5.屈した僕らは
「その誘いを断る、と言ったら?」
屋上で向き合う男女四人。
そのうちの一人である僕は、迷わずそう言った。
危険があるのならば、最初のうちに取り除かなければならない。
この問いに、暴力的な手段で答えるのならば問答無用。捻り潰してサヨウナラだ。
僕としてはこっちの方が助かる。魔術がある今、相手が《魔女》であろうとそうそう負けることはないはずだから。
だから、僕が最も警戒しているのは──
「あんまりはっきり言われると、ソラも悲しくなってしまいます……あまり、こういう手は使いたくないのですけども」
ソラが暴力に出る気配はない。
あーあ、やっぱり嫌なパターンか。
「実は昨日、すでにこの学校には訪れていたのです。校長先生とも相談したんですよ?その結果──我々機動課の勧誘に乗り、属すると言うのなら、この学校は卒業。二度と来なくて良いとの結論に至ったのですが。
……はて、確か吾妻さんたちは、早くにも卒業したいと言っていたそうですね?」
外堀から埋めて、逃げ道を無くす。
僕はこういうことをされるのが嫌いだ。
自分がするのは構わないけど、他人にされるのは本当勘弁。
主導権を握った気になる奴って、本当大嫌い。
「で、それだけ?そりゃあ区役所勤めになるんだから、学校に来る意味がないでしょ。卒業しなくても就職先があるってんだから。
それと、確かに僕らはさっさと卒業したい。けれどそれは、自由になりたいっていう子どもみたいな理由なんだ。卒業する代わりに働かなくちゃいけないなんて、僕らが望む展開じゃない」
そして、こういう奴らは絶対に僕のこの言葉を想定している。
だから、切り返しも早い。
「なら、自由にさせてあげましょう」
「…………」
ほら、僕らの逃げ道は無くなった。
学校を卒業して、さらに自由になれるというのなら文句のつけどころがない。つまりこれは、ただ名前だけを貸せば良いということ。
ふむ。
ま、普通に考えて。
「「あり得ないよね」」
僕とキタノの声が綺麗にハモる。
「そこまで僕らの逃げ道を塞いでおいて、肝心なところを忘れてるんだもんなぁ」
「しょうがないんじゃない?どうしても私たちを〝支配下〟に置きたいみたいだし」
支配下という言葉を強調するキタノを、目を細めたソラが睨む。
「ああ、そうなんだ。それなら仕方ないなぁ。頭が良さそうだったから、てっきり僕らの一番嫌いなこと、知ってるのかと思ってたけど。それが目的なら、見えなくても仕方ないね」
もったいぶった言い回しを続ける。
そろそろ我慢の限界なのか、ソラが変わらずのんびりとした口調の中に、少し棘を含ませる。
「あの、結局はどうなさるのでしょう?正直、ここまでの条件を提示されていて断る理由がソラには──」
「その一、超胡散臭い」
キタノが満面の笑みで、手に持っていたコインを投げ上げながら言う。コインは、チリンと音を鳴らしながら空へと消えて行く。
太陽も負けんばかりのその笑顔は、その実月の輝きで。
つまり、太陽に照らされ輝いているところ以外は真っ黒。月の裏側のように、影を帯びた笑みだ。
その笑みと同種類のものを僕もたたえ、後を続ける。
「その二、誰かに命令されるのは腹立つ」
こいつらがやっていることは、つまりそういうことだ。
『おまえら機動課に入れ。そして〝監視下〟で自由にしてろ。拒否権はない』
そう言っているのだ。
そりゃ、いくら気前の良い条件を提示したって。
建前を並べたって。
そんなの、胡散臭くなる一方だ。
そして何よりも、僕らは誰かの下にいるのなんてごめんだ。
言っただろう?主導権を握った気になる奴は大嫌いなんだ。
どこでどう僕らのことを知ったのかは知らないけれど、あれくらいで調べ上げた気になられちゃ困る。
キタノはわからないけど、僕の人生はこの世界にはない。
『あの世界』で過ごした時間。あのすべてが、僕の人生そのものだ。
「教えてやるよ」
ヘラヘラ笑いながら、僕は呟く。
脳内で言葉を厳選し、気持ちが真っ直ぐに伝わるように文を組む。
その作業はまるで、ラブレターでも書いているみたいで。
「──僕おまえらのこと嫌いなんだ。だから帰れ」
まあ、ラブレターからは遠くかけ離れたものだけど。
名付けてアンラブレター。
僕のアンラブレターを受け取ったソラは、表情を変えなかった。
「もう、ミナミちゃんは……なんで最後の最後で『僕ら』じゃなくて『僕』って言っちゃうかなぁ」
代わりにキタノが拗ねた。
は?
