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第1話 「いつもの朝、よく晴れた空」

「おはよ、アイト~」

「うん、おはようアサヒ」

 アサヒが挨拶し、それに僕が応える。

 そして僕たち二人は、学校へ向かって歩き出す。これが、僕の日常。いつもの朝の風景。

 本当は、姉さんを入れた三人で登校するはずだった朝だけど……それはまだ、先の話になりそうだ。

「ねぇ~、アイカお姉ちゃんの調子どぉ~?」

「うん大丈夫。いつも通りかな」

「そっか~」

「うん」

 彼女の言ったアイトは僕の名前で、アイカは姉の名前だ。

 アサヒはたまに、弱い声で今の質問を僕にする。僕はその度に同じような返答をする。いつもどおりの笑顔で。

「生還者」となってから姉に変化などないのだから答えが同じなのは当然だろう。それでも彼女は、この質問をする。でも僕はこの質問が嫌ではない。

 彼女もずっと三人で中学に行けるのを、楽しみにしていたのだ。無意味と思えるこのやり取りも、彼女が姉の回復を心待ちにしてくれている、期待しているのだと考えれば、むしろ嬉しいくらいだ。

 今の世の中「生還者」を奇跡と歌いながら、人は外で「生還者」の話をすることを避ける。聞くことを避ける。まるでその話自体がタブーであるように、それは「生還者」の話に明るい話題がないからだ。でもそれでは、その未来にも希望がないみたいで、僕は好きじゃない。だから今のように普通に聞いてくれるアサヒの言葉は少し嬉しい。

 その後、学校までの道を歩きながら、僕達は何でもない話をした。

 学校の話、友達の話、テレビ番組の話。

 基本的に話すのはアサヒで、僕はたいてい聞き役だ。とは言っても、僕はお世辞にも聞き上手とは言えない性格で、頭はいつも勝手に別の事を考えだす。

 今日は晴れ。空は高くどこまでも突き抜けるような青空が気持ちいい。

 僕は最近よく考える。姉が生還者になってから、ずっと一人で……「生還者ってなんだろう」って。

 今まで色々な本を読んだけど、その答えがどこにも書かれてなかったのを覚えている。

 姉はずっとあのままなのだろうか?

 この前、テレビで「ずっと続く生還者の息子の介護に疲れ果て、未来に絶望して家を燃やして心中した」そんなニュースがやっていたのを覚えている。

 この国では「生還者」の人権が守られ、その全てを生きている人間として平等に扱うよう法律で保護されている。

 それはつまり「生還者」に、その人権を無視するような生活をさせていた場合、扶養者の罪となるということだ。

 そんな現実から、生還者を預かる施設が数多くできた。だが決して安いものではないそれらは、家庭の財政を圧迫する一因だ。

 アキヨ首相の時代にあった生還者に対する数多くの補助は、首相交代の後、財政難を理由に削減、廃止されていった。

 国から介護者へお金がでる制度もあるにはある。しかし制度の基準は未だあやふやで、国から出る筈の介護者へのお金は「生還者保護法」が見直される度に少なくなっているのが現状らしい。

 それは、生還者を家の中に監禁して介護をせず、国からお金だけをもらう人達もいるから。

 いやもっと言えば、生還者の体を商品として売っていた親までいたらしい。

 僕は最近不安でならない。

 僕の家族は、この先も幸せに暮らしていけるのだろうか?

