7 春の訪れと桜の祈り
立春の朝,マンションの階段を下りていたら足元から乾いた音。聞きなれない音に慌てて足をどけると,砕けた大豆。そう,豆まきだ。
私が住んでるマンションは子育て世帯が多い。
が,共用部分まで豆をまくとはすごい。最近引越してきたトコだろうか。いや,あそこの子も今年は豆まき出来るぞ。そんな事を考えて駐車場までいくと,まぁ……車の周りにも豆。今年は景気良くまかれたようだ。ここに越して来て最高の豆まき度に,思わず苦笑い。
私は基本,季節の行事が好きだ。
正月には松を飾るし,豆まきもささやかに海苔巻きを食べる。桃の節句には桃を飾るし,端午の節句はチマキを食べなきゃ,気がすまない。単に食いしん坊,なのか。
季節を感じるって貴重な体験だなぁと,年くうと感じるもんだろうか。昔は立春で春を感じなかったが,二十歳過ぎから空気が柔らかくなるのを感じるようになっていた。うーん。冷え性だからかなぁ。梅が咲くと嬉しいし,菜の花が咲くところまで行きたくなってるし,新聞で奈良の二月堂のお水取りはやんないかなぁと,記事を探していたりする。不思議なもので,お水取りがあると,春の嵐が来て一気に温かい日が増えていく。
ここ先日までの温かさで梅の花も咲いている。近くの堤防をよく見てみれば,落ち葉と枯れた芝生で茶色だったのが雑草が葉を伸ばしてマダラに緑になってるし。カラスノエンドウも,誰が捨てたのかミントまで根性だして葉を伸ばしている。見上げれば,桜並木の枝に蕾が出てきているのが下から判るほど大きくなっているし。植物は太陽の日照時間が長くなったのを感じて,精一杯に光合成しようとしている。けなげだなぁ。
が,けなげさに泣く余裕は私にはない。来る,来る,来るよぉ。春にやってくる恐怖の大王。花粉と黄砂だっ。
春は嬉しいが,こいつらには殺意しか感じない。
何故,春の新しい出会いの季節にやってくるんだ! クラス替えに入社と,新たな出会いがあり第一印象をきちんとつけたい時に,何故に飛んでくるんだ!
最近は,花粉症は国民病に格上げされてますね。TVで花粉情報までするし,高性能かつ使い捨てのマスクも眼鏡も手に入る。治療の薬もあります。
そして不思議な事に,二十歳過ぎたらスギ花粉の症状が軽くなった。
正直,助かったと安堵した。これで,新学期の度に憂鬱になんなくていい。
なのに,最近またアレルギー症状が出る。先日,大慌てでティッシュを大量買いしたトコだ。
そう,黄砂。
中国大陸から飛んでくる,非常にキメの細かい砂粒。ここのところ車のボディが薄く汚れてきた。こいつだ,こいつ。飛んできた。
昔はこんなに飛んでこなかった気がする。砂漠化ってやつですかね。やっぱり,温暖化ってやつでしょうか。淡水の減少も温暖化なのなら,私も頑張ってエコします。こんなんで,春を感じたくない。
まだ,春を感じるものはある。
近所の田んぼが田起こしをし始めた。遠くに都市高速が見えるのに,この辺りは田舎臭さが残っている。最近はマンションや賃貸物件が多く建てられてきたけど,まだまだ土が残っている。
休日の午前,耕運機が公道に大量の土を落としながらのんびり走っているのも,また風流。窓を開けると懐かしい土のニオイがするのも,いい。
ニオイ,といったら水仙だ。
実家から貰った大量のミカンをご近所に配ったら,庭先に咲いていた水仙を頂いた。
さっそく玄関に活けると,芳香に包まれる。
やっぱり,生の花はいい。芳香剤だと,かなり強い香りが始終漂うので気持ち悪くなる。生花だと,横を通り過ぎた時に柔らかく香ってくれる。
それでいて,帰ってくると玄関が水仙の香りで満ちている。もう,こんな心地よい香りの花が咲いているんだなぁ。春が来るのだと,実感。
そうそう,春一番。
私の住んでいる辺りは,年中風が吹いている。遠くの山脈からの風の通り道,っていう感覚。風好きな私は嬉しいのですが,春先の風の勢いは花粉や黄砂がなくても怖いモノがある。
春先だと,向かい風なら自転車乗っていて前進できません。吹き荒れる風で巻き上げられた砂に,眼球直撃されます。コンタクトだと,身の危険を感じます。
風の向きが変っていく季節の境目のあの感覚は,好きなんですが。
月の色も変った。
神々しいほど冴えた冬の月も美しい。けど,霞み始めた月も一興。少しずつ光が柔らかくなっていくのが,また堪らない。
星もまた変ってきた。
家の雑事を終えてから見上げるオリオン座も,青白いシリウスも,場所がどんどん西へ移動している。
北斗七星の柄杓も,傾きつつある。そこから春が零れていくのを実感。昔の人は,うまいこと言うもんですね。
四月のカレンダーを張る。
我が家は二ヶ月分のカレンダーを貼る。今月と,来月の。そうして次々と,決まった予定を各々記入する。
誕生日を花丸でデカデカと書く事も。これまた,嬉しい事だ。
今月分は終盤になりつつある。となれば,四月のカレンダーがお目見えだ。
我が家は四月が新しい年って感じだ。新年度,新学期が始まる。四月を貼るたびに,気が引き締まる思いがする。
冬物バーゲンの残りを眺めながら,横のスプリングコートを買おうか悩むのも,また春の訪れを感じる一コマ。
焼き芋の横で,季節限定モノの雪見大福と苺大福で迷うのも,今だけだ。
タンスの奥から春物をつまみ,自分の脇腹の肉をつまむのも,今だ。この難問は早く解決せねばマズイなぁ。
春が来る。新しい年が来る。何かが起きる。
も少ししたら,新芽がそこかしこから出てくる。そしたら,またクルクルと舞い上がるような気配が辺りから立ち上る。
土から,水の中から,風の隙間から,猫や犬の鳴き声から,雀のさえずりから,歓びの声が大合唱する。
そうなると,私は思いっきり両手を広げて空を抱きしめたくなってしまう。
周りから見たら奇人になるので,堪えてますよ。でも,そうしたくなってしまう。狂おしいほどの歓びの声で,気がフレてしまいたくなる。
さぁ,今から腹の底にしっかりと気を据えておこう。変人に見られても,奇人はマズイからね。
そして,今年も桜を見上げよう。
私の大好きな,大切な人と共に,一年で特別な時間を過ごそう。
そして,私は今年もきっと祈っている。
また来年も,この人達と桜が見れますように,と。
春が来る訪れる音を肌で感じながら,ティッシュを小脇に抱えながら,カレンダーを眺めるのが私の最近の幸せだ。