別に『僕ら』なんて言ってな──
……………………。
「なんで人の言葉をそんな細かく憶えてんだよ。気持ち悪りい」
「あはっ、ミナミちゃんの言葉はなんでも憶えてるよ?その他のことはあんまりだけど」
「やっぱストーカーだおまえ。ユーノスやリオンが可哀想だな」
「あっちでのことはそれこそ全部憶えてるよ。私が言ったのは、こっちでのこと」
「どっちだって良いよ。気持ち悪い」
「もうそれ言うのやめてよ。ゾクゾクする」
「変態マゾ魔女め」
ある意味ではいつも通りの会話を前に、ソラの表情はやはり変わらない。
相変わらずの〝鉄面皮〟を貼り付けたまま、動かない。
「──わかりました」
ポツリと、聞こえるか聞こえないかの声で漏らす。
「やはりあなた方のことが欲しくなりました。力づくでも来ていただきます」
最初のような、『微笑んだように見える』無表情で呟くソラの周りからは、魔力の放出によって生まれる空間の歪みが現れていた。
「はっ、最初からそう来れば話は簡単だったのにね」
僕も右手に、辺りに散らばる精霊を掻き集める。
魔術というのは、空間に存在する精霊に己のマナ──魔力のようなもの──を食わせることで発動させることができる。
人間のマナをバクバク食って腹一杯になった精霊が、キャパシティを超えたマナを力に変えるのだ。
それによって引き起こされる現象は様々。だが、そのほとんどが世界の法則に真っ向から喧嘩を売るようなもの。
人間は、その力を支配することによって望むままの現象を引き起こす。
それこそが魔術。
僕は、これがある限り負けない。
まあ、問題があるとすれば──
「その光は……」
ソラが驚いたような無表情を見せる。
──こうして、精霊が集まると眩い光を放つため、魔術を使うタイミングがモロバレということか。
それにしても、最初から気になっていたけれど。
このソラの、表情が見える無表情はなんなのだろうか。不気味だなぁ。
見れば、背の高い方は何もせず突っ立ってるだけだった。
「そっちは何もしなくていいわけ?」
ボーッとしていたのか、数瞬遅れて反応するその女は、僕の言葉にもボーッとする。
「……ああ、良いの良いの。ソラが全部やっちゃうから。精々足掻きなさいよ」
まるで僕らの相手はソラで十分だと言っているかのような物言いに、少しだけ腹が立つ。
そのソラはといえば、先ほどから僕の右手から放たれる光を凝視している。
「……それは吾妻さんの固有魔法ですか?」
「さあね。おまえらに教えることはない。言ったはずだけど?」
そう返しながらも、僕は脳内でクエスチョンマークを浮かべる。
固有魔法。聞いたことないなぁ……。
ま、それは潰してから聞けば良いか。
と、その前に、聞いておかなければならないことがある。
「ねえ、場所移したりとかして良い?」
「なぜでしょう?」
おそらくは地の利を奪われないためだろう。そう聞いて来るソラに、一言で返す。
「人殺しにはなりたくないんだ」
「なるほど……それなら心配しなくても良いですよ。この狭い日本で人がいない場所を探す方が手間ですから、先にご用意させていただきました」
「へえ、どこ?」
「ここです」
そう言ってソラが指差したのは屋上の床。
「《政府》には、《空間凍結》という魔法がありまして。文字通り空間そのものを凍結させて、空間への被害を無にする──というものです。相当魔力の消費する魔法ですが、今回、あなた方を力づくで連れて行く可能性を考え発動させていただきました。この屋上の扉を開けた瞬間から、この空間は凍結されています」
「そんなのが使えるなんて、《政府》ってのも凄いなぁ。でもそれさ、風とかどうなの?今もこの屋上に吹いてるんだけど」
「流動物……水や空気なんかは凍結されません。人間や建物などの固体は凍結され、我々がどんなことをしても傷一つつきませんが。ここの生徒で試してみましょうか?」
「やめとく。おぞましいよ、そういうの」