 不安でならない。

 この話を、前にアサヒに言ったら。

「相変わらずアイトはさ~色んなこと考えてるんだねぇ~。でも考え事ばっかだと、頭ハゲるんだよ~」と言われたのを覚えている。

 とは言え、これが僕の性分なのだから仕方が無い。そう気がつくと僕の頭は独りで勝手に考え事を始めだす。しかも一度考え出すと周りが見えなくなってしまうのだ。

 悩まない主義の我が両親とは全く違う性格。いや、僕の場合「性格」と言ってしまうのは間違いなのだが……

「アイト~」

 どちらにせよ、困ったものなのだ。

「お~いってばぁ~アイト~」

 そう困ったものなのだ実際…………



「お~い、アイトってばぁ~」

 近くで自分の名前が呼ばれている事に気づいてハッと声の主へ視線を向ける。視界に入ったのはアサヒだ。穏やかな顔で片手に鞄をぶら下げている。

「あっ、やっと気づいた~。教室移動だよ~」

「あ、うん」

「ボ~っとしてる?今がどういう状況か分かる~?」

「ちょっと待って」

 声をかけてくれたアサヒに返事をしてから一呼吸、その後で周りを見回す。アサヒ以外に人がいない。

 ここは中学の教室で、壁にかけられた時計を見ると、既に午前の授業はほぼ終わり、残すはその教室移動が必要な授業だけだった。

 登校からこの時間、この間に何が起こっていたかというと……僕は記憶をめぐらせる。

 アサヒと一緒に登校し、席に座り1時限目の教師が来たのまでは覚えてる、が……。

 またやってしまったという感じだ。

「ごめん、また迷惑かけたね。アサヒ」

「いいって~昔からだし~。そうだぁ~午前の授業のノート見る~?ざっと2時間分~」

「うん、見せて」

 手早く鞄から取り出される2冊のノート、それをアサヒから受け取ってペラペラと流し見る。どれも綺麗な字で整理されて書かれている、しかもノートを取った日付まで。アサヒは喋り方がこんなだが成績はいい。なんでもテキパキとこなすしっかり者だから周りの評価も上々だ。

「今日の分は後のページだよ~」

「うん」

 答えて、ノートの後ろからページをパラパラと送っていく。白紙のページが何枚か続き字が書かれたページへ行き着く。もっとも新しく書かれた場所だ。

 見た限り二教科ともこれといった進展は無かったらしい、これなら教科書を読んでする自主勉強で遅れることは無いだろう。考えるだけでげんなりする話だけど仕方がない、自業自得というやつだ。

 僕はノートを閉じて、アサヒに返した。

「ありがとうアサヒ、助かったよ」

「うん、こんなものでよければね~」

 僕のこの行動にも慣れているアサヒは、そう言ってノートを受け取ると、それを自分のカバンにしまう。そう、昔から僕達はこうしてきたのだ。

「はぁ」

「どうしたの~」

「またアサヒに迷惑かけちゃったなって、思って」

「だから、いいって~。これくらいなら~。だって今のアイトには~私しかいないんだから~」

「ありがとう、でも先の事を考えるとそうも言ってられないんだよね」

「そだね~」

「今回も気がつけば2時間以上たってたわけだし……」

「あっ、でもでも寝てるわけじゃなくて~、考え事でそんなに時間を潰せるなんて~ある意味凄いよ~」

「それってフォロー?」

「うん一応~。でも心配はしてるし~、できる事があるなら手助けもするよ~ド~ンと言ってきて~」

「ありがとうアサヒ」

「うんうん、アイトは、無理せず今のままでいいんだよ~」

 僕の頭は欠陥品なのだ。

 自分でもよく分からないのだが、考え事をしていると気がつけば2時間後などざらにある。

 脳が情報処理を行っているのか?ただ単純に怠けているのか?パンクしてフリーズしているだけなのか?未だ原因は不明だ。

 まったく、自分の事ながらとんでもない話だ。

 当然、これで昔病院へ連れて行かれたこともある、周りから見れば恐いのだろう。

 考え事の間の僕は、目をあけたまま表情はピクリとも動かさないらしいから、それで医者の出した結論は……

「まず関心をもちなさい。君は、自分の周りの出来事や目に見える世界を軽視しすぎている。だから何より身近な物にもっと興味を持ちなさい。興味を持てるものを見つけなさい。そうすれば無為な考え事から開放されるはずです」だそうだ。

 とは言え僕自身、この世界を軽視しているという意識はない。問題は世界に対する執着心の無さなのだろう。

 そう考えるきっかけをくれたのは他でもない、姉さんだ。

 姉こそやっと見つけた。僕の意識を、この世界に繋ぎ止める執着だった。

 僕はテレビ番組の中では一番「ニュース」が好きだった。ニュース番組で流れてくる情報から、悲喜劇を想像するのが一番楽しかった。

 これを学校で言うと変だと言われたが、姉に言うと「いいね。私は読書が好き。私はそこから想像するの、なんか似てるよね。私達」 そう言ってもらえた。その言葉は、僕にとって救いだったんだと思う。あれからだ、撲が姉に心酔していったのは、そう覚えている。

