幻夢 3
朝倉は階段前にある長椅子に腰を落とし、自動販売機で買った缶コーヒーを飲んでいた。
「やけ酒か。朝倉」
階段をゆっくり降りてきた平井がからかう。
朝倉は平井が署長室から出てくるのを一つ下の階で待っていた。
「ふざけないでくださいよ!」
むくれながら朝倉は言った。
「こう言う性分なんだ、すまんな」
平井は顎をさすりながら言った。
「まさか、平井さん。あんな横暴な命令を「はい、そうですか」なんて事は無いですよね」
「だったらどうするよ?」
「見損ないますね」
平井の問いに、はっきりと朝倉が答えた。
「ははははははっ。そんな訳無いだろうが」
それに平井は笑って答えた。
「それじゃ」
「ああ、続行だ。署長の鼻っぱしを折ってやるか」
「はいっ!」
朝倉は缶コーヒーを手に立ち上がり、二人は地下駐車場へと階段を降りていく。明らかな命令違反である。そしていつもの白いセダンに乗り込むと二人は署を後にした。
「まずは…」
「緋桜市、帝都線沿いの高田町ですね」
朝倉は平井の言葉を先に言った。
「あ、ああ…なんか楽しそうだな朝倉」
ニヤつきながら平井は浅倉を見た。
「なんか学校サボってる時のような感じですね」
「そんなもん忘れたよ」
二人を乗せた車は一路、緋桜市高田町を目指し渋滞の始まった国道をゆっくりと進んで行く。
「しかし、「事件の裏には女の影」とは良く言ったもんだなあ」
平井が煙草に火を付けながらぼやいた。
「サスペンスドラマの刑事見たいな事言わないでくださいよ。それに、この件はちょっと違うと思うんですが」
「まあとにかく、その何とかって言う嬢ちゃんに会ってからだな」
「深山ゆかりです」
「そう、それ…家の孫娘と同じ名前だな」
「へえ、お幾つなんですか?」
「確か小学生だったと思うぞ」
最近会っていないのか、うる覚えの平井に気を使い朝倉が話題を戻した。
「しかし、警察にあれだけの圧力を掛けられるって一体何なんでしょう?」
「さあな」
「署長は国からの圧力のような事を言ってましたよね。何かを知っているんですかね」
「どうだかな、真相は知らんだろうよ。だが、これだけ強いな圧力だ、たぶん警視総監のサイン入りの命令書とかでも来たんだろ…もしくは他のお偉いさんから直々に電話で”超法規的措置”とか、な」
「まさか! しかし分かりませんね。今回の事件は高度な政治的事件ではないですし、ましてや財界が絡んでいるようにも見受けられないのに、これだけの妨害をするなんて」
「一見少年犯罪に見えるこの事件だが、何か知られたくないような事が絡んでいるのかもしれんな」
平井は煙草を灰皿に押し込んだ。
「知られたくない「何か」ですか?」
「ああ、そうだ。俺達の本当の敵は余りにも巨大過ぎるかも知れんぞ、朝倉」
「…ええ」
車は国道から外れ、緋桜市の帝都線高田駅の前を過ぎた。
朝の九時を少し過ぎた頃、目的の場所についた。五階建ての賃貸マンションだ。
「ここの何階だ?」
平井は車のドアを閉めた。
「五〇八号室です」
「一番上の一番奥かあ」
朝倉と平井はマンションを見上げた。
二人は階段を上り五〇八号室の前で止まった。
ピンポーン
呼び鈴を鳴らす。
しかし、反応が無いのでもう一度呼び鈴を鳴らす。中からの反応はやはり無い。
「留守ですね」
「ああ、そのようだ」
平井は言うとドアノブを廻した。やはり鍵がかかっている。
「どうしましょうか? 学校にでも行って深山ゆかりの情報を集めますか」
朝倉が提案した。
「いや、この物件を管理している不動産はどこだろうな」
「不動産ですか、下の入り口にでも連絡先があるんじゃないですかね?」
「そうか」
平井は言うと上ってきた階段を下り出した。
「平井さん、まさか令状も無く家宅捜査するんじゃないでしょうね」
慌てて朝倉は平井を追った。
「令状なんて後から付いて来るもんだ」
「平井さんこれは明らかな違法捜査ですよ!」
「何を今更言ってんだ朝倉、この件を捜査する事自体が既に命令違反なんだぞ」
朝倉は黙ってしまった。
「普通の捜査の仕方ではこの事件は追えない。それに、一般の人間が刑事に協力を求められたらそんな令状だ、何だ思いつくものかよ。大丈夫だ」
平井は自信満万に言った。