「ああ、あと。先に聞かれる前に申し上げておきますが、ソラたち四人は凍結されていません。そう設定しているのです」
「どんだけご都合な魔法だよ。《政府》はチーターなの?」
「ある意味では」
それで確認は終わりだと言外に告げ、ソラはこう言った。
「さ、全力でどうぞ?滅多なことではソラは死にませんので人殺しにはなりません。持てる限りの力をすべて、ぶつけてください」
あからさまな挑発。
だが、僕らはそれに乗る。
どうってことはない。この一撃で潰せば良いだけのこと。
「じゃ、お言葉に甘えて──」
────パァンッ!
両手を祈るように合わせ、その中に精霊を閉じ込める。
暴れる精霊が光を放ち、その光量は増しに増して行く。
そこに、生命力を流し込む。
限界まで潰された精霊が、さらなるマナの奔流によってキャパシティをあっという間に超える。
そして──爆ぜた。
「後悔するなよ。これは人殺しじゃあない。過失はそっちにある」
合わせた両手の中で、どんどん精霊が爆ぜて行く。
その数は上昇し続け、ついにある一定の量を超える。
「──人助けなんて傲慢だ──誰かのためだなんて詭弁だ──僕の力は僕のために使う──」
およそ詠唱とは思えないそれは、紛れもなく魔術を発動するための術式詠唱だ。
「──精霊解放術式・第一【偽善者】──」
本来、精霊とはマナそのものだ。
その精霊にマナを注ぎ、キャパシティを超える分は吐き出し世界の法則に喧嘩を売る力へと変化させる。
では、吐き出す間も無くマナを注ぎ続ければどうなるだろうか。
アンサー。やがて精霊は腹を膨らませ──破裂する。
死んだ精霊はマナに還り、ことさら強力な力へと変化する。
それを意のままに操る。それが精霊解放術式。
現れたのは巨大な剣。
神々しく光るその剣は、しかし芯がない。
表面だけを繕った、まさに偽善の剣。
だがそれゆえに、偽善は突き刺さる。
「相空ソラだっけ?変な名前だね。サヨウナラ」
僕が向ける笑顔は優しさを伴っているはずだ。
どういうわけか、【偽善者】を使うと僕の顔に笑顔が貼り付けられる。
この笑顔で僕は、『あの世界』を乗り切った。
剣が振り下ろされる。
この剣に斬られても、直接的な肉体へのダメージはない。
あるのは、精神的苦痛。
自分の中にある偽善が肥大化し、精神を狂わせる。
それにより崩壊する心は、立ち直ることはない。
ある意味で、人を殺すよりも惨い倒し方になる。
そんな剣を、ソラは──
「──これは、固有魔法ですらありませんね……」
その身に受けながら、表情を崩さなかった。
「うそ……」
僕のこの剣を知っているキタノが漏らす。
顔や声には出さないが僕も驚いている。
この剣を受けた者は必ず精神が崩壊する。
それなのに、ソラは涼しい顔で喋っている。
「魔力の気配が感じられない。さらには、魔法の基礎である暗示すらかかっていない。そんな状態で放たれるソレはなんなのでしょう。あなた方の空白の二年半に何か関係があるのでしょうか。
ああ、気になって仕方がありません。上だけではなくソラにすら、このような感情を抱かせるなんて──余計に欲しくなりました」
無表情のくせに、恍惚とした表情に見える。
それは雰囲気が為す技なのか、言葉が為す幻視なのか。
この《魔女》は、得体が知れなさすぎる。
「吾妻さん。あなたはソラが貰います。なので──ソラの力に、屈していただきますね」
「チッ──やなこった」
マナは魔力のように、無尽蔵に供給されるわけではない。それは生命力。使い過ぎれば命に関わる。
精霊解放術式は、ただでさえ足りないマナを精霊から切り崩す形で発動するのだ。そんなものを発動した後は、しばらく途轍もない疲労感に襲われる。
そんな様子を見せないように努めるが、呼吸が荒れたり汗が噴き出したりなどという生理現象には抗えない。
「ミナミちゃんは下がってよっか。ここから先は私が相手するよ」
