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鬼刻の夜明け―卒業式。鬼になった彼女を、守れなかった俺は  作者: MASAO
五章

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決意 4

 室内に香ばしい香りが広がっている。

 カーテンの隙間から日の光が差し込み朝を告げていた。

「ん、うーん…朝か」

 直人はそっとまぶたを開き目を細めた。

「…痛てー」

 体を起こした直人を筋肉痛が襲った。

「戦う度にこれじゃ、しょうがないなぁ」

 ひとちる。

 ゾクッ

 身体の痛みが昨夜の記憶を呼び戻した。

「あの力は一体…もしかしたら俺はすでに…」

 頭に浮かんだ考えを振り払い、直人は部屋を出た。

 ベーコンの焼ける匂いが鼻をくすぐる。

「あっ、起きたぁ。もう身体は大丈夫?」

 ゆかりがキッチンで朝食の準備をしていた。と言っても、もう昼過ぎだ。身体の疲労が余程、酷かったのだろうと直人は思った。

「昨夜は迷惑掛けて、すまなかった」

「ううん、いいよ。それよりお腹減ってるでしょう」

 ゆかりは迷惑を掛けた事よりも、直人が元気になった事の方がうれしいようで明るく答えた。

「ああ。ベーコンエッグか」

 直人はゆかりの手にあるフライパンを覗き込み言った。

「そうだよ。美味しいぞぉ」

 ゆかりは寝間着にエプロンを掛けて料理をしていた。おそらく昨夜、直人につき添っていた為あまり寝ていなかったのだろう。つい先程起きたような風貌だ。

 直人はそんなゆかりが、かわいらしく思えて仕方なかった。だが、正しくは自分の身に起こった現実からの逃避。ただ誤魔化して忘れようとしてるだけかも知れない。そんな考えが浮かぶと直人は小さく溜息をついた。

