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鬼刻の夜明け―卒業式。鬼になった彼女を、守れなかった俺は  作者: MASAO
三章

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幻夢 2

 ピピピピピピイッ

 殺風景な部屋の真中に冬季シュラフが一つ。

 モゾモゾと動く。

「…朝か…」

 直人はけたたましく鳴るそれに手をやると目覚ましを切った。

 時計の針は朝の七時半を差している。

「はあ、もうこんな時間か…起きるか」

 直人は体をゆっくりと起こした。

「今日は引越しだよな、寝過ごした」

 目覚ましを七時にセットしていた事を思い出しながら直人は呟いた。

「ああ…夢を見たような気がするけど、何だったかなあ?」

 何か突拍子もない夢だったような気がする。と直人は感じたが次第にそれは消えていく。思い出せない夢などいちいち気にしない。

 寝ぼけまなこで直人はシュラフから出ると、ダイニングキッチンにあるトイレに向かい扉を開けた。

 見詰め合う二人。

 そこには、髪を下ろしたゆかりが黄色いパジャマ姿で便座に座り口をポカンと開けて驚いた顔をしていた。用を足していたようだ。直人はそんなゆかりの顔が愛らしいと思ったが、同時に何が起きたのか理解できず、そのまま視線を返し言葉が出ないでいた。ゆかりは滑らかな動きで九字の印を結び両手を前に突き出すと静かに深呼吸。

空裂波くうれつは!」

「ぐはあ!?」

 目の覚める一撃。

 ゆかりの気合の乗った声と同時に直人の腹部に衝撃が走り、流し台の近くまで吹き飛ばされた。

「ノックぐらいしなさいよっ。変態!!!」

 バンっと強い音を立ててトイレの扉は閉りガシャリと鍵を掛けた。

「す、すみません」

 ゆかりには、ひっくり返り呻く直人の謝罪の声は届かなかった。



 朝倉と平井の二人は署長室の前に立っていた。

「失礼します」

 朝倉が扉をノックすると平井が署長室に踏み込んだ。

「両名共おはよう」

 手を後ろに組み署長は窓の外を眺めながら言った。

 署長と呼ばれた男は平井よりも若干若い位である。

「君達に辞令を言い渡す。平井、朝倉の両名は浅黄あさぎ住宅街夫婦惨殺事件を引き続き担当捜査官として捜査するように。しかし、これは名目上であってこの事件に関する実際の捜査活動を禁止する。以上だ、持ち場に戻りたまえ。本署の抱えている事件はこれだけではないからな。放火犯や猟奇犯、通り魔そしてレイプ犯、幾らでも未解決の凶悪事件はある。そちらをしっかりと捜査してもらう」

