1ノ10 決戦前夜
俺達は無事に船を借りることに成功し、やっとの思いでルガルド港を発つ事ができた。
木造で年季の入ったその船の機動力は全てが人力。まぁ異世界に電気とか蒸気機関とかがあるって方がおかしいか。
アリシアは魔法で暗い船上に灯をともし、ガレンさんたち八人は船を進めるための力仕事の真っ最中だ。
だが、問題はこの俺。一ノ瀬蓮の今の状態だった。
「連くん……大丈夫? 宿屋で変わったもの……食べちゃったの?」
「いや、たぶん違う。コイツは船上ならではの不治の病さ。安心しろ、俺は絶対に宿屋で食べたメシはリバースしないし、そいつを隠すキラキラ編集もさせないから」
「よく分かんない……けど。がんばれ」
甲板から海上に頭を投げたし、「オェー」と喘いでばかりの俺にささやかなエールを贈るのは、この船上で照明担当となったあの魔法使いだ。
自らの唯一武器──木の棒の身に光筋をまとわせ、甲板の上を明るく照らしている。
たが、その光は人を何とか識別できるぐらいの強さでしか周りを照らすことは出来なかった。無論、できるだけ隠密に行動するためだ。
──そして今、俺はとある病に侵されていた。
その病は、船酔い。インドア派の集大成であるこの俺が船に乗ったのは初めのことなので、船酔いを経験したのは初めてだ。
そして、俺から話そうと思っていたあの話題を切り出してきたのは、アリシアの方からだった。
「レンくん……それで、蛮族とはどうやって……交渉するの?」
テントから出発する時の作戦会議、そこの場で俺は『蛮族との交渉は……船の上で説明する』といった趣旨の提言をした。そして今がまさにそれを有言実行に移すシチュエーションである。
「それはガレンさんたちも呼んだ方がよさそうだな、ガレンさん……呼んでこれるか?」
吐き気で苦悶の表情を浮かべる俺に、アリシアはコクリと頷く。
するとすぐに『わーっせ、わーっせ』という息の合った号令が止まり、八人がこちらにわらわらと集結する。
「じゃあみんな、蛮族との具体的な交渉内容について提案する」
「よろしく……」 「よろしくお願いしますぞ」
推進力を失った木造船は徐々に減速、やがて完全に停止する。
「じゃあ、こっからは相手の大将をひっとらえた後の話だ」
「私の魔法『ペイル バインド』で総司令官をとらえたら……の話だね?」
「そうだ、んで具体的な提案なんだけど……」
アリシア、ガレン他一同が一斉に目を見開き、こちらに注目する。
「今の陣がある場所に、蛮族村を作ってもらう!」
────
────皆が揃って、同じ表情を浮かべた。
確かにの提案は『は? 何言っていやがるこいつ』って思われても仕方が無い。でも、これこそが俺の知能が及ぶ範囲で最高の手段だった。
「どゆこと……レンくん」
刹那の沈黙を破り、最初に話を切り出してきたのはアリシアだった。
──なら、説明しよう。『みんなハッピー』にこの戦いを終わらせる俺なりの理想論を。
「蛮族がなんでルガルドの村に攻めてくるのか、それはもう分かってるだろ? いくらあのアリシアさんでも」
「むぅ……分かってるもん。私そこまで……あんぽんたんじゃないもん」
唐突に投下された低俗な煽りにうろたえるアリシア。
「つまり、奴らは生きるのに必死なんだよ。だから、資源が欲しい。そうだろ?」
「多分……そう?」
「いいや、確実にそうでしょうな」
長らく沈黙を保っていたガレンが答える。だが、何故そう断言できるのか──そこには、根拠が必要だ。
「拙者が奴らと手合わせした時、ある男が目を血走らせながら言ったのです。『皆のため、生きるためなら何でもいい。その為なら何をやってでも勝ってやる!』と」
ガレンの言うことは全くもってその通りだ。実際、奴らがいかなる手段を用いてでもこの村を奪う意思があることは、もうこの目で確かめた。
ユイハ=オプティミィシィア──蛮族の一少女でありながら俺達を絶体絶命の窮地へと追い込んだその本人だ。彼女も恐らく自らの危険を省みずに行動したのだ。仲間のため、蛮族のために──
「そういうことだ。奴らの生への執念、それがこの交渉のキモだ」
「それと村を作らせることとは、どういう関係があるのですかな?」
──ここから話すことが、間違いなくこの作戦のキーポイントになる。だがそれも、敵の大将を捉えることが出来たらの話。もはや崖と崖の間をを細糸一本で渡りきるかのような確率のお話。
「自分らで生産してもらうんだ。資源を、生きるための術を。そして村が出来るまでの間、ルガルドの村からの恒久的な資源供給を約束する。蛮族は何の損もないし、戦は終わる。そしてもっと上手くやれば──奴らも、仲間になってくれるかもしれない。こんなんで……どうかな」
周囲が、静粛に飲まれていく。だが、徐々に沈黙を破る者が一人、また一人と増えていく。
「おっ、おい。確かにこれなら……」 「誰も、殺さないで勝てるのか? 俺達」 「もう、戦わなくていいのか?」
一つ一つの声の粒が重なり、絡み合う。
「もう、誰も失なわずにすむのですな!」
「これなら、皆……笑顔に……なれる!」
初めは小さかった声の粒が、ガレンとアリシアの一声が起爆剤となり一気に爆発する。船上は完全に歓声の渦だ。
各々の喜びを全身で表現し、踊り、分かち合う。だが──
「皆! 聞いてくれ」
皆の前でしゃべる、それがどれだけ前の俺にとって地獄だっただろうか。だが今は、口がかってに動いてしまう。何故なら俺はこの軍の──参謀なのだから。
「──この作戦は、正直いうと成功率は限りなく低いんだ。十人で陣中に突っ込むなんてもはや正気の沙汰じゃないさ……でも──」
俺の声を遮るように、皆が言った。
「安心してくだせぇ! 旦那。もとより覚悟はできてたさ」 「もうここにいる時点で、戻れないですよっ!」 「大丈夫、俺達みんなアンタに付いてくって決めたから!」
『ガレン以外の兵士の士気はほぼゼロだ』誰かが、そんな趣旨の発言をしていた。
だがいま俺の目の前に広がるのは、それとは程遠い光景──皆が活気に満ち溢れ、無謀とも思えるこの作戦に対してゆるぎないやる気を見せている。この人達となら──やれるッ!
「どうやら……俺が心配するまでもなかったみたいだな」
これから、俺達の異世界征服計画の第一歩が成し遂げられようとしている。アリシア、そして俺の決して薄まることのない目的のために。
渚月、待っててくれよ。お前のことは俺が今すぐ見つけ出すから。家に帰ったらまた二人でアイスでも食べよう。この世界で起きたこと、全部分かち合おう。だから、少しだけ──
* * *
「皆、覚悟は決まったな」
「もちろんだ!」 「問題ない!」
俺達は無事に蛮族の陣の裏への上陸に成功し、総攻撃の開始まではもう秒読みというところまで来ていた。
「レンくんは……私が守るから……」
「あぁ、頼りにしてるぞ、アリシア」
いつもはどっか抜けてて、完全にこの十人の中では迷惑製造機枠となっているアリシアも、こういう時はまるで違う。
「エクスブルグ様たちの道は、我らで開きましょう」
「よろしく……ガレン」
「それじゃ、行くぞ」
夜の冷たい潮風が、俺達の頬を掠めた。──始まる。
「全軍、突撃開始ッ!」




