表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ロバ耳!!  作者: 木村薫
15/24

 15 私が書き続ける意味

 今回は前世モノの話があってりして……です。

 怖い話ではないと思いますが,一応ココに書いておきます。

 小説を書くという事。


 私の周りの人は,私が小説 (らしきもの) を書いているのは知らない。ばれないようにしている。小説らしきもの,なんて書くと読んで下さっている方に申し訳ないが。変に卑下する訳でもなく,そう書かせてもらいます。商業モノと比べる為です。さらに自分好みの話を勝手に作って考え込んでいるんだから。これを妄想と呼ばずしてどうしましょう。

 ……そう書くと,悲惨だなぁ。けど脳内のへんてこ世界,私が死んだら消えてしまうんですよね。


 脳内の妄想を,次元化する。そう言えばいいんだろうか。とり合えず,紙という媒体に書く。すると,自分以外の人の頭にも,その妄想世界が共有できる。

 ただ,読んでもらうという段階に進む訳だから,脳内妄想のままでは相手は理解不能だ。

 主人公を登場させる。起承転結をくみ上げてヤマもオチも用意する。その上で,相手に理解できるよう描写に気を配る。常に読み手という相手を意識していくようになる。

 何か,こう書いていくと私が大層な事しているようですが……そうは上手くいかないんですよね。難しい。


 初めて『小説』を書き出して,読み手というネットの先の仮想のような存在に意識を向けだした。が,それと同時に気になることが。アクセス数です。

 『なろう』で書き手の方は判ると思います。『小説家になろう』で書かさせてもらっているのですが,この『なろう』のサイトは非常によくできています。

 書き手へのサービスがすごく行き届いています。無料?! と驚くほど。投稿手段も簡単な上に,読者数が表示される。つまり,自分が書いた作品に,どれだけの人が覗いてくれたか判るのです。反面,話数ごとにも表示されるので「あ,この話数だけアクセス数少ない! 」なんてことも判る。読者の食いつき具合も,ドン引き具合も判ってしまう。あぁ,恐ろしい。 (リニューアル前の事です。今は移行期なので,このサービスはありません。ウメさんはじめヒナプロジェクトの皆様,いつもありがとうございます! )

 それは,自分よがりな展開であったり読み手が読みにくい描写のシーンであったり。まぁ,もちろん書き手に原因もあるんだけど。

 気をつけなくてはいけないのは,アクセス依存症候群。

 とにかく数字がきになってしまう,そんな症状です。UPするたびに,どれだけ来てくれているんだろうと。そして,なんとしても数字を上げたいと思うようになる。

 数字とは,読者の数。そのために,あちこちのサイトに宣伝するのだとか。評価を上げる手段を多用したとか。

 ……判ります。私をなりかけたこと,あります。

 

 非常に恥ずかしい告白ですが。とにかく自分の書いた話を読んで欲しい。その感想が気になってしかたなかった時期があります。もう,やたらに。

 ネットで作品を公表する。読者数が判る。でも,目の前で読んでいる姿を見ているワケではないのです。姿が見えない読者の気配を感じたい,その一心でした。もっと,もっと沢山の人に読んでもらいたい。そう,とりつかれたように思うのです。


 でも,肝心の小説がなってない事に気づきまして。

 面白くなきゃ,読み手は嫌なわけで。これは,私自身が読み手でもあるので,よく判る。

 作中に読者を意識して展開が考えれれてないもの,読みにくく理解しがたい文章のもの,明らかに作者の中で楽しく完結したり仲間に向けた楽屋話のもの,等々。そういうのは,苦痛なんですよね。

 

 小説を書いてるのならば,面白くなきゃ。

 自分に面白いのはもちろんだけど,読み手が面白くなきゃ。面白いものは,読んでくれる。

 小手先の宣伝なんかでなく,いい話を書けばいい。原点に帰ればいい。

 私が書きたいのは,日干し煉瓦の街並み。香ばしい薪の燃えるニオイと発酵した小麦の香り。青々とした風が光る水面を走る光景。見上げる透き通った青空。純白の雲。魂の咆哮。

