第六話 職種
人のざわめきで目が覚めた。朝になり、商店街に人が増え始めているのだろう。
湯と布で身体を拭いてさっぱりとした後、俺はすぐに寝入ってしまった。なんだかんだで疲れも溜まっていたのか、どんな職業になろうかなどと考え込めたのは束の間で、居心地のいいベッドが俺の意識を刈り取るのは一瞬だった。
熟睡して頭はすっきりしている。階下に降りていくと、食堂は開店前の準備中だった。宿泊客の朝食は、今の時間に出すことになるらしい。独占状態で広く見える中、カウンター席に着く。
朝飯は、卵に浸してやわらかく焼き目をつけた雑穀パンの料理と、カリカリに焼いたベーコンとソーセージ、柑橘類のジュースに、玉ねぎと鳥肉の欠片が入ったスープである。
昨晩のシチューほどではないが、朝から食べるには少なくない量が盛られているそれらを見て、俺は歓喜した。太るかもしれない、という懸念はあったものの、身体が活力を求めているので問題ないだろう。若い身体というものは、想像以上に食に対して貪欲であるし、何よりこの世界の飯はとても美味いのだ。
がつがつとボリュームのある朝食を平らげながら、朝の仕込みで忙しく動き回るドミニカに話を聞く。今日の目標は、職業の選択と、装備品や道具の調達。それに、風呂屋を見つけることだった。
ドミニカによると、冒険者ギルドの近くに、ちゃんと風呂に入れる施設があるらしい。迷宮帰りの冒険者や、自宅に風呂がない中堅ぐらいの富裕層が良く利用している、とのことだ。
(にぎわってるなあ)
冒険者ギルドの本部に入ると、朝も早いというのに、すでに結構な数の人がいた。人だかりができているのは、依頼書のようなものが所狭しと貼られた木製のボードの前である。
施設の案内板でも読んで、目的の部署を見つけるつもりでいたのだが、その案内板を見つけるべくきょろきょろとあたりを見回していると、冒険者の一団を相手に何やら話しこんでいるミリアムの奥で、書類を手に持っていたディノ青年と目があった。そのまま彼はこちらへ近づいてくる。
「やあ、ジルさん。今日はどうされました?」
「冒険を始めるにあたって、職選びとかをどうするかの相談に来たんだ。初心者への講習みたいなものはないかと思ってな」
「週に一度、ギルドの職員が新人の方向けに講習会を開いていますが、あいにくと五日後ですね。私で良ければ、わかることは説明いたしますが」
「ありがたいが、いいのか? 昨日もそうだったが、長いことディノを付き合わせたし、仕事に影響が出ると悪いからな」
「構いませんよ、もともと私の所属している案内人部署はギルドの総合案内が主な業務ですから。いわば、ジルさんの相談に乗るのも私の仕事です」
「そうか、じゃあお言葉に甘えさせてもらうわ」
昨日、ディノと話をした席に二人で腰をかける。近くを通りがかるお姉さんに声をかけて、ディノは茶を持ってこさせてくれた。俺は駆け出しの冒険者で、まだギルドにいかなる利益も与えていないというのに、ここまで丁寧に応対されると申し訳なく思えてくるほどの厚遇である。
「こざっぱりしましたね。食事には無事、ありつけましたか?」
爽やかに笑いかけてくるディノ青年は、昨日より心もちフレンドリーである。
「ああ、おかげさんで。『鯨の胃袋亭』ってところに宿を取ってる。このあたりの飯って美味いんだな、驚いたわ」
「それはいいところに泊まりましたね。女将と大盛りの食事が名物ですが、あそこの食堂は評判がいいですよ。ちょっと食べきれない量を平然と出してくるので女性はあまり寄り付かないんですが」
「違いない。最初は驚いたが、どうも俺は大食らいらしくてな。あの店はすごく気に入ったよ」
「それは良かったですね。迷宮素材を使った食事はもう体験されましたか?」
「迷宮素材っていうのが何のことかわからないが、昨日出されたのは弾果肉っていうのを使ったシチューだったな」
「あれはおいしいですよね。弾果肉もそうなのですが、迷宮で産出する食材は格段に味や香りが良かったり、元気が出たり美容に良かったりと特別な効果があります。特殊な読み方をする食材はほぼ迷宮素材なので、機会があれば食べてみるといいですよ。ちょっとお値段は張りますが」
(――なるほど)
チェルージュのところで飲んだ炎帝茶も、そうだったのかもしれない。鎮静作用があったみたいだし。
