが、喜べなかった。実力で勝ち取った物ではない。それよりも京一が許せなかった。自分よりも優れた力を持ちながら手にした権利を捨て、自分の愛した女、小夜子までも奪ったあの男が、そしてバカのように祝杯を挙げている氷室の人間全てが許せなかった。まるで、今までの自分の生き方をバカにされているようで全てが憎かった。
「力が欲しい…何者にも屈しない、強大な力が…全てを破壊する力が」
もはや家の事や友など、どうでも良かった。
ドス黒い感情を走らせながら青年は心から力を欲した。
声が聞こえる。
自分を呼ぶ声。
青年は氷室の封印の祠に足を運び宿敵である”鬼”を解き放った。
黒い渦が青年を包み込んだ。
狂喜した青年は直人を見た。
「はっ!?」
直人は目を覚ました。
「今の夢は何だ?」
全く身に覚えのない内容だった。自分が自分ではない、そんな夢を見た直人にはまるで理解できない。確かにそんな理解を超える夢を見る事はある…しかし、何かが違うように思えた。だが、思い出そうにも記憶に霧が掛かり内容が見えなくなってくる。夢とは大概そう言うものだと分かっていても、何かが心に絡みつき離さないでいる。
嫌悪感。
「…俺は一体」
「力が欲しいんでしょ?」
直人の目の前に少年が立っていた。
夢と現実が交差する。
「なっ!?」
「ほら、そこにあるよ」
少年が指さした方に直人は目を向けた。
黒い巨大な渦。
「な、何だよ!?」
巨大な渦から黒い獣の腕が伸び、直人を鷲掴みにした。
「うわああああああ!!!」
意識が飲まれる瞬間、これが”何か”を知っていると直人は感じた。
「力はお前のすぐ側まで来ている。お前が望めば”くれてやる”」
薄れゆく意識の中、直人は少年の声を聞いた。
(もうすぐだ…)
モゾリと蠢いた。
朝倉は問題の現場に辿り着き辺りを散策したが十二年前の手掛かりなどある筈も無く、早々に切り上げ帰りは細い県道を抜け緋桜市の御鈴警察署に寄ると関連事項を調べた。そこで奇妙な接点を見つけた。
「唯一の生存者、神崎直人。偶然にしては出来すぎているよな」
朝倉は自宅へ戻ると一人呟いた。
外は日が落ち世界を夕闇が支配している。
今日集めた情報を整理する為に、朝倉はシャワーを浴び頭をスッキリさせた。
十二年前に平井さんと若い刑事が殺人事件を追っていたが、今となってはそんな事件はどこにも記録がない。裏御鈴町で地元の少年少女が五名、熊に襲われる。生存者は一名、神崎直人。その直後に若い刑事は命令を無視して奥田間山中で熊と遭遇、そして死亡。
現在、神崎家惨殺事件発生。だが翌日には重要参考人の神崎から手を引けと上からの圧力。神崎と恋人関係にあった竹下博子に対する暴行傷害事件発生。被疑者は神崎だと言わんばかりの事件、その後、神崎の接点と考えられていた友人、杉森隆司宅で神崎と遭遇。現実離れをした出来事…”鬼”の存在。真実を目の当たりにした朝倉でも未だに信じ難い現実。そして平井の死。これらの共通点は神崎直人と上からの圧力、それと想像の域を出ない推測だが、十二年前の熊の件は「鬼」。だとすると…。朝倉は缶ビールを冷蔵庫から取り出しそれを口に運んだ。
「何か、違和感を感じるんだよな」
独り言る朝倉。
「あの「深山ゆかり」は何者なんだ」
ゆかりに関するあらゆるデーターが消去され、結局洗い直す事が出来なかった。
「一体、何なんだ。この何とも言えない感じは…意図的な何かを感じるようなそうでないような…全く謎ばかりだな」
朝倉は頭を抱えた。
「確かな事は「鬼」と「神崎」は十二年前から繋がっている」
ふと署長の言葉がよぎった。
「確か「闇風」だったよな…署長は確かにそう言った。なら圧力の源が闇風なら…深山ゆかりはそれに関係する人間という事になるのか? 一体、「闇風」とは何だ」
朝倉はデスクトップのパソコンをスリープから起こして、インターネットで「闇風」を検索した。
該当項目なし。
朝倉は辞書を取り出しそれを調べる。
”暗闇の中、どこからともなく吹いてくる風”
「深山ゆかりのイメージに当てはまる…? いや、こじつけ過ぎだな」
ふと、浅倉はもう一度、検索キーワードを入力してみた。
今度は「やみかぜ」だ。
ヒット。
クリック。
”ようこそ、やみかぜへ!”
