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第四十四話 桃色

「ごめん、バレた」


 青ざめながら告げた俺を見て、ディノ青年の顔は青ざめた。

 何事かと隠れ場所である本棚の裏から顔を出したキリヒトも、やはり青ざめた。


 ここは開拓村の、ディノ青年の隠れ家である。小屋の戸をノックした俺の背後には、青筋を浮かべたミリアムと、おろおろと落ち着かなげに周囲を見回している例の未亡人が控えていた。


 更にその後ろに、にやにやと事の流れを見守っているチェルージュがいる。


 馬車で一日二往復もするなんて面倒くさい、と宣言した彼女は、人気のない街外れの街道まで俺たちを連れ出すと、どこからともなく飛んできたお付きのコウモリたちに俺たちを掴ませ、一気に空へと飛び上がった。

 未亡人の方はうわ、うわわわ、などと声をあげて驚いていたが、ミリアムの方は人生初となる空の旅も意に介することはなく、物珍しげに風景を楽しんでいた。


「さて、入るわよ。ここが私たちの新居? 話し合ってたのと違って、ずいぶん狭い家なのね。お客様がいらしたときのための応接間や客室、子供部屋も欲しいから、二階建ての家がいいなって話になってたと思うんだけれど」


 二脚しかない椅子には、膝を揃えて身を縮こまらせている未亡人と、脚を組んだミリアムが座っている。

 そんな二人の女性から見下ろされるように、俺たち男性三人衆は、床に正座させられていた。


「ジルさん、恨みますよ」


 常になく焦った様子というか、脂汗を額に浮かべながら、鋭い目付きでディノは俺を詰る。


「本当にすまん。頑張って誤魔化そうとしたんだが、ミリアムは鋭すぎた。カマかけに引っかかった」 


「なんで、ジェノバまでいるの?」


 やはり額に汗をかいて焦った様子のキリヒトである。ジェノバとは未亡人の彼女の名前だろう。


「俺が口を割らされてたときに、ちょうど冒険者ギルドに彼女が来たんだ。キリヒトの消息を探しに、ディノのことを訪ねてきたらしい」


「なんて最悪のタイミングで――」


 脚組みを解いたミリアムの靴が床に当たるこつっ、という音に、俺たちはびくりと身体を震わせる。


「恋人からの問いかけを無視して内緒話とは、ずいぶんな態度じゃない? ディノ」


 はい、すみません、と頭を垂れるディノである。


「で、どうなの? お金が溜まったら結婚しようねっていう話はどこにいったわけ? それともまさか私とは遊びで、実はそっちのキリヒト君の方が好きで駆け落ちしたってこと?」


 もちろん冗談であり、本当に同性愛であると思っているわけではなかろうが、何を勘違いしたのかジェノバ未亡人は、はっとなって口元を押さえた。

 