「美味いものが多そうだな。冒険者稼業の楽しみにしておくよ」
「極鬱金で焼いたステーキが個人的にお勧めです。僕の好物なんですよ。今日は、職選びに迷われたとか?」
ディノ青年が本題に水を向けてくれたので、今の悩みを率直に伝える。
そもそもどんな職業があるのか知らないことや、一人で迷宮に潜るか複数で潜るか迷っていること、パーティを組むなら不足しがちな、あるいは供給過多な職業がないかどうか。一人で迷宮に潜るなら、お勧めの職業はあるか。
話を聞いて、笑い出すかと思いきや、ディノ青年は感心した面持ちである。
「パーティにおける需要まで考えて職を選ぼうとする人は珍しいですね。大抵の方は、竜を討伐して名誉を手に入れたいから花形の戦士になるとか、女性であれば、近接戦闘が少なく、薄手の装備で過ごせる魔術師になりたいとかがあるんですが」
なりたい職業がないと暗にけなされているようで心にダメージを負う。もちろん被害妄想ではあるが。
「そりゃあ、伝説の剣みたいなものを装備してばったばったと魔物を斬り倒すのに憧れなくもないが。まずは安定して生活できるぐらいの収入は確保しないとな。なんせ、こちとら貯金を食いつぶす無職なんだ」
「ギルドとしては、現実的で大変結構なことだと思います。理想と現実のすり合わせに苦労する方は少なくない数、いらっしゃいますから」
「どういうことだ?」
「先ほどジルさんがおっしゃった、強い武器を装備して魔物を倒す大活躍をされたい欲求をお持ちの方ですね。富裕なご家庭のご子息が前衛職になられて、狩人や魔術師を自分の添え物のように見下してトラブルになったことが何回かありまして。そうでなくても、技量の吊り合わないパーティだと色々とあるんですよ」
「なんとなくわかるわ。自分が一番じゃないと嫌だ! ってタイプな」
「他にも、中々強くなれないで苛立つ方も少なくありません。魔物を倒すと少しずつレベルは上がっていきますが、しかしそれも遅々としたものです。強大な魔物と戦うのを夢見て冒険者になったのに、実際は生活のために自分よりも弱い魔物を狩り続ける血生臭い日々――ある日嫌気が差して引退、なんて場合もありますね」
「そんなに楽な場所じゃないんだろうな、迷宮って」
「そういう意味では、生活のためと割り切れずに苦しむ人は大勢います。ジルさんはやはり有望株ですね」
「現実が見えているって褒められるのも妙な気分だな。職の種類とかを教えてくれるか?」
ディノ青年が苦笑して、咳払いをする。
「すいません、脱線が過ぎましたね。そういうトラブルの解決も案内人の仕事だったりするので」
「ああ、苦労してるのか。何となく察するよ」
「まず、パーティの立ち上げ方についてお話ししましょう。元からの友人同士が集まってパーティを組む場合もありますが、同じレベル帯の方が集まって即席のパーティを組むための集会所がここ、冒険者ギルド内にあります。目的は地下二十階付近の魔物狩り、レベル600以上の戦士と魔術師求む、などといった募集をかける形ですね。何度か冒険を共にし、気があった仲間が見つかった方は、固定パーティを組んだり、ギルドを立ち上げたりなさってますね」
「ギルドを立ち上げる?」
「裁縫ギルドや魔法ギルドなど、公的な活動を街が認可したものとは違いますが。同じ目的を持った集団、という意味合いですね。信頼しあえる仲間たちと、自分たちが作ったギルド名を共に名乗るのです。冒険者だけのギルドもあれば、鍛冶師や錬金術師など、冒険を支える物資を作れる生産職の方が所属している場合もありますね。いわば家族のような所帯です。近郊にギルドハウスとなる家を買って、共用で使っていい回復薬などの物資を備蓄したり、寝起きの場所に使うギルドもあります」
「なるほど。冒険で討伐した儲けの何割かをギルドに寄付して、生活を保障してもらってるってところか」
「有益な情報を共有したり、駆け出しであれば戦い方を教えてもらえたりもするかもしれません。便利な反面、身元が保証されていない方を身内として招き入れるのですから、易々と入れるギルドは少ないですね」
「ギルドに入るのは気が進まんなあ。パーティを組むぐらいならともかく、大人数となると気を使いそうだ」
「おや、意外でしたね。人付き合いは苦手ですか?」
