第五話 メシ
不足している物資が手に入ったときの喜びは、十分に備蓄がある物資を手に入れたときの喜びよりも大きい。
さきほどまで、思春期の男子特有の飢餓状態だったわけで――。
(うひょおおおお!)
ゴドン、と机が揺れるほどの音を立てて置かれた大皿に、ごろごろと大きめに切られた肉塊が山と入ったシチュー。これでもかと湯気を上げるそれには、何かの芋や、緑鮮やかな、さやに入った豆、ニンジンらしきものが色良く入っていて目が楽しい。
付けあわせのように、パンとバターらしきものが乗った皿が出されたが、大皿とのサイズ比でやけに小さく見えた。
「いただきます!」
勢い良く手を合わせ、もはやおたまにしか見えない木彫りの巨大なスプーンを使い、猛然と俺はシチューを食い始めた。デミグラス色の、ほどよく煮込まれてとろりとした汁を、ごろっとした肉と一緒に大口を開けて放り込む。
まず感じたのは、すさまじい瑞々しさ。シチューのスープは、水っぽくないのに瑞々しく、それでいて果実の味が濃厚だ。
そのスープを舌で味わった後に、肉の塊に歯を立てると、驚くほど柔らかく噛み切れ、肉汁があふれだしてくる。シチューと肉汁のハーモニーに加えて、野生味あふれながらも柔らかい肉。
「うっめえ!」
物も言わず料理にがっつく俺を見て、「鯨の胃袋亭」のおかみさんは豪快に笑った。
「今日は弾果肉のいいのが入ったからね、そいつが今日の目玉料理さ。あんた、酒は飲めるかい?」
「飲んだことはないが多分好きだ。どうしてだ?」
「あんたぁ、小樽の麦酒冷やしてくんな!」
おかみさんがカウンター奥の調理場に声をかけると、旦那さんと思しきひょろっとした中年の男性が、二十センチ程の小さな樽を取り出してきて、両手で樽を包んで何やら呟く。うっすらと樽が光ったのを見届けてからおかみさんは樽を受け取ると、デコピンで小樽の蓋を豪快に吹っ飛ばしてから俺の机に置いてくれた。
「道を教えただけなのにあんたは律儀に食いに来たからね。食いっぷりもいいし、奢りだ、飲んどくれ」
ゴチになります! と叫んでから、取っ手を持って小樽の麦酒を喉に流し込む。
炭酸はそれほど強くない。キンと冷えた液体が喉を通ると、フルーティーな香り、苦味、コクが風味となって鼻腔を満たす。
「ぶはーっ!」
喉も渇いていたので樽の半分ほどを一気に飲む。口元の泡を手の甲で拭うと、回りの席から喝采が起こった。
「いい飲みっぷりだな兄ちゃんは」
「山鍛冶の里に行ったらお前さんはもてるぜ、何せどれだけ酒を美味そうに飲むかが奴らの偉さの基準だからな」
「ただし、女にも髭が生えてるがな!」
どっと、笑いが起こる。どうも注目されていたらしい。そりゃそうか。
真昼間だというのに、周囲の席の男たちはみな、ほろ酔い顔で好き放題に喋っている。間違っても女性などいない。酒場に特有の、どこまでも男臭い、ちょっと下品で陽気なノリである。記憶を失くす前の影響かはわからないが、俺はこういう空気は大好きであった。
しかし今は彼らに混ざるよりもメシである。熱々のうちにとろりとしたスープを啜り、肉塊とほくほくした芋をほおばり、口直しとばかりにパンにシチューを付けてかじる。堅焼きパンはちぎる時に苦労するが、シチューに浸すと予想外にやわらかくなった。そして、合間に小樽の麦酒を喉に流し込む。何も言うことがない。幸せなひと時だ。
(――美味いな)
料理に一片の文句もないが、それ以上に俺は麦酒が気に入った。
酒精は一割もないぐらいだろうか、ほどよく効く。小樽を一つ飲み干して、少し気分がいいぐらいなので、俺はそこそこ酒には強いらしい。この街の成人年齢、ひいては飲酒可能になる年齢が気にならぬでもなかったが、十六歳だったらきっと成人だろう。うん。
