20 最後の晩餐 家電10年説2
家電十年説恐るべし。
昨年末,我が家の洗濯機が壊れた。
その時は「次は誰なのっ」と恐れおののいていたが……。
恐怖のその時が来ました。それも,この記録的な酷暑のこの夏に。
前回八年は迎えているだろうなと書いていた『冷蔵庫』。
考えたら独身時代からで,10年過ぎてました。やばすぎだった。
そう,壊れたのは冷蔵庫です。
真夏の夜のあの音を,何と表現すべきだろう。
確かに『音』は在った。例えるならば「ぱひゅーーーー……ん」。
いかにも,漫画やアニメで使われている「モーターが切れました」という形容音。
私は冷蔵庫からりんご酢を取り出す為に,冷蔵庫を空けた途端だった。
その音に,思わず固まる。
「何,この音」
「なんか,やばい感じの音だな」
「壊れた? 」
「っぽいぞ」
「まさか」
真夏の夜。キッチンで代名詞も抜いた不可解な会話をしてしまう。
こういう時って,怖くて言えないんですよ……「冷蔵庫が壊れた音」とはいえません。言った途端,認めたような,現実になってしまったらどうしようと。冷静に考えれば,「言った」「言わない」で現実が変わる訳ないんですけどね。
結局,どうしたかと言えば。
無視。
壊れたとしても,夜中に何が出来るだろうと。そう思って寝た訳です。
この時,何もしなかったことを6時間後に後悔するのですが。
「なんじゃこりゃーーーー!!! 」
そして,本気の叫びが「冷蔵庫だった」箱に響いたのは6時間後の翌朝。
その惨状は,悪夢としか言い様がない。
寝る前に程よく冷えてた緑茶ポットは,びっしりと水滴で濡れている。横に置かれた牛乳の紙パックも同じく濡れている。上段に置いてある卵も,汗をかいたように濡れている。
前日の夕飯のおかずの残りはラップに包んだにもかかわらず,微妙な臭気を漂わしている。
生温かいスライスチーズは「バテました。すいやせん」と,持ち上げると妙な柔軟性を手に伝わらせて語りかけてくる。
野菜室の野菜達は,見るからに張りを失いつつある。
製氷室は……水溜り。
が,最も散々たる状況だったのが冷凍庫だ。
アイスキャンディーは個別包装の中で,人工的な色水の中に木の棒が浮かんでいる。
アイスクリームは,甘ったるいニオイを撒き散らせながら紙コップごと解けそうな軟度になっている。
冷凍されていたお肉は半解凍されているし。
酷いのは,翌日に食べようと下味までして冷凍しといたレバーだった。
ジッパー付きのビニール小袋に入れたレバーは,血を滴らせていました……。
はっきり言います。
真夏に怖いのは怪談ではないです。食中毒です。
夜の間に,クーラーボックスに避難させなければいけなかった。
保冷剤も凍っていたうちに,生鮮食品を避難させておけば……。
悔いても時間は元に戻らない。
開店と同時に家電屋へ行き「在庫があるもので構わない。速攻で配達して下さい」とお願いするも,翌日午後配達。
目の前が暗転。こうなるともう,悲劇だ。
なにせ,この酷暑の中だ。
食べ物はすぐに痛んでしまう。かと言って,毎食外食なんて出来ない。
とりあえず4キロの氷を買って来て,ただの箱と化した冷蔵庫に入れる。断熱材があるから,多少はクーラーボックスの代わりになるだろう。
僅かに生き残った半解凍の肉や野菜を最優先に守る事を考える。
卵と牛乳は食中毒が怖いので,廃棄処分。
ステンレスの流しに棄てられる牛乳の白い筋を,子供と一緒に「あぁあ~」と嘆きながら見送る。ゴメンよ牛乳。
軟派になったチーズも廃棄。生わかめも怖いから処分。お味噌は塩分が高いし保存食だから大丈夫だろうと,保存に回す。子供は「やばいよやばいよ」と繰り返す。やけに慎重だ。なのに,ホットケーキにかけるチョコシロップには「大丈夫じゃない? 」と情けをかける。気持ちは判るけどね……。焼肉のタレもバニラエッセンスも一緒に廃棄です。
これを機会に,あまり使わなかった調味料は廃棄。豆板醤やらレモンドレッシングやらチリソースやタバスコ,バンバンジーソース。何でこんなに買い込んであったのかなぁ。奥から次々と出てきます。片付けは嫌いだけど,料理を作るのは好きなので,ついつい買ってしまうんですよね。
でも,一番強烈に大変だったのがキムチだった。
私,キムチが大の苦手なんですよっ。漬物も苦手なんです。キムチなんて逆立ちしたって無理です。
キムチも保存食といいますが,この暑さを耐えられるのか。知りません。でも,これは好機。嫌いなキムチを処分出来るチャーーーーンス!
