2 親知らずと物書き心
親知らずについて書いてあります。
痛みに関する詳しい描写はありませんが,しばらく歯医者は行きたくない方,「抜歯」「痛い」「血」という字すら見たくない方は,ご遠慮下さい。
私は歯医者が嫌いだ。
その前に断っておくが,今通院中の歯医者は良心的だ。(今まで五回変えました。引越しとか,色々で)
泣き叫ぶ幼児相手に笑顔を絶やさない衛生士のお姉さま達。なかなか予約の日が決めれなくても,辛抱強く空きを探してくれる事務員の方。素人相手にわかりやすく治療過程を説明して,痛みが少ないよう素早く処置してくださる医師達。
これぞ,プロ。玄人。
でも,嫌いだ。ゴメンナサイ。
だって,他人に口の中見せるなんて,恥ずかしくて。自分だって普段はまともに見ない所です。気分は他人様に赤点の成績表を見せるようなものですよ。
そんな私に先日,歯痛が襲った。
上顎の両奥歯が,冷たいものに染みる。なんかうずく。
これは幻覚。気のせいだ。そう思いたくても,痛む。風邪なら,市販の薬と栄養ドリンク飲んで気合で治せるのに,歯痛は治らない。何故だ……。
しかたなく,時間を作り歯医者に行く私は,「まぁ,虫歯だろう」と思っていた。ここの所,自分や家族の入院やらで,定期健診すらサボっていたから。自業自得だ。
しかし,半泣きで診療台に座った私に,レントゲンを見た医師のおばさんはにこやかに宣言した。
「虫歯もありますが,親知らずも生えてきてますね」
絶句。頭の中で,「親知らず」という言葉が駆け回る。
なんだそりゃ!
頭真っ白状態の私に,母親ほどだが綺麗に年を重ねた医師は微笑んで解説した。
液晶画面に映っている私の顎の写真。(最近の歯科もハイテクになったようで……。カルテも全てデジタル処理されていた。過去のレントゲン写真も! )
痛む奥歯には,うっすらと白い影。つまり虫歯。そして,歯茎の奥にはっきりと写っている待機中の歯。私の奥歯は,当然永久歯だ。って事は,親知らず……。
認識した途端に,冷や汗が溢れてくる。
親知らず。今まで,幾つか話には聞いたことがある。小説にでてきても,いい印象などはない。登場人物たちは大抵,気絶するような痛みで苦しんでいた。
冗談デショ。
「ど,どうなるんですか? 」
「そうですねぇ。虫歯を治療して様子を見ていければいいんですが,特にこちらが少し,歯肉を突き破りかけてますし」
医者の声を聞きながら,平常心と唱え続ける。
私は,虫歯と思って歯医者に来たのに。これじゃ,風邪と思って病院行って,いきなり不治の病宣告を受ける気分だ。いや,本当は,もっとシビアなんだろうけど。
出来れば,知らない事にしておきたい。聞かず,見ざる,喋らず,だ。
しかし,どうもマズイらしい。虫歯の細菌が親知らずの方に万が一いくと,かなりマズイらしい。痛みとか,腫れとか,なんとか。
「治療しても,かなり出てきてますしね。あとは,抜くとか」
「ぬ,抜く? 」
どの歯を抜くんだっ。
私の顔に全て出ていたんだろう。にこやかに答えてくれた。
「今の奥歯ですよ。虫歯の奥歯。上手くいけば,まっすぐに抜いたトコに生えてきますよ。このまま親知らずを放置しておくと,横に生えてきますよ。こっちは横にでかけてます」
ご丁寧にも,私の口の奥を鏡を使って解説してくれる。
抜くしか,上手い手はないんだろうか。
そして色々な治療方法を説明してくれる中,私に一つの欲望が生まれつつあった。
『このまま抜いたら,ネタになるかな』
ネタ。そう,小説に書く時に使える貴重な体験じゃなかろうか。そう,思いついた。
剣やら格闘で登場人物が負う痛み。口の中に溢れる血の味。衝撃を覚悟する時の心境。これら非日常の感覚を,リアルで味わえる良い機会ではないか。
これぞ体を張った取材。
そう,思いついた途端,私は頭を下げていた。
「じゃ,抜いてください」
数時間後,私は激しく後悔していた。
なにがネタだ。体を張って取材だ。趣味で文を書く私に,そんなものいらん。
痛みと口中に溢れる血の臭いで,ようやく私は平常心に戻っていた。
だって,大好きなご飯すら食べれない。楽しみの晩酌も当分出来ない。その夜は痛み止めを飲んで,ようやく寝れたぐらい。
しかし,欲というものは恐ろしい。
これだけの痛みだというのに,私は抜歯最中に目に映るもの,感じる痛み,全てを頭に叩き込もうとしていた。
そして,帰宅して泣きつつも,頭の中で冷静に描写しようとしている自分がいた。
物書きの,業。
突然話が飛んでしまうが,かの有名な宮沢賢治の詩で,妹の死を見送る詩をご存知だろうか。
雪と松葉が欲しい。あぁ,冷たい。松葉の青い香り,この痛み。松林にいるみたい。そう,薄れ行く意識の中で話しかける妹を,宮沢賢治は描写している。
最愛の妹の臨終の様を,寒々としたまでに冷静に見つめ,美しい文章に仕上げている。
知らない方は,実際に読んで欲しい。とにかく,美しく,悲しすぎる。
身内の死を経験した方は,あまりにリアルで泣けてしまうと思う。
そして,宮沢賢治という人物が,あまりにも悲しくなる。
彼は,書かずにはいられなかったんだろう。物書きとして,この体験を書かずにいられなかったんだろう。
妹の死を悲しむ自分の裏に,紙一重の裏に,刻一刻と死に近づく様子を,頭の中にひたすら書きつけていた彼が,いたはずだ。
物書きとは,かなり罪深いかもしれない。
抜歯の痛みにもだえながら,私は勝手に宮沢賢治に想いを飛ばしていた。
そして今,こうやって文にしてしまう。親知らずの体験,無駄にはしなかったぞ。食事が出来なくて,少し痩せたし。
物書きが不思議な生き物ってのは,間違いない。……いや,私だけ?!
最初からかなり勝手してます。
作者の叫びたい欲求が上がれば,更新します。不定期です。ごめんなさい。