幻夢(げんむ) 1
ヒュウ
時折、風が吹く。
ザワザワ
風に撫でられ森が騒ぐ。
空には、銀色の満月が優しく世界を照らす。
ザワザワ
再び森が騒ぐ。
銀光が届かない森の一角がある。
ゴウッ
突如、地鳴りのような音がしたと思うと木々が数本なぎ倒された。
「ぐっ!?」
黒衣の男は、自分の吹き飛ばされた形跡を目で確認しながら呻いた。
弓を手にした巫女が駆け寄り、息を呑む。
「大丈夫っ」
「くそっ、なんて馬鹿力だ!」
苦痛に歪んだ顔で何とか答えた。男は、手にした得物が刃こぼれしていないか確認した。月明かりを浴び鋭く光る刀身に刹那、魅入られる。
「気をつけろ。奴も必死だ、力の出し惜しみは無しだ。援護を頼む」
言うより速く男は駆け出した。
巫女は男の背中を見つめながら静かに頷くと、その場から走り去った。
森は一時の静寂を取り戻す。
男は静かにたたずみ意識を広げ獲物の気配を探る。
ザザア
風が森を駆け抜けた。
「捕らえた!」
男は獲物の気配を確認すると再び疾風のように駆け出した。
「奴も気づいたか」
ヒュッ
鈍い光が二つ、男から放たれた。
トスッと言う微かな音が遥か前方から聞こえた。男は手応えを感じながら更に加速して行く。
ダッと地面を蹴り、男の体が宙を舞う。振りかぶった刃に殺気がこもる。
「もらったあ!」
不自然な闇の中から突如、丸太が現れ男をなぎ払う。男も即座に反応しその丸太を踏み台にして更に高く闇の塊を飛び越え、天地を反転させながら着地した。そして静かな調子で男は刃を闇を纏った獣に向けた。
闇の中でギラギラと浮かび上がる赤い眼が一瞬、細く笑う。
ブンッ、空を裂く音。
再び飛んできた丸太を男は右に体を躱し、難なくやり過ごした。しかし、獣は素早い下段回し蹴りで足を払うが、男は更に速く後方へ跳び去る際に白銀の一閃を放った。
「グオオオオオオ!」
低い悲鳴が上がる。
男の放った一撃が獣の足を斬り裂いた。
自ら創り出す闇に獣は再び身を隠す。
「いるな」
獣との距離を測りながら、男は後方に語りかけた。
(ええ)
巫女の声が男の意識に流れ込む。
「闇を払え。破魔の短剣は打ち込んだ」
(分かったわ)
気配が消える。
巫女は男の遥か後方に、自ら作った結界の中で静かに座し空に印を切り詠唱を始めた。
ドウッ
前方で木が倒れた。
男が巫女の前を横切る、それに闇の塊も続く。
「まだかっ」
闇をまとった獣の攻撃を男は巧みに躱しながら叫ぶ。しかし巫女からの返答はない。その時、獣の口より放たれた火炎に虚を突かれた男は判断がわずかに鈍った。
「ぐお!?」
獣はその一瞬を見逃さなかった。闇の中から伸びた巨大な腕に男は背中から鷲掴みされた。
「ぐあああ」
強大な力で男の胴を締め上げる。次の瞬間、猛烈な遠心力が掛かり投げ飛ばされた。激しい音を立てながら男は巨木に叩きつけられる。
「き、きいたぜぇ…」
呼吸を必死に整えながら男は咳き込む。
得物を杖代わりに男はゆっくりと立ち上がると闇を纏いし獣を睨みつけた。
赤い眼がほくそ笑んでいる。
「光破っ」
その時、後方より巫女の気合の乗った鋭い声が闇の中の獣を突きぬけた。一瞬にして、闇が吹き飛び獣の姿が月に照らし出された。
異形の者。身丈は二メートルをゆうに越え肌は赤黒く変色し、筋肉は常人では有り得ないほど隆起している。爪と牙を持ち赤い眼をギラギラ輝かせ、その額には大きな角が二本。
鬼。
「グオオオオオオオオオ」
大地を震わすような鬼の雄叫びが上がる。
「すげえ鬼気だ、ビリビリ感じるぜ…ようやく姿を現したな」
男はゆらりと刀を構えた。
姿を現した異形の者に、巫女は息を飲んだ。
「はっ!」
男は気合と共に駆け出し、力の限り疾風の如く斬り込んだ。
ゴッという鈍い音により風は疾風で無くなった。
「なっ!?」
風神の如き一撃は、鬼の強靭な腕に食い込んで止まってしまった。「両断できない」そんな思いが男の脳裏をよぎる。
「ふっ!」
驚愕しながらもクナイを鬼の眼球に打ち込み後方へ飛び退いた。
「ギャアアアアアア」
片眼を潰された鬼が悲鳴を上げながら男に向かって襲い来る。
ヒュッ
そんな刹那、夜の闇を裂き月光に誘われたように矢が走り鬼の背中に深々と刺さった。だが鬼はかまわず男に迫り来る。
「呪束っ!!!」
巫女は、矢を放った残心をとりながら凛とした声で叫んだ。鬼はグウという低い呻きを上げながら身を強張らせてその場に片膝をついた。
「長くはもたないわ! 決めてっ」
巫女は破魔の矢を放つ際に、かなりの気を乗せたのか額は汗ばんでいる。
「おおっ!!!」
男は、もはや人の域を超えた雷光の如きスピードで駆け出し、全体重を乗せた雷神の一撃を鬼の首めがけて放った。巫女は軽い疲労感に包まれながらその光景を見つめ戦慄を覚えた。
鬼を殺す者もまた鬼。
金属が断ち切られる甲高い音。
「グガアアアアアア!!!」
切り落としたのは鬼の力の源と言われる一本の角だった。鬼は見えない力で縛られながらも男の一撃を躱し、その代償として角を一つ失った。その瞬間切り落とされた角は蒼く激しく輝きその場から消えた。だが、そんな出来事に男は気づく余裕がない。
