第2話 「奇跡のおきた世界にて」
キーンコーンカーンコーン
その時ちょうど、次の授業が近づいたことを告げる予鈴がなった。
「あっ、アイト~チャイム~」
「分かってるよ。ちょっと急ごうかアサヒ」
「うん」
かばんを手に取り僕は、少し急ぎ足で廊下へ向け歩きだす。
廊下では学生の話し声、笑い声があり、それが風景の一部であるかのように通り過ぎていく。
ふと思う。いつかこの廊下の何処かで、再び姉が誰かと話し、笑う日が来るのだろうか?と。
それとも、それは夢でしかないのだろうか?と。
たとえ十年後でもいいし二十年後でもいい、順番待ちをして〔生還者〕が回復するならば僕は、その列に並びたい。
だがアサヒの家族は7年待ちそれでもまだ〔生還者〕は〔生還者〕のままだ。
そう言えば、この前まで「生還者は6年と6ヶ月で回復する」なんて噂が流れていたな、何の根拠もないバカみたいな噂。
そして今では、10年経てば回復する、そんな噂に取って代わっている。
このまま、20年、30年と噂の期日だけが延びていくのだろうか?そして、その噂の原型さえも風化し消えていく。
今では回復するのではなく、一度は蘇ったはずの〔生還者〕が、ある日ポックリと全員同時に死に、あっけないまま幕切れを迎える。そんな噂もある。
朝、起きたら〔生還者〕は死んでいるのだ。その顔に安らぎに満ちた微笑を浮かべて。
笑うことのない〔生還者〕が、最後の最後に笑顔を浮かべて死んでいる。
そして「生還者問題」は終わる。
これは誰の希望として語られた話だろう?
そう悲劇ではなく、これは希望、願いとして語られた話だ。
なかば諦めにも似た終結の形、願われるのは、ただの終焉。世界のリセットだ。
この7年で望まれる「奇跡」の形さえ変わった。
〔生還者〕が、失った記憶も感情も、その全てを取り戻すという「復活」「喜びの朝」。
それは〔生還者〕が生まれてからずっと願い語られ続けてきた現象。
今では、それを皆とても遠くに感じている。
昔のように、ただそれだけを願うことが出来ない。願うことさえ愚かである気がして。
何故ならそれは言葉だけで、誰も見たことがないという意味では「嘘」と同じなのだから、頼りとされた医者も医学も結局は無力なままだ。
そう言えばアサヒが言っていた。姉が〔生還者〕になる前の数ヶ月、僕が生き生きしていたと、確かあの頃は、姉の病気に弱い体質を、いつか僕が医者になって治そうと医学に関する本を読み漁ってた頃だ。
あの頃の僕は、真剣に医者を目指していたと思う。小学生で、図書館の本を読み漁ることしか出来なかったけど、本気だった。
脳みそに、できる限りの情報をただひたすらに詰め込んでいた。
それで、いつか姉を助けるのだと、助けられるのだと信じて。
でも何故だろう?〔生還者〕になった姉を見た瞬間、全てがどうでもよくなったのだ。
そして、そんな事があったのも、あの頃の想いさえも全部、忘れていた。
覚えているのは無駄に偏った医学の情報だけ、そこに熱意なんてない。
熱意はきっと覚えている必要さえなくなったから忘れたのだろう。
朝起きたら、少し前まで見ていたはずの夢を、忘れているように、酷くあっさり。
考える必要さえなくなったから……
本当に勝手な脳だ。勝手に覚えて、勝手に忘れて、勝手に処理して、また勝手に考えだす。来る日も来る日も。
そう言えばこんな話がある。生涯で人間が最も多く嘘をつかれ、騙され続ける相手、それが「自分の脳」だと。
人間は死ぬまで自分の脳が仕組んだ嘘に気づかない。
つまり見えているものは全てではなく、見えている色は真実ではない。
聞こえてくる声も、音も、味も、感触も、すべては脳が無意識の名の下に変換している。書き換えている。
そしてその情報を「自分の頭の中にある映像は、音は、自分の目で見た、耳で聞いたのだから真実だ」と、思い込んでいる。
それは記憶さえもそうだ。
偏見や願望で思い出がその形を変えている事もある。
人が持つ感情や理性にその情報を拒む権利はない。真実かどうか確かめるすべも無い。
ましてや本人の都合のいいような美化であれば、拒む理由も無い。
とは言え、全て含めて人間が生きるために果たした進化なのだろう。使い古された言葉だろうけど、真実を知ることがよりよいものとは限らないのだから。
だがそうと知りながらも、人間は真実を求める生き物だ。
〔生還者〕ってなんだろう?それを究明せずに、保護したこの国は間違ってたのだろうか?