「何か手伝おうか?」

「うん、大丈夫。もう少しで出来るから。直人君は座っててよ」

 ゆかりの言うようにテーブルの上には食器が並び、後は盛るだけとなっている。

「ああ。分かった」

 直人は落ち着かない様子でカウンターテーブルの席に着いた。

「いいんだよ。病み上がりなんだから、ゆっくりしてて」

 背中越しにゆかりは言った。

 しばらくするとメインディッシュのベーコンエッグが皿に盛り付けられた。

「いただきまーす」

 二人は同時に言うと遅い朝食を食べ始めた。

「うまい!」

 直人はベーコンエッグがこんなに美味しいものかと勢い良く頬張った。

「大げさだなぁ、料理と呼べる程のものじゃないよ」

「いやあ、物凄く腹が減っててさ」

 口の中の物を飲み込まずに直人が答えた。

「行儀悪いよ直人君。でも仕方がないか、昨夜あれだけの運動をしたからね。私もペコペコだよ」

 二人はあっと言う間に皿を平らげ、食後のコーヒーを飲み始めた。

「私、紅茶の方が好きなのに」

 ゆかりは渋々直人の煎れたコーヒーをすする。

「まあ、たまにはコーヒーもいいだろ」

「…飲みたかっただけ紅茶が。明日は紅茶DAYね」

「はいはい」

「ぶーっ。聞き流してる」

 直人はゆかりの少し拗ねた態度を楽しみながら流した。

「しかし、”鬼精体きせいたい”って奴は神出鬼没なんだな」

 直人は親友であった隆司が寄生されていた事を思い出し、暗い表情になった。

「そうね。誰でも”鬼”になる可能性があるよね」

 ゆかりは静かに言った。

「俺も…か」

 直人の言葉にゆかりは何も応えない。

「俺の周りで二人、いや六人か」

「確かに多すぎるわね…どこかに寄生の元凶、親がいるのかも知れない」

 ゆかりは考え込むようにコーヒーを飲む。

「どうした?」

「うん…杉森がそうだとしても、家族が駒のように動くのは変なのよねぇ」

「何でさ?」

「だって、鬼が結界を張るなんて…それに鬼になった人は、間違いなく自分の欲望のままに行動するのよ。あれじゃ、まるで」

 ゆかりは更に考え込んだ。

「そう言えば、隆司が「シキ」とか何か言ってたなぁ」

 直人は昨夜の戦闘を思い出しながらコーヒーを口に流し込む。

「シキ!? それって”式神しきがみ”の事かしら?」

 ゆかりの中で何かが繋がったようだ。

「式神って、確か陰陽師おんみょうじとかが作りだす使い魔みたいな奴の事か?」

「…よく知ってるね」

「少し前に陰陽師の事をテレビでやってたし、小説やマンガに出てきたり、それなりに有名だと思うぞ」

 直人は少しあきれたように言った。

「そ、そうなんだ…闇風なんて仕事してると、その手の話にうとくなっちゃうんだよねぇ。そう言えば前も任務で転校した時、クラスの子と話題があわなかったんだ…はぁ」

 ゆかりは小さく溜め息をついた。

「ヤバイぞ深山。完全に世間からズレてるぞ」

 直人が追い討ちをかける。

「はあ、もういいよ…とにかく杉森は「しき」って言ったのね」

 半ば諦めたようゆかりは言った。

「ああ」

「鬼の式神か…「使鬼しき」かな? でも、どうしてそんな事が杉森に出来たのかな?」

「さあな。深山みたいにあいつの家も退魔の家系とかさ」

「それは有り得ない。その手の家系は全部じゃないけど闇風がほぼ把握しているし、その中に杉森なんて”家”は無い。何より杉森の家の事は諜報部ちょうほうぶの人間が調べたから間違いなくシロよ」

 ゆかりは力強く言った。

 余程、その諜報部ちょうほうぶの情報に自信があるらしい。

「それじゃあ、何で隆司がそんな陰陽師まがいな事出来るんだよ?」

「解からない。呪術の心得がある…とか、それは無いか。本で覚えた…そんな簡単には出来ないよね」

 ゆかりは頭を抱える。

「誰かに教わったとかさ」

「誰に?」

「…流浪るろうの旅をしている殺生坊主せっしょうぼうずとか」

「直人君。ふざけてる?」

 ゆかりの鋭い眼光が走る。

「すいません…」

「とにかく彼には謎が多いわ。でも「使鬼しき」を使うと言う事は貴重な情報よ、本部に連絡を入れなきゃ。何か解かるかも知れない」

 ゆかりはすぐにノートPCを起動させると闇風に送信した。

 返信はすぐに帰ってきた。

「本部の反応は?」

 直人はゆかりの横からノートPCを覗き言った。

 

