1ノ8 最凶最悪『ヤツ』降臨!
今回はみんな知ってる『ヤツ』が登場します。苦手な方はご遠慮下さい。
当たりはすっかり暗くなり、月明かりと星の明かりだけが鮮明に輝いている。
俺達十人は出陣の為の準備を終え、一番大きいであろうテント──アリシアのテントの周りへと集まった。
「んと、皆。忘れ物はないか?」
アリシア、ガレン、他の戦士達七人が次々と頷いていく。
ついさっき、他の戦士達七人にも俺の自己紹介はしておいたから、彼らは俺が何者かはもう知っている。
ガレンさんの説得もあって、彼ら七人はもう一度俺を信じて付いてきてくれるらしい。とりあえず第一関門は突破、と言ったところだ。
「よし、じゃあ……しゅつじ───んゔぉへっ」
「皆……頑張ろうね、……出陣!」
例によってあのポンコツ魔法使いが隣で、唯一の武器であるただの木の棒を俺の頬に突き刺してくる──いちゃい──
「ったく、何すんだアリシア!」
「また私のセリフ……奪おうとしたから……だよ♪」
別にいいじゃん! 俺だって言ってみたいんだし。
* * *
──そして、俺たちは中間目標地点、ルガルドの村へと歩き出す。
大地を踏みしめ、少しずつルガルドの村が大きく見え始める。
あの村で、手頃な船を借り、そして蛮族陣の裏側に回り込むことが今回の作戦の第二の関門だ。 でも……。
──奴は突然、ルガルドの村を目指す俺たちの眼前そこ姿を表した。
流星の如きスピードで俺たちの前へと姿を表したそれは、自らの羽音を打ち鳴らし、アリシアの周りをすさまじいスピードで飛び回る。
「何……この黒いの……嫌……セイクリッドア」
「やめろよこの単細胞! ここで光って敵に見つかりでもしたら元も子もないだろ!」
アリシアの木の棒の先端を光が包む、だが俺の必死の訴えで棒の周りを包んでいたその光が消失する。
そうだ、ここは草原なんだ、そりゃ虫の一匹ぐらいでるさ。でも、コイツは何かが違った。コイツを一度見た人間は生理的嫌悪感が湧き上がって来ない方がおかしいのだ。
「でっ……でも、この虫ッ……ヤツ……だよね…… だよねッ?」
アリシアはその顔に動揺の色、そして目尻にはうっすらと涙がみえる。
「あぁそうだ、きっとヤツだ……。ちくしょう、異世界に転移してきてまでコイツとお付き合いすることになるとは……」
そう、このアリシアの前方を飛び回っている虫、それは家のタンスの裏に潜み、カサコソの動き回るアイツだった。素早さ、しぶとさ、気持ち悪さには定評のある虫だ。
「いいか、絶対我慢しろよ? 振りじゃないからな! 絶対魔法撃つなよ!」
「わっ、わかってる……もん。そんな……虫なんかに……負けないもん」
彼女は両手で木の棒を握りしめ、じっと下を向き黒の恐怖から耐え続けていた。手元が微かに震えている。
だが──
ヤツの醸し出すその純黒のオーラが、 アリシアの痩せ我慢のベールをぶち破る。
「やっぱり……いゃ……いやぁぁぁぁ」
再びアリシアの木の棒の周りを光が包み込む。でも、今回の光は何かが違う。膨張を続けるその光は、明らかに『セイクリッドアロー』とかいったか? その魔法の発動時に放っていた光の規模とは比較にならない程、強大な光へと変わっていく。
──周囲の地面が振動する、アリシアのその魔法に呼応するように。
「気持ち悪いだろうけど頑張って耐えるんだ! だから今すぐだ、今すぐにその魔法を──」
「エクスプロード・レイ!!」
すると、アリシアの前方の地面に家一軒は軽く飲み込んでしまいそうなほどの巨大な光魔法陣が出現する。そして、魔法陣の中心から光が筋のように重なり合い、上空へと伸びてゆく。
直後、頭蓋骨が大きく振動するほどの巨大な音と目の奥が焼け焦げそうになるほど強烈な光が俺を襲った。
──ドゴォォン──
アリシアの前方、微かに生えていたはずの短い草が消えた。剥き出しになっている赤茶色の土からは、その魔法のとんでもない威力をひしひしと実感せざるを得なかった。
そして例の黒光生命体は、跡形も無く消えてなくなっていた。
「あぁ……やっちまった……」
「仕方ないの……これは必然だったの……まさか、ヤツがいるなんて」
そう! これは必然。現代女子でG耐性が付いてる人なんて、俺は渚月ぐらいしか知らない。だから、これは仕方が無いことなんだ!