 あの日から、姉と一緒の時だけは、今回のように無為に時間を使う考え事をしなくなった。

 姉の影響で本を読むようになった。

 気がつけば姉より沢山本を読んでいた。その色々な本の内容について姉と話すのは、本当に楽しかった。

 姉と一緒の時だけは、僕は心から世界を楽しんでいた。でも、話し相手になってくれていた姉はもう言葉を失ってしまった。

 姉の病死。あれから、回復していたかに見えた僕の脳は、また思考にのめりこむようになっていった。そう、たった今の事といい、最近は重症といえるくらいだ。

 僕の頭は姉が「生還者」になってから考え事ばかりしている。それこそ朝の姉と一緒にいる時でさえも、考え事をしてしまっていた。

 僕は生還者になった姉に、興味をもてなくなった。それは意識してではなく無意識に、僕の中で姉の価値は変わってはいないのに、なのに……

「お~い、アイト~お~いってばぁ~」

「あっ……」

「また固まってたよ~アイト」

「えっ、ごめん」

「そろそろ時間が無いんだよ~」

「うん、行くよ」

 つまり、まぁそう言うことだ。今のまま考え事を続けていれば気がつけば数時間後となっていたかもしれない。そんな油断ならない脳を抱えているせいで、僕はアサヒに迷惑をかけぱなしなのだ。

「ほんと病気だね~大変だぁ~」

 と、これは僕を見下ろして立つアサヒのやや能天気な言葉。僕は顔を上げ言葉を返す。

「否定はしない。でも、アサヒはこんな僕によく付き合ってくれるよね」

 見上げた視線の先には、いつもの笑顔でアサヒが立っていた。

「そりゃあね~、ほっておけないからね~。なにせアイトは考え事をしながら歩くから~、私がいなかったら1週間に百回は死にそうだし~」

「それも否定しない。昔から何度も助けられてるわけだしね。本当に感謝してる」

「ははは、面と向かって言われるとなんか照れちゃうね~」

 そう言うとアサヒは、視線をそらせ背中を向けた。

「どうしたの?」

「別に~」

 そのままアサヒは視線をそらせたまま「あははは」という場を取り繕うような笑いを浮かべながら立っていた。そしてその声も消えて、もう既に誰もいない教室に、静寂が訪れた。僕は椅子に座ったまま、窓の外を眺める。

 晴れた空、いい天気だと思う。

 また、こんな日よりが心地いいとも思う。

 目に見える世界に興味を持つとは、なんだろう?こういう事でいいのだろうか?

「何より身近な物にもっと興味を持ちなさい」病院で先生は、僕にそう言った。身近な物とは何だろう?姉を失った今の僕の、身近な物とはなんだろうか?

 シャーペンだろうか?消しゴムだろうか?もし消しゴムだと仮定して、それにどう興味を持てばいいのだろう?そう例えば、使えば使うほどその身を削っていく消耗品ゆえの悲しいサガか。つまり犠牲の精神?献身の心?いや、消耗品という所に社会の、いや生命の儚さを……

「あ~~~……」

「えっ」

「まさかとは思うけどぉ~、もしかしてまたトリップしちゃってたのかな~?アイト~」

「あっ、いやっ、大丈夫だよ」

 とっさに視線を教室へ戻すとアサヒの呆れた顔が見えた。

「いや~、今のは完全に、向こうへ行ってたねぇ。間違いなく数時間パターンだったよ~」

「わかるの?」

「長い付き合いだもんねぇ~、分かるよ~」

「困ったもんだね。僕は」

「本当だね~」

 困った顔のアサヒが答え。左手で自分の髪をかき上げた。

 彼女の左手がひるがえり、髪が揺れる。

 左手の制服の袖が重力に従いずれていく、彼女の細い手首が現れる。

 いつもはそこに腕時計をはめている。大き目の腕時計、アサヒのお気に入り彼女のお母さんの腕時計だ。

 また頭がボーっとしてきた。眠いのとは違う、なのに思考が定まらない。

「困ったもんだよ」

 言い終えた後のアサヒが悲しげな視線を僕に向けた。

 それは一瞬だったが、アサヒのそんな表情はとても珍しくて、着ている制服が、かつてのここに通っていた頃の姉さんと同じ物だからだろうか?姉さんと重なって、アサヒが少し大人びて感じた。

