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鬼刻の夜明け―卒業式。鬼になった彼女を、守れなかった俺は  作者: MASAO
三章

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幻夢 5

「キャリアーの生き残りの意識に潜るなんて初めてだわ」

 博子の心の中に侵入したゆかりは、体を意志の力で形成し存在していた。

 真っ暗な…いや、黒い空間の中を泳ぐように下へ下へとゆかりは潜って行く。

「それにしても、こんなに何も無い人って初めて…直人君には悪いけど竹下さんの精神はもうほとんど残ってないかも」

 その時、ゆかりの目に微かに光る何かが最下層に見て取れた。

「あれかな? ずいぶん深い所だけど、行って見なきゃ解らないよね…よし!」

 自分の頬を両手で叩くと気合いを入れた。虚無の空間をゆかりは更に深く潜って行く。

 最下層らしき場所に到着したゆかりは光の正体が分かった。

 片手に乗る位の水晶球のような物が、幾つも淡く光りながらその辺に転がっていた。その内の一つをゆかりは手に取った。

 突然、虚無の世界が消え失せると夕焼けの知らない公園にゆかりは立っていた。

「ここは?」

 ゆかりは辺りを見回した。

「パパっ。もっと強く押してよー」

 ブランコに乗った小さな女の子が後ろにいるスーツを着た男性に要求した。

「何言ってるんだ博子、これ以上押したら怪我をしちゃうぞ」

 父親は言葉とは裏腹に笑いながら言った。

「大丈夫だよ」

「ダーメ、博子が怪我したらパパは泣いちゃうぞ、ママも泣いちゃうぞ。博子は宝物なんだから」

「う~ん」

 女の子、小さな博子は悩んでいる。

 ゆかりはその微笑ましい光景を少し離れた所から眺めていた。

「これは竹下さんの思い出の記憶」

 ゆかりは呟いた。

「さあ、もうお家に帰ろう。ママもおいしいご飯を作って待ってるからな」

 父親がブランコを押す手をゆるめ言った。

「えええっ、もうお終いなの!」

 こまっしゃくれた顔をして小さい博子は父親を見た。

「そう、お終い。今日は博子の大好きなカレーだぞ。早く帰らないとママが心配するぞ」

「本当! うん、帰る」

 元気よく頷くと博子はブランコから飛び降りた。が、つまずき転んでしまった。

「あ、あああーん…痛いよ、痛いよお」

 膝をすりむき足を抱えて博子は泣いた。

「ほら、言わんこっちゃ無い。無理するとこうなるんだよ。お家に帰ってママに絆創膏ばんそうこうを張ってもらおう」

 そう言うと父親が泣いている博子を抱き上げ、そのまま公園から出て行った。

「父親の記憶か…これは私の欲しい情報とは関係なかったわ」

 ゆかりは自分の父親を思い出しそうになったが、かぶりを振って意識を集中させた。そして、手にしていた水晶球を手放すと世界は再び黒い虚無の空間に戻った。

「どれだろう?」

 ゆかりは呟き、また別の水晶球を手にした。

 世界が再び変化する。

「夜の雪…ここは、さっきの」

 ゆかりの前に出現した世界は先程のブランコの前だった。時間は夜、雪がしんしんと降っている。

 ブランコに博子は座っているがさっきとは時代が違う。博子は少し成長していた、小学校の低学年のようだ。

「…パパ…どうして死んじゃったの…どうして博子を置いてっちゃうの…パパ、パパ…会いたいようパパ」

 小学生の博子は雪の降る中、一人泣いていた。

 そこへ喪服の母親が博子を迎えに来た。

「これも違う」

 そう言うとゆかりは水晶球から手を離した。

 それから幾つかの水晶球に手を触れ、ゆかりは博子の過去を垣間見た。

 博子は父親の死をきっかけに、あまり笑わない内気な少女へと変わっていったようだ。

「これはどうかな?」

 明らかに今までの水晶球とは違い、二回りも大きい物にゆかりは触れた。

 空間が変化する。

 部屋。

「どうしたんだよ? 何か変だぞ」

 ゆかりの背後から声がした。

「直人君!?」

 ゆかりが振り向くと、戸を開け直人が入ってきた。しかし、ゆかりの知る直人よりも若干子供っぽい印象を受ける。

