第4話 「奇跡の亡者」
あぁ、本当に困ったものだ。
キーンコーンカーンコーン
「はぁ~、授業前のあの会話はなんだったの~、おーーーーい、アイトォ~」
「えっ!」
頭の上から聞こえてきたアサヒの大声で僕は我にかえる。気がついた僕は、顔を上げて壁の時計を確認した。
「はぁ、もう昼休みだって~」
そのお約束のような一連の動作に、呆れたのかアサヒは隣でため息をついていた。
疲れた顔のアサヒの言ったとおり、時計を見るまでもなく授業は終わっていて、既に昼休みに突入した部屋では、残っている数名の生徒の雑談する声が響いている。
「アイト、またボーっとしてたね」
「……うん」
アサヒに「考え事」ではなく「ボーっと」と言われてしまった。まぁ否定できないし、間違いでもないのだからいいのだけど。授業前と違いどうもアサヒの機嫌はあまりよくない感じだ。
「まぁ、私も眠たくなるくらい退屈な授業だったし、仕方ないと思うけど」
言ったアサヒが、僕の隣の席に力なく座った。いつも真面目なアサヒからすれば、意外なセリフ。とは言えさっきの授業は、現代社会で「生還者」について、まぁ彼女の不満も分かる。また少々不機嫌の理由も……
確か前回の授業でもこの教室を使っていた。
確か授業時間まるまる、背筋のかゆくなるエセドキュメント番組を見せられるのだ。
前回の授業でも授業前は元気だったアサヒの顔が、授業後にはどこかげんなりして見えたのを覚えている。
確か前の授業中に流された映像「ザ・ドキュメント 生還者を支える家族愛」だったかな。
綺麗ごとばかりで見れた内容じゃなかった。何より知識を養うものとして教育の場で見せるなら、その情報の偏りがいちじるしい。
それこそニュースの方が、数倍ためになるし楽しいだろう。
前回の授業で見せられたビデオには、強い母と不治の病の息子が出ていた。
頼れる親戚も無い母と子。
お互いが励ましあって病気と戦う決意をし、始まる闘病の日々。
その後、涙をあおる様な息子の死。
息子の遺書。母親の涙。
そこで救世主のごとく登場するが、内容が説明されない生還者医療。
そして奇跡により息子は生還者となって生き返り、不治の病を克服するという流だ。
「生還者は病気に強い」と医者が一言説明した後。母親が泣き出し、生還者となって生き返った息子を、抱きしめて笑顔で言う。
「本当に本当によかったね」と
「生きていてくれて、本当に良かった」と
その後は、エンディングだ。
「病気に勝ち、ずっとずっと強い絆で結ばれた親子は、この先も幸せに暮らしていけるに違いない」
という言葉が出て
「奇跡がこの親子を、永遠の別れから救ったのだ」
と締めくくっていた。
病気に関する話はたった一言「生還者は病気に強い」それだけ、しかもさらっと流す有様。
それでは漠然と「あぁ、そうなのか」と思うことしか出来ない。
感情豊かな人ならば、「生還者は素晴らしい」「本当によかった」と言う結論になり、そのエンディングに涙を流せるのかもしれないけど……
少なくとも僕とアサヒは、しばらく無言だったのを覚えている。
「ははは、なんて言うか凄くドラマティックだったね~」
それが無言で教室まで戻った後、アサヒが発した最初の声だった。
「お~いアイト~」
「な、なに?」
気がつけば、また呼ばれていた。
とは言えアサヒは怒る気力も無い感じで、ただ呆れ顔を向けていた。
「ビデオ見てなかったなら~、一応内容だけでも説明しようか~」
「うん、ごめんね。お願いするよ」
しょうがないな~と言いながら、アサヒは先ほど流されたビデオの内容を要点だけかいつまんで話してくれた。
番組的な演出を抜いて、あくまでアサヒ目線の説明だ。
ある家で老人が死んだ。老人は108歳だった。
肉体の衰弱の中、生まれ育った家で家族に看取られた最後。それは、まさに大往生といえるものだ。
ただ、その2日後に老人は細く衰弱した両足で立ち、娘に支えられながら住み慣れた家の廊下をふらふらと無表情で散歩した。
それは老人自身が望んだ第二の人生、生還者としての人生である。
「お義父さんが元気になってくれて嬉しい」と婿入りらしいその男性は語る。
「長寿の国」という番組タイトルが……
僕はそれを聞いて、寒気を感じたのでアサヒの言葉を止めた。