〔生還者〕を焼き殺そうとした何処かの宗教団体は、正しかったのだろうか?
真実などなく、ただそうあるだけの物なのかもしれない。
頭の中でただ繰り返されるだけで、真実には辿り着くことなどない疑問。
そう言えば、僕が始めて〔生還者〕を目にした時……僕は……
「うそ……」
「えっ」
ドン
気づいた時には遅かった。いつものことながら僕は間抜けだ。考え事をしながら階段を下りていたのだ。
そのせいで僕は、階段を登ってきた女生徒と、踊り場で思いっきりぶつかった。後悔も、冷や汗も、痛みも、何もかも一瞬で、真っ白になっていた頭が再び動き出す。
ぶつかった場所が踊り場の中央だったのが不幸中の幸いだった。お互い衝撃で弾かれたものの、階段から落ちることもなく、その場に尻餅をついただけですんだようだ。
僕はすぐに相手が、怪我してをないか、その姿を確かめる。そこには……
「あっ」
僕は自分の目を疑った。その理由は、ぶつかった彼女の頭にフサフサな二つの突起物。いわゆる「猫耳」と呼ばれているものが乗っていたからだ。
見てはいけない物を見た気がした。
それは当然、そういった飾りがあしらわれたカチューシャの類だろうし、そういった物があることも知ってはいるが、まさかそれを学校で見るとは思わなかったからだ。
この学校は姉から聞いた限り校則は緩く、アクセサリー関係はほとんど自由らしいから、これも一種のアクセサリーとして許されいるのかもしれないが、うーん。
考えていると頭上から声がした。それは階段の上から響く、アサヒの声だ。
「ちょっとアイト~、早すぎだよ~。待ってって言ったのに待ってくれないし~。また考え事しながら歩いてるでしょ~。それって危ないんだよ~。本当に百回死ぬよ~」
声が聞こえたその瞬間、ぶつかった相手は焦った様子でキョロキョロと辺りを見回し、自分の近くに落ちていた帽子を確認すると、慌てながらそれを拾ってかぶり直した。
その帽子は淡いピンクでキャップと呼ぶには頭の部分のボリュームが大きい、確かキャスケットと呼ばれる類の物だ。
彼女がこれをかぶると当然ながら頭の上の耳は隠れるわけだが、そんな事をせずに隠したいなら耳を外してしまえば早いのではないだろうか?それとも、あの耳はいわゆる罰ゲームの類か?または外さないのがポリシーという人なのだろうか?わからない。
何にせよ僕の目の前でその人が、帽子を頭にのせ証拠隠滅?を成し遂げた時、階段の上からアサヒが下りてきた。
「あれ~?なに~?どうしたの~?なにしてるの~?」
現れたアサヒはそんな声を上げる。
階段の踊り場に名も知らない女生徒と、僕が向かい合わせで座っているのだ。正確には、お互い尻餅をついた形で止まっているだけなのだが。ぶつかった現場を見ていないアサヒには、分からないだろう。
僕は立ち上がるのも忘れ、その女生徒の行動の一部始終を眺めていた。
相手の女生徒はというと、帽子をかぶり直すことで必死で、帽子をかぶり直した今はホッとしたのか立ち上がろうともせずに座りなおしている始末だ。
「えーと」
言葉を発した瞬間、その女生徒は、凄い勢いで睨んできた。彼女の吊り上げられた眉の下にある大きな瞳には、僕の顔がくっきりと映りこんでおり、今もビシビシと、まるで威嚇するような鋭い視線が突き刺さってきている。ここで下手なことを言ったら文字通り噛みつかれそうだ。
「すみません僕が悪いんですよね」
恐る恐るそう言うと、女生徒はそっぽを向いてサッと立ち上がり、事態を飲み込めていないアサヒをかわして、一人階段を駆け上がると、上の階へと消えて行った。
その動きはどこか獣を思わせた。
「なに~?なに~?本当どうしたの~?」
