「意識の転換とその後、今に続く流れ」
これは日常の話だ。
どこまでも、いつまでも、ただ淡々と続くだけの
そんな僕の、日常の話だ。
ある日、世界が変わった。ある出来事を きっかけにして、それが〔生還者現象〕である。
今から7年前のある日を境に、病気など臓器に著しい外傷なく死んだ者が、死後1日たって生き返るという現象が、世界中で起こり始めた。
つまり、死んだとされた者の心臓が再び脈打ち、蘇生したのだ。
当初は医者の軽率な死亡告知が原因などと取り上げられたが、その日を境に世界中で死者の復活が確認され出すと、それが医者の判断ミスで片付けられるものではないと人々は気づき始める。当然ながら、世界中に動揺が走った。
だが生き返った者の体をいくら調べても、彼等の体に身体的な異常は、全く認められ無かったのだ。
この日より、この国の病院が変わる。
死んだと聞きかされ、もう二度と会えないと思っていた愛する者の復活。
動く姿を確かめ、抱きしめ、心臓の鼓動を聞き、そのぬくもりに歓喜の涙を流す。
そこにあったのは、まるで映画のラストシーンのような光景だったろう。物語に良くある「奇跡」だ。現実として、これをなしたのは医者や医学ではなく、突然の死者の復活という異常、非日常なのだから。
考えられてきた常識の崩壊。
当初は医者を含め、この現象に恐怖する者、また嫌悪する者が多くいた。そこからだろうか、自然発生的に、多くの噂またデマが流れ出す。そして「まず、原因を究明すべき」という声があがった。
だが、現実その余裕は無かった。
病気で亡くなった者、心臓発作や老衰、更には溺れたり首を絞められるなど窒息によって死んだ者。そのほとんどが病院にて復活を果たすのだ。それは、とんでもない数となる。
世論が原因よりも、この状況への対応策を国に求め始める。この変化に時間はかからなかった。
そして、この現象が起こり始めて3ヵ月後。大きな転機がおとずれる。
ある者が公式の場において、この現象をただ一言「奇跡」と呼んだのだ。
死者が復活したあの日から「奇跡」などと言う言葉は、世界中で溢れていた。だが国の代表がそれを口にしたのは、これが始めてだった。
この一言をきっかけに一つの国が動きだすことになる、世界とは別のレールの上をただまっしぐらに。
「皆さん「ありえない」という言葉は捨てましょう。今はまず人道的に、最も速やかな対応を」これが、この国の発表である。
「人が生き返るという事」その現象について考えるのではなく、ただまず「奇跡」として受け入れようと言うのだ。
この発表は、国内において思わぬ支持を得た。それは、否定の声をかき消すほど。
その理由を上げるなら〔生還者〕の数が増えるに比例して、この現象を喜ぶ者が増えたからであろう。これは世界的に見ても否定できない事実である。
次に この国の国民は、この現象に対して当初から疑心などよりも、喜びの方が強かったからだと言える。神を信じ、強い信仰心をもつ者達ほどこの状況に混乱し答えを求めたが、この国での宗教や信仰は人を縛る程のものではなく。その信仰心のなさに反比例するように、多くの国民が自国の技術に対して根拠の無い自信を持っていた。
つまり「いずれこの現象も時がたてば解明される」と考えていたのだ。
また国民のほとんどが〔生還者〕を受け入れる豊かさを持ち合わせていたというのも大きい。そして国民性とでもいうのだろうか?単純に「奇跡」というイベントや、「人道的」という言葉が好きだったのだ。
この国の国民は、純真に再会と言うイベントに酔い、幸せを感じていた。
人が復活する。誰も不幸にならない。そう信じた。だから、この現象で生き返った者を、この国では「苦難より生きて還って来た人」という意味で〔生還者〕と呼んで迎えるに至ったわけだ。
では次に〔生還者問題〕について話そう。
〔生還者問題〕