「もう充分だよアサヒ、お腹いっぱい」
今回の話もそうだ。特にリスクや負担、およそマイナスになる話は一言あればいい方、大抵がスルーされている。
この退屈にして不快な授業にも原因がある。教育の場において中学で始めて「生還者」について学ぶのだが、その教育方針が昔から変わっていないということだ。つまり「生還者=(イコール)奇跡」これが大前提。
まぁ国が政治で「生還者保護」を貫き続けているのだから、当然といえば当然なのだが、根本である「生還者=奇跡」の図式が変わらないどころか、多くの国民が現在の政策に抱える憤りや不満、さらには「生還者保護」が抱える「人口爆発」などの問題までもが教科書に一文たりとも載っていない、つまり触れられてさえいないのだ。これが原因。
そのせいで教育者は発言に困り、結果として国が定めたビデオを見せる。こうして退屈な授業が繰り返されるわけだ。
見せられた生徒の一部には「生還者=奇跡」を鵜呑みにする者もいるだろうが、大抵の生徒はこの授業のバカバカしさ加減に、呆れているだろう。中にはアサヒのように苛立ちさえ感じている者もいる。それらは家族や知人に「生還者」を抱える者達だ。そういう者にとっては不満とストレスを増やすだけの授業である、これが現在のこの国の「生還者教育」だ。
「はぁ……じゃ、私は行くね~」
「あっ」
そのアサヒの言葉でハッと気がつく、また考え事をしてしまっていた。僕は隣で既に立ち上がっているアサヒを追うように立ち上がりたずねた。
「行くって、教室?」
「うんクラスの女友達と一緒にお昼食べよってさ~、もう約束してるんだ~」
「そっか」
「一緒に来る?女の子ばっかだよ~」
少しニヤけた冗談顔で言われた。
「行かないよ」
「だよね~」
即否定した僕に笑顔を見せたアサヒは、鞄を持つと、またこちらに視線を向ける。
「アイトはさ~お昼どうするの~?」
「僕はお腹空いてないし、さっきの先輩に会ってくるよ」
「え~と、さっき階段で会った人」
「うん」
答えた瞬間、アサヒが僕との間合いをつめ、顔を近づけてくる。
彼女の顔からは、先程までの気だるさが消えている。
「アイカお姉ちゃんの友達だったよね」
「うん、多分」
「ふ~ん」
「なに?」
アサヒが何を考えてるのか分からず、とりあえず聞く。
「ん~とね。階段とは言え校舎内とは言え、同じ学校の学生服の女の子と曲がり角でぶつかったんだよね」
「まぁ、同じ学校になるね。校舎内だし必然的に」
「食パンくわえてなかったとは言え「ちこくちこくー」って言いながら、急いでいてぶつかってお互い尻餅ついたんだよね」
「セリフは言ってはなかったよ。さすがに」
「彼女が転校生の転校初日かは分からないし、アイトが彼女のパンツを見たかどうかも定かじゃないけど、彼女は怒っていたわけだよね」
「パンツは、見てないよ」
「しかもその場でキーアイテムまで手に入れちゃってるわけだよね」
「もしかして鍵とキーをかけてるのそれ?」
「これって完全にフラグだよね」
うーーん、アサヒの思考もややおかしいと思うんだけど、でも口調からして真剣に言ってるんだとも思う。
「彼女がツンデレだったら、フラグ100%になっちゃうね」
「同級生じゃないから100%じゃないと思うよ」
僕は何を真剣に答えてるんだろうか?
アサヒは、何かを考えるようにしばし動きを止めると、心配の眼差しで僕を見て。
「あいと~一人で大丈夫~?」
そう言った。ついてくる気かもしれない。
かまわないがアサヒの友達に悪い。
「大丈夫だよ」
「本当に~、一人で大丈夫~?」
「だから」
「ころんだりしない~?」
口調は戻っているが、本気の顔で言われている。
アサヒからすると子供を初めてのお使いに行かせる親の心境なのだろうか?
「大丈夫だって、アサヒも友達待たせてるんでしょ、もう行きなよ」
「じゃあ~~~~行く~~~~~~~~」
「そんなにためないで、大丈夫だから」
そうとう後ろ髪を引かれているのだろう。いつも以上に語尾をのばして、ゆっくりと離れていく。
「本当に大丈夫だから」
「うん、分かったよ~、後で話し聞かせてね~」
「うん」
そんな土産話を期待されても困るのだが、それとも「何かしでかす」そういうふうに思ってるのだろうか?