 難詰されているディノを見兼ねたのか、キリヒトは正座のまま、がばと頭を下げた。


「すいません、ミリアムさん! 僕が悪いんです。ドジ踏んだ僕をディノ先輩が助けてくれて、それで街にいられなくなって――」


「そうそう、ディノは友情に厚い、いい奴なんだ! 今回の件だって――」


「ちょっと黙っててもらえる? いま、ディノと話してるから」


 氷属性の魔法でもかかっているかのような冷たい口調で一刀両断にされた俺とキリヒトは、言葉を失って黙り込む。


 はらはらしながら俺とキリヒトが見守る中で、ディノ青年は口を開いた。


「その通りですよ、あなたとは遊びでした、ミリアム。もう僕たちの関係は終わりですよ」


 何言っちゃってんのこの人、とばかりに俺とキリヒトが慌てふためく中、当事者のディノとミリアムだけが涼しい顔である。


 ミリアムはくすりと笑った。肉食獣のような、獰猛な目つきに見えるのは俺の気のせいだろうか。


「あなたのそういうところが好きよ、ディノ。本当は私のこと、大好きで大好きでしょうがない癖に、可愛い後輩のために私を突き放そうとするところとか」


 何かを言おうとして口を開きかけたディノの唇に指先を当てて、発言を封じるミリアムである。


「あなたのことならお見通しよ、ディノ。あなたが今考えてること、当ててあげようか。私をどうやって口封じしようか考えてる、違う?」


 一瞬目が泳いだように見えたが、ディノ青年は表情一つ変えずに涼しい顔である。


「ジルやジェノバがいなければ、もし私が一人でこの家に来てたら、あなたは私を始末しようとしたでしょう? 命まで取るかはわからないけれど、ここみたいな人目に付かない小屋に監禁するぐらいはあなたなら平然とやるに違いないわ。私のことを大好きだっていうのに、後輩とその彼女の幸せを第一に考えて、ね」


 伸ばした人差し指で唇を弄ばれながら、ディノ青年は微動だにしない。

 そして彼ら以外の当事者である俺たちはというと、あまりに重すぎる会話の内容に引いていた。


「あなたのそういうところが好きよ、ディノ。スラム育ちなのに頑張って冒険者ギルドに入った努力家、そんな表の顔も良いと思うけど、あなたが隠してるダーティな顔が私は一番好き」


 だって、同類の匂いがするもの、とミリアムは爬虫類じみた笑顔でにやっと笑った。


「頑張ってそういう匂いを消そうとしてたけど、残念ながらお見通しよ、ディノ。あなたがそういう顔を隠そうとしてきたのと同じように、私にだって普段見せない顔の一つや二つ、あるもの」


 参りましたね、とディノ青年は笑った。いつもの爽やかな笑顔に戻っている。


「そんな女だとは知りませんでしたよ。やけに鋭いなあとたびたび感じることはありましたが。なるほど、これはジルさんでは敵わないわけですね」


 惚れ直した?と微笑むミリアムに対して、ええ、と頷くディノ青年である。なぜこの話の流れで愛情の再確認になるのか、俺にはさっぱりわからない。


「次からは、私にちゃんと相談してね。情けなく地面に這い蹲りながら、私だったらどんな汚い面でも受け入れてくれるって信じて誠心誠意お願いしなさい。そしたら、私もあなたを受け入れてあげる」


 そうします、と言いかけたディノ青年の顔を、程よい丸みを帯びた自分の胸で塞ぐミリアムである。床に押し倒されたディノ青年に馬乗りになりながら、胸元を縛っていた紐の結び目を解いていく。


「人前でする趣味はないの。出てってくれる? ジル君、そっちのカップルの世話はお願いね」


 ばたりと、俺たちは締め出されてしまった。

 がちゃりと鍵をかけられた小屋の中にはディノ青年とミリアムの二人、小屋の外には所在なげに立っている俺たち四人である。


 一体何が起こったのか、いや中で何が行われつつあるかは自明の理なのだが、どうしてそんな展開になってしまったのか、脳の回転が追いつかずに俺の口はだらしなく開きっぱなしである。


 キリヒトも似たような状態なので俺は安心した。


「うん、参考になった。お茶でも飲みに行こう? ボーヴォの別荘の鍵、もらってるし。キリヒト君は隠身ハイド、使えるでしょ? 私たちの後を付いてきてね」 


 にこにこしながら、先導して歩き出すチェルージュである。


 彼女以外の俺を含む三人はやや呆然としていたが、ともかくも指示に従って歩き出した。これ以上この場に留まっていては、知人の嬌声が聞こえてしまいそうでもあるし。


「あ、ボーヴォ? お願いがあるんだけどさ、別荘に犯罪者匿っていい? ううん、ジルじゃない。ジルが昔お世話になった知り合いなんだってさ。うん、うん。わかってる、そこは責任持つよ。助かるよ、ありがとう。またねー」


 キリヒトとジェノバ未亡人が付かず離れずの距離を保ちながら黙々と歩いている横で、脳天気なチェルージュの話し声がする。見れば、念話の指輪に何やら話しかけていた。


 話の内容から察するに、先日に昼食会を開いた湖のそばにあるボーヴォの別荘、あそこにキリヒトを匿おうというのだろうか。


「上手く話がまとまらなくて、ジルが首を突っ込むような状況になったら、こうしようって思ってたよ。ディノ君の方は何とかなったけど、キリヒト君たちの方は根本的にどうしようもなさそうだからね。ほとぼりが冷めるまであそこで暮らせばいいんじゃないかな」


