第四十六話 変人
「お帰りなさい! 獲物は魔角牛一体ですね、ただいま査定しますのでこの番号札を――うわああっ!?」
帰還の指輪を使い、魔角牛の死体とともに迷宮入り口の広場へと帰った俺たちは、早速冒険者ギルドの職員に驚かれることとなった。
ここ迷宮広場には帰還の指輪を使用する冒険者が次々とやってくるため、冒険者ギルドの職員は手際よい冒険者捌きを旨としている。
彼らは魔角牛の死体を査定するべく迅速に駆け寄ってきて、俺の肩で羽を休めている魔血蜂に気づくなり、迅速に後ずさった。
「衛兵ッ!」
念話の指輪に彼らが一言吹き込むなり、間髪入れずにあちこちから衛兵が駆けてきた。
見張りを主な任務とし、街角などに立っている鋲皮鎧の衛兵だけではなく、迷宮城の中からは板金鎧に戦斧を担いだ完全装備の衛兵までやってきている。
彼らは俺たちに駆け寄り、俺の肩の魔血蜂に気づくなり、一斉に武器を構えた。
あっという間に、俺たちは槍の壁に包囲されてしまった。
「予想通りよね」
エミリアが肩を落としている。
俺としては、交渉次第でもう少し穏便に形が付くかと思っていたが、予想に反して冒険者ギルドの職員及び衛兵の反応は実に早かった。見事と言うしかない。
俺の肩に留まった魔血蜂はといえば、向けられた武器と殺気に反応して、縄で俺とつながったまま宙に浮き、ぶぶぶぶと羽音を立てて彼らを威嚇している。
黒真珠のような瞳は、今は真っ赤に染まっていた。
(人間に懐いたのかと思ったら、俺たちだけに懐いているのか?)
それとも彼らが敵対的だから威嚇しているのか、今は定かではない。
肝心なのは、俺が冒険者ギルドの職員、及び衛兵たちを説得することである。
(焦ったら付けこまれそうだ。ここは一つ、堂々と振舞わないとな)
俺は、宙を飛んで威嚇体勢を崩さない魔血蜂の口元を撫でた。
しばし撫でていると、真っ赤に染まっていた魔血蜂の複眼は艶のある黒へと戻り、俺の肩へと戻って羽を閉じた。
その様子を見ていた周囲の人々が、ざわめく。
「魔血蜂の調教に成功した可能性がある。魔物の迷宮外への連れ出し許可を貰いたい」
胸を張るとともに、声を張って俺は彼らへと宣言した。どよめきが起こる。
ありえない、だとか、魔物が人間に懐いた例を聞いたことがあるか、いやない、など彼らが口々に相談を始め、一気に迷宮広場は騒がしくなった。まさに蜂の巣をつついたような騒ぎだ。
(ふむ、交渉の感触としては悪くない――)
衛兵たちは俺へと向ける槍の壁を崩していないが、少なくとも、いきなり突き殺されるようなことはなさそうだ。
冒険者ギルドの職員が、何やら念話の指輪を使って頻繁に連絡を取り合っている。いわゆる、お偉いさんの意向を伺っているのだろうか。
しばしざわめきの中で膠着状態になった後、人々が虚空に視線を向け始めた。
何事かと俺も視線の先を追うと、ローブ姿の一人の男性が空を飛んできていた。
(チェルージュ以外で空を飛ぶ奴、初めて見たな。浮遊、風属性の上級魔法だっけ)
彼は俺たちを包囲する槍の壁の外に降り立つと、衛兵の列を割って俺たちの方へと進み出てくる。
「冒険者ギルドのマスター、アークノーラだ。迷宮から魔物を連れ帰ったというのは君たちか?」
「ジル・パウエルです。その通りです」
冒険者ギルドのマスターといえば、この街のトップである。権力者という言葉の響きから、もっと老齢の人物を想像していただけに、護衛も連れずに現れたアークノーラ氏の面貌は俺の意表を突いていた。
歳は四十半ば頃、壮年で精力に満ちた細面の男性である。
若いころはさぞ女性に騒がれたであろう顔だが、年を経てやり手の政治家といった気配を漂わせていた。
「魔物を街に連れ帰ることが犯罪であるということは理解しているな?」
「この通り、縄でつなぎ、万が一にも他人に被害が出ないようにしてあります。魔物を調教できるかもしれないという可能性は、街が新たな発展をする可能性でもあるのではないですか?」
お偉いさんだからと言って、威圧に飲まれてはなるまい。