…………なんて、思えないだろこの脳筋め。
「これは、確実に……警戒されるでしょうな」
長らく口を開かず黙々と歩いていたガレンが声を上げる。
「ったく! だから打つなって言ったのに。敵陣もきっと守り固めて来るだろうなぁ」
「あれは……ヤツのせいなの……私は悪くない」
「はいよ分かってますって、アリシアさんがおバカさんだって事ぐらい」
「……しらない」
アリシアはすっかり意固地になってしまったようで、俺をちらちらと見ては悔しそうな顔を浮かべてくる。めんどくさい奴……
「でも作戦は変わらない、敵陣に突入するだけならきっと大丈夫だろ」
「上手くいくと信じて付いていきますぞ。レン殿、エクスブルグ様」
後ろを付いてきている七人も次々と首を縦に振っていく。
「よし、じゃあとっとと村いって、船を借りよう。まずそこからだ」
一行は再びルガルドの村へと歩き始める。だが──
約一名、足を動かそうとしない者がいた。
「おバカさんじゃない……おバカさんじゃないもん……」
例によって、俺の発言にまだ拗ねこんでいるこの女だ。
「分かった分かった、ごめんって俺が悪かったよだから歩いてよ」
「……おんぶ、村までおんぶしてくれたら……許す」
「お前はガキか! しんどくなったらガレンさんにパスするからな……」
俺、人おんぶして歩く体力ほぼ0なんですが……。
何とかアリシアの機嫌を取ることに成功した俺たちは、再びルガルドの村へと向かい、歩き始めた。
* * *
俺とガレンさんでアリシアを交互におんぶしながらしばらく歩き、ついに俺たちはルガルドの村へ辿り着く。
近くで見てみると……村、と言うには少々大きすぎる気がする。木組みの民家が道の両サイドに立ち並び、道もしっかりと白基調のレンガで舗装されている。
道の前方を見渡してみると、ところどころに立ち並んでいる街路灯が、地面を淡く照らしている。
潮の香りが、ほのかに吹きつける潮風に運ばれてやってくる。何とも言えないその香りはどこか懐かしく、暖かかった。
「おー! 以外に大っきい村だなぁ。村って聞いてたからてっきり田園景色とか、井戸端会議に精を出すオバチャンとかが見えるのかと」
「ここは……お魚がいっぱい取れる村だから、農業はあんまり……得意じゃないみたい」
そうだった、ここは海産資源が豊富な漁業の村だった。言われてみれば、視界に入るほとんどの民家の戸には、麻製であろう魚網が横たわっている。
「そりゃ田んぼもないか。んじゃぁ早速、船貸してくれるお店探しに行こうか。どっか当てはあるか? アリシア」
「ルガルド港まで行けば……たぶん?」
ルガルド港、これまた初めて聞く名前だ。村って付いてる地名なのに港があるなんて、もういっそ『ルガルド市』に改名したらどうなんだろうか。
そう言えば、船はいくらぐらいで借りられるんだろう。もちろん一番安いので十分なんだけど。
「そう言えばアリシア、船っていくらぐらいで借りれるんだ?」
ガレンを初めとする他の八人も「そう言えば」「足りるのかな」と口々に言い始める。
──だが、当のアリシア本人は夜空をポケーっと眺め、返事は帰ってこない。
「おーい、アリシアさん?」
すると、アリシアは満面の笑みでこちらを振り返り、言った。
「お金……一シルも……持ってないの……」
シル、おそらくこの世界の通貨のことだろうな。よし、じゃあ早速そのシルとやらを使って、お船を借りにいこ────
「おい! ちょい待ち! 今金ないっつった? アリシアさんねぇ今お金ないって言いました?」
よく見てみると彼女は満面の笑みの中、口元だけがぴくぴくと動いていた。
「えへへ……ごめんね……」
──海を……渡れない。その事実は、俺たちの作戦を続行不能の危機にさらすには十分すぎる事実だつた。