たとえばフラグがらみの事で。
「はぁ……」
我ながら信用ないなぁ。そう思って、ため息が漏れた。
視界の先では、アサヒが小走りで視聴覚室を出て行くのが見えた。
出て行く瞬間も心配そうにチラリとこちらを見てくるので、笑って返した。
彼女を見送って、僕は再び椅子へと腰を下ろす。
すぐに出ても良かったのだけど、いや、そのつもりだったんだけど。
「うーん」
アサヒが廊下で女友達と喋っているのが分かったのだ。
つまり、ちょっと出にくい。気にすることは無いのだろうけど、なんとなくだ。
別れてすぐにまた会うというのもそうだけど、アサヒのことだから僕を見て「がんばってね~」とか声をかけてきそうだ。
いやきっとする、だからちょっと待つ。
そして、さっきまでここで行われていた授業のことを考える。
生還者の話が出ると、僕は姉をアサヒ母親を思い出し重ねるのだろう。
〔生還者は、病気に強い〕
臓器移植の容易さもあるが、他にも理由はある。
それは特殊な肉体。
まず生還者の肉体は強い。ここで言う肉体は内臓だ。
ああ見えて内臓だけは、活発に動いている。そして、よく食べる。
姉さんもそうだが、生還者の食欲は皆すさまじい。
「生還者が食べるからといって、大量に食べさせないでください」
これは姉が生還者となって退院する際に医者が言った言葉だ。
それは食費の問題もあるが、食べすぎで病院に運ばれた生還者が当初よくいたそうだ。
口から凄い悪臭がするという理由で病院へ、調べてみれば胃などで消化しきれなかった物が腐っていたそうだ。
それでも生還者は新たに食べ物を与えず、ほっておけば全て排泄する。
強い内臓を持つ生還者は、嘔吐もせず何でもないようにそれを行う。
だが病院側としては、たまったものではない。迷惑なわけだ。
だから食べ物の与えすぎを強く注意して栄養調整パンを勧める。
例のおいしくないアレだ、とても消化にいいうえに安いのだ。
あと栄養は内臓とその周りの筋肉にいくそうだが、食べ物を未消化に近い状態で排泄することも多い。
さらに生還者は所かまわず排泄を行うのでオムツは必須、ここで周りの家族を悩ませるのが臭い、栄養調整パンの一番の利点はその臭いがかなり抑えられるところだ。
長い暮らしにおいてこれは、必要なことだ。
国も推奨する栄養調整パン1斤なんと税込み100円。税率が引き上げられたのにこの価格。
この国で暮らす生還者の8割が食べているらしい。
「あぁ、ドックフードやキャットフードのような物か」
僕は口に出そうになったその言葉を飲み込んだのを覚えている。
さて話をもう1つの理由にうつそう。
もう1つの理由。生還者の肉体は弱い。ここで言う肉体は四肢と頭だ。
四肢、つまり手足だが、動きは緩慢で力も入っていない、食事の時も手は使わず口を直接もっていく、徘徊する一部の生還者も足に最低限の力しか入れていない。ふらふらと歩く上ちょっとした段差や何かが体に当たるだけで転倒する。
だが痛覚がない故にずるずると体を引きずりながら立ち上がり段差をこえる。
この行為ゆえに生還者の手足を縛る家庭や病院もある。
ニュースでやっていたが首輪をつけるなんていう話もあった。
そのニュースでは、首輪をつけられた生還者が部屋を徘徊し、開いていた窓から飛び出し首をつる形で死んだそうだ。
付け加えるなら、その死んだ生還者は、次の日に生還者として復活した。
責任は罪状は?などと騒がれていた。
次に頭。その脳は、ほとんど働いておらず微弱な電気が流れるだけ、一部の研究者が言うには思考していないそうだ。
だからストレスを感じない。ストレスが原因とされる病気になることはない。
さらに痛みを感じない。完全には分かっていないが五感がほとんど機能していないのだそうだ。
こちらの動きや言葉に多少は反応することから視覚と聴覚は残っているとされているが、脳波を調べた研究者が言うに「はそれは確かではない」そうだ。
いや、その研究者の著書に「五感は完全に機能していない」と書かれていた。そのうえで彼らはこちらの動きを察知し音を聞いているのだそうだ。
あるかあやふやな視覚と聴覚、これは病気のリスクとは関係ないが、痛覚これは病気と関係する。