 返信

 大至急調査をする。

 場合によっては応援を送るが事は慎重に運べ。 

 だが、チャンスがあるなら封殺せよ。

                          以 上


「だってさ」

「結局、隆司は謎のままか。しかし、勝手言ってくれるな」

「しょうがないよ、こんな症例は聞いたことが無いし。あちらも大変なんじゃ無いかな」

 ゆかりはコーヒーを口に運ぶ。

「応援か。隆司に関しては、俺がこの手でケリをつけたいもんだな。あいつを救う。それが俺の最初の任務だと思うから…必ず」

 直人はどこを見るでもなく静かに呟いた。

「それはそうと、近いうちに直人君はドーピング薬の調合のため本部に行かないとね。戦闘する度に倒れたんじゃ大変だからね。訓練しながら徐々に体を慣らさなくちゃ」

「本部ってどこにあるんだ?」

 直人は素朴な疑問を投げてみた。

「ふふふ、きっと驚くよぉ」

 ゆかりは意味ありげに笑った。

「まさか、忍者の隠れ家みたいな人里離れた山の中…滝の裏にある入り口を抜けた先の陸の孤島とかか?」

「…変なマンガの読みすぎ。でも、あながちハズレでもないかもなぁ」

「どこなのさ」

「内緒。トップシークレットだからね、行ってからのお楽しみ」

 ゆかりは楽しそうに言った。

「何だよそれ」

「ふふふ」

「深山もそこで訓練受けたのか?」

「う、うん。まあ…ね」

 ゆかりの反応がわずかに悪い。

「何か、嫌な思い出でもあるのか?」

 控え目に直人は聞いた。

「まあ、あそこにいた時は結構辛い事あったから」

「そうなのか」

 直人は少し不安になった。訓練と言う言葉で連想できるのは、熱血体育会系の辛いシゴキだ。直人はそう言う方針がどちらかと言うと嫌いな方だっだ。

「うん、小さい頃の話だからね。それしか無いって言われると子供だって色々、嫌になっちゃうよ」

 ゆかりは遠い目をしながら語った。

 どうやら直人の思った事とは違うようだ。

「小さい頃って? いつの話だ」

「六歳かな」

「六歳!?」

 直人は驚きの声を上げた。

「うん、話したよね。私の両親は闇風だったって」

「ああ」

「私が六歳の時に、鬼に殺されたの父様も母様も」

「俺と同じ…」

「うん。私はその頃、母様かあさまの実家でお祖父じいちゃんと暮らしていたの。家が神社だったんだ。退魔の家系なの私の血筋は」

「そんな家が本当にあるのか?」

 今更な事を直人は言った。

「それで両親とは、いつも任務で離れて暮らしていたの。そして私はその頃くらいから、退魔力の片鱗が現れ始めていて闇風に引き取られて教育されてきたの」

「十二年も前から深山は闇風だったのか」

「とは言っても訓練施設でみっちり六年間鍛えられただけだけどね」

 ゆかりはニッコリと笑った。

「じゃあ、実際に鬼と戦い出したのは?」

「ううん、鬼を相手にするようになったのは高校生になってから。それ以前は退魔…拝み屋みたいな事を中学生の頃から始めてたの」

「そんな頃から、任務に着いていたのか」

 直人は自分の中学時代を思い返して、改めてゆかりとは住んでいた世界が違う事を思い知らされた。

「こんな変わった子、そうはいないよ」

 ゆかりは元気に言った。

「何て言っていいのか…そ、そうだ。深山の両親てどんな人だったの」

 気まずくなった事に直人が話題を変えたが、これもゆかりの古傷をえぐる話題だと気づき後悔した。

「ん? 父様とうさまは強くてとっても優しかった。帰って来るといつも私を肩車してくれて楽しそうに笑ってた。母様かあさまはそれを見て、落ちないか心配そうにオロオロしてたかな…もちろん母様もすごく優しかったよ。あとねえ、母様は家にいる時は巫女さんだったよ。父様はよく裏山で心・技・体を昇華させるために「羅刹らせつ」って言う刀を持って剣術を磨いてた」

 ゆかりは懐かしそうに言った。

「深山ってお嬢様なのか。「父様とうさま」とか「母様かあさま」とか」

「ううん、違うよ。お祖父じいちゃんが「二人は命を掛けて人の世を守っているから尊敬しなさい」っていつも言ってたから、私がそう呼んでるだけ」

 さらりとゆかりは言った。

 直人はゆかりはちょっと変わっているのかなと思ったが、一般基準の教育を受けていないからかと納得した。

「それで、お祖父ちゃんは「お祖父じいちゃん」なのか?」

「うん、「お祖父様じいさま」って言ったらびっくりして引っ繰り返ったからやめたの」

 どうやら実家の方はまともらしい。

「で、そのお祖父ちゃんは元気なの?」

「うん、元気だと思う…」

 ゆかりは心なしか寂しそうに言った。

「どうしたんだ。会ってないのか?」

「うん。手紙や電話は時々してるけど、もう六年は会ってないかな」

「任務が忙しいって事か」

「まあね」

 そこで二人は冷めたコーヒーを飲んだ。

「ねえ、直人君にはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんいないの?」

 ゆかりは直人の両親の事を気遣い、祖父母の話題を振った。

「俺の祖父じいちゃんは五年前に亡くなったよ」

「ごめんね。変な事聞いて」

「いや、親父の実家とのつき合いは、俺が小学校上がった頃ぐらいからもう無かったからなぁ。葬式だって親父が一人で行ったし。あ、でもまだ祖母ばあちゃんは元気だと思うぞ。何か、折り合いの着かない事があったみたいなんだけど、聞いても教えてくれなかったからなぁ。父さんも母さんも…ほとんど絶縁状態だな」