そんな僕の様子を察したのか、キタノが前に出る。
押し付けがましいと思うが、正直なところそれなりに辛いので助かる。
「今度は西織さんですか。どのような不思議な技を見せてくれるのでしょう?」
「んー、私は普通に魔法を使うよ?まだ君の力とか測れてないし、そんな状態で私も動けなくなっちゃったらそこで試合しゅーりょー、だしね」
ああ、やっぱり賢ぶっても僕は馬鹿か。
確かに、相手の実力をちゃんと測れていないのに全力一歩手前なんて大技を出したら相手の思う壺。
確実に潰せると思った、僕の慢心だ。
「それに、あまり君たちにアレは見せたくないし」
キタノは右手を銃のように構えソラに向ける。
初級下位魔法《稲妻》だ。
「アレは私たちにとって、とっても大事なもの。ミナミちゃんの剣を食らっても平然としている君がアレの構造を理解しちゃったら、何に利用されるかわかったもんじゃないしね」
右手人差し指の先にバチバチと閃光が爆ぜる。
これは……《稲妻》じゃない。
「初級上位魔法《超雷》──そのようなもので、ソラを倒せると?」
「うん。そうだよ?でもまあ、さすがにこれ単体じゃあ無理かなーっても思うから──」
辺りの空気が冷えて行く。
原因は、キタノの周りに浮かぶ氷結。
「これは……初級上位魔法《超空冷》。空気中の水分を氷に変えるものでしたね」
「さて、ここで問題です」
キタノが明るい声で、だが凍てつく氷のような表情で言う。
「雷はどうやって落ちるでしょうか?」
キタノの周りの氷が互いにガツガツとぶつかる。その度に火花が飛び散り、その規模がやがて大きくなっていく。
ここに至り、ソラはキタノが何をしようとしているかを知る。
「まさか──」
「雲の中にある氷同士がぶつかって、それによって発生する稲妻が幾重にも重なって落ちる──だったっけな?とりあえず、氷同士をぶつければあれだけの雷が落ちるんだよ。周りに浮かんでいるのはそのための氷」
行き場を求め空気中を舞う蒼電は、徐々に徐々に、その狙いを絞って行く。
「もう一つ問題です。私はこの小さい雷を君にぶつけるつもりだけど──どうやってでしょうか?」
その時僕は、ソラの後ろに漂うコインに気づく。
あれは──最初に投げ上げたコインだ。
初級上位魔法《浮遊》で浮かべているのだろう。
「避雷針──ッ!!」
「せーかいっ♡それでは正解者へのご褒美──致死量の雷です」
キタノの右手から《超雷》が爆ぜた。
放たれた小さな雷は、周りに浮かぶ小さな雷と重なり誘爆する。その姿は一匹の竜を連想させる。
竜は、ソラの背後に浮かぶコイン目掛けて一直線。
空から落ちる雷なんか目じゃないほどの巨大な雷になってソラを襲った。
「名付けて《麒麟》──ちょっとカッコよすぎかな?」
おどけて言うキタノに、僕は呆気に取られる。
キタノが使ったのは初級魔法ばかりだ。
本来ならほとんど危険性のない、日常生活に役立つ程度のもの。
それらが組み合わさり、絶命へと追いやる必殺の魔法になった。
キタノの魔法センスは、もはや《魔女》として一線を画している。
流石にあれではソラも……だが【偽善者】を食らってもけろっとしていたソラのことだ。気を抜くのは危ない。
「──ふぅ。痛かったのですよ」
そんな僕の予想通り、ソラは何でもないかのように佇んでいた。
キタノも今度は驚かず「あーあ、ダメだったかー」と少し肩を落とすだけに留まっている。
「妙な技を使うのはお互い様じゃないか……」
ようやく体を包む疲労感が晴れ呟く僕に、ソラはその無表情を向ける。
「妙な技ではありませんよ。ソラの固有魔法です」
「さっきも言ってたよねそれ」
キタノが言外に、それはなに?、と問う。
「固有魔法というのはですね、文字通り個人がそれぞれ持つ魔法のことです。
とは言っても、誰もが固有魔法を手にすることができるわけではありません。その魔法を使えると思い込む。その暗示が、通常の魔法を使う時より強くかかっていなければならないのです。当たり前ですね。本来ならできるはずのない、新しい魔法を生み出そうというわけですから」