「好きでも嫌いでもないかな。一人が気楽だと思う部分もあるし、賑やかだと楽しいって側面もあるだろうさ」
「頑なに一人で迷宮に潜る冒険者の方も少なくありません。好きになさっていいと思いますよ」
「まあ、追々考えるさ」
「パーティの話に戻しましょうか。戦士、狩人、魔術師を最低一人ずつ入れる構成が最も一般的だといわれています。敵の攻撃を受け止める前衛、敵の接近と罠を感知する中衛、回復と攻撃魔法で支援する後衛、この三つの役割を割り振るわけですね。もう少し大人数のパーティになると、同じ魔術師でも支援担当と攻撃担当で二人いたり、壁役の戦士と攻撃役の戦士がいたりと様々です」
「なるほど。魔術師だと金属の鎧を装備できないとかがあるわけか」
「ありませんよ? 魔術師でも狩人でも、全身金属の鎧を装備することは、一応可能です」
は? と間の抜けた声を出してしまう。
「筋力さえ足りていれば、どのような職の方が全身鎧を装備しようと自由です。金属鎧はマナ残量の回復を妨げますが、魔術師であれば精神やマナ回復スキルが高い分、それでも戦士よりもマナの回復は早いでしょう」
いいですかジルさん、とディノ青年は乗り出してきた。
「戦士や狩人、魔術師といった職も、便宜上そう呼んでいるだけで、本当はそんな境目なんてないんです。戦士だって魔法を唱えることができますし、魔術師だって近接武器を持って戦うことができます。不意打ちによる死亡の危険を避けるために魔術師が全身鎧を着込んでも、それは本人が選択した立派な戦術なんです。先ほどジルさんが仰った、魔術師や狩人は皮鎧しか着ない、戦士は金属鎧を装備しなければならない、というのは確かに試行錯誤の末にできあがった一つの模範解答ですが、それが必ず正しいわけではないのです」
柔軟に考えて頂きたい、とディノ青年は続けた。こっそり周囲の様子を伺うと、ミリアムと目があった。ご愁傷様、とでも言いたそうに肩をすくめているので、恐らくディノ青年の熱弁はいつものことなのだろう。妙なところで熱い奴である。
「レベルが十分にあり、脅威となる魔物がいないような階層で戦士が狩りをするなら、全身鎧はむしろ邪魔でしょう。皮鎧、ないしは普段着の方が動きやすくて効率が上がります。狩人は隠密や斥候技能のために、移動するときに金属音がしない鋲皮鎧を愛用しますが、別に魔物に見つかってもいいなら全身鎧でいいのです。変り種で、全員が弓矢と金属鎧を装備した狩人の固定パーティがいましたが彼らは素晴らしい安定性を持っていました。近づかれる前に矢の一斉射撃で魔物を仕留め、接近されたら短剣を抜いて応戦するのです。重要なのは武器や防具、それぞれの利点を知悉し、自分のスタイルや挑む魔物の状態と相談しながら――」
「わかったわかった、落ち着け」
しまいには机に両手をついて乗り出してきたので、押しとどめる手振りでディノ青年をなだめる。はっと気づいた調子のディノ青年は頬を赤らめた。
「すみません、ちょっと熱くなってしまいまして」
「いいさ。実際、ためになる話ではあった」
「長々と喋ってしまったのに心苦しいのですが、もう一つだけ助言させてください。それは、器用貧乏になるなということです。例えば、魔法戦士ですね」
「ふむ? 名前の響きからすると格好いいが」
「言葉通り、遠距離は魔法で魔物を攻撃し、近距離は手に持った武器で戦うというスタイルですね」
「いいとこ取りに聞こえるが、なぜダメなんだ?」
「それを説明するには、スキルについて理解して頂く必要があります。私の紋章を見せますので、しばしお待ちを」
馴れた手つきで指先を刺し、ディノ青年は自分の血の紋章を起動させる。
情報のいくつかを操作してから、彼はそれを見せてくれた。
【名前】ディノ・クロッソ
【年齢】25
【所属ギルド】冒険者ギルド
【犯罪歴】0件
【未済犯罪】0件
【レベル】2200
【最大MP】35
【腕力】78
【敏捷】108
【精神】35
『戦闘術』
戦術(66.2)
斬術(58.2)
刺突術(54.3)
打撃術(12.0)
格闘術(35.5)
弓術(8.2)
『魔術』
魔法(32.4)
魔法貫通(8.0)
魔法抵抗(35.1)
マナ回復(22.3)
「つよっ」