「ぶつかちゃったんだ僕が」
今も階段の中腹にいるアサヒに言う。すると。
「あっ!やっぱり~また考え事してたんでしょ~」
「うん」
「だめだよ~。それやってたら~本当に死んじゃうよ」
いつもより大きな声のアサヒが、階段を下り僕に詰め寄った。
「わかってる、気をつけるよ。ぁ……」
怒るアサヒに僕は小さく頭を下げる、その時、下げた視線の先に、光る物を見つけた。
何かの拍子で飛んだのだろう。基本、人が通らない踊り場の隅に落ちている「それ」を僕は拾い上げる。「それ」はキーホルダーと何かの鍵だった。
「なに~、まさか今の人の忘れ物~?」
「可能性はあるね」
再び鍵に視線を向ける。鍵はよくあるシリンダータイプの扉の物だろう。大きさからしても自転車の鍵ではない、多分自宅の鍵だ。ならばこれは、どのような手段でも届けるべきだろう。では落とし主は誰だろう。
ヒントとなり得るキーホルダーはと言うと動物のマスコットが付いている物で、その動物はというと、どううやら「ミミズク」のようだ。
最初はフクロウかとも思ったが顔の形が違う。ならばこそだ。可愛らしいデザインの中で、あえてそれらしい特徴を示しているのだから、ここはフクロウではなくミミズクと断定すべきなのだろう。フクロウなら「不苦労」などの当て字がされて土産などにもあるがミミズクにもあるのだろうか?
そうか「耳付く」か?だとすれば、これを落としたのは付け耳の好きな子なのかもしれないな。最近はミミマニアとかジャンルであるのだろうか?よしんばあったとしても、ミミズクとは何の関連性もない気もするが、そう考えると、さっきの付け耳の女生徒の可能性が雀の涙分は上がったような……
「どうしたの~アイト~?」
「はっ」
「あ~、また考え事したんだ~」
「う、うん。でもおかげでこの鍵の落とし主について、一つ結論が出たよ」
「なになに~」
「この鍵の落とし主は、きっと」
「きっと~?」
「変わった人だ。略して変人」
「この数秒でどんな考えに至ったかは知らないけどさ~、その言葉、アイトだけには言われたくないと思うよ~」
まったっくもって的確な答えだ。伊達にいつも隣で呆れているアサヒではない。
「アイトの考えはどうでもいいから~、話もどそっか~」
流石はアサヒ、僕のあしらいは慣れたもの、僕はそんな真面目でしっかり者のアサヒに視線を向ける。
「どうしよっか~。鍵みたいだけど~」
彼女の「どうしよう」とはつまり、これの返し方だろう。アサヒが「困ったね~」と繋げて言いキーホルダーを持つ僕の隣で考えてくれている。そんな彼女に僕は言う。
「僕はさっきの人、知ってるよ」
「え~、本当~?」
「うん、あの人が落とし主か確証は無いけど」
「何で~?何で~?何で知ってるの~」
「えっ、それは」
詰め寄るアサヒに、僕は困り顔で返す。
彼女がこんなに騒いでる理由は簡単だ。この学校に僕の知り合いが自分以外にいるという事にだろう。まぁ僕自身も驚いている、数少ない知り合いにこんな所で鉢合わせたのだから。
ぶつかった時には気づきもしなかったが、あの帽子をかぶった立ち姿には見覚えがあった。
つまり知り合いではなく、言葉通り「知っている」だけなのだ。話した事もなければ、名前すら知らない。ただその姿が印象的で覚えていた、が正しい言い回しだろう。まぁ、それですらも僕にとっては珍しいことなのだが。
そもそも僕は人の顔の覚えが悪い。これは昔からでアサヒには「記憶力がいいのに不思議だね~」と言われたが、僕は不思議には感じなかった。目に見えた景色、流れる雑踏、朝から晩までの1日の出来事、それらは不変的な文体や数式と違い流動的なものだ。一秒一秒緩やかにだがその姿を変えていく。
