1ノ4 深い森の夜明け
「なぁ……アリシアさん?」
「どうしたの……レン君?」
「さっきから思ってたんだが、その手に持ってる木の棒って……魔法の杖? 的な感じのものなのか?」
「ん……これは、昨日……ここの森の中で……見つけた。割としっくりきてる……よ」
「んー……やっぱりそれ、タダの棒に見えるんだけど、なんかこう……『この杖の所有者は、MPの上限が50アップする』みたいな特殊効果でもついてるのか?」
「ん……これはただの木の枝……だよ♪」
「あんたがホントに王国最強クラスの魔法使いだって未だに微塵も信じられねぇよ!!」
彼女得意げそうにその華奢な棒を動かし、空間にくるくると円弧を描いてみせる。
俺は、何とか口角をもちあげ、全力の営業スマイルを彼女に浴びせた。
──────────
俺たちが目指している場所、敵陣の裏側。
──この作戦は、先鋒隊であるガレン率いる戦士部隊より俺たちが先に敵に発見されれば、勝利とは程遠い状況に置かれてしまう。
故に、土埃や脚音の大きな陸魚による移動はこの作戦には都合が悪い。
だから、俺たちは徒歩で、なるべく敵に見つからないよう隠密に移動している────────
なのに!!
彼女から緊張感はからっきし伝わってこないんだよ!
この女! 蜘蛛やハエらしき生物を見ようものなら!
「虫……きらい……セイクリッドアロー!」
とか言って? 光魔法でボコスカボコスカ!
──淡い月明かりだけが照らすこの大地に、彼女の放つ光だけが四散する。
──その瞬間にのみハッキリと見える背後の兵士達の表情は、ひとり残らず冷や汗をかき、渋い表情で、自らの指揮官であるアリシアを遠い目で見つめていた。
しかし、幸いにも敵には気づかれなかったようで、平原を抜け、岩場を抜け、現在、深い森へと突入した。
背の高い木々が生い茂り、月明かりももう届かない。
風で木々かサーーッという音を立てる。闇が頭上から襲いかかって来そうで、少し気を緩めたら、足が進まなくなってしまいそうだ。
視界に入るのはアリシアの明るい髪の毛、後は近くにあるという蛮族の陣の明かりのみである。
シャリ……シャリ…と落ち葉を踏みつける音が後ろから聞こえてくる。
後続もしっかりと付いてきてくれているみたいだ。
「────ここの森は敵陣の西側……ちょうどびったりくっついてる森。だから……もうすこしだよ……がんばろ♪」
アリシアが三時間の歩きでげんなりと背中を丸めながら歩く俺を励ます。
「そう……だな……もうちょい……あと……少し……──」
──────ササッ──────
「誰!!!!」
素早く反応するアリシア。
足音の聞こえた方向へすぐさま駆け出す。
俺も駆け出そうと足に力をこめるが、慣れない動きに一瞬躓き、少し出遅れてしまう。
十秒ほど走ったところで、俺の目は人影を補足する。
「ペィル バインド!」
前方にいるアリシアの杖、改め木の枝の先端から二対の鋭い光線が放たれ、人影と地面を結びつける。
「あ痛っ……」
突然足を拘束され、自重で前に倒れる人影。
「ば……蛮族……」
先に人影の元へと到着したアリシアが呟く。
やがて俺と後続がそこに辿りつく。
暗闇のベールに包まれていたその相貌が、俺の目の中に飛び込んでくる。
────俺は、少しだけ勘違いをしていたようだ。
蛮族────意訳すると野蛮な民族という意味。
俺がラノベやアニメで見た異世界において、こういう民族の相場はだいたい決まっている。
ゴブリン、オーク、などといった魔物に近いポジションの生物。もしくは鋭い目つきをしていて強靭な肉体を持ち、物騒な斧を片手に略奪、強襲を繰り返す人間。
これが俺の蛮族に対するイメージだ。
────だが、目の前のそれは違った。
目の前にいたのは、一言で言うなれば、少女だ。
髪の毛は暗赤色で短め。くせっ毛なのだろうか、髪の毛の先端は少しだけ内側にカールしている。前髪が目に少しだけかかっている。
着ているものは布製のTシャツだろうか。くすんだ白色のその服は、とても生活状況が良さそうとは言い難い。
そんな少女の奇妙な相貌に、後続の兵士達も動揺を隠せずにいるようだ。
ボロボローブを身に纏い、こちらも生活状況が良さそうとは言い難いアリシアが、数秒の沈黙を破った。
「なに……してたの?」
「し……食材を取ってこいって、上の人たちに……。まっ、まさか蒼軍のひとたちがいるなんて……どっ、どうか命だけは……」
「大丈夫……私は殺さない……だから……帰っても____」
「ちょっと待ったァァァァ!!」
「アリシアさん! もしこの娘がもし戻ったら、敵に俺たちの居場所こと報告するに決まってるでしょ!」
「あっ……それもそうだね……じゃあ……私たちに付いてきて」
すると少女は、怯えた声で、
「はっ、はい!命だけでも助けて下さるのなら……」
全くこの女、どこまであんぽんたんなんだ……。よくこれで指揮官出来てるよな……ホント。
「絶対……帰っちゃ……だめ……わかった?」
「わ、分かりました…」
そんなダメダメ指揮官のレッテルを貼られてしまったアリシアが、少女と地面を結びつけている魔法を解く。
