第四十七話 流転
「ご主人様!」
一晩を過ごした客人面談室、要は取調室から外に出ると、閉鎖的な印象を受ける
長い廊下の奥の方にエマたちがいて、俺に手を振ってきた。
武器防具一式は返してもらったのか、みな鎧姿である。
エマだけは胴と腰まわりの板金鎧のみを身に着け、闘斧を肩に担いでいた。その他の小手や足の板金鎧は、エミリアとエリーゼが手分けして抱え運んでいるようだ。
これから迷宮に行くわけでもなく、ただ宿に帰るだけだというのになぜ鎧を着ているのかというと、単純に持ち運びが面倒だからである。特にエマの板金鎧は、脱いだ状態で一式を持ち運ぶには重過ぎるのだ。
「それじゃ、先に伝えた通り、監視役が付くことになってる。監視役から逃げ出したり、目の届かないところに行く振りをして撒こうとしたらここに逆戻りだからな。大人しくしておくんだぞ」
「へいへい。衛兵のおっちゃんも世話になったな」
いわゆる、仮釈放というやつである。
どうも衛兵の彼から伝え聞いた情報によると、俺たちをどう扱うかというお偉いさんの会議がずいぶんと紛糾しているらしく、長引きそうなので監視をつけた上で俺たちを家に帰そうということになったらしい。
「気にすんな。こっちも暇だったからな」
彼はそう言うが、血糊の付いた長剣や鎧の手入れ、それに摘んだ百薬草の換金など、かなりの部分で俺たちの要望に応えてくれた。
俺がそのことを指摘して改めて礼を言うと、彼は兜の面頬を上げたままにかりと笑った。
「カヌンシル様が現場の俺たちに小遣いを奮発してくれてな。よっぽどその蜂が気に入ったらしい。懐が潤ってこっちもほくほくなのよ」
魔血蜂はいま、背嚢の中で休んでもらっている。
紐で結んで肩に留まらせておくだけでも良かったのだが、街を歩くとなると人目を引いてしまうだろうからだ。
「やっほ、ジル。ギルドは今、あなたの噂で持ちきりよ。すっかり有名人ね」
冒険者ギルドの玄関ホールまで戻ってくると、ディノ青年の恋人であるミリアムが俺たちを待っていた。
「お、ミリアムじゃん。飼ってる犬は元気か?」
「ええ。しっかりブラッシングしてあげてるもの。逃げ出さないようにしっかり首輪も付けてあるし」
ははは、と俺は乾いた笑いで返す。
言うまでもないことだが、飼ってる犬とはディノ青年のことである。
対外的にはディノ青年は逃亡者であり失踪者なので、公の場ではその単語を出さないのは暗黙の了解であった。話題に出したいときは、ミリアムの飼っている犬という形で話すことになっている。
犬扱いされているディノ青年が哀れではあるが、状況的にも性癖としてもぴったり合致していてそれ以外の良い表現を思いつかない。なお、恋人を犬呼ばわりしてくれと言い出したのはミリアムである。
悪さをしたらお仕置きが必要よね、などと嘯くミリアムと対象的に、淡々と境遇を受け入れるディノ青年の諦観した表情が思い出された。首輪を付けている、といった言葉が比喩であることを祈ろう。
「話したいことがあるから、後で宿に顔を出すわ。鯨の胃袋亭だったわね」
「ん、了解だ。会議の結果がはっきり出るまで、遠出や迷宮入りは控えてくれって言われてるし、予定は特にないからいつでもいいぞ。ああ、でも俺には監視が付くらしいんだ。犯罪者候補の家に顔を出すのはまずくないか?」
「出世に響こうと顔を出すつもりではいたけれど、今回は監視役に選ばれたのが知人だから問題ないわ。ギルドとしてもそこまで本腰を入れて警戒してるわけじゃないし、内緒にしてって頼める程度の知人ではあるの。それじゃ、後でね」
ひらひらと手を振ってミリアムが去ってしまったので、俺たちも家路に就くべく歩き始める。噂になっているのは本当のことのようで、あちこちから好奇の視線が飛んでくるのを感じた。
犯罪者に対する蔑視とか、嫌悪の念みたいなものはさほど感じないので、単純に物珍しいというか、あれが渦中の人物か、といった程度の好奇心からの注目なのだろう。
「よお、有名人。パクられたって聞いてたがよ、その感じじゃ無罪放免か?」
ミリアムの仕事が終わる時間まで間があったので、俺たちは宿に戻った後に、武器の整備をすべく普段着のままダグラスの鍛冶屋へとやってきた。