時代の流れの中で、世論は〔生還者〕の失われてしまった戸籍の再登録と、人権の確立。世界レベルでの、〔生還者の保護〕を訴えるに至っていた。
これが〔生還者問題〕の始まりである。
「〔生還者〕を人として認知せよ。〔生還者〕に人権を」がこの国から世界へ向けて叫ばれた。だが、どの国々も今すぐ回答を出すことに難色を示した。
その理由は、今まで触れなかった「〔生還者〕の特性」にある。〔生還者〕は皆、等しく知的障害を抱えているからだ。活発だった者、聡明な者、カリスマをもつ者、どんな者であろうとも〔生還者〕として生き返ると、知能が赤子か老人の様になるのである。
言葉に反応する事はあっても喋る事は無い。たまに、うめく様な声を上げはするが、それだけで会話はできない。故に一部では彼等の脳に「昔の記憶」が残っているのかさえ疑問視されはじめていた。
急に大声でわめいたり、近所を徘徊したりする。これを理由に「〔生還者〕は、生者にあらず」を掲げた者がデモを起こしたこともあったらしい。
当然、混乱は世界中であった。正式な判断を、何度と無く覆す国。行き過ぎた研究で〔生還者〕を何体も殺してしまう国。一部の宗教団体では〔生還者〕を「動く死体」を意味する「ゾンビ」と呼び、国の判断を待たず「〔生還者〕は焼く事」を義務にし強制していた。
などなど色々なニュースが、当事の新聞の一面を飾る。「これは大量虐殺か?」などという見出しで。
そうあの日から、世界中の国々で……いや、世界中の人の心の中で「歓喜」と「失望」・・・・・・「混乱」と「矛盾」が起きていたのだ。
そして、どの国の国民も、自国の発表を待っていた。
そういう意味で言えば、最も早く「〔生還者〕保護」を唱え、それを実行して守り貫き続けるこの国は、それだけで世界から評価される存在だったのかも知れない。
いや、評価されたがっていた。と言うのが正解だろうか?
この国は、〔生還者〕という問題に、世界に先駆けて答えを出したという事実に酔っていたのだと思う。
この現象を「奇跡」と呼んだアキヨ首相、その決定は英断だったとニュースやマスコミは煽り。当時のこの国の世論は、それに乗っていて〔生還者〕を「奇跡」と受け取る者が大多数をしめるに至っていた。
そんなムードの中で、この国だけが早急に〔生還者〕の人権を法で認め〔生還者〕の保護を法のもとで約束したのだ。
外国がそれに難色お示す理由を、多くの国民が考えさえしないうちに。一部で首相の「奇跡」発言と一連のこの流れは「アキヨ首相の暴走」と呼ばれた。
それは最初の〔生還者〕が生まれた日から、ちょうど1年が過ぎた日。〔生還者保護法〕が施行される日に大きな式典が開かれた。
当事、圧倒的な支持率で全盛期を迎えていたアキヨ首相、彼が見せたこの式典は、とてもテレビ的で華やかなものだったらしい。「〔生還者〕の保護は豊かな国の義務」きっとそんなメッセージもあったのだろう。
〔生還者〕という奇跡、死者の復活という奇跡を、これでもかと盛り上げる演出、式典の最後には、この国で最初の〔生還者〕とその家族が呼ばれ、アキヨ首相と一緒に食事をし、その様子が世界へ向けて放送されたのだという。
もっとも、食事といっても〔生還者〕は、アキヨ首相が口に運ぶ料理を無表情で食べるだけだったわけだが、演出としては充分だったのだろう。
「こうして生きている者を殺すことなど、許される筈がない。そう、彼等は生きている。〔生還者〕は生きている。他の国の方々にも、この事実を認めてもらいたい。そして、立ち上がってもらいたい。それが私の、今の願いです。どうか彼等の、第二の人生を認めて、助けてあげて下さい」
そんな、アキヨ首相の言葉で式典は締めくくられた。
この時点では問題は、表立って語られるには至っていなかった。
では、問題が水面下から浮上する「〔生還者〕の保護」が約束された、この「式典」の2年後へ話を移そう。
それは〔生還者〕誕生から3年と数ヶ月が過ぎたころだ。