そう思って蓋を開けてみたのですが……。キムチ好きの人には嬉しいニオイなんでしょうが,私は気絶寸前。子供達も悲鳴をあげて逃げる。私も逃げたいっ。置いてかないでっ。
何だかんだと,悲鳴と嗚咽を繰り返し処分した後に残ったモノは,大量の生ゴミとビン。
あぁ……疲れた。
その晩は宴会だった。
使える肉と野菜を盛大に使って料理をテーブル一杯に並べる。
半解凍されたひき肉でハンバーグ。ささ身が大量に入ったサラダ。ハムもソーセージも念のために焼いて火をしっかり通して,沢山焼いて,使い尽くす。
「何だかすごいご馳走だね」と,家族は喜んでいる。
テーブル一杯の料理を,笑顔で食べていく子供達。
そうなんだよな。この冷蔵庫,独身時代から使っていた。
この子たちは,この冷蔵庫が保存してくれた食べ物でここまで大きくなったのだ。
ささやかだけど,「冷蔵庫ありがとう」だね。
そういうと,頷いてくれた。
感謝。
翌日の午後。
新しい冷蔵庫が来た。
ようやく,食べ物を保存できる。冷えたビールもお茶もアイスも,飲みたい時に食べたり飲める。氷で冷やした日本酒を飲める。アリガタヤ!
冷蔵庫が出来る前の生活って,どんなものだろう。
そう想像するも恐ろしい。つまり,食事の支度をするために「今日はコレがあるからアレを作ろう」と冷蔵庫を覗く行為じゃなく,市場や商店街へ買い物に行かなくちゃいけなかった。農村部なら,ちょいと裏の畑や山へ野菜を摘みに行く必要があったという事で。
タンパク質も必要になるから,小川で釣った魚とか。田んぼのドジョウとか。庭先で飼っている鶏の卵とか。おぉ……ご馳走に見えてきた。
そうなると,鶏肉がすごいご馳走になるのが判る。牛もご馳走だ。こっそり納屋で食べてたという話も頷けます。もちろん仏教の影響もあり肉食をおおっぴらに出来ませんが。
三度三度のご飯の支度,すごく大変だったんでしょうね。
江戸時代,外食産業が盛んになったのが判る。食事の準備や片付けで時間を取りたくない。一日中台所でバタバタして終わってしまうのは嫌ですもん。
寿司,天ぷら,蕎麦。今や日本食の代表がこの時代に出来上がったというのも頷ける。屋台で売り歩きしていたのも頷ける。
冷蔵庫がない生活でこんなのが屋台で歩いてきたら……買っちゃいますよ。迷いません。即決です。
しかも,資料を見るとあらゆる食べ物を屋台で売り歩きしていたらしい。炊いた米,豆腐,枝豆,蜆,魚なんか目の前で必要な分だけ切り分けてくれたとか。素晴らしいです!
独身者の住む長屋には包丁がなかったとか。コンビニで済ます今と変わらないなぁ。江戸へタイムスリップしても,現代人は困らないかもしれない。
マックのハンバーガーやケンタのチキンを猛烈に食べたくなるかも知れませんが,死ぬ事はなさそうです。本当に。
そう思いつつ,ふと気づく。
つまり,だ。冷蔵庫が普及するまで,行商の人がやってきたり市場へ出かけたり裏山で自給自足する生活って在りえたという訳。
氷の冷蔵庫が明治には合ったらしいですが,はっきりいえます。氷なんて大した冷蔵能力ないですよ。上記の体験に基づき,経験者が語ってますからっ。
そうなると,電気の冷蔵庫が普及してから。……戦後? 戦後ですか?!
第二次世界大戦後の高度経済成長の三種の神器。テレビ,冷蔵庫,車。ですよね?
となれば,冷蔵庫の歴史は60年そこそこ? 商業用は以前からあったとしても,そんなに浅いとは驚きです。
この60年でレトルト食品冷凍食品が普及し,行商の多くは姿を消した事になります。
今まで信じていたものって,当たり前だと思っていた生活って,意外と最近に創られたものだという事ですね。
あまりの薄さ,脆さ,危うさにクラクラする。
この便利な生活を享受出来たのは,人類史上ここ数十年の話。しかも,先進国や発展途上国の一部の人間だけだ。
暑い中で冷たい氷を浮かべた飲み物を手に入れる事。数分で食事が用意出来る事。
これって,感謝しなきゃいけないんだなぁ。
「食べ物に感謝しなさいよ」
よく両親に言われていた言葉。よく子供に言っている言葉。
もう少し,重みを感じたほうがよさそうだ。
食べ物を手に入れる事。安全に調理する事。その過程の中はどれも大変な作業なのだから。
冷蔵庫が壊れて,初めて判った。
10年以上も働いてくれてありがとう。
最後に大切な事を教えてくれてありがとう。
……大変だったけどね……いやもう,本当に。
気づいたら5ヶ月ぶり……(汗) 余裕が出来たらまたUPします。はい。