 そして僕は姉さんについて、大切な何かを忘れている気がした。不安感とともに。

「うお~い」

「あっ」

「はぁ、また目を開けて固まってたよ~」

「う、うそ?」

「で、思ったんだけど~アイトってさ~、私のこと全然見てないよね~」

「えっ、そんな事ないよ?」

 突然の言葉に驚いて、僕はそう答えた。とは言え嘘ではない。……筈だ。

「じゃあ聞くけどぉ~、さっきはボーっとして~、一体なに考えてたの~?」

「えっと、考えていた事は……」

「うん、うん」

 謎の気合がこもったアサヒの厳しい視線が刺さる。僕は考える。「何を」と聞かれて困ったのだ。色々と答えたいが、それではいけない気がする。かつて通った病院のこと、と答えればいいのだろうか?これも何か違う気がする。もっと具体的な答えがいい筈だ。そう決めて、彼女を見て正直に答えた。

「しいてあげるなら、消しゴムのことかな」

「へ……」

 視線の先には、「ガ~ン」と声に出して言わんばかりに打ちのめされた、アサヒがいた。

「うわ、かなりショックだよ~……私が側にいるのに、消しゴムのこと考えてたんだ~。私の存在ってば消しゴム以下なんだ~」

「そんな事ないよ」

 どうやら正直に答えてはまずかったらしい。目の前でアサヒが、落ち込みや落胆を超えて一人たそがれている。

「聞いてるアサヒ?アサヒは消しゴム以下じゃないよ」

「さらに追い討ちで、酷いフォロー入れられたよ~。なんの慰めにもならないフォローだよ~」

「ごめん」

「私てっきりさ~、アイカお姉ちゃんのこと考えてるんだと思ってたのに~それなら負けても仕方ないって思ってたのに~……なのに消しゴムって何それ~?使えば使うほどその身を削っていく消耗品ゆえの悲しいサガについてでも考えてたの~?どうでもいいよそんなの~」

「ははは……」

 フラフラと揺れながら、うな垂れたアサヒは両手を僕の机について体重を預ける。そんなアサヒにさりげなく僕の考えを言い当てられたわけだが、そこは肯定せにずそっとしておこう。

 ここで肯定したらアサヒの傷を広げそうだから。僕は別の言葉をフォローに入れた。

「あっ、でも最初は姉さんのこと考えてたよ。そこから派生していったんだ」

「どう派生したらぁ~、アイカお姉ちゃんが消しゴムになっちゃうの~?全く理解できないよ~」

 まったく、僕自身もその言葉には同意したい気分だ。

「それは色々あったんだよ」

「色々ってなに~」

「はは……色々は色々だよ」

 つまり聞かれても困るのだ。一々説明するのがバカバカしいくらい僕は、自分でも下らないと思える事を日々何時間も、無為に考えているのだから。それこそ人生の3分の1の時間が、気がつけば流れていたと言えるくらい。