よく俺の口からそんな台詞が出てきたと我ながら驚くほど、すらすらと言葉が口をついて出た。
ちらとエマたちの様子を見ると、関係性がわかりやすいようにとの配慮なのか、エミリアが皮鎧の襟元を外し、奴隷の首輪を見せた。すぐに鎧を外せないエマとエリーゼも首元を指し、自分たちが俺の奴隷であることを表してみせる。
それを見て、人類の代表であり、この街の最高権力者であるところのアークノーラ氏は、一つ頷いて見せた。
「しばし、身柄を預からせてもらおう。私の一存で処理することも出来るが、君をどう扱うか、会議にかけたい」
構いません、と俺が告げると、アークノーラ氏は踵を返した。
「面談室にお連れしろ。四人は分けてな」
彼の指示に、周囲の衛兵や冒険者ギルドの職員は直立不動の姿勢で返事をする。
最初に俺のところへと駆けてきた素材買取のギルド職員が、去り行くアークノーラ氏におずおずと話しかけた。
「手縄はいかが致しますか?」
「手向かわなければ、なくて構わん。武器は預かって客人対応で良い。追って連絡あるまでは控え室で待機してもらえ」
手短に告げ終わると、アークノーラ氏は再び空を飛んで帰っていった。
その場に残された俺たちは、衛兵に先導されて歩き出す。
すでに周囲には野次馬が集まっていたため、大人数の注視する中、衛兵に連れて行かれるというのはあまり良い気分ではない。捕まった犯罪者を見るような視線が注がれているからだ。
(エミリアの言う通り、後でみんなに何かしてあげないとな)
俺の勝手な都合で衆目を浴びてしまっているエマたちは、しかし胸を張って堂々と歩いていた。そんな彼女たちに、内心で頭を下げる。
(にしても、表情が読めないお偉いさんだったな。吉と出るか凶と出るか)
政治家だからなのかはわからないが、アークノーラ氏が俺たちに好意的なのかそうでないのか、いまいち伝わってこなかった。俺たちへの扱いも、手荒でもなければ丁寧でもない。
どう扱われるかの展望が見えないというのは、不安なものだ。
「ふむ。体のいい軟禁ってとこか」
俺たちが案内されたのは、冒険者ギルドの本部内にある客人面談室という部屋であった。
部屋の四隅には猫目灯が置かれ、室内は明るいものの窓はない。
床には絨毯が敷かれていて、壁は木材である。ただし、中に鉄板でも入っているのか、壁をこつこつと叩いてみても音が通る気配はまったくない。
ついでに言うと、家具もない。机と椅子が一脚、それだけだ。
入り口の扉はこれも鉄板を貼られた頑丈なもので、外から鍵をかけられ、内側からは開けられないようになっている。目線の高さあたりが鉄格子になっていて、衛兵がときおり俺の様子をちらちらと覗き込んでくる。
「俺の予想だと、犯罪者候補を取り調べる部屋なんだよな、ここ」
音が漏れない環境、逃げ出せない上に中の様子を確認できる入り口の扉、殺風景な部屋。
まさかこれで客人を応対する部屋だと主張するわけではあるまい。
客人相談室、要は犯罪者候補を連れ込んで尋問する部屋と見るべきであった。
「そういや、昼飯食ってないな。少し腹が減った」
武器防具の類は預けたので、この部屋にはない。今の俺はローブ姿である。
これは俺の服ではなく、銀蛇の皮鎧とその下に着込んだ布鎧を預け、かわりに衛兵から借りたものだ。あくまで客人対応ということなので湯と布も借りれたので、冒険の汗はざっと拭ってある。
武器に関しては血糊で錆びないように、渡すときに軽い手入れをお願いしてある。待機してる間、衛兵も暇なようで、快く応じてくれた。
「なんかメシ、頼むか――そういや、お前って何食うんだ?」
俺が尋ねたのは、椅子に紐の先をくくりつけてある魔血蜂だ。
一メートルほどという行動範囲は変わらないが、俺から離れているために今の俺は身軽である。
もちろん言葉が通じているわけではないのだろうが、俺が話しかけるとぶぶぶぶ、と飛び上がって反応を示すので、コミュニケーション自体は取れているような気がする。
「ん、何か食うか?」
「ええ。適当に俺の分の昼飯をください。他の三人にも聞いてやってもらえます?