アリシアが木の棒をしゅっと振ると、少女の足元から光が消失した。
─────
そして、一行は森を抜け出すために再び足を進め始める。
少女は拘束されていないにもかかわらず、逃げ出そうとはしなかった。それどころか、時を重ねると徐々に柔らかい表情へと変わっていった。
何故なのだろう……俺たちは君の仲間を……殺してしまうかもしれないのに。
ふと、アリシアが隣を歩く少女に語りかける。
「君の名前……聞いてもいい?」
「わっ、私はっ、ゆっ、ユイハ=オプティミシア、って言います…」
「ユイハ……ユイハちゃん……フフッ♪」
アリシアはどこか楽しげにユイハと名乗る少女と会話を重ねていた。
──────
「おっ、そろそろ森の外みたいだぞ!」
「本当……いよいよ……だね」
「………………」
少女は自らの足へと目線をやり、俯いていた。
「ユイハちゃん……ごめんね……」
「………………」
アリシアが少女に語りかける。だが返事はない。
「ユイハちゃん……隊の後ろで……待ってて」
「おっおい! 逃げ出すかもしれないだろ」
俺はすかさず言及する。だが、アリシアは薄い笑みを浮かべ、
「だいじょぶ……ユイハちゃんは……逃げない」
「────そこまで言うんなら……」
「………………」
相変わらず無言を貫く少女は、下を向いたまま隊の後ろへと向かう。
闇が徐々に薄れ、幾重もの光の筋へと変化する。敵陣営がハッキリと知覚出来る。かくして俺たちは、森を抜け出すことに成功した。
蛮族の陣営の裏側、土地は痩せこけて地面はその無機質な肌を露出させている。大きな岩もそれなりに多く、隠れて出撃するにはもってこいの場所だ。
気づけば闇夜もそのお役目を終え、朝日が顔を出していた。
「うっ……眩しい……」
主に八畳のマイルームに生息している俺は、光耐性の値が限りなく低いのだ。
「ガレン……上手くやってる……みたい」
「ああ、そうみたい……だな」
その証拠に、敵陣の向こう側から土埃が上がっている。きっと、ガレンが戦っているのだろう。
俺たちは敵に見つからないよう、慎重に足をすすすめた。
──戦場……か、
俺は、今から人を殺す。
今まで目をそらしてきたその事実が。現実味を帯びて俺に襲いかかってくる。
膝が笑う。震えが止まらない。怖い、怖い、怖い怖い怖い怖い────
────ふいに、アリシアが震えた俺の肩に手を添え、呟いた。
「レン君……大丈夫……私は誰も殺さない。レン君に悲しい思い……絶対させない。──だから────」
「あぁ……すまない。でもこれが終わったら、俺のこと……妹、ナツキのこと、教えてくれ」
「分かってるよ……だから、今は私に協力……して欲しいな」
「分かったよ、アリシアさん……いや、アリシア」
「ふふっ♪ありがと────────」
その時だ。
俺とアリシアの足元に、赤く煌めく球状の物体が轟音と共に落下した。
赤い……熱い……眩しい……。
これは、炎か。
「…………っ!魔法ッ!」
アリシアが隣で声を荒らげる。
すると、岩の裏から人影が出現する。一、二、五、十と増え続ける人影。やがて五十となったところでそれは終息した。
その人影は俺たちの周囲に三百六十度まんべんなく散らばっていた。
「完全……包囲……」
俺は、愕然として再び膝が笑い出す。めまいがする。怖い……違う、絶望。もうダメだ。俺の異世界ライフは開始一日目で幕を閉じるのか……ッ。
ナツキ……
皆が、死を覚悟した。
すると一人の男が手を空高く掲げる。
それとほぼ同時、全ての人影の元に赤い魔法陣が出現、やがてそれは火球へと昇華し、俺たちの元へ降り注いでくる。
火球は俺の左腕を掠め、着ているボーダーのTシャツから袖を奪っていった。
「……セイクリッド……アロー!」
降り注ぐ魔法を何とかかいくぐり魔法を唱えるアリシア。
光がアリシアの自称杖の周りを包み、魔法陣へと姿を変える。
すると彼女の背後から無数の光の矢が出現、人影へと放物線を描き突き進んでいく。
光矢は人影の腕を貫き、杖をその手から離させる。
「ダメ……敵が……多すぎる」
味方の魔法使いの兵士たちも、降り注ぐ火球に青魔法で応戦する。しかし火球の勢いは衰えなかった。
味方は一人、また一人と地に伏せていく。
俺はまたしても火球を左腕に受ける、今度は直撃だ。
肉の焦げる臭いが俺の鼻に突き刺さる。
肉の焦げる音が俺の耳に突き刺さる。
熱い、熱い、痛い痛い痛い熱い痛い熱い!!
「レン君……ッ!」
魔法で応戦しながら彼女は、叫んだ。
「だっ……大丈夫だ、それより……全軍に撤退指示を……ッ!」
「……ッ! 全軍に告げます! 退避してください!!」
アリシアを含め味方全員が、森の方向へ駆け出す。
背を向けて駆け出す俺たちに、火球は一層容赦なく襲いかかってくる。
味方の魔法使いの阿鼻叫喚の声が俺の耳でこだまする。悲鳴が俺の心を蝕んでゆく。
俺は、ひたすら走った。悲鳴を背に、前だけを向き。走り続けた。
徐々に……轟音が遠ざかる。
徐々に……悲鳴も聞こえてこなくなる。
………………
────────────
「ごめんなさい、アリシアさん。いいえ、煌呪の魔女」
小さな少女は、妖艶な笑みをその幼い顔に浮かべ、立ち去っていった。