思わず俺が言ってしまったのも無理はないだろう。俺のレベルが230なのに対して、ディノ青年は2200である。単純に数字だけで見るならば、彼は俺の十倍は強いことになる。
「三年ほど、迷宮にもぐっていましたから。冒険者ギルドに入るのが目標でしたので、引退もすぐでしたがね。このレベルで、中堅冒険者になりたてぐらいの強さです」
「そうだったのか。ベテランになるとどれくらいのレベルなんだろうな」
「『開拓者』の異名を持つ、最上位の冒険者のレベルは1,000,000を超えていますね。詳しい数値は教えられませんが」
「百万レベル――? なんか現実味が沸かんな、そこまでいくと」
「パンチ一回で、大岩を軽く砕きますよ、彼は。有名人なのでそのうち見かける機会もあるでしょう。彼でも、竜を相手取ると力負けすると言っていましたね」
「迷宮は恐ろしいところだな。百万レベルより強い奴がいるのか」
「彼の話によると、竜よりもさらに力の強い、龍や古龍といった魔物も存在するそうです。竜ごときに負けているのは精進が足りんと反省していましたね。何かと話題に事欠かない人物ですよ。ところで、私の紋章の、戦闘術、という項目を見て頂けますか?」
「ああ、これか」
『戦闘術』
戦術(66.2)
斬術(58.2)
刺突術(54.3)
打撃術(12.0)
格闘術(35.5)
弓術(8.2)
「戦術は、どれくらい戦い慣れているかを表します。基礎ステータスの腕力が高くて、この戦術スキルの値が高いほど、剣や弓を使って敵を攻撃したときに大きい威力が出せます。仮に、戦術スキルが高くても、腕力の低い魔術師が敵を攻撃したところで中途半端な威力しか出ないでしょうね。そんな人物はいないでしょうが」
「なるほど。魔術師は精神が上がりやすくて腕力が低くなりがちだから、スキルを上昇させたところで近接攻撃には向かないのか」
「そういうことです。斬術や刺突術などとあるのは、武器の習熟度ですね。私は短剣を愛用していたので、斬術と刺突術のどちらも上がっています。棍棒のような打撃武器を扱うと、振り回し方がよくわからなくて命中しにくいでしょう。当たりさえすれば戦術スキルは高いですから、それなりの威力が出るでしょうが」
「使い込んでない武器だとうまく攻撃が当てられないってことか」
「その通りです。基礎ステータスの敏捷が高ければ命中率に補正が付きますから、一概には判断できませんが。同じように、魔法を主な攻撃手段にするのであれば、魔法貫通やマナ回復のスキルが必要になってきます。魔法抵抗は、状態異常や攻撃魔法をかけられたときの威力を低減させる効果がありますが、魔力貫通スキルが高いと 相手の抵抗力を減らすことができます。魔法も、やはり基礎ステータスの精神が強いと効果が高いですね」
「仮にディノが魔法を使っても、基礎ステータスの精神も魔法貫通スキルも低いから大した威力にならないのか」
「その通りです。先ほど、器用貧乏に注意しろといったのは、そのためです。スキルの最大値は100ですが、私は三年間、ずっと短剣だけを使い続けてきました。それでも、スキルをマスターするどころか、六割程度しか習熟できていません。魔法を片手間に使っていたら、もっとお粗末な数値になっていたでしょうね」
「なるほどなあ」
チェルージュにマナを一割持っていかれているなら、俺は魔術師以外が良いかもしれんな、とふと思った。
「血の紋章は客観的に技量を判断できるようにしたものですから、状況次第でいくらでも変わりますけどね。スキル一覧に載らなくても、迷宮探索の経験はとても大きなものですから、数値にこだわるのはお勧めしないとだけ言っておきます」
「わかった。」
「パーティの需要についてですが、偏りはほとんどありません。戦士職が増えすぎたら、狩人や魔法使いの良さを広める講習を冒険者ギルドが開いたりしていますので、ほぼ均等に需要があるはずです。強いていえば、一人で迷宮にもぐるのであれば危機察知能力が高い狩人がお勧めですね。戦士は武器や防具の維持にかなりお金を使いますし。ただ、戦士は腕力と武器防具を活かしてのごり押しというか、多少の無理ができますね」
「なるほど。参考までに、ディノの戦い方を聞いていいか? 多分、狩人なんだろ?」
そこまで深い気持ちで聞いたわけではないのだが、一瞬、ディノが固まった。
何かまずいことでも聞いたのだろうか?