それは〔生還者〕誕生から3年と数ヶ月が過ぎたころだ。
任期を終えずに突然、姿を消したアキヨ首相。今も未解決の「首相行方不明事件」。
そして、新たに決った首相が発表した「数字」が、この国が抱える問題を浮き彫りにした。
「現在、この国において〔生還者〕の数は、かつて集計した数の、約10倍以上に膨れ上がっています。この数字は、これから増えることはあっても、減ることは無いでしょう」
彼が発表した数字は、二つ。
一つは、今も爆発的に増えているという「〔生還者〕人口」つまり「否労働者数」。
そしてもう一つの数字は、それにともなう「税率の引き上げ」である。
「〔生還者〕保護法」によって定められた彼等に払われる賃金。彼等の生活を支援するシステムの費用、維持費。それは纏めると莫大な数字になり。それの全てが税金で払われる。そのために、税金が上げられる。
これが現実だ。
「〔生還者〕は国民の税金を食い続け増え続ける」
「アキヨ首相は判断を見誤って、だから逃げたんだ」
そんな言葉がどこからともなく囁かれ始め、世論は「〔生還者〕保護法」の見直しと状況の解決を新たな首相に期待し、返ってきた税率の大幅な引き上げという結果に失望した。
失望それは、かつて信じた「奇跡」の終わり。
失望の理由には〔生還者〕の中に一人として知能を回復させた者が現れず。世界で見ても、その治療法についての報告は、一つとしてされなかったのも大きいだろう。
さらに言えば詐欺事件も多くあった。もっとも多いのは外国で開発されたという触れ込みで〔生還者〕の治療薬を高額で売るというもの、結果としてバカ正直な者が損をして騙す者が得をする。
奇跡の日々の中にあったのは、そんな何処にでもある日常だけ。こういった現実が、かつて「死者の復活」にわいた国民の心を、急速に冷ましていった。
国としてもそうなるように情報を流したのだろう。税率引き上げ次期にかぶせる様に「〔生還者〕保護法」は見直された。税率引き上げは〔生還者〕のせい、それを刷り込むために。
多くの者に関心を持って見てもらうために。
〔生還者〕を保護することの危険性を、周知の事実とするために。
だがここでも国は大きく舵をきる事はなかった。ここにきて支持率を気にしたのか?「〔生還者〕にも優しい福祉の行き届いた素晴らしい国」というスローガンを掲げた。
〔生還者〕を家族に持つ者の負担が増し、風当たりも強くなる。残ったのは、彼等への介護ストレスと、それを抱える家族の苦しみ。苦悩。金銭的問題から来る破綻。
何より多いのは、〔生還者〕が気まぐれに出すうめき声や叫び声に心を病んでいくケースだ。
心を病んだ者の行き着く先は、養わなければならない〔生還者〕を殺し殺人者としてつかまるか、自殺や心中。ただそうして死んだ者も〔生還者〕となる、そうなれば〔生還者〕のホームレスだ。
「奇跡」が次第に泥臭くなっていく。この後も、なんら進展を見せないまま三年の時間が経過した。
この間も〔生還者〕の数は人の死と共に増え続け、それを家族にもつ家庭もまた、必然として増加していた。
国民の行き場の無い〔生還者〕への不満は〔生還者〕の受入れを即決した、かつての国への批判に姿を変え、この問題は現在に至っても、人々の生活を圧迫し続けている。
現在の政府もこの問題には、あえて触れず、宙に浮かせたまま時間だけを浪費していた。
政府の誰もが、自分が「第二のアキヨ」となることを恐れたのだ。だから発言を控える。
現在〔生還者〕誕生から7年目。今はまだそれを原因とした大きな事件は、起きてはいない。
だがいずれ、この飽和状態は崩れるだろうと思う。それだけ今が不自然なのだから、この異常の結末がどの様な形で訪れるのか、今の僕には分からないが、例えそれが「〔生還者〕の全否定」であったとしても少しでも多くの人が納得できる物であれば、それでいい。
そう……僕は考えている。
これが僕の見解だ。