二十分もかからぬうちに、俺は大皿のシチューとパンを平らげていた。腹はもうパンパンである。女性が見たら常軌を逸していると驚くに違いない量であったが、食い切れるか不安に思うことはまったくなかった。
食欲が次から次へとわいてきて、大皿のシチューはみるみる減っていった。どうも俺は大食漢らしい。ただの食い盛りという可能性もあるが。
「やあ、よく食べたねあんた。満足したかい?」
「ああ、おかげさんで、ごちそうさま。堪能しました」
おかみさんが皿を下げてくれる。硬貨の額を確認しながら、俺は代金を机に並べた。
「宿を探してるんだ。まだ空いてるかい?」
「おやまあ。確かに二階は空いてるけどね、わざわざこんな騒がしいところに泊まろうってのかい?」
「店は深夜もやってるのか? 朝から夜までは出かける予定だから騒がしくても問題ないんだが」
「そういうことなら、大丈夫さね。晩飯時の客が帰る頃には下は閉めるから。一泊二食つきで、前払いの2,000ゴルドだよ」
「じゃあ、とりあえず一週間ほど世話になるかな。冒険者になろうと思ってるんだが、構わないか?」
「抜き身をぶら下げてて大丈夫かってんなら、平気だよ。宿泊する部屋の入り口は表にある別の階段だから。ここに入ってくるときには装備を外しといてくれればいいさね。あんた、ちょいと外すよ。上のお客さんだ」
おかみさんに連れられて、一度店の外に出る。勝手口から上がる階段は、全身鎧の戦士に配慮しているのか、一段一段が横に広く、縦に長くて、店の周囲四分の三をぐるりと回ってようやく二階に着いた。
二階には、宿泊用と思われる部屋が四つあった。それとは別に、おかみさん夫婦の部屋が一つある。呼び込みのときに残り三部屋と叫んでいた気がしたが、要は一部屋しか埋まっていなかったらしい。
「下が騒がしいからね、好き好んで泊まる客は少ないのさ。その分値段は良心的さ、そこそこ広いしね」
とある一室を開けてから、合鍵を俺に渡してくる。中に入ると、殺風景だが快適そうな部屋だった。
ベッドもある、猫目灯もある、小振りながら机と椅子もある。ベッドのシーツは真っ白で染み一つなかった。
「盗賊ギルドに入っていれば簡単に開けれるほどちゃちな鍵だからね、信用せずに貴重品はバンクに預けるんだよ。湯と布はサービスで一日一回まで無料だ、下の酒場に来て言っておくれ」
「ああ、いい部屋だ。俺はジルっていうんだ。よろしく頼む」
「若いのに妙に親父臭い喋り方をするねえ、あんた。しかもそれが板に付いてて自然だっていうから不思議だよ。あたしはここ『鯨の胃袋亭』の看板娘、ドミニカさね。婿取りしてから二十年の女の子だ、悪さすんじゃないよ」
「そりゃあいい」
げらげら笑っているとドミニカが指を鳴らし始めたので速やかに撤収を開始する。樽の蓋を吹き飛ばす威力のデコピンを思い出して冷や汗をかいた。
女連れ込むときは先に言いな、とのドミニカの言に、相手ができたらそうするわ、と笑って返す。
今日からここが俺の拠点だ。
腹も膨れた、寝るところも確保した、となれば次は衣食住の衣である。
いい加減、薄汚れた服で人々から白い視線で浴びるのは困るのだ。そう考えると、よく鯨の胃袋亭の人々は普通に接してくれたものである。
買出しをすべく宿を出て、街を歩く。まだ空は明るいが、まもなく夕方になるだろう。いつまで店がやっているかわからないので、早めに必要なものは買い揃えておきたい。
商店街の混雑は、わずかに緩和されていて、人にぶつかることなく歩くことができた。市場も兼ねているので、最も賑わうのは昼頃までなのかもしれない。
血の紋章で犯罪歴が確認できるおかげなのか、街の治安は良好に見える。衛兵らしきものも、区画の角に立っていた。しかし、ドミニカの話によると盗賊ギルドなるものもあるらしいので、スリには注意するべきだろう。
