18 見えなくなりました
幽霊やら怪奇現象ありの,今回です。
怖がらせる気はありませんが,「死ぬほど嫌い!」等々の方はお戻り下さい。
あんまり,怖くないと思うんですけど……。
以前、見えないはずのモノが見えると書きましたが。
ここ最近、ちょっとした異変が。
まったく見えなくなりました。
いやはや。激変です。
今回は、そういう『むこうの世界にいっちゃってる』話があります。
目に見えるモノのみを信じる方、科学を信じる方、そういう方々は不快に思う話かもしれません。
引き返すなら今のうち。警告はしましたよ。
という訳で。ここまで読んでる方はOKという事ですね。いきますよ。
以前の回でも話しましたが、見えるか見えないか……という色分けをしたら見えるタイプ、程度でした。
怪しげな声を聞く。見えない人の足音を聞く。ありえない音を聞く。そういうのは日常茶飯事。
相手からの視線を感じる事も多かったし、意思を感じる事も。
でも,そーいうの,全くなくなちゃったんですよね。いやはや。不思議です。
以前も書きましたが,実は十円ハゲを患っていた時は酷かった。最近は新たなハゲもあった。でも,すぐ治りました。そうなったら,見えなくなったんです。
よかったんだけど,どーなってんだか。
さて。見えなくなった今の感想は。
まぁ,とりあえず何も考えなくていいのは楽なんだけど。ってトコです。
急に飛び出した『見えない人』に慌ててブレーキかけなくてすむし。安全運転できてると思います。
大きな県道の交差点ど真ん中で蠢く『何か』にビビる事ないし。
夕暮れ時に,古いお寺の旧街道で狼のような『何か』が踊るのを見ることもない。
そう,日常の中に『ありえないもの』が存在しているのは,私にとって『普通』の事でした。
『普通』って便利だけど,少し困ったチャンな言葉です。
見えない人の『普通』と見える人の『普通』は,実は少し違うんですよ。
同じ風景を見ていても,違うものを見ていたり感じたりしてるんです。
お出かけしているとナビを見なくても「あぁ,この道は旧街道だったんだなぁ」とか,「この山,お不動さんか薬師様か,何か奉ってあるな」とか。
昔の人が残した気なのか,その土地の持つ気脈なのか,独特の気を感じる事もあった。過去の人たちの巡礼の流れを見たこともあった。
もちろん,それは肉体の目で見えるものではないと判っている。私以外の人は,何事もないような雰囲気だ。だから余計に,妙な感じだ。
実は,音だけなら小学生の頃から聞いていた。
実家に同居する家族以外の人がいましたから。あと,そういう見えないものが通る道があったので。
高校生になると,目で見える事も出てきた。まぁ,それでも偶然だよねと済ましてきた。
25歳を越えてからが凄かった。お肌の曲がり角になってからです。それは関係ないか。
お風呂の覗くツワモノがいた。
許すまじ。
寝ている私を触ってくる不届き者もいた。
死んでも,そーいう事をするなよ。
馬鹿は死んでも直らんとは,真実ですよ。本当。
夜中に,金縛りをかけて説教してきたおばさんも。
勘弁してください……。夜は寝かせて。本当に。
そうそう。
寝ている寝室で走り回る子供もいた。
夜中に走り回るなー!
一喝してしまった。子供相手に,本気で怒鳴ってごめん。でも,人の寝室で夜に走り回ってはいけませんよ。
怖い思いもした。
住宅地の道路に長い間止めてあった不審車両。年季の入った白のワンボックス
「危ないなぁ」。そう思いながら横を通った途端に悪寒。思わず車を見ると,窓に張り付く若い男女達の複数の顔。
苦しみ,恨み,恐れ。どす黒い負の感情がいっぱいで,苦痛に顔を歪ませていた。
思わず悲鳴を上げてしまった。怖かった。
地獄とか,あるのなら,きっとあんなのかもしれない。
怖くて,その道は使えなくなった。
季節が変わって恐る恐る通ってみると,不審車両は消えていた。
あの車は一体,何に使われていたんだろう。
百鬼夜行も体験した。
夜中に数十人もの足音を聞いた。
いつもの足音とは,桁違いに冷気がある。
距離がはっきり感じ取れない。
方向も距離も判るのに,宙に存在するポイントからやってくる感じ。
x軸とY軸の重なるポイントが,明らかにこの空間とぶれている。
あれは,次元が違っているんでしょうね。
この世界の空気と重なる,もう一つ別の空間。上手く言えないけど。
決して生きている音ではない。関わってはいけない。物音を立ててはいけない。気づかれたら,邪魔をしたら,生きていく事を許されない。
それだけははっきりと判ったので,息を潜めた。固く目を閉じた。
体中の神経が恐怖で竦んでしまって,しばらく動けなかった。
平安時代とかにある百鬼夜行の蒔絵。あれを思い出した。
もう二度とアレは見たくない。感じたくない。
そういう霊関係じゃなくても。
子供達が一生懸命に工作や作業を夢中でしていると,体から白い蒸気が噴出していた。
集中していれば,集中しているだけ。初めて見た時は,火事でも起きたのかと思ったぐらいに,煙が凄かった。
部屋の中がサウナ状態です。
あれは生気だったのかな。大人ではあまり見ませんでした。
子供はそういうの多かったですね。子供自体,すごく眩しく見えた事も。ド派手な蛍光色っぽい感じで。
いやぁ。若いって素晴らしいです。
強烈な思い出だけですが。いや,結構色んなのを体験したなぁ。
あんまり思い悩んだら,気がおかしくなる。本当に。
そう。苦しみのあまり,薬や怪しげな神様にすがりつきたくなってしまう。「自分はオカシイ」という苦しみから逃れる為なら,「助けてあげるよ」という安い言葉に縋り付きたくなってしまう。
でも,オカシイと何故思う? 人と違うものが見えてもいいじゃないか。
だって,今肉体の目に見えているものだって曖昧だ。
眼球の仕組みを思い出せば明白。
光が当たり,様々な波長で反射してくる光が眼球に飛び込む。網膜に映ったそれは,電子信号になって視神経を伝わり,脳内で処理されている。
と,いう事は。大げさに言ってしまえば,『見えてる』ものだって,みんな同じモノを見ているとは限らない。
それぞれの脳で処理されてる違いがあるはずだ。捕らえる光に違いがあるはずだ。
そう考えれば。考え直せば,こんな映像が見えることってオイシイ事じゃん。
楽しんじゃえ。
そう気分を変えることにして,奇妙な状態を楽しんでいました。
お気楽に思えたのは,映像の不思議さがあったからだ。
よく「どんな風に見えるの? 」と問われる事もあった。
一言で言えば,目の前にフィルターを被せた感じ。
アニメーションを作るのに似ているかもしれない。キャラクターのセル画に,背景のセル画を重ねるのを思い浮かべてください。
誰もが見えてる『現実』に,ありえない不可思議な光景を重ねてみた感じ。
判ります?
色々見てきたけど,体験してきたけど,それにどんな意味があるんだろう。
見えなくなった今,それを思います。
意味のない事はこの世界には存在しないはずです。どんな事にも,偶然と思われる事にも,それらには意味があると思うのです。
じゃあ,私はこれから何を見ていくんだろう。何を体験するのだろう。どんな事を考えていかなければいけないんだろう。感じていくのだろう。
少なくとも,ホラー小説を書くためのネタで見てきた訳ではないと思うのですが。
あぁ,ネタにしたら怒られるかな。
見えなくなったこれからの毎日,何が起きるのか。
また見えるようになるのか。
少し,不思議な気分です。