さて、では僕の話をしよう。
僕の家にも〔生還者〕がいる。5ヵ月前に病気で死んだ姉だ。
それもあって色々と生活は大変だけど、娘と暮らせる生活には変えられないと、父も母も言っている。
だから現在。僕の家はおおむね幸せなのだと言える。
僕の家、雪下家の家族構成は父と母と僕、そして〔生還者〕となった姉の合わせて4人だ。
姉は僕の事を理解してくれた、とても優しい人だった。だから僕は、誰よりも姉の事が好きだった。だけど生まれた時から体質で、免疫力が弱かった姉は、病気にかかり5ヵ月前に死んだ。13才だった。
生まれた時、普通の生活をすれば短命だと、言われた姉。
無菌室など、限りなく病気のリスクの低い場所で暮らすか、それとも普通に外で生活を送るか。その問いの答えに両親は前者を選んだ。シビアな話、金銭的な問題もあったのだろうけど、僕はこの選択に間違いはなかったと思っている。
どんな人間も病気にかかる。姉は少しだけ、そのによるリスクが高かった。だから姉の死は、「運が悪かったね」それだけの話なのだ。
これは他の誰でもない、姉自身の言葉だ。
その運によって僕は一番大切な人を失い、僕の世界は壊れるはずだった。
だけど「奇跡と呼ばれる現象」は、誰の身にも平等に起こるものなのだそうだ。こうして医者は再び、両親に選択を迫った。
この時の選択は「〔生還者〕選択」だ。
〔生還者〕を家族に持つ事のリスクは前に述べたとおり、だからそれを避けたい者は〔生還者〕となる前に死体から心臓を抜き取る「心臓摘出」という手術を行うよう願い出る。
これを行う事によって死体は確実に〔生還者〕にはならない。この選択権は家族にある。ここで一度〔生還者〕にすることを選び、蘇生が確認されれば、死体は〔生還者〕扱いとなり、その瞬間に人権も復活、その後は普通の人間と同じである。
家族に扶養義務がうまれ、それを拒否することはできない。一生面倒を観なければならない。〔生還者〕も歳をとるが、それで死んだという話は聞かない。
この「〔生還者〕選択」こそ、人が人に対してもつ唯一の生殺与奪の権利であり、〔生還者〕によって起こる人口爆発に危機感を覚えた国が、唯一とった人減らしの方法なのだ。
それでも一部では「廃止せよ。命への冒涜だ」という声があがっているらしく、一般的にも「心臓摘出」を選ぶ家族は少ない。この選択に「殺す」というイメージが強いのだろう。更に家族を失った悲しみの中で問われる問いだ。多くのものが家族が〔生還者〕となることを望む、仕方のないことなのだ。
さて、話を戻そう。この選択の場には僕もいた。発言はしなかったが覚えている。「生き返るまで、今から約一日の猶予があるから話し合った方がいい」という医者に、両親は、迷わずその場で姉の再生を望んだ。
こうして姉は、死後1日たって〔生還者〕となり生き返った。
約束された奇跡、日常となった非日常、僕と両親が見守る中、姉はゆっくりと……まぶたを開けた。
父も母も、それを見て大喜びしていた。
僕は何故か、両親のように喜べなかったのを覚えている。これが半年前の出来事だ。
そして、今の姉は病院を退院し家にいる。〔生還者〕となった姉は、もう病気の心配は無いらしい。体は昔以上に健康になったのだそうだ。皆が「奇跡」と言っていた。
「家族四人、助け合って生きていこう」
両親はそう僕に言った。僕は「うん」と頷いて答えた。「奇跡」に不安を感じながら。
僕は姉が好きだった。いや、今も大好きだ。これは事実なのだから、姉と暮らせる今という時間はきっと、幸せなのだ。
だけど、なんだろう?〔生還者〕となった姉の姿を見るたびに、どこからともなく湧き上がる違和感と不安感。幸せだと思おうとする中で、それは今もくすぶっている。
さて〔生還者〕となった姉が家に帰って来て、今日で何日目だろうか?僕は今、既に日課となった「朝御飯」のため、姉のいる部屋の、扉を開けた。
