加瀬ジロウ
――――洋館で給仕さんとして住み込みバイトしてみないかい?
そう叔母さんから提案されたのはつい1週間ほど前のこと。俺が病院から退院して間もないころだった。
なんでも叔母さんの知り合いで、孤島の洋館に使用人と寂しく暮らしている人がいるのだとか。
その人が叔母さんに新しい使用人を欲していると相談され、結果、俺に白羽の矢が立ったという経緯らしい。
叔母さんが俺を推薦した理由は、俺しかバイトを頼める子供がいなかったというのもそうなのだが、家事全般をこなせるだけのスキルを持ち合わせている、というのが1番の理由なのだそう。
それに、なまった身体のリハビリにちょうど良いだろう? と付け足されるように言われたのも理由の1つだったりする。
確かに最近金欠気味でバイトをそろそろ始めようかと思い立っていたところだ。
しかし、この傷だらけでまだ全快までといっていない身体の俺を、雇ってくれるだろうか? という懸念もあった。
その2つを解決できて、そのうえ叔母さんの言うとおりリハビリにもなるというのだから、この好機に乗らないわけはなかった。――――
「で、ここが、ダイニングです。基本的にジロウさまは夜8時に夕飯を召し上がりますので、その前に食事の支度を済ませておく必要があります」
加瀬ジロウ。この洋館の主人であり俺の雇い主だ。
「ちなみに、私たち給仕はジロウさまが食事をなさった後、洗い物も全て済ませた後に食事となります。それが大体9時になってしまうんですけど……アラタさん、大丈夫ですか?」
「全然大丈夫です。というか、そういえばこの洋館のご主人は? あいさつしたいんだけどな……」
先ほどから館内を色々回っているが、各部屋はおろか、途中の通路なんかでも会うことがなかった。
叔母さんからは自営業と聞いていたから、てっきりこの洋館に籠っているものかと思っていた。
もしかしたら外に出て仕事をしているのかもしれない。
「ジロウさまは、自室に籠ってお仕事をされています。基本的には食事時以外には部屋から出てきません。なので、あいさつするなら夕飯時がいいかと」
「ご主人って、お仕事なにされてる方なんですか?」
別に他意はない。ただ気になったからそう純粋に問いかけただけ。
だが、ユイさんは唇をきゅっと結んで何事か考えるような表情を見せてきた。
「……いや、私もよく分かってないんですよね。ジロウさまがなんの仕事をしているのか」
「な、なんですかそれ、メイドさんが自分の仕える人の仕事知らないなんて」
緊張の糸がほどけたように笑いながら言うと、ユイさんもつられるようにして微笑んだ。
「ほんとですね。でも許してください、私も最近配属されたばかりですから」
最近配属されたばかりの新人のメイドがいきなり給仕長なんですか? という疑問が湧いて喉の手前まで出かかっていたが、冷静になって飲み込んだ。
この場では変な詮索は野暮ってものだろう。
「それにジロウさまは自分の部屋は自分で掃除するからいいと言われて、そもそも部屋にすら入ったこともありませんから」
「へえ、そうなんですか。結構ガードが固いタイプなんすね」
仕事はおろか、プライベートの自分も見せたくないという感じなのだろうか。
と、思い耽りながらダイニング内を見回していると、皿が並べられて飾られている棚の一画に目がとまった。
それはどうやら家族写真のよう。
大切そうに小さな額縁に収められている。
黒髪より白髪が目立っているメッシュのような頭をして立っている男性に、寄り添うような形で奥さんだろう女性が立っている。2人の足の間には小さな女の子。
「でも、厳しい人ではないんですよ? お堅いイメージはあるかと思いますけど、あれでも優しい方ですから」
「はい、なんとなく分かるような気がします」
写真の中の3人は全員幸せそうな笑みを浮かべていた。その背景を思うだけで、少なくとも悪い人ではないのだと確信できた。
「ではアラタさん、次に行きましょうか」
「分かりました」
このダイニングに来るまでの間、隅々(すみずみ)まで案内されたような気がするのだけど、まだあるようだ。
改めてお金持ちが所有する建物の規模の大きさに驚かされる。
ダイニングの出口に向かって歩き出したユイさんの背中にピタっと駆け寄ると、ユイさんはその足をふいに止めてこちらに振り返ってきた。
「本当だったらあの部屋を私は案内したくはないんですけれどね…………」
ユイさんの表情はどこかもの悲しげにも見えた。
不思議と、なんでですか? とは聞けなかった、ただユイさんに追随するだけ。
ただその道中、緊張ともワクワクとも取れるようなドキドキに俺の胸は踊っていた。