「そ、そんな事無いよ」

 博子は直人のベットの上に、借りてきた猫のように落ち着かない様子で腰を下ろしていた。

「ここは直人君の部屋…」

 そんな光景を見てゆかりは呟く。

「そうか? でも、何かソワソワしてるぞ…トイレなら下にあるよ」

「ち、違うよ! 男の子の部屋に来るのって初めてなんだもん、何か緊張しちゃって」

 博子は顔を赤く染めながらモゴモゴと呟いた。

「そんなもんかぁ」

 直人は何となしに納得した様子で手にしていた缶ジュースを博子に差し出した。

「ありがとう」

 そう言うと博子は差し出されたジュースに手を伸ばす。その際、直人の指に博子の指先が軽く触れた。

 博子は「あっ」という小さな悲鳴を上げ再び頬を赤く染めるとうつむいてしまった。

 端で見ているとそんな博子の仕草が初々しい。しかし、二人を眺めるゆかりの表情は複雑だ。

 その時、ゆかりの世界が一変して夜の公園に場面を移した。

 外灯に照らされたベンチに座し、二人はキスをしていた。やがて二人は終えると黙って下を見つめたまま沈黙する。

 恐らくこれは博子のファーストキスの記憶。また、直人にとっても初めての経験である事は見て取れた。

「大好きだよ…直人」

 しばらくの沈黙の後、口を開いたのは博子だった。

「ああ」

 そんな博子の言葉に反射的に応えるが直人はまだ夢心地のようだ。

「大好きだよ。私だけを見て、私を一人にしないでね」

 博子は、はにかんだ笑顔で直人を真っ直ぐ見つめて言った。

 その言葉には博子の独占欲の強さが伺える。

 早くに父親を亡くしたせいだろうか。

「ああ、俺も好きだ博子」

 直人は優しく答えるとそっと博子の手を握った。そしてその後、映し出された場面場面で博子はよく笑う女の子になっていた。

「こんなの見たくなかったよ…」

 ゆかりは瞳に涙を溜めながら言った。

 水晶球から手を離したゆかりの頭の中には、直人と博子のキスシーンが繰り返し再生される。

 ゆかりはその水晶球から目を離しうつむいた時、足下にわずかに欠けている小さな水晶球を発見した。

「これかも…かな」

 ゆかりはそれに手を伸ばし拾おうとしたが一瞬、躊躇ちゅうちょして手を引っ込めた。

「…もうあんなのは見たくないけど、見なきゃ解らない…か、仕方がないこれで最後にしよう」

 意を決したゆかりが、その欠けた小さな水晶球を拾い上げた。

 瞬間にして世界が変わる。

 学校のようだ、ゆかりの知る空間。

 杉森隆司と博子が話しているが音がない。

「校舎の裏…何これ? 映像だけで声がない、破損していたから記憶のデーターが壊れているって事かな?」

 ゆかりは腕を組みながら言った。

 場面は隆司がニヤニヤしながら博子に何か言っているが内容は分からない。

 突然、博子が動揺した顔をして何か言い争いを始めた。

「何があったの?」

 食い入るようにゆかりは見た。

 隆司はヘラヘラと一言二言言うと、博子は泣きながらその場を逃げ出すように走り出した。

「何!? 今の…鬼気。まさか」

 ゆかりはその映像から瞬間的にネットリとまとわりつく異質な気配を感じ取った。

 隆司は博子の去った方向を眺めながらニヤリと気味の悪い笑みを浮かべた。

「…イヤラシイ笑い」

 吐き捨てるように言った。

 そこで映像にノイズが入り突然終わった。

 ゆかり手の上でその欠けた水晶球が砕け散る。

「そう、彼も「キャリアー」なのね」

 冷たい眼差しで、ゆかりは黒い空間に静かに言い放った。

「でも、確定じゃないか、まだ」

 新たな情報を探そうと足下に目をやるが、求める情報が入っているらしき小さな水晶球は無く、砕けた破片だけが足下に転がっていた。

 それでも何かの役に立つかとゆかりは拾おうとした瞬間、急激な目眩に襲われた。

「もう、限界か…確かの長居をしすぎたわね。得る物もあったし、直人君の所に戻ろっと」

 ゆかりは言うと博子の黒い空間からまるで水面を求めるイルカのように一気に上へと泳ぎ始めた。



 ピクリとゆかりの右手の小指が動くのを直人は見た。

「深山?」