 署長の口から出た余りにも理不尽な言葉に朝倉はしばらくの間固まっていた。

「そ、そんな馬鹿な事がっ」

「それはどこか…また、お偉いさんからの圧力なのかな? 署長」

 朝倉の言葉をさえぎり平井が口を開いた。

「知る必要は無い」

 ただ一言署長は答えた。

「圧力って何ですか? 天下の警察力がそんな訳の分からない力に屈するなどという事実があって良いんですかっ。何の為の国家権力ですか!」

 確かに政界や財界からの捜査に関する圧力という例もある、しかしこれは余りにも横暴で強引過ぎる、朝倉がえた。

「これが、もし仮にその国家からの圧力だとしたらどうする。朝倉」

 署長は鋭い視線を朝倉に走らせた。

「くっ、俺は刑事です。こんな納得できない話しは呑めませんし、途中で事件を放り出すような事もしません。俺は捜査を続行します。失礼します!」

 朝倉は署長に言い放つと勢い良く部屋を出ていった。

「平井さん、これには関わらないでください。あなたは解かっている筈です」

 署長が言った。

「十二年前と同じか…署長、以前の事があったから俺を担当官に入れたんだろうが…残念、食らいつくぜ。これは俺にとっちゃ弔い(とむらい)合戦みたいなもんだからな」

 平井の目がギラつく。

「そうだ! だからこそ手を引いてもらいたいんです…私はもう部下を失いたくない」

「あんたの気持ちも解かる。だが、これは千載一遇のチャンスだ。圧力の影に潜む闇をお天道様の下に引きずり出すな。今回は大人しく手は引かんよ」

「出来るかな? そんな事が」

 署長が鋭く平井を見据えた。

「やってみるさ。それがあいつへの手向けになるってもんだ。なあ署長」

 平井は手をヒラヒラと振りながら署長室を出ていった。

「その為には朝倉を巻き込むんですか、平井さん。あなたは素晴らしい刑事です。しかし、それ以前に”鬼”だったようですね…あなたと言う人は」

 平井の出ていった扉を眺めながら署長は呟いた。



 あれから、ゆかりは日課の朝シャンを済ませ、髪をお馴染みのポニーテールにして、ジーパンに白いフリースとラフな私服に着替えて食卓に着いた。

「寝ぼけてただあ?」

 ご飯の上に納豆をかけながら、あきれた風にゆかりの声が上がった。

「悪かったノックもしないで、それに見た夢の事も考えていてボーっとしてて、その…すまない」

 直人はひたすら謝罪した。が、どこと無く言い訳がましい。

「夢? どんなの」

「いや、ちょっと思い出せない。かすみがかっているって感じで、すまん」

 謝る必要のないところでも直人はつい謝ってしまった。

「本当は男の人の朝の生理現象にかまけて私の貞操を奪おうとしてたんじゃないの?」

 インスタントの味噌汁をすすり、ゆかりがからかう。

「そ、そんな訳無いだろう! あ、朝から」

「そうかしら直人君、昨日も私の裸をじっと見ていたし、今日なんか乙女の恥ずかしい姿をマジマジと見てたんだよ。それに…その何か…ズボン…股間がその、張ってたし…」

 恥ずかしそうではあるが疑わしい目を直人に向けるゆかり。

「こ、これは不可効力だ!」

 直人は自分の股間を一瞬見て否定した。

「はあぁ、もう私お嫁に行けないよお…責任とってよね。神崎直人君」

 頬を赤らめゆかりは言った。

「な、何をいきなり言ってんだ深山! そんな事で、け、結婚なんて出きるかよ!」

「そんなに思いっきり否定する事無いじゃん…もういい、分かったからその鮭ちょうだい」

 静かに鋭くゆかりが言った。

「鮭? 分かったやるよ、悪かったよ…鍵くらい掛けろよな」

 直人は自分のおかずが納豆だけになるのを見てボソッと呟いた。

 ゆかりは聞き逃がさなかった。

「あーら。普通、自分の家のトイレの鍵なんて掛けないわよお。まして私は今まで一人暮しだったから…」

 そこまで言いかけるとゆかりはハっとした。

「やっぱりお前が悪いんじゃ?」

 ゆっくりした動作で九字の印を結び始めたゆかりを見た直人は慌てて話題を変えた。

「そ、そう言えば深山、何で急に「直人君」になったんだ」

「え…いやかな?」

 不安そうにゆかりは首を傾げた。

「いや、別に俺はどっちでも良いんだけどな」

「そう、じゃあこのまま直人君決定!」

 ゆかりは、はしゃいだ。

 直人はほんのわずかな間、両親の死や博子、そして「鬼」の存在を忘れていた事に気が付いた。もしかしたら、ゆかりが気を紛らわす為に「バカ」を演じているのかも知れない。それとも「脳」が嫌な事を忘れようと働いているのだろうか。 直人はそんな事を考えながらゆかりとの朝食を続けた。

 二人は朝食を済ませると荷物のまとめに取りかかった。とは言え、直人には荷物と呼ばれる物は今着ている制服位しか無く、ゆかりもまた衣類関係と武具だけと言う少なさだ。

「なあ、荷物はそれだけなのか?」

 家具や高校の教材、食器などはそのままである事に疑問を感じた直人が尋ねた。

「まあね、必要な物はこれだけ。後は諜報機関の人間が処分をするわ」

 ゆかりはまとめた荷物に目をやると言った。

「諜報機関?」

「そう。私達が出た後…多分、今日中にはこの部屋の片付けが終わると思うよ」

「へえ、優遇されてんだな」

「かもね。引き払う手続きとか面倒な事全部やってくれる。その代わり私達は命を賭けて魔と戦う」

 寂しそうにゆかりは言った。

「何でそんな悲しそうな顔するんだ。誇りを持って戦ってんだろ?」

 ゆかりの表情が気になり直人は問うた。

「存在しないの」

「何がさ?」

「私達、闇風は存在しない事になってるの」

「それは昨日聞いた。極秘だって奴だろ」

「確かにそれはそう、でも違うの…戸籍やその人間の経歴、その人を証明する物、生きた証。そう言った一切の記録が抹消されるの…国の最重要機密の為に」

「…存在しない」

 直人は唾を飲み込んだ。

「そう…」

「そん事が出来るのか? 深山の言うような事になれば、学校とか部屋とか証明できない人間が行けたり借りたりなんて出来っこないぞ」

「その為の諜報機関よ。その時、その場に必要なプロフィールを創ってくれる。必要なデーターを必要な分だけ、学校だって諜報部からのアプローチで入学した。今頃、学校での私に関するデーターは無いわよきっと、あなたもね直人君」

 ゆかりはニッコリと笑いながら言った。

「そんな…死んだって事になるのか俺は?」

「ちょっと違うかな」

「え?」

「最初っから存在してないって事、この世に神崎直人という人間が生まれなかった。という事になるの」

「存在しない? って、そんなことが可能なのかよ…ははは、かなりダメージがでかいぞ」

「ショックだと思うけど我慢して…それに私も居るんだから、同じ境遇の私が」

「深山」

「私は直人君が一緒に居てくれるからうれしいよ。だって、もう一人じゃないもん。同じ境遇の人が近くに居てくれるだけで良い…悲しい事を忘れられるから」

 ゆかりは満面の笑みを浮かべながら言った。

 深山は今まで本当は寂しかったのかもしれない。非現実的な世界で一人、鬼と戦い傷付き疲れてずっと泣いていたのかもしれない。そう言えば、深山がさっき作っていた荷物の中に学校の制服があった。もしかしたらそんな物…いや、深山にとっては大切な物で宝物なのかもしれない、自分が確かに居たという証の。直人はゆかりの笑顔に惹かれながらも、そんな思いが心を走った。

「しんみりさせて悪かった」

「ううん、大丈夫だよ」

 直人の言葉にゆかりは答えた。

「で、次はどこに行くんだ。連絡は来たのか?」

「うん」

「どこ?」

横平よこひら市」

「…横平」

 直人は都心郊外の米軍基地がある街を思い出しながら復唱した。


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