全員昼飯はまだ食ってないんで」
「わかった、聞いておこう」
「それと、魔血蜂が食いそうなもんも何かお願いします」
「無茶言うな、何を食うんだよそいつ」
苦笑しながら衛兵は去っていった。代わりの衛兵がやってきて、鉄格子から俺の様子を覗き見る。俺よりも、大人しく椅子につながれたままになっている魔血蜂の方に興味を示しているようだ。
このように、俺の部屋の入り口で監視役をしている衛兵は概ね好意的である。
もちろん威圧的に接されるより精神安定上好ましく、俺はのびのびと過ごさせてもらっていた。
「ほらよ」
三十分ほど経ったころ、頼んでおいた食事が届いた。
入り口の扉には差し入れ用の窓が付いているのだが、そこからではなく、衛兵は普通に扉を開けて室内に入ってきた。逃亡する恐れはないと思われているのだろう。
侵入者が現れたということで椅子に繋いだ魔血蜂がぶぶぶぶと空を飛んで身構えていたが、瞳は赤くなっていない。あくまで警戒しているだけのようだ。
「マジか、おっちゃん超優しいじゃん」
「誰がおっちゃんか――いや、もうそんな歳か」
なぜか一人で自問自答しつつ落ち込む衛兵が持ってきてくれたのは、俺の昼飯である。気軽に食えるパンとベーコン、チーズの挟みものに加えて、小皿が三つ乗った木のトレイを差し出された。
なんと小皿には、生肉のミンチ状のもの、水、蜂蜜がそれぞれに入っている。魔血蜂用だろう。
「そいつが何食うかわからなかったからな。適当に持ってきたぞ」
「いや、助かるよ。俺も連れて帰っただけだから、こいつの食事とかわからないんだよな――お?」
椅子に繋がれたままの魔血蜂は机の上に飛び乗り、わさわさと六本の肢でトレイの前まで歩いていった。しばしトレイの中の小皿を眺めた後、口から伸びた触角のようなもので、蜂蜜の小皿をちゅーちゅーと吸い始める。
「すごいな。実際に目にするまでは半信半疑だったが、本当に懐くんだな」
「今まで誰も試さなかったんですかね? 魔物の飼育とか」
「いや? それなりに試行錯誤した結果、魔物は何をやっても飼い慣らせないって結論に至ってたはずだが。低階層の魔物を飼い慣らせるか試したことはあったみたいだが、まるで上手く行かなかったらしい。どれだけ餓えてても与えた餌は食わないし、人間へ攻撃しようとするばかりだったらしいな。こいつが特別なんじゃないか?」
「ふむ。魔血蜂だけが飼い慣らせるってだけなのかな」
「わからん。魔血蜂の巣の討伐依頼が今日出てただろ? あれで女王蜂が死んだから、はぐれたそいつが次の主人を探してただけなのかもしれんしな。魔物の生態は謎が多いよ」
軟禁生活というのは暇なものである。話相手になってくれたこのおっちゃんが良い人であったことに感謝せねばなるまい。
「っと、これは――はっ。そうであります。はっ、かしこまりました」
俺と話していた衛兵のおっちゃんが、突然扉の外で誰かと話し始める。
間を置かず、鉄の扉ががちゃりと開き、ローブ姿の壮年の男性が入ってきた。
「魔血蜂を調教したというのは君かね? そしてそれがその魔血蜂かね?」
前置きもなしに突然話しかけられて、俺は少なからず困惑した。
浅黒くて皺の多い、彫りの深い顔立ちの彼は、興奮しているのか目をぎょろりと剥き、ずかずかと俺たちのいる机までやってきて興味深げに俺たちを凝視し始める。
(あれ、このおっさん、どこかで――)
胸に魔石を象った、魔法ギルドの紋章。
どこかでこの人のことを、俺は見かけたことがある。どこでだっただろうか。
ふいに、エマたちと作級の魔法を買いに行った魔法ギルドの売店を思い出した。
『もし迷宮の深層部で、未知の魔法を魔物が使ってきたら、ぜひ魔法ギルドに詳細を報告してくれたまえ。内容如何では報酬ははずむぞ――』
その後、売店の店員が、彼が魔法ギルドのマスターであったことを教えてくれたんだっけ。
「ああ、確かあなたは、魔法ギルドのマスターの。カヌンシルさんでしたっけ?」
エマたちに魔法を習わせることを、実に結構なことだと、謹厳な顔を崩さず評価した人だ。
「おや、私のことを知っているのか。どこかで会ったかね?」
「一度だけ、魔法を買いに行ったときにお目にかかりました。俺の仲間たちに、魔法を教えに行ったときのことですが」
しばし、記憶を探るかのように押し黙っていた彼は、やがて表情を崩した。