「んにゃ、今は仮釈放らしい。会議の結果が出てから処遇が決まるんだってよ。それまでは迷宮入りもなし、監視付けるから大人しくしとけって言われた。そんなことより、ダグラスにまで噂が届いてるのか。どれだけ広まってるんだよ」
俺の長剣、エマの闘斧、エリーゼの短剣。
それらを鞘から抜き、光に当てて刀身の具合を検分しつつ、ダグラスは種明かしをした。
「いやあ、噂で聞いたわけじゃねえんだ。義親父がうちに来てるんだよ」
「オヤジってえと――」
「ほい、久々じゃの、ジル。変わりないかと言いたいとこじゃが、またぞろ賑やかなことになっとるらしいの」
店の奥から姿を現したのは、ダグラス嫁の実父でありダグラスの師でもある、ヴァンダイン翁であった。胸元まで垂れた見事なアゴ髭を撫でながら柔和な笑顔を浮かべている。
「ジルは知らんじゃろうが、お前さんが衛兵にとっ捕まった後、姫をなだめるのに苦労したんじゃぞ? 一時期は制限外して冒険者ギルドを物理的に吹っ飛ばそうとしとったからな」
「お、おう。ご迷惑おかけしました?」
疑問系なのは、果たしてそれが俺の責任なのか疑わしかったからである。
チェルージュに返した加護は、俺が死に瀕したときに彼女が助けてくれる部分だけで、未だに俺の瞳を通じてチェルージュに情報は送られ続けている。
瞳からの情報で俺が憲兵に捕まったことを知り、弱体化の腕輪を外して全力の魔法をぶっ放そうとするチェルージュの姿が目に見えるようだ。
「いやあ、慌てるボーヴォなんて久々に見たわい。ええもん見た」
からからと笑うヴァンダインと、苦笑いで返す俺である。
「そういや、グランマの旦那に会うたらしいの?」
「へ?」
突然の話題の切り替えと、その内容に頭の理解が追いつかなかった。
グランマというと、湖で料理を奢ってくれたあのグランマだよな。
「そうか、繋がりはお互い知らなんだのか。魔法ギルドのカヌンシルはグランマの旦那じゃよ。昔から頑固な男での、魔法の研究に生涯を捧げておったんだが、若いころのグランマの色香に迷っての。一時期は研究を捨てようともしたらしいが、男の仕事の邪魔になりたくないと言ってグランマが身を引いたんじゃ。籍は入れとらんが、その後もちょくちょく身の回りの世話をしてやっとったはずじゃな。いわば通い妻じゃ。それがもう三十年にもなる」
「へええええ」
俺だけではなく、後ろに控えていたエマたちも深く驚いていた。
特にエマとエミリアはグランマの信奉者でもあるので、驚きもひとしおだったようである。
「姫をなだめたグランマがカヌンシルの坊やに口聞きをしにいったはずじゃから、まあお前さんの身の上も悪いようには転ばなかろ。あの坊や、本気を出したときはすごいでな」
初老に差し掛かった魔法ギルドのマスターを坊や呼ばわりするヴァンダイン翁である。毎度のことながら、ボーヴォハウスの住人はスケールが大きすぎて感覚が麻痺する。
「まあ、果報は寝て待てと言うし、しばらくは嬢ちゃんらと遊んで暇を潰すことじゃな。迷宮にも行けないし、暇は有り余っとるじゃろ? ここらで姫以外の女も構ってやらんと臍を曲げるぞい」
そうするよ、と苦笑する俺の横で、武器の検分を終わらせたダグラスが目を輝かせる。
「競争は煽った方が面白いしな」
「そういうことよ。姫はもともと有利な立場なんじゃ、独走されても詰まらんからのう。平等に肩入れして焚きつけんとな」
だっひゃっひゃと笑い合う義理の親子であった。
外出予定が出来たからかエマは目を輝かせ、エミリアは照れているのか頬を染めている。エリーゼに関しては短剣を取り出そうとして、修理のために預けていることを思い出して舌打ちをしていた。
「諦めろ。二人揃ってしまうとこいつらは無敵だ」
ダグラスはしばしば嫁と義理の父からシバかれているからいいとしても、ヴァンダイン翁の地位が安定しすぎていて彼に痛い目を見せられる人物がいない。唯一グランマが釘をさせるようだが、痛い目には程遠いだろう。
「あんた。お父」
手の付けられなさに半ば諦めていた俺だったが、救世主は店の奥から現れた。
ダグラスの嫁、ヴァンダイン翁の実娘である。
彼女の呼びかけに、げらげらと笑っていた二人はぴたりと動きを止めた。
二人してだらだらと脂汗をかきはじめる。
「人様の恋路に茶々入れるようなのがあたしの家族だったとは――」