 そんなにして頂いては申し訳が、などと言い出すジェノバ未亡人に対して、チェルージュがにこにこしながら話しかける。


「大丈夫、お代として、二人の馴れ初めから何まで語ってもらうから。ねえジル、他人の恋バナって何でこんなに面白いんだろうね。参考にもなるし、純粋に面白いよね?」


 知らんがな、と肩を落とす俺であった。







「うわっ、何ここ。ベッドすっごいふかふかだよ。ええっ、さらに掛け布団まで付くの? 机も椅子もベッドも、何これ黒檀? 黒光りしてツヤツヤしてるんだけど。おっ、製作者の銘が入ってる――って、先代の細工ギルドマスターの銘だよねこれ。本気出して作った家具にしか銘入れないって聞いてるのに、ひょっとして全部これ銘入り!?」


「知らないけど、ボーヴォの家に住んでるおじいちゃんが全部作ったんだって。週末大工が得意って言ってたな。ベッドの方は酒桃ネクタルの幹で、机とか椅子は世界樹ユグドラシルの枝だって言ってた」


「深層の迷宮素材を椅子に使ってるの、最高級の弓の素材なのに!? この部屋を見たら、街中の弓使いが血涙流して怒ると思うよ、無駄遣いするなって」

  

「そんなこと言われても、ボーヴォなら多分樹木ごと引っこ抜いてこれるからなあ。街で流通してる素材って、枝とかそんなのでしょ? 一本丸ごと売ったら、価格崩れちゃって細工ギルドから怒られるんじゃないかなあ。ボーヴォを一時間レンタルする代金と考えたら、それなりの値段付くのかな?」 


 一通り、案内された客間の調度品を物珍しげに見て回った後、キリヒトは深いため息を吐いた。


「世界が違うっていうのはこういうことを言うんだろうなあ――ねえジル、僕たち本当にここに住んでいいの? めぼしい家具の一つや二つかっぱらっただけで、そこそこ遊んで暮らせるよ?」


「いいんじゃないか? ボーヴォに口を利いたのはチェルージュだから、そっちに聞いてくれ」


「犯罪を重ねないっていうのが唯一の条件だったから、そこを守ってくれれば好きにしていいよ。個人的な忠告を言えば、ボーヴォたちと敵対するのはお勧めできないよ、とだけ。ボーヴォの言うことなら冒険者ギルドは大抵のことは聞いてくれるだろうから、本気出して捜索されたら逃げ切れないと思うよ?」


「だよね、言ってみただけ。でもさ、正直なところ、こんな高そうなベッドに寝れないよ。長いこと体洗ってないから汚れちゃう」


 確かに今のキリヒトは、涼しさの欠片もない容貌である。無精ひげの上に、顔は皮脂でてかてかしていた。


「お風呂、沸かそうか? 客人用の着替えもあったはずだし」


「個人宅にお風呂があるの!?」


「うん。おっきな浴槽があるよ。でも、お湯はみんな魔法で作ってるから、キリヒト君だと魔力が足りなくて沸かせないと思う。ちょっと入れてきたげるね」


 ぱたぱたと軽快な足音を立ててチェルージュが去ってしまうと、後には俺とキリヒト、そしてジェノバ未亡人の三人が残された。

 

 先ほどから小動物さながら、落ち着かない様子でジェノバ未亡人はそわそわしている。


「まあ、なんだ。根本的な解決にはなってないけど、何とか生活の目処が立ってよかったな」  


 再びため息を吐くキリヒトである。 


「それは嬉しいんだけど――なんだか住む世界が違いすぎて、やっかみたくなるね。ちょっと前まで大ムカデでひいこら言ってたのに、ジルってばいつの間にこんな富裕層の仲間入りしたのさ」


「言うなよ。俺に加護をくれたあいつがすごい奴だったってだけで、俺は何一つしてないからな。今はヒモみたいな身分から脱却したくて色々あがいてるとこなんだ。加護だって返したんだぜ? もう俺は加護持ちじゃないんだ」


