決意 1
「馬鹿者っ!!!」
静かな署長室に怒声が響き渡った。
朝倉は、ただ黙るしかない。
「なぜ、私の指示に従わなかった。なぜ、平井が死ななくてはならない。昨日、一体何があった…朝倉!」
署長は朝倉を見た。
「御鈴警察での平井さんの検死結果は?」
「杉森邸で起こった不運な事故だ。熊か何かの肉食動物による被害で事件性は無いそうだが? 何が起こったんだ」
「…言ったところで信じてもらえないと思います。山奥とは言え、緋桜市内で熊による惨殺事件ですか」
力の無い笑いを浮かべて朝倉は言った。
「熊による災害は、以前から緋桜市内とは言え、御鈴山周辺で何度か起きている」
「起こりうる事…ですか」
「そうだ。私は、また部下を失ったのか…」
署長の悲痛の叫びだった。
「”また”? 何か知っているんですか!」
自分の足下を見つめていた朝倉が顔を上げて叫んだ。
「もう、十二年も前の話だ…」
署長は窓の外を眺めながら静かに語った。
「…十二年前?」
「そうだ。私はまだ、ここの署長として就任したばかりだった。世間では、今と同じように通り魔事件がいたる所で多発していた」
「通り魔…まさか」
「その通りだ、今回の事件と同じように上からの圧力が掛かったのだよ」
「どこのどいつですか! 今回といい十二年前といい!」
「全くだ。「日本の警察はどうなっているんだ?」当時の私もそう思ったよ。だが、私は本庁からの出向の身だった為に組織の一員である。と、強引に自分を納得させた…解かるだろ。朝倉」
「どういう意味ですか?」
「私はキャリア組だったのだよ。出向期間が終われば本庁の中でいいポストが待っていた。だが今となってはどうでもいい事だかな」
署長は遠い目をして言った。
「話されている意図が解かりませんが」
朝倉が署長を見据えて言った。
「すまんな、少し話がそれてしまったよ。つまり、十二年前の圧力に異を唱えた者が二人いた。就任したばかりの私には二人を止められなかった。そして命令を無視して捜査を続行し、一人が奥田間山中で死んだ」
「…殉職ですか?」
「いや、事故死という扱いになったよ」
「なぜですか!」
朝倉の質問を無視して署長は続けた。
「当時、梅澤署の検視の結果は熊によるものと断定された。死んだ刑事は年も若く…そう、お前に似ていたのかも知れない。そしてもう一人はベテラン刑事だった。その一件以来、あのギラギラとした切れ味を失い、ただ日々起きる事件を追うだけになった」
「それは、まさか」
「彼はこの十二年の間、ずっと後悔をしていたのかも知れない。何故あの時、別々に行動したのか。何故、あいつは死ななければ…ならなかったのか。そして今回の事件への圧力。十二年前の平井が目を覚ました」
「そんな事があったなんて」
朝倉は平井の最期の思い出し体が震えた。
「朝倉哲也。これ以上、この件には関わるな」
署長は鋭く睨んだ。
「平井さんが死んだんですよ…いや、殺されたんですよ!」
脳裏に直人の言葉が甦り朝倉は噛みついた。
「だからこそ! だからこそ言っているのだ。私はもう部下を失いたくない。私にとって、平井さんは良き先輩であり、良き友でもあった。朝倉、お前は処遇が決まるまで自宅謹慎を命ずる」
「くっ、署長! 仲間が死んだんですよ!」
朝倉の不満が言葉となって吐き出された。
「朝倉っ!」
署長が激しく制す。
「くそ! どうせノンキャリアの俺は、左遷か懲戒免職になるんでしょう!」
ダンっと手錠と警察手帳を署長のデスクに叩きつけた。
「まだ、処分が決まった訳ではない。これはお前が持っていろ」
「何故です! 正しい事が出来ないのであれば、こんな手帳は俺には不要です!」
「馬鹿者! 今言った通りお前の処分は未定だが、それまでお前は警察官である事を忘れるなっ」
「くっ」
朝倉は署長を睨み返した。
「解かったらそれを早くしまえ。私の机には、お前の手帳が入るほどの余裕は無い。警察官である誇りを忘れるな。だが、その誇りや意地だけで命を落とすような事はするな!」
「それは署長命令ですか」
「いや、命令ではない…私の願いだ」
「失礼します」
朝倉はそれらを手にすると署長に一別をくれて出口へと向かった。
「闇風」
署長のその言葉で足を止め振り返った。
「…やみ、かぜ?」
「昔、捜査一課にいた頃、一度だけ聞いた事がある。それが組織なのか、特殊部隊なのか…また何かの暗号なのかは解からない。私の知っている事はこれだけだ。おそらく何か関係があるだろう」
「根拠は」
「勘だよ。私の経験と知識から導き出される」
署長は自分のこめかみを人差指で小突きながら言った。
朝倉はニヤリと返すと扉に手を掛けた。
「朝倉。平井さんの通夜は明日だそうだ」
朝倉の背中越しに署長が言った。
「そうですか…俺は、この件が片づくまでは平井さんの墓前には立てません」
「頑なになるな」
「俺は刑事です」
「道を外すなよ…朝倉」
「失礼します」
朝倉は署長に敬礼すると扉に手を掛け、その場から去った。退出の際、署長の言葉が朝倉の胸に深く突き刺さった。
「平井さん、朝倉にあなたの無念を背負わせた私も同罪ですね…」
署長は朝倉の出て行った扉を眺めながら、平井に話しかける様にそっと呟いた。
暗い部屋の中、ゆかりは直人の傍らで様子を伺っていた。
直人は初めて服用したドーピング薬の反動で高熱を発し、昨夜から眠り続けていた。
「やっぱり、肉体的負担が大きかったのね」
ゆかりは、温くなったタオルを水に浸してから絞ると再び直人の額に乗せた。
直人の顔が僅かにほころぶ。
「当然か。私達はゆっくりと時間を掛けて、訓練と平行しながら自分に合った調合を受けて、体を慣らしてきたものね。ごめんね直人君」
ゆかりはそう言うと、闇風へ定時連絡する為に直人の寝ているベットから離れた。
「また様子を見に来るね」
優しく言うとゆかりは部屋から出て行った。
黒い世界。
直人は夢を見ていた。
漆黒の世界に浮かび、どこまでが自分の体なのかも解からない空間で、何度も何度も繰り返し直人は闇に飲み込まれていた。
気がつくと夜の森の中を浮遊している。
蒼い光。
自分が自分でない感覚。
「魄を…」
口から知らず言葉が漏れた。
「我が宿り木となる肉の器……」
意識が夜の森を駆け抜ける。
何かが見えた。
「あれだ」
肉の残骸に囲まれた子供が倒れている。
更に意識が加速していく。
「我が依代」
少年の顔を覗き込んだ。
「見つけた…」
それは囁いた。
!? 俺っ!
「はっ!?」
直人はそこで目覚めた。有明電球の薄暗い天井、すぐ横にはゆかりが椅子に座りながら眠っている。
「今の…夢は何だ…」
直人は再び天井を眺めながら呟いた。
体中が熱く、そして軋む。再び来る眠気、直人は体を動かそうと左手を微かに動かした。と、同時にゆかりの体が僅か揺れた。そこで、ゆかりが直人の手を握っている事に気がついた。
「深山…迷惑を掛けてすまない」
直人は静かに言うと再び深い眠りへと落ちていった。