「――正解です。参考までに、どうしてそう思ったのかお伺いしても?」
「単純に、短剣を使ってたって言ってたからな。それに基礎ステータスも敏捷が高いし、狩人ってそういう技能が多いのかなと思っただけさ。戦士ならきっと腕力が上がりそうだし」
「観察眼があるのですね。その通り、私は狩人で、一人で迷宮にもぐっていました。戦い方は単純です。隠身スキルを使って、不意打ちで魔物の急所を刺すのです。素早さを活かして敵の攻撃をよけながら戦ったりもしますが、正面からの殴り合いは苦手でしたね。弓も扱えますが、私は好みませんでした。鏃に迷宮産の金属を用いれば高い威力を誇るのですが、矢を拾うのが面倒なのですよ。短剣での戦い方でしたら、少しは教えられますが、必要ですか?」
「あれ、いいのか? あまり聞かれたくなさそうだったから深く突っ込まないつもりでいたんだが」
俺の台詞に、ディノ青年は苦笑する。
「ジルさんは、粗雑なんだか鋭いんだかよくわからない人ですね――私はスラム育ちでして。人の気配には敏感だったので、それを職にしただけです。先ほど見せた血の紋章は、狩人関連の技能は隠してありました」
「スラムっていうと、あの治安が悪くてゴロツキがたむろしてるってイメージの、あのスラムか?」
「そのスラムですね。この街にもそういう区画があります。私はあの場所が好きではありませんでしたから、抜け出すために色々努力もしました。冒険者ギルドに入れた時は嬉しかったですね、まともな人間になった気がして。冒険者ギルドに入る条件に犯罪歴の有無がありますので、私は意識して犯罪を避けていましたが、あの区画には犯罪を厭わない人々も多くいます。表舞台に出てこなければ犯罪歴を調べられることもありませんから」
「そうか。気にしてるっぽいこと言わせて悪かったな」
「いえ、こちらから言ったことですし。親しい人にしか出身は言っていないので、他言しないで頂けると助かりますよ」
「約束しよう」
「お茶が冷めてしまいましたね。もう一杯、頼みましょうか」
お茶が来るまでの間、どっちの道を選ぶかを俺は考えていた。戦士と狩人。
どちらにも良さがあり、短所があるのだろう。いつまでも悩んでいてもしょうがないのはわかっている。だが、正直、ピンと来ないのだ。全身鎧の戦士も、暗殺者じみた狩人も、どっちもしっくりとこない。
「うん、わかった。今は決められないっていうことがわかった」
「ほう?」
「俺さ、どうも隠れたり斥候になったり、繊細な作業は向いてないように思うんだ。でも、がっちがちの鎧に身を固めて、後先考えずに暴れまわるっていうのもなんだか違うなあ、って思う。どっちかでいったら戦士になりたいけど、人から貰ったお金を浪費するってわかってて、全身鎧に身を包んで後先考えずに突撃して魔物を蹴散らしたとして、自分の力で勝ったぞって胸を張れるかな、って考えたらさ。いまいち、乗り気になれないんだ」
「そう思うならそれが一番でしょう。最短距離を進むのも一つの選択ですが、土台となる経験をしっかり固めて自分の納得できる答えが見つかるまで探すのも自由です。魔法使いにはならないのですよね?」
「魔術師も、それはそれで魅力なんだけどな。チェル――ああっと、朱姫様にマナの一割をお納めする義務があってな。極めようとするなら向かないんじゃないかって思う。こうやって考えてみると、俺って意外と優柔不断なんだな」
「加護の主である、ジルさんの命の恩人ですね。なるほど、確かにマナの一割は決して軽視していい数値ではありません。こうしてみてはいかがでしょう? 方向性が決まるまでは、色々試してみるということで、とにかく迷宮で冒険をしてみるというのは」
「意外だな。そんな無謀で無駄なことはよせって言うかと思った」
「そうでもありませんよ。自分の命を賭けるのですから、自分が満足するまで試行錯誤するのは良いことだと思います。無駄に見えるようなことでも、何がしかの経験にはなっているものです。それに、正直なところ、ジルさんのレベルでも、迷宮の地下二階までは命の危険はほとんどないでしょう。油断と慢心を産むので、本来はこういう助言はしないのですが」
「そうか。重い鎧を着てみる、暗殺の真似事をしてみる、慣れない魔法を使ってみる。色々試してみるつもりだよ」
「ジルさんのことですから、準備が整ったらすぐに迷宮に行ってしまいそうですね。先輩面して申し訳ありませんが、先達からの助言です。九割九分勝てる戦闘でも、逃げるべきです。百回に一度、命を落とすのですから。逃げ道の確保だけは、忘れてはいけませんよ。命は一つしかありません。一度失敗したら、次はないのですから」
「肝に銘じるよ」
「ええ、いい冒険になることを祈っています」