さっき僕の魔術を見て口にしたのはつまり、そういうことか。
初級魔法から上級魔法のどれにも属さない魔術を見て、それが僕の固有魔法であると思い込んだわけだ。
「ソラの固有魔法は《阿修羅》──三つの顔があるあれの名前ですね。その能力は──」
「待てよ」
僕はその先を続けようとするのを止める。
「なんでそこまで教える?」
もしかしたら、これから僕らに与える情報は、僕らを惑わすための嘘かもしれない。
その可能性を潰すために聞く。
そんな僕を、ソラは何の疑いもない目で見る。
「仲間になる人たちとは、情報を共有するべきではありませんか?」
「よく言うね……」
こいつ、僕らが仲間になることをなんら疑っていない。
まあ確かに、僕らは二度ソラを殺し損ねたわけだが。
「能力、説明させていただいても?」
「ここまで止められてもする気なのかよ。ただの喋りたがりなんじゃないの」
「そうかもしれません。なにぶん、ソラは友達が少ないので」
好きにしろよ……。
口に出したわけではないが、僕の顔から察したのだろう。意気揚々と《阿修羅》について話し出す。
「ソラの《阿修羅》は、端的に言えば防御魔法です。直接的に攻撃を防ぐのではありません。相手の攻撃を受けながら、ダメージを受け流すのですよ。
だから、吾妻さんの巨大な剣を受けても何も起こらなかったし、西織さんの雷に焼かれても細胞の一つも死んでいないわけです」
まあ実際は、僕の【偽善者】を食らっても肉体にはなんの影響もないわけだが。
そうなると、《阿修羅》とやらは精神的なダメージすら受け流すと。厄介だなぁ……。
「だから、あなた方がどれだけソラを攻撃したとしても無駄です。ご理解いただきましたか?」
ソラの無表情からは、それが嘘かどうかを判断できない。
参ったな。
これは本当に、負け。
「力づくって言ったくせに、僕らを攻撃しないで黙らせるなんて性格悪いなおまえ」
「あら、魔法は立派な力ですよ?何かを壊すための、殺すための力です。その力の前にあなた方は屈した──その意味を、正しく理解していますか?」
これほどの奴が、機動課長という座に収まっているのなら。
《政府》というのは、どれだけのものなのだろうか。
珍しくも僕は身震いしていた。
勝てない。
勝つための、明確なビジョンが浮かばない。
魔法が蔓延るこの世界は、思い込み、つまり暗示がすべてである。そんな節がある。
そこで、勝てる、と思い込めないのは少し辛い。
文句無しの、負けだった。
「──わかったよ」
僕の口から漏れ出たのは降伏の言葉。
キタノは何も言わない。
またいつものように、僕についてくるのだろう。
「《魔女》の巣窟に飛び込んでやろうじゃんか。確かに今の僕らじゃ勝てない。そこに行くしかないね」
「ご理解いただけてなによりです」
「ただし」
喜んだような無表情を見せるソラに、僕は突きつける。
「おまえらを倒せると見たらすぐにでも倒す。そして、本当の自由ってやつを手に入れてやるよ」
そんな、どこの熱血モノの主人公だよと言わんばかりのセリフを吐き捨てる。
「ふふっ。吾妻さん、あなたは冷めた人だと思っていましたが──意外と熱いのですね」
「ははっ。自分で情報収集力が足りねえこと曝露してんじゃねえよ。馬鹿に見えるよ?」
そんなこんなで、僕、吾妻ミナミと西織キタノは《魔女》の巣窟──東京区役所警察機動課《魔女》部隊へと、その足を踏み入れることになった。
凍結された空間は解凍され、また街が蠢き出す。
テロが終わったのかどうかもわからない状態で生きる日々は、本当に日常と呼べるのだろうか。
それを日常と呼ぶのなら、僕は日常から足を踏み外すことになる。
緩く流れる学校という日常から、常に緊張している戦場へと。
────とでも思った?