大金とは呼びがたいが、俺のような庶民にとっては小金ではない額を懐に入れて持ち歩いているのだから。
何本もの路地を商店が埋めているぐらいだから、どこかに服を売っている店もあるだろうと楽観していたが、食料や道具を売る店はあるものの、肝心の服屋が見当たらない。ふと気づいたのだが、剣や防具を売っている店もなさそうだ。
はたと気づいて、煙突からもうもうと蒸気を上げている一角に足を向ける。商店街とは違う区画だ。おそらくは鍛冶屋の出す煙なのだろう。
職人街に足を踏み入れると、店頭に、きらりと輝く全身鎧を展示している店や、長さや先端の形状の違う様々な武器を露店のように並べている店、素材の異なる樹木で作られた何種類もの弓と、色とりどりの鏃がある店に並んで――様々な服が中に飾られている店が目に飛び込んできた。
俺の想像は正しかったらしい。仕立屋というのは立派な職人扱いで、職人街に店を構えているようだ。店によっては、服と並んで皮の鎧が売られている。鋲を打った皮鎧もあるから、身軽な装備を求める冒険者はこういう物を装備するのだろう。
みすぼらしい服装が場違いに思えるほどの高級店もあって、そういうところは店構えも立派だった。ちらりと中を覗くと、洗練された立ち居振る舞いの店員や、けばけばしくないドレス、竜皮の全身皮鎧などが飾られている。
もちろんそんな高級店には縁がないので、何軒かの店先を見て回り、地味な普段着を上下で三着ずつと、新しい靴を購入した。
落ち着いて過ごしやすい気候のせいなのか、この街では半袖に膝下までの半ズボンといった服装が普通らしい。購入したのは男物の衣服が多い仕立屋であったが、隅に着替えるための仕切りもあったのでさっそく袖を通す。
汚れていない、真新しい布の肌触りはとても気持ちが良かった。
次は、迷宮に入るための装備を買おうと思い立ち、ふと俺は立ち止まってしまった。
(職業、どうしよう)
この場合の職業というのは、戦士や魔法使いといった、戦い方のことである。
例えば戦士になるなら剣や盾に金属の鎧だろうし、魔法使いならば身軽な装備をしているイメージがある。
漠然と冒険者になろうとは思っていたが、どんな冒険者になるかをまず決めなければならないようだ。
ディノ青年の説明によると、レベルが上がったときに、使い込んだ技能に対応する身体能力が上がるらしいから、例えば戦士として戦っていれば腕力、魔法使いとして戦っていれば精神が成長するのだろう。
俺のステータスはまだ平均的なものなのだから、なりたい職業に就いても構わないはずだ。すぐに結論が出るものでもなさそうなので、すぐさま装備を整えるのをやめ、一晩考えてみることにする。
どのみち、もう一度冒険者ギルドに行って話しを聞いた方がよさそうである。
ディノ青年に話しを聞くのが一番良さそうだが、彼にだって都合はあるだろう。
右も左もわからないうちに迷宮に突撃されても冒険者ギルドも困るだろうから、初心者へのアドバイスぐらいは聞けるはずだ。そもそも、一人で挑むのか、多人数でパーティを組むのかも決めていない。
見知らぬ人間同士でパーティを組む手助けをする部署なんかはあるのだろうか?
もし俺でもパーティが組める可能性があるなら、バランスを考えて職を選ぶ必要もあるのかもしれない。
例えば回復魔法が使える魔法使いが足りていなくて、前衛の戦士は余っている、なんて事態になっては、パーティを組むのも一苦労になる。
逆に、一人で迷宮に挑むなら、ある程度何でもこなせる職業を選ぶ必要がありそうだ。
そうなると、一晩考えても結論は出なさそうになかったが、もう日も暮れてきている。明日、冒険者ギルドに向かうことにして、今日はおとなしく寝ることにしよう。いつになったら冒険に出れるのかと焦らなくもないが、事は俺の一生に関わる重大な選択である。後悔のないように選びたい。