浅倉を萌えキャラ二人が迎えてくれた。
一人は巫女、もう一人は剣士の三頭身の萌えキャラだ。
「…これは違うな…」
どうやら都市伝説などを扱っている、個人作成のウェブサイトの様だ。
口裂け女、人面犬、トイレの花子さん。その他、妖怪やUMA、幽霊目撃談や怪現象そして廃墟。そういう怪しいモノを見た、聞いた、もしくは体験した等の情報交換と紹介を目的とした古い作りのサイトだ。”あなたで○○○○○人目です”なんて懐かしい感じの作りだ。まだ管理されているようだ。
この手の胡散臭いサイトは別に珍しくも無い。
「…いや、待てよ」
”鬼”の情報とかないか?
浅倉はサイトの書き込みや情報をしばらく追ってはみたものの、求めるそれらしい情報は見つからなかった。
トップページの三頭身の萌キャラが浅倉をあざ笑っているように見えてきた。
溜め息をつくと朝倉は、一気にビールを飲み干した。
「全く鬼だ闇の風だの、怪談にはまだ早いってんだ」
窓の外を寒風が吹きすさぶ。
「違和感を感じたら自分の直感を信じろか」
平井の言葉が脳裏をよぎり朝倉は目頭が熱くなる。
キーン
耳鳴りが朝倉を襲った。
「…耳鳴り…」
朝倉は杉森宅へ戻る時、奇妙な体験をした事を思い出した。
「来た道が分からなくなったんだよな。あの夜…」
今日の昼間、十二年前の現場近くを散策した時も同じように耳鳴りが朝倉に起こっていた。
何か関係があるのか? と朝倉は記憶をたぐり寄せる。
偶然。
それとも、常識では計り知れない何かが。
「考えすぎだ。確かに常軌を逸脱している。だが、あれは山の中で気圧の変化による耳鳴りだ。何でもかんでも繋げて考えるのはダメだ。俺は探偵には向かないな。刑事が捜査する方向性としてはあまりにも動機が薄いよなぁ…いや、勘に頼る刑事は失格か」
頭に浮かんだ考えを振り払い身体を横たえた。が、やはり違和感は消えない。些細な事であるが「そんな事」でも事件の解決に繋がる事を朝倉は知っている。
杉森宅での出来事を思い出し朝倉は体を起こした。
「今回の出来事は常識にとらわれていたら神崎に…真実に辿り着けない。明日、もう一度行ってみるか現場へ。まいったよ平井さん、決定的な物が何一つありゃしない!」
朝倉は自然に平井に語りかけた。
床に転がしてある愛用の黒いロングコートのポケットから、平井の吸っていた銘柄の煙草を取り出し火をつけた。
「げほっ、げほっ…ううう」
何か良いアイデアが浮かぶかと平井のように吸ってみたが、咳き込むばかりですぐに火を消した。
「体に悪いよな、煙草は…頭の血管が詰まったみたいだ」
さすがに平井の遺留品を形見に貰う訳にもいかず今朝、梅澤市に向かう途中で買っていた。もちろん吸う為ではなく、平井を捜査に連れて行く為だった。葬儀にも参加しない自分に対する欺瞞である事も十分承知だ。朝倉は確実な物を掴もうと気持ちばかり焦っている自分に気がついていた。
「だからこそ!」
現場に行った所で直人に出会える保証はない。それどころか全く違う方向へ向かってしまうかも知れない。冷静に考えれば間違いなく無駄足になる、しかし朝倉にはそれが正しいような気がして仕方がならないのだ。ただ、じっとしているのが嫌なだけだったのかも知れない。
「捜査に詰まったら基本に帰れだ。相手が”鬼”ならこっちは直感に賭けるしかない…か」
朝倉は自信なさそうに呟くと再び身体を横たえ、襲ってくる眠気に備えた。昼間の慣れない山歩きとビールのせいだろう。
「神崎、お前はどこへ行こうとしてるんだ」
朝倉はうわごとのように呻くと寝息を立て始めた。