「えええ、一体どうしちゃったのさ。加護を返したってどういうこと?」


 加護を返したという話は、ディノもキリヒトにも教えていないので、この反応は当然である。経緯を詳しく説明してやると、納得したようなしていないような、微妙な表情でキリヒトは首を傾げる。


「ふうん、いざそういう立場になったら、そんなものなのかな。僕だったら貰えるものは喜んで貰うけど」


「俺の場合、エマたちがいるからなあ。貰い物であいつらを食わせていくのは何かしっくり来なくてな。キリヒトだってそうじゃないか? よくわからんパトロンが現れて、連れの面倒を全部見てやるから付き合えって言われたらしっくり来なくないか?」


「ううん、僕の場合は切羽詰まってたから喜んで飛びついたとは思うけど。でもわかる気もするよ、ジェノバを取られるかもしれないって警戒はするだろうね」


「その反応ってことは、やっぱ俺がおかしいのかなあ。家族の面倒は自分で見たくないか? 家族に食わせるメシが他人から貰ったものって、なんか胸を張れないというか」


「それは持てる者の余裕だよ。手段を選べるほど裕福だったら僕だってそう考えるかもしれないけどさ」


 男同士でわいわいと話し合う横で、ぽつねんと佇むジェノバ未亡人である。

 彼女を置いてけぼりにしていたことに気づき、俺は水を向けた。


「俺らだけで話してるのも悪いし。紹介してもらえるか?」


 儀礼上、キリヒトに話しかけはしたものの、自分から自己紹介を始めるものと思っていたのだが、意に反してジェノバ未亡人は、ちらとキリヒトの方を見て、「いいの?」みたいな表情をした。


 媚びのない上目遣いであるが、妙に色気のある綺麗な人である。

 肌の色が少し浅黒いのだが、それが民族的な雰囲気として魅力になっていた。


「ジェノバ・べスパーです」


 それだけを言い、ぺこりと頭を下げる彼女である。何というか、独特の空気を持っている人だ。


「ねえ、ジェノバ。べスパーってさ、俺の苗字だよね?」


 キリヒトは呆れ顔である。彼女に対しては一人称が俺なのか。


「結婚してくれないの?」


「籍入れてもいいけどさ、ちゃんと話し合ってからにしようぜ、そういうの?」


「ミリアムさんみたいに強引に行かないと、またキリ君がいなくなると思って」


 ぷふー、と俺の口から笑い声が漏れる。キリ君呼ばわりは笑わざるを得ない。ちょっと赤面するキリヒトである。


「その話は今度な。他人がいるうちはキリヒトさんって呼べって言ったろ」


「だって、仲が良さそうだしお世話になったし、もし奥さんになるならキリヒトさんって呼ぶのは何か変だし」


「ああもう、その話は後でな」


 ひらひらと手を振り、話を打ち切ろうとするキリヒトである。彼女の前では男ぶっているようで、そこが微笑ましい。


「家じゃオラオラ系?」


 にやにやしながら問い質す俺に、やはり赤面するキリヒトであった。


「お風呂沸いたよー」


 がちゃりと部屋の扉を開けて、チェルージュが入室してくる。

 ボーヴォの本宅ほどとは比べ物にならないものの、この別荘もそこそこ広く、客室として使える部屋の数は十を超える。ここはそのうちの一室である。


「髭を剃りたいだろうけど、今日は我慢しておいてもらえるかな? ボーヴォの知り合いで、髪を切るのが得意な人がいるから、その人を今度連れてくるよ。別人に見えるように髪型とかヒゲを整えてくれるだろうから」 