いつ来ても変化の無い姉の部屋、姉は入ってきた僕を見ることもなく、ベットの中央で座っていた。優しい笑みを浮かべて。
「起きてたんだ、姉さん」
「…………」
何も答えない姉、虚ろな瞳で虚空を眺めているままだ。
僕は姉がいるベットの端へ座ると、持ってきた朝食を自分の膝に乗せた。
それはパンだ、〔生還者〕のために作られた栄養調整パンという食パン。名の通り栄養が適度にいいらしい。
家庭によっては普通と同じように食事をさせるところもあるが、うちは共働きなのでこれを使っている。
生前と同じような食事をさせないと記憶が戻らないという噂があったりするが、記憶が戻ったという事例が一つとして無い以上、デマもいいところだと思う。
「ぁぅ……ぁぅ」
背中で小さな声がして、僕は上半身をひねり姉の顔に視線を向けた。
それは姉の声。パンを見た姉が、食事を悟って声を上げたのだ。とても小さな声、でも昔から聞いてきた姉さんの声だ。
姉は〔生還者〕の中でも大人しい部類に入る。
寝ている時は横になり、起きるとベットの上で座る。それ以外に動いている所を見たことがない。徘徊癖も、奇声を上げることもない。たまに今のように呻くだけだ。
長く付き合う分には、これくらいが手がかからず良いらしいのだが、これはこれで回復を願う家族としては、少し寂しい。
〔生還者〕になる前の姉が、読書好きで大人しく運動オンチだったからだな。と両親は結論づけていた。
我が両親は「悩まない主義者」なのだ。
「ぁぅぅ……」
考え事しているとまた催促されてしまった。僕はパンを千切って姉の口もとへと運ぶ。姉は無言で口を開けて、それを食べた。
「どう、おいしい?」
僕は姉にたずねる。だが愚問だ。このパンは、決して美味しくはない。とは言え姉は、5枚ぎり食パンの形をしたこれを、軽く3枚は食べる。
口元に持って行きさえすれば一斤だって食べるかも知れない。いや、間違いなく食べるだろう、それこそ一斤といわずいくらでも。
「まだあるよ、ほら」
今の姉は、食欲だけは旺盛だから。
このことに両親は喜んでいる。この食事の時間が今では唯一、家族の行動に反応してくれる瞬間なのだと。
死者復活の「奇跡」の次にあるのは、常闇の日々に横たわる、幻滅と苦労だけだと、どこかの本で読んだのを覚えている。
姉はいつか回復するのだろうか?それよりも今、幸せなのだろうか?
姉が生きてここにいる。だから、いつか元気な姿で同じ中学に通える日が来る。
それは姉と一緒に思い描いた未来。願った未来。でも姉の死で一度は諦めた未来。
だけど両親は言った。「信じて待っていれば、なんとかなるものだ」と、なんとも我が両親らしい、根拠のない言葉だと、そう思ったのを覚えている。
そして同時に、でもそうなってくれればとても嬉しい。そう思ったのも覚えている。だから僕は、今の姉を受け入れようと、そう決めたんだ。ただ回復だけを信じて。
「姉さん、僕は中学生になったんだよ。ハハハ、何度目になるかなこれ話すの?いつか一緒に登校したいな」
苦笑しながら毎日のように口に出して姉に言う。これが僕の、今の夢だから。
ピーンポーン
「あっ、アサヒが来たんだ」
呼び鈴に急かされるように膝の上のパンを袋に戻して立ち上がると、扉へと向かう。ドアノブに手をかけて、そこで振り返り、最後に姉に言った。
「それじゃ姉さん、行ってくるね」
とは言え、返事などある筈も無い。僕が入ってきた時と同じ、何事にも微動だにしない姉がそこにいるだけだ。僕はそんな答えない姉を残し、部屋を出ると、自分の部屋で鞄をとって玄関へと向かう。
外では同い年の女の子が待っている。
学生服を着た僕が、玄関の扉を開けて外へ出た時、その女の子は僕に笑顔を向けた。
「おはよ、アイト~」
「うん、おはようアサヒ」
あぁさむい
つたないうえに、しっぴつそくどもおそい。
1しゅうかんに なにかいっさくはあげる。
いまあるのはそんないきごみだけです。