僕はすでに《阿修羅》の本当の能力に気付いた。
当たり前だろう。
僕は圧倒的に馬鹿だ。
だからこそ、より相手を理解しようとする。
相手が使う魔法を深く知ろうとする。
結果、それは僕の力となる。
まあ、この癖のせいで人間嫌いは悪化したんだけど。
どんな攻撃も受け流せる?
そんなのはあり得ない。
なぜなら、人間はどんな死も回避できないからだ。
死ぬほどの攻撃を浴びて『死なない』と思い込めるはずがない。
ならばそこに矛盾が生じる。
なぜソラは生きていたのか。
それは、人間は『少しなら我慢できる』からだ。
おそらく《阿修羅》の能力は、決まった回数だけ死を受け流す──のではないだろうか。
痛みや傷をその体に残し、やがて死に至る。そうすると、《阿修羅》の能力が発動し『その死を受け流す』。
そうすることでソラは生きているかのように見えた。
少しだけ我慢する。痛いのを我慢し、死さえも我慢した時だけ発動される。
《阿修羅》というからには、我慢できるのは顔の数だけ。つまり三回だけ。回数制限を設けることで、我慢しうるだけの精神力も持ち合わせるのではないだろうか。
あと三回だけなら、それだけならば我慢できる──と。
これが《阿修羅》の正体。
だからソラは、三回目以降の攻撃をさせまいと必死に口を動かした。
攻撃しても無駄だ、諦めろ、と。
一回分残したのは、僕らがさらに攻撃してきた時、訪れた死を受け流し能力に説得力を持たせるためだろう。
攻撃してこなかったら、それはそれで結果オーライ。
これでめでたく僕らの敗北は決まる。
能力について嘘をついたのは当然、回数制限があるのを悟られないため。
回数制限があるのは、精神力を強くするためだけではないのだろう。
単純に、死を受け流すだなんて所業を何度も行うことが難しいから。
それに気付かれたら逆に、ソラはジ・エンドだ。
でもそうはならなかった。僕が、《阿修羅》の正体に気付いた上で負けを認めたから。
なぜか?
もちろん、強くなるため──つまり、自分のためだ。
ソラには数打ちゃ勝てる。だけど、それじゃダメなんだ。
受け流せないだけの死を与えられるようにならないと。
そうでないとたぶん、あのロボットには勝てない。
だからこそ、強くなるために負ける。
負けるのは嫌いだったけど、不思議とこの時ばかりは悔しくなかった。
そう、僕は。
──勝つために、負けたのだから。
だから言ってやった。
「──わかったよ」
「《魔女》の巣窟に飛び込んでやろうじゃんか。確かに今の僕らじゃ勝てない。ついて行くしかないね」
「ただし」
「おまえらを倒せると見たらすぐにでも倒す。そして、本当の自由ってやつを手に入れてやるよ」
僕らを利用しようって奴等を利用して、強くなる。