「何から何まで、ありがとうございます。返せるお礼もありませんが」


 ぺこりと頭を下げるキリヒトと、一拍遅れてそれに倣うジェノバである。


「気にしなくていいよ。そのうちジルが困ってたら、また助けてあげてね」


 それはもちろんと言いかけ、キリヒト青年は何かに気づいたのか、黙り込んだ。


「ねえチェルージュさん。ひょっとしてこんなに親切にしてくれるのって、大ムカデの剥ぎ取りをジルに教えた一件で?」


「そうだよ?」


 あっけらかんと肯定するチェルージュに、胸を撫で下ろすキリヒトである。


「良かった、ディノ先輩の言うことを聞いておいて」


「何の話だ?」


 思い当たる節がないので、俺は首を傾げる。

 キリヒトはちょっとバツが悪そうな苦笑顔である。


「新人に恩を売っておいてね、中堅冒険者ぐらいに育ちきったころに罠に嵌めたりとか、詐欺をする潜伏先のギルドに入隊するために使うとか、よくやる僕の手口なんだ。ジルに声をかけたのも、将来的にそういう商売の役に立つかもって思ったからなんだよね。ディノ先輩が釘を刺してたでしょ? ジルを僕の商売の対象にするなって」


「それはディノのお手柄だな。もうあの時点で加護があったから、俺に危害加えてたらチェルージュが飛んできてたぞ」


「ジルがもっといい装備してたら、多分その場でどうにかしちゃってたと思うよ。ディノ先輩に釘を刺されてなかったら、銀蛇の皮鎧を着始めたころにやっちゃってただろうね。美味しそうな獲物なのになあって思ってたんだけど、手を出さなかったおかげでこうして今、助かってる。人間、何が良し悪しを決めるかわからないね。運命って不思議だなあ」


「調子のいいやつだな」


 今度は俺が苦笑する番である。やはりというか何というか、俺は狙い目の獲物に見えていたようだ。


「ねえキリ君、ディノさんのお仕事を手伝ってお給料を貰ってる話、嘘だったの? ひょっとして毎月くれてたお金、あれって悪いことをして溜めたお金?」


 それまで黙っていたジェノバが口を挟んできたために、俺たちは黙り込む。

 話の内容も重い。キリヒト、ひょっとしてジェノバに何も教えていなかったのだろうか。


「そうだよ。迷宮で稼いだのと、他人を嵌めて稼いだのと、半々ぐらいかな。軽蔑したか?」


「ううん、全部聞いておきたかっただけ。キリ君がいなくなったときにくれた大金も、悪いことをして作ったお金なんだよね?」


「ああ。四人殺した。立派な重犯罪者だぞ、俺。そんなわけだから、もう俺には付きまとうなよ。家に帰って、娘と二人でのんびり暮らせよ」


 俺とチェルージュは顔を見合わせる。馴れ初めとかを根掘り葉掘り聞く予定が、

どうしてこんな修羅場になったのかと言わんばかりにチェルージュは困惑していた。


「びっくりしたけど、私のためにしてくれたんだもんね。人殺しの奥さんでいいよ、私。キリ君についてく」


「お前なあ――」


 何かを言いかけたキリヒトの袖を、ジェノバが引いて部屋から連れ出そうとする。


「お風呂、冷めちゃうよ? 一緒に入ろ?」


「一緒にって、お前――」


 家主であるチェルージュに憚ったのか、躊躇う素振りを見せたキリヒトであったが、当のチェルージュは待望の展開になったと言わんばかりに目を輝かせていた。というかお前の家じゃないだろ。


「お風呂に入り終わったら、浴槽の底にある詮を抜けばお湯は下水に流れるから。掃除道具と入浴するための備品なんかは手前の脱衣所にあるからね。汚したところは自分たちで掃除してくれればいいから」 


 言外に、汚しても構わないという含みがある。キリヒトの退路はすでにない。


「あと、娘もキリ君のこと好きだから、多分一緒に暮らしたがると思うよ?」


「なにそれ、初耳だよ」


 がくりと肩を落とすキリヒトである。頑張れ。


「私とジルは外でお散歩でもしてくるからね、ごゆっくり。夜になったら戻ってくるよ。そのころにはディノ君たちも終わってると思うし、今後の予定とか話し合おうね。なんだったらジル、私たちもどこかにしけこむ?」


「お前はお前で、どこでそんな言葉覚えたんだよ」


 ブーメランである。今度は俺ががくりと肩を落とす番であった。


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