 それを思い出してから,アクセス数には前ほど気にしなくなりました。

 でも,自分の作品を冷静に見ることは難しい。

 表現方法に迷いがあると,的確な指摘がほしい事はあります。「もうこの世界を書いていけない」と挫いた時には,「続きが読みたい」とのコメントに救われます。

 書いているのだから,読んでもらってナンボ。だけど,読んでもらう事ばかり考えて,自分の世界が書けないのなら意味はない。このバランスが難しいですね。


 冷静に考えれば,かなり変。

 商売している訳ではないのです。限られた時間しか与えられていない人生,貴重な時間を使い妄想を書いているんだもの。

 他に出来る事,あるだろう。ツッコミいれたいぐらいだ。

 友人と会う時間も増える。寝る時間だって,本を読む時間だって。上手くいけば,旅行とかさ。親孝行とかさ。

 でも,書く事に甚大な労力と時間を惜しみなく使ってしまう。

 何故か。なんとなく,私は判る。最近,判ってきた事なんですが。これは,私だけの場合ですが。

 書きたい。書くことで自分がここにいると叫ぶ,もう一人の自分がいる。その存在に気づいた。

 変だと思う。変に思われるのは判っている。でも,あえて書く。現実世界では,絶対言えない事。誰だったか,テレビのバラエティー番組に出ていた霊能者の言葉を借りるとしよう。

 『これは夢物語として聞いてください』

 記憶があるのです。

 今の自分の前の記憶が,実はあるんです。私の場合。

 うわぁ。書いちゃったよ。でも,ここだけに,書いときます。

 

 世界大戦後の,アメリカだと思う。ボールペンがあった。沢山の紙に,青のインクのボールペン。書きなぐられた英語。真っ青に修正加筆された紙。

 窓辺に置かれたテーブルに散乱したソレ。

 窓の向こうには,腰が大きく歪んだ柳の木。丘に建てられた小屋から見える世界は,金色に揺れる麦畑。一面の金色の海。

 鏡に映る自分は,度のキツイ眼鏡をかけた女の子。高すぎる自尊心と弱さで,ズタズタになった子。

 私だ。一つの,私だ。何度かの記憶の中で,多分,一番新しい自分だと思う。

 彼女が言っている。

 『書け。書け』

 書く小説は一種,私が『私である彼女』に送るメッセージだ。私の意識の中で寂しそうに佇む,彼女への宣言書。

 書く物語は,私と貴方と,それ以前の幾つもの記憶の断片から生まれた物語。

 今はネットがある。

 いつか,私も死んだら。私の記憶を持つ誰かが生まれたら,このネットの中から探し出して読んでくれるだろうか。……それは,ちょっと滑稽だけど,まぁいいか。

 ダージリンの紅茶畑の中から,金色の麦畑の中から,どんよりと灰色の寒空のアイルランドの草原から,枯れ木が乱立する中央ヨーロッパの森の中から,タイル張りの迷路の中から,私は私を見つめる。

 大丈夫。貴方達の事は,私が書くから。残しておくから。

 少しずつ,一文字一文字を重ねていこう。私の中に埋まる膨大な記憶の光景を,文字にしていこう。

 キラキラ光る朝露も,絶望と空腹も,心細さも,薪が爆ぜて焼けるパンの香りも,その文中に書き留めておこう。

 朝霧の向こうに見える白い頂。冷たい水が流れる小川の美しさ。虚しさの淵から見上げた真っ青な大空。振り上げられた刃の寒々とした輝き。

 全て書くのに,どれだけかかるか判らない。書き終わらないかも。

 それでも,構わない。出来る事から,コツコツと。それしか能がないのだから。


 書くことに,人それぞれ理由があると思う。

 自分を誇示する,繋がりを求める,充実感を得る,それはもう色々と。

 私は,私の為に書かせてもらおう。それが,誰かの暇つぶしや励ましになるのなら,幸い。

 世の中,巧妙な縁のからくりで動いている。私が自分の為,と言いつつも,何かの役目があるのなら,嬉しいことです。



 ……しかし,書いちゃったなぁ。怖い事を書いちゃった。『彼女』の存在を埋もれさせたくなくて,その一心で今回は書いたのですが。

 もし不愉快にさせてしまったのなら,ごめんなさい。

 次回はもっと,エッセイらしいのを書きます。いや,今まで書けてたんだろうか。ぐはっ……以後,努力しますね。




 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