 直人は首を傾げながら言った。

「どこなの田舎は」

「田舎って程じゃないけど…いや、田舎だな、あそこは。緋桜ひざくら市の裏御鈴うらみすずの方だよ」

「えっ、御鈴山みすずさんの方って事? それって学校の近くじゃない!」

「そうだな、近くって程じゃないが、浅黄あさぎ市の家よりは近いな」

「顔、出せばいいのに」

「十二年も付き合いが無いと顔なんて出し辛いぞ」

 面倒くさそうに直人は言った。

「でも、昔は行ってたんでしょう?」

 ゆかりは不思議そうに言った。

「そうだよな。昔は従姉弟や近所の子とかと遊んだんだよな。何で行かなくなったんだ?」

 ズキンッ

 その時、こめかみに釘でも打たれたような鋭い痛みが直人を襲った。

「どうしたの? 直人君。大丈夫…また熱でも出たかな」

 そんな直人の様子の変化を見て取ったゆかりが額に手を乗せてきた。

「だ、大丈夫…もう治まった。何なんだ今の痛みは、片頭痛か?」

 霊現象や磁場の歪む所では、こんな頭痛を感じた事はあったが、あれともまた質の違う痛みに直人は感じた。

「すまない深山、心配ばかり掛けて」

 申し訳なさそうに直人は言った。

「ううん、そんなこと気にしないで、私の好きでやってることなんだから…」

 ゆかりは恥ずかしそうにモジモジした。

「その…昨日も悪かった。一晩中ついていてくれたんだろ?」

「えっ!? 起きてたのー!」

 ゆかりは顔を赤らめ悲鳴を上げた。

「な、何かしたのか!」

「し、し、してないわよっ!!!」

「なら、そんなに驚かなくたって」

「そ、そうね」

「あはははははははっ。何、勘違いしてんだよ深山。エッチだなぁ」

 直人はあんまり、ゆかりの慌てぶりが可笑しかったので大笑いしてしまった。

「な、何よ! そんなに笑わなくたっていいじゃなの!」

 最期に「へへへ」とゆかりは照れ笑いした。

「やっぱり深山はそっちの方が俺の知ってる深山だよなあ」

 直人はゆかりとのやり取りで学校での間柄を思い出していた。

「へ? どう言う事かなぁ。直人君」

 ゆかりは笑いながら、反撃を企んだ顔で聞き返した。

「いや、それだよそれ。その顔とかお節介なところとかかな」

「えええっ、よくわかんないよお」

 ゆかりは目をクルクルと抗議の声を上げた。

「だからさ、学校での深山の方が俺は”いいな”って思ったんだよ」

「えっ?」

「学校での「深山」と闇風の「深山」って、どっちが本当の深山なんだろうってね」

 直人は半笑いで言った。

「…たぶん闇風の私は鬼を憎み魔を葬るただの冷たい戦闘マシン。直人君が言う学校での私は本来ならこう在りたかったと思っている、もう一人の私…かな」

 ゆかりは寂しそうにうつむいた。

「なれば…なれば良いじゃんか。自分の望む姿に…なれば」

 直人は照れくさそうに横を向いた。と同時に俺はどんな自分になればいいんだと心に影が落ちた。

「優しいね。でも、私は本当に直人君が心配なの…無理をすると心と体がバラバラになっちゃうよ」

 ゆかりは真剣に直人の目を見た。

「深山はどうして、俺なんかをそんなに気遣ってくれるんだ?」

 直人とゆかりの視線が交差する。

「まだ、そんな事言うの…」

 少しあきれた調子でゆかりが言った。

「…そうだよな。いくら鈍感な俺でもさすがに気がつくよな」

 直人は溜め息を吐いて言った。

「え!? 直人君?」

「深山の気持ちには気づいていたよ…さすがに、寝ずに手を握って看病されれば馬鹿でも気がつくさ」

「直人君…やっぱり起きてたんだ…」

 ゆかりは頬を赤らめ、うわ言のように直人の名を呟いた。

「ごめんな」

「直人君。私、あなたの事が…」

「深山、そこから先は男が言うべきだと俺は思ってる。だけど今の俺には資格がないと思う」

 ゆかりの言葉を遮り直人は言った。

「…直人君」

「今回の件が全部片づいて、少し落ち着いたら深山の事を真剣に考えたいと思ってる…深山の気持ちに応えられるかどうか解らないけど。正直言うと、まだ…そんな事考える余裕がないんだ」