 直人はそっとゆかりに声をかけた。

「…ん…直人君お待たせ」

 ゆかりは眠りから覚めたように言う。

「どうだった?」

「んー。まあ、ボチボチかな」

 その時、ゆかりがバランスを崩して床にペタンと座り込んでしまった。

「お、おい…大丈夫かよ」

 直人はゆかりの顔を見た。

「顔色良くないぞ、そんなに疲れる事したのか?」

 ゆかりの顔は薄暗い部屋の中でも分かる程、血の気が失せていた。

「うん、大丈夫。少し長く潜りすぎたみたい」

「ほんの三分位だったけど、あれで長い方なんだ…それよりも本当に大丈夫か?」

「うん、平気。精神感応している間は、外の時間の流れと違うんだ…私の感覚だと三十分位、彼女の中にいたかな」

 直人の言葉にゆかりはいつもの様に応えた。

「そんなに違うのか」

 直人は小さく驚いた。

「それよりも、何も変わった事なかった?」

 ゆかりは小声で言った。

「今さっき、背の高い眼鏡をかけたインテリ風の男が出て行った」

「お医者さん?」

「違うと思うな、黒いロングコート着てたから…それになんか変だったぞ、部屋に入るなり見回してすぐ出て行ったからな」

「そう、まあいいわ。私の用事も済んだから…さ、新居へ行こう」

 二人は静かに集中治療室を後にした。

 室内には再び心拍数を告げる規則正しい電子音だけが残った。

 来た時の要領で正面玄関の前まで直人とゆかりは気配を消して来た。

 ちょうどいい事に自動ドアが開いて、外から電話を終えたばかりの朝倉が黒のロングコートのポケットにスマートフォンをしまいながら入って来た。

「あの人?」

 ゆかりが小声で聞いた。

「ああ」

 直人も、そっとそれに応えた。

「ちょうどいいから外に出よう」

 二人は足早に外へと向かった。その際、ゆかりの脇を朝倉が通り過ぎた。

すれ違い様に、ほのかな風が浅倉の頬を撫でた。

「ん? この匂いどこかで…」

 朝倉は呟くと今し方、電話をしていた外の方を振り返るが誰もいない。

「気のせいか?」

 そう言うと朝倉は集中治療室のある二階へ急いで戻った。

 朝倉が部屋の前まで来ると突然、扉がスライドしてやつれた博子の母が顔を出した。

「あっ、こんにちは、浅黄あさぎ署の朝倉です…どうしました?」

 博子の母が変な顔をするので朝倉は尋ねた。

「いえ、なんか寝ぼけてたみたいで、室内で誰かの話し声が聞こえて…それで目を覚まして、誰か来ていたのかなと思い…」

 朝倉は博子の母が先程まで仮眠をとっていたのを知っていた。

「それでしたら、私じゃないですか」

「えっ、刑事さんですか…」

「ええ、私さっき様子を見に部屋へ入りましたから」

「そうですか。でも、お一人ですよね?」

「ええ」

 そう答えた時、先程感じた甘い香りが室内から朝倉の鼻をくすぐった。

「ん…この匂い」

「ええ、シャンプーの良い匂いがするんですよ、誰か博子のお友達の女の子でも来ていたのかと…」

 博子の母が不思議そうに言った。

「女の子…シャンプー」

 確かに、女性とすれ違ったりしたらヘアーシャンプーの残り香が鼻孔をくすぐる事がある。朝倉は黙り考え込んだ。

「あの刑事さん、今日こちらに来たのは?」

 模索中の朝倉に博子の母は声をかけた。

 朝倉はその際、博子の母の脇から室内を覗く事が出来た。

「…バックが無い」

 先程ベットの脇にあったはずの大型のスポーツバックが無くなっている。

「はい?」

 博子の母は怪訝そうに朝倉の顔を見た。

「あの、ベットの脇に置いてあったバックは? スポーツタイプの」

「いえ、この部屋にそんな物は…」

「すみません、失礼します」

 何かに気づいた朝倉がナースーステーションに飛び込んだ。

「すみません。竹下博子のいる部屋にカメラとか設置してますか?」

「…あ、はい。何せ集中治療室ですから何かあったら困るんで、ここからでも状態は常にモニターで観られますけど…」

 あった! 朝倉は心の中で叫んでいた。

「すまないが、今すぐ五分程前の映像が観たいんだが…できるかな?」

 朝倉は若い看護婦に警察手帳を見せながら言った。