こういった記憶は、記憶する分野そのものが違うのだろうが、どうやら僕の脳は文字などの記憶を得意とし、思い出の記憶をずさんにする傾向があるようなのだ。これは十数年この体と付き合ってきたうえでの自論。
僕自身、しがらみというものに興味もないので、この状態も脳が自身を守るためにあえて手を抜いていると都合のいいように考えることにしている。
そもそも人の顔を見ただけで瞬時に相手を誰か認識するという行為は、人が日々、当然のように繰り返す行為ではあるが簡単な作業ではない。「人の顔」というのは、どれも類似した情報で、それが脳の中には無数に蓄えられている……
「お~い、アイト~アイト~ア~イ~ト~」
それらの記憶もまた、どれかが完全に合致するという訳ではない。人は老けるし化粧もする。また表情もある。それでも人の脳はそれらを声や状況などを組み合わせ、だいたいの場合、瞬時に判別す……
ドンッ
頭に重い音が響いて同時に揺れた。次の瞬間、後頭部が熱かった。
いや痛かった。何かが後頭部に当たり、気がつけば僕は頭を押さえてうずくまっていた。
「仏の顔も山岳地帯だよアイト~」
背後から声がする。アサヒの声だ。山岳地帯か、顔をそんな物にたとえられた仏さんは怒り狂うと、そういう意味なのだろうか?
そんな事を考えていると、アサヒが持つ鞄がカチャりと揺れる音がした。僕は慌てて立ち上がる。
「えっと、アサヒ?」
「アイト~、戻って来てたんだ~おかえり~」
殺気を感じとり立ち上がった僕の前では、鞄を片手にぶら下げ、真っ直ぐ僕を眺めて立ついつものアサヒがいた。当然のように表情は、とても穏やかだ。殺気などどこにもない。
「えっと、話を戻そうか」
「うん、そうしよ~」
いつもどおりのアサヒ、だが僕には分かる。立ち上がるのが遅ければ今頃、大変なことになっていたと、まぁ自業自得なんだろうけど。
「ごめんね。考え事しちゃって」
「どうにかしてよね~。こっちが驚いてるのに~、そっち独りで勝手にどっか行くんだから~。困るよ~」
「本当にごめん」
「それで誰なの~、あの子は~?」
ここでアサヒが話を戻した。そうだった、その話をしてたんだ。僕は自分の記憶を辿って話し始める。
「あの人は、姉さんの友達だよ」
「えっ、そうなの~。じゃ先輩ってことだ~?」
「うん、前に何度か姉さんの見舞いに来てたんだ。だから今は2年生。だから昼休みに会いに行ってみるよ」
「そう?先輩なんだあの子~。ふ~ん、私ってきり同級生だと思っちゃったよ~」
少し笑ってしまう。先輩だと理解しながらアサヒは、その先輩を「あの子」と言うのだ。
まぁ、分からないでもない……
「それより今は視聴覚室へ行こう。こうしてる間にも授業始まるよ」
「なに言ってるの~、全部アイトが悪いんだよ~」
そう言いながらアサヒは、左腕にはめた腕時計で時間を確認する。
「これはちょっと遅刻かな~」
「うん分かってるよ。本当にごめん」
「ならよ~し、急ごっ!ダッシュだよアイト~」
「う、うん」
大きな声を発したアサヒは、僕の前を早足で歩き出した。てっきり走り出すのかと思いきや、ここで走らないのが真面目なアサヒらしい。
それにしても階段を下りた後も迷うこと無く視聴覚室へ向かう彼女。
道が分からないと言っていたはずなのに、思い出したのだろうか?
そんなことを考えながら、僕はアサヒの背中を追う。そしてチャイムに間に合わないまでも、僕達は教師より早く教室に辿り着き、息を切らせながら、空いている席に座った。
タイトルになやむ
さくひんのタイトルとか
サブタイトルとか
そこはそんなじかんかけるとこじゃないのに