「思い出した。所持している奴隷に魔法を習わせていた青年か。君だったとはな」
今度は俺が驚く番である。まさか記憶されているとは思わなかった。
「よく覚えていますね。もう二ヶ月以上も前のことで、そう長く言葉を交わしたわけでもないのに」
「うむ。魔法の偉大さはもっと周知されてしかるべきだ。君たちはそういう点で、見込みがあったからな。魔法は実に便利なものだよ、戦う手段というだけに留まらず、生活に欠かせない技術だ。私はね、魔法の原理、仕組み、神秘、そういったものを追究しているのだ。より詳しく魔法の仕組みが明らかになるにつれ、我々人類もより発展していくことができると信じている」
魔血蜂の行動射程範囲に入るのも厭わず、机に両手を置きながら彼は俺たちの方に乗り出してきた。
魔血蜂がぶぶぶぶと空を飛んで威嚇しているのも気にせずに、彼は熱弁をふるっている。
「自己紹介は省こう。君が今回魔血蜂の調教に成功したかもしれないと会議で聞いて、いてもいられなくなって飛んできた。さあ、私に新たな可能性を見せてくれ。
誰がどうやっても調教に成功しなかった魔物との共存、その端緒となるかもしれない貴重な個体をだ」
ずいずいとにじり寄ってくるカヌンシル氏の剣幕に、俺たちは身を引いてしまう。魔血蜂にいたっては、瞳が警告色の赤に染まり始めていた。
「別に逃げやしませんから、落ち着いて下さい。魔血蜂が興奮していますから」
「む、いかんな、すまん。どうも魔法の探求になると我を忘れてしまうようでな。家内にもよく諭されるのだが、こればかりは直らなかった」
ふすーっと鼻息を吐き、自分を落ち着かせるかのように目を瞑る彼である。なんというか、情熱的というか、この人も変わり者であった。
「君、すまんが椅子を一脚頼む。私はしばらくここにいるのでな、茶か何かも貰えるか?」
カヌンシル氏は、扉の外で待機している衛兵の彼に声をかけていた。
同室で過ごすには暑苦しい人ではあるが、暇であるのも事実なので、話し相手が出来たと好意的に捉えることにしよう。一応は権力者らしいから、顔を繋いでおいても損はなさそうだし。
「む。それはもしや、魔血蜂の餌か。しかも手をつけた跡があるな。なんだ、一体何を食うんだ魔血蜂は」
舌の根も乾かぬうちからずずいっと顔を近づけてくるカヌンシル氏であった。
「今のところ、蜂蜜しか手を付けてないですね。先ほどの衛兵の彼が融通を利かせてくれたんですが」
「君、すまんが同じのをもう一つ用意してくれないか。これは手間賃だ、釣りは取っといてくれ」
扉を開けて顔を出した衛兵の彼に、カヌンシル氏は懐から金貨を一枚取り出して手渡した。俺の見間違えでなければ、10,000ゴルド金貨である。太っ腹な人だと言えよう。
「それと、君――そういえば名前を聞いていなかったな。魔血蜂の縄を解いてくれないか? 自由に飛ぶところを見たい」
「ジル・パウエルです。縄を解くのは構いませんが、大丈夫ですか? こいつが人間全体に懐いたのか、俺だけに懐いてるのか、まだわかってませんが」
「なに、構わんさ。魔血蜂に刺された程度で死ぬほど私は弱くはない」
胴体に回された荒縄を解いてやると、魔血蜂は待ってましたとばかりに室内を飛び始めた。しかしそれも束の間で、魔血蜂が飛ぶ姿を凝視しているカヌンシル氏が
より近くで見ようとじりじりと距離を詰めてくるので、彼から隠れるように俺の後頭部に着地した。
「あの、顔。近いです」
気が付けば、魔血蜂を凝視している彼の顔が、俺の目の前にあった。
鼻息が俺の顔面にかかるほどの至近である。俺の後頭部の魔血蜂が脅えているような気がした。
「はっ。いやすまん、つい見入ってしまった。いつの間にこんな近くにまで」
表情からすると、本気でうろたえているのがわかる。とんだ変わり者である。
「ちょっとジル君、その縄を貸してくれたまえ。うむ、これでよし」
何を血迷ったか、彼は自らの両脚を椅子に縛りつけた。
興奮して接近しすぎないようにという配慮らしいが、そんなことをしても
どうせ我を忘れて椅子ごと接近してくるような気がしてならない。
「お待たせしました――どんな状況ですか、これ」
蜂蜜などを盛ったトレイを用意して室内に入ってきた衛兵の彼が、椅子に縛り付けられている魔法ギルドのマスターを発見して呆れ顔になったのも、当然である。