「ちっ」
男は刀を振り切った状態で斬首出来なかった事へ舌打ちしながら、次の斬激へ移ろうとした瞬間、全身に激痛が走り動きが一瞬後れた。
ボクッ
「ぐは!?」
男の脇腹に巨大なハンマーを叩きつけたような鈍い痛みが走り、吹き飛ばされながら鬼の右ブローを食らったと理解した。
「いやあああ!!!」
巫女の目から見ても今の一撃は致命打に見えた。
「グアアアアアアアアア!!!」
鬼は咆哮とも雄叫びとも解からぬ声を上げ、その場から跳び去り夜の森に姿をくらました。
「…逃がしちまった」
男は激痛に身を揉まれながら、苦痛に歪んだ顔で言い捨てた。
「大丈夫っ、しっかりして!」
巫女は叫びながら男に駆け寄ってきた。
「そう喚くな。少し休めば体は動くようになる、スーツを着ていたから致命傷にはならない。それにドーピング薬おかげで鬼と互角の戦いができた。大した薬だ、だがここ一番てところで切れ始めた。持続性の問題か…いや、俺の未熟だな」
男は先程までの戦闘を思い返していた。
「そう…それなら良いんだけど、体は大丈夫なのね?」
巫女は男の様子に安堵の息を漏らした。
「ああ、切り傷くらいかな。そんな事よりも奴を追うぞ」
「鬼気はもうこの辺りには感じられないわ、傷を見せて」
素早い動きで巫女は応急処置を施した。
「はい」
「すまん…大怪我に見えるな」
男は自分の体に巻かれた包帯の量にあきれた。
「大怪我なのよ、あなたは。はい、投げ捨てた鞘」
言うと巫女は黒光りする飾りっけのない鞘を男に突き出した。
「おまえ、こんな物持ち歩いていたのか?」
「そうよ。後で困るでしょう?」
誇らしげに巫女は言った。
「おまえ、後も何も…」
「そうやって、後先考えずに気張っているから逃げられるのよ。私達は妖魔を封殺するのはもちろんだけど、生きて帰るのも仕事なのよ。それを気ばっか焦っちゃって猪みたいに挑んで、馬鹿じゃないの! 後ろに居る私の身にもなってよ…死んじゃうんじゃないか心配で心配で見てられなかったわよ!」
火を吹いたように捲し立て、とうとう巫女は泣き出してしまった。
「悪かったよ…これからは気を付ける。鞘ありがとな」
男は返す言葉も見つからず、何か言いたげではあるが素直に謝った。女を泣かせてしまったこの男なりの謝罪の形のようだ。
森は静寂を取り戻し、空には優しさすら感じる満月の明かり。思い出したように鳴き始めた虫の声、不穏な気配はもはや微塵も感じない。残るはこの山の自然の恐怖、夜の闇があるだけだ。
「そろそろ行くか」
男が静かに口を開いた。
「体は動くの?」
巫女もすでに冷静さを取り戻していた。
「ああ、大丈夫だ」
「そう。それでどうするの」
「決まってる。奴を追う…必ず俺の手で」
男は思い詰めたように呟いた。
「あの子はどうするの?」
男の気持ちを察し、巫女は目を伏せ遠慮がちに言った。
ハッと男が思い出したように呻いた。
「そのままにして行きたいが…」
巫女の目に再び火が灯る。
「何よそれ! 気持ちは私にも解るけど…見捨てて行けって言うの!」
「いや、そう言う訳じゃ」
「どう言う訳よっ、私はあの子を見ていると…」
「分かった、奴は逃げた。今日仕留めるのはもう無理だ!」
男は巫女の剣幕に負けて、来た道を戻ることにした。しばらく森の中を歩くと目的の地に到着した。そこには散乱する数人の遺体、そして少年が一人倒れている。近所の友達同士で山にハイキングに来て道に迷ったのだろうか。二人が駆けつけた時、その少年以外は既に残骸と化していた。得体の知れない怪物に襲われる瞬間、少年は男に間一髪救われ意識を失った。
「かわいそうに。恐ろしい物を見てしまったわね」
巫女が静かに膝を付き気を失っている少年を抱き起こした。
「ああ、全くだ」
「でも、あなたが鬼を引き離してくれたから、この子は生き残る事が出来たのよ」
巫女は敬愛の念を込めた眼差しを男に向ける。
「そんな顔で、お、俺を見るな」
男は急に恥ずかしくなって後ろを向いた。
「ありがとう」
「おう」
男は無粋に背中で答えた。巫女はそんな男の背中を眺めて微笑むと口を開いた。
「どうしようこの子」
「聞くな。もう決めてんだろ好きにしろ」
「ええ、この子の記憶を封印するわ」
巫女は空に印を切ると額で印を結び、何かを唱え始めた。男はそれを確認するとズボンのポケットから煙草を取り出し一服をはじめた。
煙草が終わる頃、巫女は「ハッ」と気合を入れて少年の額に印を切り、懐から護符を取り出し小さくちぎってそれを水で少年に飲ませた。そして体を塩と酒で清め再び空に印を切って終了した。
「終わったか?」
煙草を消しながら男は尋ねた。
「ええ、この子の意識の混乱に乗じて術が上手く入れば、記憶は跡形もないでしょうね」
「記憶喪失になったりしてな」
男が茶化すと巫女は怒気のこもった鋭い眼光を放つ。
「冗談だ」
「さあ、この子を連れて麓まで行くわよ」
「ああ」
男が答えると少年を背負って二人は下山を始めた。