 直人の脳裏に両親の無惨な死、そして暗い病室でただ眠り続ける博子の姿が甦ってくる。

「直人君」

「俺の両親の事や博子の事…隆司や闇風、鬼なんて化物の存在。はっきり言って俺の理解を超える出来事の連続で混乱しているんだ。俺自身も何がしたいのか解らず今まで生きてきた。でも、この世に産まれたからには、成さなきゃいけない事があるんだよな…きっと。自分が何者なのか…俺が俺として、この世に生を受けた意味が…」

「…存在意義」

「ああ。もしかしたら、それが「闇風」にあるのかも知れない…解らないけど。迷走してるんだよ俺はずっと…だから、深山の気持ちは嬉しいし、男として異性に好かれるのは自信に繋がる。でも今は君の気持ちには答えられない」

 直人はゆかりの視線を外して言った。

「そ、そうだよね…ごめんね」

 潤んだ瞳を堪えてゆかりは言った。

「でもいつか、何か確かな物を掴めるのかも知れない。上手く言えないけど…それまで、もう少し待ってくれるか深山」

「直人君…私、私、直人君を巻き込んじゃったんだよ」

 先程とは打って変わって、ゆかりは目頭を熱くさせながら顔を上げた。

「俺はもう普通の暮らしが出来ない。博子の側にもいられない…だが、きっちりと隆司には精算してもらう。その上で俺は、あいつの魂を「鬼精体きせいたい」から解き放ってみせる。そして、鬼精体きせいたいの親玉を必ず見つけだして滅殺めっさつしてやる。それが今の俺に課せられた義務だから…結果として何を得るかは解らない、何も得る物が無いのかも知れない。だけど、きっとこの困難を乗り越えた先に、何かがある筈なんだ…俺が「神崎直人」である、何かがきっと。それまで待てるか深山」

 直人は思い詰めた顔をして言った。

「…うん…待ってるよ。私」

「これからは俺達、ずっと一緒に行動するんだろ。深山はなりたい自分に、望む姿に変わればいいんだよ。俺も闇風やみかぜになれるよう頑張るからさ」

 これでいいんだ…俺にはもうそれしかない。もう前の生活には戻れない。そんなものは、どこにも存在しないんだ。道を示してくれた深山の気持ちに応えられるように進むんだ…それが俺の本心なのかは、まだ正直分からない。でも、現実を拒絶したところで何も始まらない。俺は生きているんだ…生き残ってしまった。だから前へ動き出す力もある。「闇風」になる。深山とともに…強く。過去の経歴の抹消、透明な存在。丁度いいじゃないか、今の俺にはおあつらい向きだ…だが、それで本当にいいのか? 辛く悲しい出来事を忘れて生きる…新しい生活。本当に俺はこれで…。

”妥協”、”逃避”、”忘却”、”軟弱”。そんな言葉が頭に浮かんでは消ていく。直人を取り巻く状況が消極的な考えを生む。

 違う! 乗り越えるんだ。そして俺は確かな物をこの手に掴むんだ! だが、辿り着いた先に何もなかったら? この世に確かな物なんて本当にあるのか? 何一つ保証なんてないんだ。だけど、俺は自分で在る証が欲しい。失ったものがあまりにも大きいから…だからこそ! だからこそ見つけるんだ。この先にある何かを…だが、本当に。直人の自問自答は繰り返し行われたが答えは出ない。しかし、「存在意義」を求める心もまた本心だと感じた。

「私…待ってるから…」

 期待に満ちたゆかりの声。だが、迷想めいそうを繰り返す直人には聞こえていない。

「俺は…」

 直人は無意識の内、テーブルに置かれているゆかりの手にそっと手を添えた。

「直人君!!!」

 感極まったゆかりが直人に勢い良く抱きついてきた。

「うおわ!? 深山! 危な…!?」

 そんなゆかりの行動が、直人を現実の世界へと引き戻した。そして二人は床に転がりながら、唇があわく触れ合った。

 こんなゆかりとの生活も悪くない…いや、むしろ心地いい。と、ゆかりに惹かれ始めている自分がいる事も、また事実であると認め始めていた。


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