「いや、違うんだお前」
「これはの、中々進展しないもどかしい仲の男女にきっかけを与えているというかの」
バゴォン、といつの間にか手にしていた鈍器でカウンターの机を殴打するダグラス嫁である。
「言い訳無用。あんた、一ヶ月お触り禁止。もちろん夜もだよ。お父、一ヶ月出入り禁止。晩酌は一人でしなさい」
途端に慌てふためく男性陣を尻目に、俺たちはそっと武器を回収して店を後にした。
店を出るときに、救いの女神に敬礼をすることを俺とエリーゼは忘れなかった。
用意しておいた紅茶と焼き菓子を中心に、俺たち四人とミリアムは机を囲んでいた。ありがと、と礼を言い、ミリアムは陶器のカップを手に喉を湿らせる。
「かなり、ややこしいことになってるのよ。ジル、あなたの一件で」
「ふむ? 魔血蜂を連れて帰ったことが、そんなに大問題だったのか?」
「それもなくはないけど――それをきっかけにして、別の火種が燃え上がった、というか」
俺とエマたちは顔を見合わせる。昼にヴァンダイン翁からカヌンシル氏のことを聞き、いくらか楽観していたところでもあったので、ミリアムの情報は俺たちにとっては意外であった。
「冒険者ギルドのマスターが、各ギルドの代表から選ばれるって話は知ってるわね?」
俺は頷いた。戦士ギルドや宿屋ギルドなど、各部門の公的なギルドのマスターが集まり、最多得票数で推された人物が冒険者ギルドのマスター、いわば国家元首に就任するのだ。
「建前としては、冒険者ギルドのマスターになれたからといって、出身ギルドだけを優遇してはいけないってことにはなってるんだけど――政治の世界だから、実際はそういうわけにも行かないの。冒険者ギルドのマスターになるために、仲の良いギルドのマスターに投票を頼み込んで、その見返りに何かしらの便宜を図ったりとか、ね。結果として、派閥みたいなものが出来上がるってわけ」
「ほうほう」
政治の世界なぞ自分には無縁だと思っていたので、ほとんど初めて聞く情報ばかりである。
「ある程度利害が一致するギルド同士で派閥を組むから、いまは大まかに分けて三つの派閥があるわ。戦士ギルドや魔法ギルド、宿屋、酒場ギルドなんかの、迷宮探索に直結する、いわば戦闘系の派閥。これが主流派よ。現在の冒険者ギルドマスターであるアークノーラは戦士ギルド出身だからここに入るわね」
俺は相槌を打ちつつ、カップを手にして紅茶を啜る。
晩飯どきではあったので普段は麦酒を呷っている時間だったが、冒険で疲れているわけでもないので今日は飲酒はお休みであった。
「その主流派である戦闘系の派閥と対立しているのが、生産系の派閥ね。商業ギルドを中心として、鍛冶、木工、細工、仕立屋ギルドなんかが属してるわ。最後の三つ目が、どちらにも属さない中立の派閥。吟遊詩人や盗賊ギルドなんかはここね。伝統的にこの派閥だけは中立を保っていて、今回の騒動にも関わってないから割愛するわね」
「だいたいの背後関係はわかったが、それが俺とどう関係してくるんだ?」
「もともとね、戦闘系の派閥と生産系の派閥は仲が悪いのよ。それぞれの派閥から
冒険者ギルドマスターが輩出されたら、自派閥のギルドが有利になるよう便宜を図るのが常なんだけど、その利害が一致しないから。例えば生産系の派閥から冒険者ギルドマスターが出たときは、迷宮素材の買取価格を下げて、生産職の人たちの生活が楽になるような決まりが出来たわ。もちろんその分、迷宮に潜る冒険者や、それに関わる兵士たちの収入が減るから、戦闘系の派閥はいい顔をしない。ここ最近は、長いこと戦闘系の派閥が主流派だったから、生産系の派閥は割を食ってたんだけど――ジル、あなたの一件が原因で、その主流派である戦闘系の派閥が割れたのよ」
「俺が原因で?」
「そう。現冒険者ギルドマスターのアークノーラは、どちらかというとあなたに非好意的でね。不要な混乱を招きかねないから、規則は規則として、蜂とあなたを処分すべきだって意見だったんだけど、魔法ギルドマスターのカヌンシルさんが強硬に反対したの。それも、どんな代替案も飲まないってぐらい、頑なにね」
俺は、カヌンシル氏の彫りの深い顔立ちを思い出す。
一見するとただの変人だが、こと魔法の発展ということに関しては、一歩も退かぬ頑固者であろうことは、容易に想像できた。