 これは本当に困った病気なのだ。

 さてそんなことを思いながら僕がアサヒの質問を笑って誤魔化しているその間も、彼女の左手の下では、今にも僕の消しゴムが押し潰されようとしていた。

「はぁ、疲れたよ~」

 これはアサヒの言葉。そう言ったアサヒは、さっきまで机に預けていた体を自分の足で立たせて、僕を見下ろしていた。

 椅子に座ったままの僕は彼女を見上げて言う。

「本当に、ごめんね」

「いいけど~。アイカお姉ちゃんがああなってから、昔みたいに考え込むし~ううん、もう昔以上だしぃ~。私と話してる時くらいはぁ、しっかりしてて欲しいよ~」

「うん……」

「アイカお姉ちゃんが、あぁなる前の数ヶ月は、凄い生き生きしてたのにさ~」

「えっ、僕が?」

「まさか忘れたの~?」

「……うんその、前後の記憶がちょっと、あやふやかな」

「えぇ~……そりゃあ、ショックなのは分かるけど……」

 トーンダウンしていく声でそう呟き、アサヒは黙った。

 静かになった教室で、何も書かれていない黒板をアサヒごしに眺めながら、僕の脳はまた考え事を始める。

「ショックなのは分かる」たった今、アサヒが言った言葉だ。

 彼女は数年前に僕と同じ経験をしている。ある意味、彼女は僕の先輩なのだ。それは、「生還者」を家族に持つという事、肉親が「生還者」となるという事。

 そう彼女の家にも「生還者」がいる。それはアサヒの母親だ。

 もう7年になる。つまり皆が「奇跡」にわいていた頃から、この7年間ずっと、父親が家で世話をしているとか、仕事もして。そして、娘を育てて。

 僕はアサヒの父親は凄いと思う。

 投げ出さずに、それを続けてきたのだから、奇跡が起きるなら、まずアサヒの家からだ。

 僕は、そう信じている。考えている。祈っている。

 奇跡は、彼女の家にこそ相応しいと。

 でも、そんな奇跡は……まだ誰も知らない。

 いや、奇跡だけならもう起こっているのか死者の復活という形で、僕たちが願ったのは復活の後に当然あると信じた復活した者との語らい……

 ゴン

「がほっ」

 何かが後頭部に当たり、机に向かって考え事をしてしまっていた僕は、そのまま机に顔をぶつける。

「もう、まただよ~仏の顔も3種類までなんだよアイト~」

 横からアサヒの声が降る。

 僕は机に突っ伏したまま、意味の分からないアサヒの言葉を聞いていた。

 そして考える。

 3種類という事は、コンプするのは簡単か?いや「仏の顔も」ということは他にも何かあるのか?と

「まさか、まだ考え事してる?」

 呼びもどそうとするその声にハッとして上体を起こす。

「大丈夫、流石にこれはないなって思ったから」

 顔を上げると、いつものアサヒがゆれる鞄を片手にぶら下げて、まっすぐ僕を眺めて立っていた。

 表情は、とても穏やかだ。

「えっと、ごめん」

「まったくだよ、私と話してる途中でまた考え込んだんだよ~。それに、さっきも言ったよ~そろそろ時間が無いよ~って」

 いつもどおりのアサヒ、ただ彼女の持つ鞄が揺れて、ひょっとことお多福のキーホルダーが、ぶつかってカチャリと音がする。

 あぁそうか、と状況を理解した。

 アサヒが久しぶりにキレたのだ。いや今もキレてる。表情こそ変わってないが怒っているのがわかる。

 キレたアサヒは高速で鞄を振り回す力を得るらしい。その力は1秒に3千回も人を殴打できるとか出来ないとか、当然ながらアサヒ談だ。

「そだね、それじゃあ行こうかアサヒ」

 ずっと座っていた席から立ち上がり、全身で伸びをすると、隣で立つアサヒの顔を見て言った。

 それに対して彼女が笑顔で答える。

「うん、視聴覚室だよ~。場所って覚えてる~?」

「それくらいは、誰でも覚えれるよ」

「じゃお願い、私まだあやふやで~」

「うそ」

「私が方向音痴だって知ってるよね~。だから、待ってたんだよ~」

「うん、そうだったね」

 忘れていたアサヒは方向音痴らしいのだ。

 らしいと言うのは、これもアサヒ談だから、小学校の時に言われるまで知らなかったし、気づきもしなかった。

 何故ならアサヒが道に迷った話は、一つとして思い出せないから。でも

「本人が言うならそうなのよ。あまり深く聞いちゃダメよ」

 その姉さんの言葉で、僕は考える事も、その事を記憶にとどめることさえやめた。

 それに今に思えばアサヒが方向音痴で、僕は助かっている。今回のように呼びに来てくれるし、下校時も待っていてくれたりする。

「連れてってくれるよね~」

 朝一緒に登校するのも、彼女の方向音痴のおかげなわけだ。

 なら恩は返さないと。

「わかった。じゃ行こっか」

「うん」

 アサヒの返事を聞いて僕は歩きだす。そのまま彼女を導く形で教室を出た。

 キーンコーンカーンコーン

 その時ちょうど、次の授業が近づいたことを告げる予鈴がなった。

あした、もういちわあげます

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