「確かにそうですが…通常手続き無しでの捜査はやっぱり」
朝倉が渋る。
「朝倉、そろそろ腹をくくれよ。さっきも言ったが、このヤマはバックがデカい。事件の翌日に捜査を打ち切らせる程にな…敵が俺達を知ればあっという間に潰しちまうだろうさ。だからこっちも強引にでも捜査しなきゃ、真相になんて辿りつけやしない。やるんだよ朝倉」
「…そうですね、分かりました」
平井に説得され朝倉は頷いた。
二人はマンションの入り口にあった管理不動産会社に電話をした。
平井の言う通り不動産側は不信がる様子も無く協力的な対応だった。
事故物件など業界では、それほど珍しくないのだろう。
「鍵を持ってきてくれるそうです」
通話を切った朝倉が言った。
「そうか、どれぐらいで来るんだ?」
「十分程だそうです」
「それまでお茶でもするか」
平井は言うと近くの自動販売機に歩き出した。朝倉もその後を追う。
しばらく車中で一服していると「ハウス・カンパニー」と書かれた営業車が二人の乗るセダンの前に止まった。
「どうもお忙しい所、御協力感謝します」
車を降りた平井が警察手帳を出して不動産の若い社員を迎えた。
「…いえ、五〇八号室ですね」
社員は言いながら平井に部屋の鍵を渡した。
「では用が済んだら鍵を返しにそちらにお伺いしますので、ありがとうございました」
朝倉がにこやかに礼を言った。
「あのう、何かの事件ですか?」
まだ若い社員は興味本位から尋ねた。
「ある事件の捜査をしてまして、どうしてもこの部屋は見ておきたいと思いましてね。もし、何でしたら立ち合いますか?」
平井が割って入った。
「い、いえ大丈夫です…すみません余計な事を聞いて…捜査がんばってください」
腐乱死体など見つけたら目も当てられない、と言ったように引きつった顔をして、若い社員は営業車で社へ戻っていった。
「まあ、あんなもんだ朝倉。一般の人間の刑事の見方なんて」
「確かに…」
二人はもう一度呼び鈴を鳴らし、反応が無い事を確認してから手にした鍵を使い部屋へと足を踏み入れた。
二人に与えた印象は「殺風景」な部屋だった。
「それにしてもさびしい部屋だな」
平井が靴を脱ぎながら言った。
「ええ、年頃の女の子の部屋にしてはすっきりしていますね」
メガネを押さえるようにして朝倉が言った。
二人がまず目を奪われたのは奥の部屋の壁に張られた地図だった。
「緋桜市と日比野市、それと浅黄市の地図? 何ですかね、この赤い印は…平井さん」
浅倉が平井に声を掛けたが側にはいなかった。
「平井さん?」
平井は奥の部屋を見ていた。
「アイドルのポスターなら分かるが、しかし、これは何だ…ん!?」
浅倉は浅黄市の地図に目を止めた。
「この印の場所は」
メガネを掛けなおし浅倉は地図に赤く記された個所に見覚えがある事に気がついた。
「こ、これは…そうだっ。間違いない! それじゃ、こっちも」
一人浅倉は呟き日比野市と浅黄市の地図にも目を走らせる。
「平井さんっ。深山ゆかりは明らかに怪しいですよ! 平井さん」
朝倉の声に合わせるように平井が戻ってきた。
「この印の個所は、通り魔事件やこっちは暴漢現場、これはレイプ殺人に放火現場、そして猟奇殺人の現場。ここ最近の間に起きた事件現場ですよ!」
声を荒げて朝倉は言った。
「ああ、遅かったな」
平井は頭をさすりながら言った。
「遅かった…何がですか?」
「ここは、もぬけの殻だ」
「そんな何かの間違いじゃ…」
朝倉は落胆した。
「衣類関係がまるっきりない、逃げられた。家具なんかは、まだあるから大丈夫かと思っていたが」
平井も残念そうに呟いた。
「足取りが追えなくなりましたね」
浅倉が何気なく台所へ足を運びある事に気がついた。
「平井さん! この流し台使ってまだ時間が経っていませんよ」
「何だって!?」
シンクの中には、まだ水しぶきがたくさん残っていた。
「それにこの食器布巾、まだ濡れています」
まだ少し暖かく湿った布巾を触りながら朝倉が言った。
「神崎直人が行きそうな所…両親の葬儀はまだ日取りも決まってない。とすると”女”か…これは賭けだな」
平井が言う。
「俺の直感が告げています…可能性はありますよ。竹下博子の所へ急ぎましょう」
二人はすぐさま部屋を後にした。