「もともと、カヌンシルさんは人望のある人なのよ。頑固だし融通はきかないし研究キチだけど、街の発展に繋がることでもあるからね。あの人の発明品がこの街にもたらした恩恵は大きいわ。炎帝石や氷姫石は使ったことある? あれも彼の発明よ」
「へえ」
自分で使ったことはないが、ギルド「アウェイクム」のシグルドが俺を助けるために炎帝石を使ってくれたことを思い出す。投げつけた場所で小規模の爆発を起こす便利な石だ。
「話を戻すわね。カヌンシルさんが政治に口を出すことは少ないんだけど、いざ口を開くと発言力はかなり重いのよ。その人望厚いカヌンシルさんとは対照的に、アークノーラは清濁合わせ飲む政治家気質。今回の件は、いつもならアークノーラが折れてジルは無事解放、となるはずだったんだけど――珍しく、アークノーラが抵抗したのよ。何か事情があったのか、あなたを処分したくてしょうがないみたい。
ジル、あなたアークノーラと何か因縁でもある?」
「俺を?」
お偉いさんに睨まれる節が思い当たらないので、俺は本気で首を傾げる。
「ないの? それはちょっと意外だった。あそこまで抵抗するなら、それなりの理由があると思ってたんだけど」
「というか、見てきたことのように話すんだな。それにさっきからカヌンシルと違ってアークノーラが呼び捨てだが、嫌いなのか?」
はっきりと眉間に皺を寄せてミリアムは吐き捨てた。
「嫌いよ。清濁合わせ飲むってさっき言ったけど、好意的な表現をしてそれだから。立ち回りが上手くて保身に長けてるんだけど、裏では結構あくどいことをやってるはずよ。あいつにとって邪魔なギルドのマスターが不審死したことがあって、騒動になりかけたこともある。しかも実行犯がまだ捕まってないのよ」
「なんだそりゃ。暗殺ってことか?」
「あくまで噂だけど、そうなんじゃないかとは言われてるわ。いつもの私ならただの噂なんか笑い飛ばすんだけど、実行犯を探す捜査に自分の息のかかった人間をねじ込んできたり、つじつまの合わない書類が出てきたりしたから、アークノーラならやりかねないってみんな思ってる。率直に言って、自分の息がかかった人間に暗殺を実行させて証拠は握りつぶしたんじゃないかってね。そのあたりの裏の顔に触れようとしたギルド職員は別の部署へ異動させられたりしてて、実際は恐怖政治に近いのよ。だから私はアークノーラが嫌い」
「なんというか、冒険者ギルドの中身がそんなことになってるとはなあ。お偉いさんと選良が集まるお役所ぐらいにしか思ってなかったが」
紅茶を啜りつつ、俺は感想を漏らした。すまじきものは宮仕えというが、成功者の集まりのように見えた冒険者ギルドも一皮剥けばドロドロとしているらしい。
呆れたようにミリアムが肩をすくめた。
「暢気ねえ。渦中の人物だっていうのに」
「焦ってもしょうがないからな、果報は寝て待てって人から言われたばかりだし」
俺が一つ伸びをしたところで、部屋の入り口がコンコンとノックされる。
自室でもある大部屋にエマたち三人とミリアムが揃っているので、部外者の訪問ということになる。
「はいよ?」
返事をしつつ、俺はドアの鍵を開けた。一応、内緒話ではあったので、鍵をかけておいたのだ。
「ええと、どちら様で?」
ドアの外には、見慣れない若い男性が立っていた。若いといっても、三十半ばぐらいだろうか。目立たないように顔を隠すローブを着込んでいる。
「フレディ? どうしたの?」
意外なことに、訪問者はミリアムの知人であるようだった。
椅子から立ち上がり、ミリアムは俺たちのところまで歩いてくる。
「ああ、紹介しておくわ。彼がジルの監視役のフレディよ。本当は監視対象とは接触しちゃダメなんだけど――そんなあなたが顔を出すなんて、何かあったの?」
「任務が終わったんでな、ミリアムに早いところ教えておこうかと思った。ちょっとした政変が起きたぞ」
「政変? それに任務が終わったって、ジルの監視任務が?」
太く低く渋い声のフレディ氏の声に、俺とミリアムは首を傾げる。
「ああ――魔法ギルドのカヌンシルが、生産系の派閥に寝返った。その場で冒険者ギルドマスターの解任と就任劇が起きたらしい。カヌンシルが冒険者ギルドマスターになった」