「常時録画ですから止めるのはちょっと…婦長に聞いてみます」

 そう言うと看護婦は席を立ち婦長を探しに行ってしまった。

「くそっ」

 朝倉が毒づいた。

 しばらくすると先程の看護婦が戻ってきて「良いそうです」と言って、ノートPCを操作して録画を停止すると五分程前から再生を開始した。

「な!?」

 映し出された画面に朝倉は言葉を無くした。

 部屋の中に二人の男女、神崎直人と深山ゆかりが仲良く手を握っているのがはっきりと映し出されていた。更に驚く事にそこへ朝倉自身も登場したにも関わらず、二人の存在にまるで気づかずに部屋を見回してから出て行ってしまったのだ。

「馬鹿な…こんな事があるわけ…確かに誰もいなっかたんだぞ!」

 朝倉の声は微かに震えていた。

「だめですよ、集中治療室に入ったら」

 若い看護婦は朝倉が許可を取って入ったことを知らないようだ。

「誰もこの二人には気づかなかったんですか!」

 看護婦の注意を無視して浅倉は質問で返した。

「…すみません。常にモニターはされているんですけど、張りついて監視している訳ではないんで…でも、この子達って?」

 固まる朝倉の前で動画の中の二人がスポーツバックを手に部屋を出て行った。画面下には記録用ツールの為か、リアルタイムの時間が表示されていた。時刻は九時五十九分を示している。

 朝倉は急いで自分の腕時計に目をやるとすでに七分は経過していた。

「いかん!」

 言うが早いか朝倉は院内を走り出していた。遙か後方から「院内は走っちゃだめですよー」という先程の若い看護婦の声が響いてくる。

 朝倉は全力で走った。

 姿が見えないだと馬鹿な! しかし、動画は現実を映し出していた…そうだ、部屋にあったはずのスポーツバックも無くなっていた。それじゃあ、さっき平井さんと電話が終わった後、正面玄関ですれ違うように香ったシャンプーの甘い匂いは…俺は二度も奴らの前にいた事になる、のか…信じられない。いや、信じたくもない! 確かにこの事件には変な違和感があると感じていたがここまで来ると、もはやオカルトの世界だ。この事件は常識では理解できない事の連続だ。朝倉哲也という人間の常識では「そんな事あるわけ無い。何かの間違いだ!」と叫んでいる。が、刑事としての朝倉の直感が「奴らを追え、常識では理解できない事だからこそ、この事件に深く関わっている。走れっ」と警鐘を鳴らしながら命令する。加速する朝倉は息を切らしながら工業用道路まで走り出た。

 周囲を注意深く見回す。

「…いない…どこだっ」

 更に注意して辺りを探る。

 学生服を着た男と髪を上げている私服の女。

「いた!」

 直人とゆかりは反対車線の歩道を小走りにバス停へと向かっていた。

 朝倉は道路を一気に横断しようとした。

 プププーッ

 道路に身を投げ出そうとした朝倉に12トントラックが激しくクラクションを鳴らす。

「うっ!?」

 とっさに朝倉はガードレールの中に体を引き戻した。

「死にてーのかっ。ボケ!!!」

 過ぎ去るトラック運転手の罵声が朝倉を叩く。交通量の激しい工業用道路の為、朝倉は渡る事を断念せざる終えない。

「くそっ」

 吐き捨てる朝倉は左右を見た。

 左の遙か遠くに横断歩道、そして右の遙か遠くに歩道橋。

「…く」

 再び朝倉が二人に目をやると、そこへ丁度バスが到着した。

 バスに乗り込む二人。

「神崎直人おおおっ」

 朝倉はガードレールを掴み、身を乗り出し叫んだ。しかし、その声は車の走行音でかき消される。車両に乗り込んだ直人の耳には届く筈もない。無情にもバスは発車した。

「待てえええ、神崎いいいっ!!!」

 朝倉は反対車線のバスを追い歩道橋の近くまで全力疾走したが、バスの姿はすでに消えていた。

 ヨレヨレになった朝倉は歩道橋を渡りバスの走り去った車線に辿り着いた。が、いつまで経ってもタクシーが走って来る気配がない。

「…ちきしょおおおおおお!!!!!!」

 バスの走り去った方向を睨みつけながら朝倉は獣のようにえた。


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