「馬鹿は風邪をひかない」の理論だ。
馬鹿は馬鹿ゆえに自分が風邪を引いていることにすら気づかない。
痛覚をもたず言葉を話さない彼らの病気を知るのは難しい。
検査を受けることで病気の発見はできるが、費用労力を含めて大変なうえ「健康ですよ」の言葉が返ってくるだけ、まぁその言葉を聴くための健康診断であり、嬉しい言葉なのだろうが、リアルな話し大変なのだ。
頻繁に検査を受けさせる家庭もあるそうだが、うちは半年に1回だ。
医者は「過保護になりすぎてはいけない」と言っていた。
実際、生還者医療の進歩により、生還者は体を修復さえすれば何度だって蘇ることは実証されており、それを可能とする技術も確立されている。
活発な臓器の活動は、内臓の寿命を短くさせる。
だが死んだとしても何度だって蘇らせれるのだ。それこそ周囲が望めば。
「生還者は病気に強い」という言葉には、そんな意味も含まれている。
「そろそろ行かないと」
考え事なんてしてる場合じゃないと、僕は席を立つ。
アサヒを見送って5分程度が過ぎていた。これを言ったらまたアサヒに呆れられるな、と思う。
少なくとも自分の頭ぐらい自分の意思でコントロールできる程度には、しっかりしなくちゃいけない。
アサヒが僕のせいで他の友達と遊べないなんてことが、起こらないように。
自慢じゃないが僕にアサヒ以外の友達はいない、幼稚園の頃から、いや生まれた頃からそうだと言うべきだろう。
とは言え僕の周りには、幸運なことにそれを苦痛に感じさせない環境があった。つまり家族、姉や両親、そしてアサヒの存在があった。引き戻してくれる存在という安心感が、望んで孤独にひたる自分を形成させてくれたのだ。
そう、僕はそんな周囲に感謝している。
さて考え事をしているうちに昼休みも三分の一が過ぎていた。それに気づき急いで部屋を出て移動する。
向かった先はまず2年生の教室が並ぶ廊下だ。
廊下を見渡し教室を一つ一つ覗く。ここで見つけられないなら。待つしかない。
「あ……いた」
長期戦の覚悟は必要なかった。
視界の先にて昼前に会った大きな帽子の女生徒を確認したからだ。
昼休みが始まって3分の1が過ぎた時間、この時間に廊下で目当ての人物を見つけられたのは、本当に運がいいと言える。
だから無意識に漏らしたのは、安堵の声。
遠目からでも間違いないと確信できる物が視線の先でヒョコヒョコと揺れていた。
それは猫耳、ではなく帽子だ。
あと、彼女だと断定した基準は帽子だけではない。確かに帽子も特徴的だが他にもある。
それは体格だ。これは個性的というのだろうか?とてつもなく背が低いのだ。
アサヒが最初に会った時、彼女を同級生だと思った理由、先輩と知りながらも「あの子」と呼称した理由はそこだろう。外であの先輩が制服を着ていなければ、それこそ小学生と思ったに違いない。
一応これも、人間観察だ。
彼女のあの外見では、小学生と思われても仕方がない部類ということ。
人間観察とは、先入観を持って人の外見を見ることから始まる。
先入観とは、つまり社会で植え付けられた常識という物差し、つまり固定観念。
そう人はまず、相手を常識にあてはめる。
そして、僕も「先入観」を持って彼女を見た。その上で思ったことがある。
それは彼女の今の姿ではなく、帽子の下の頭を見た時、つまりあの付け耳だ「普通ではない」とそう思った。
なんと言うか、そう「いい意味で普通ではない」だ。
まぁ、他人ごととして面白い。
僕は、今ある情報を元に1つの仮説をたてていた。
もちろん、それは先輩の正体についてだ。この仮説には自信がある。
僕はそんな考えの中、彼女との距離をつめて行く。
どうやら都合のいいことに、彼女は今一人のようだ。周りに人もいない。
そんな少女を狙う誘拐犯のようなことを考えながら僕は、その人に近づき後ろから声をかけた。
「あの、先輩」
「ん?」
大きめのキャスケットを揺らして歩く少女が立ち止まり、振り返った。
「今ちょっといいですか?」
やっと やっと
せっていのせつめいがおわる。
こうはんつめこみすぎたようなきもする。