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第三十九話 内心

「おう、暇か? 前に鉱石運搬の仕事やってもらったろ。あれみたいな依頼が出来たんだが受けてくか?」


「分割払いの借金もあるし、まあいいけどよ――何の仕事だ?」


 休日である光の日が目前に控えた、今日は闇の日である。時刻は夕暮れどきで、狩りを終えてきたところだ。例によって、刃物の砥ぎを頼もうと思ってダグラスの店に寄ったのである。


「うむ、そういう付き合いの良さはいいと思うぜえ。最近の奴らは義理と貸し借りをやけに軽く見やがる。人間なんざ、どう頑張ったって助け合わにゃ生きていけねえのによ」


「ご立派な説教だが、それを俺みたいな若者に言ってどうすんだ、おっさん」


「おっと、そうだった。ついお前さんと話してるとお前さんの歳を忘れちまう。俺ァ無口な方なんだが、どうもお前さんと喋ってると口が軽くなっていけねえ。依頼の内容だが、開拓村へ物資を運ぶ馬車の護衛だ。明日の朝、物資を積んだ馬車がこの街を出る。行き帰りの成功報酬で20,000ゴルドだ」


「いいぞ、特に予定も入ってないし」


 一瞬チェルージュの顔を思い浮かべたが、明日の予定はまだ入っていない。

 先週もチェルージュとは会っているし、今週の休日はエマたちを連れ出す日でいいだろう。開拓村にはまだ行ったことがないし、観光も兼ねた、いい休日の過ごし方だと思う。


「言葉の綾で貸し借りって言ったが、お前さんと交わした分割払いの契約は真っ当なもんだ。お前さんへの貸しなんざないし、断ってくれてもいいんだぞ?」


「この店があるおかげでずいぶん助かってるよ――で、集合は何時だ?」




 翌朝の集合時刻に、俺たち四人は東門の前へと集まっていた。

 俺は銀蛇シルバーサーペント皮鎧レザーアーマー、エマは板金鎧プレートメイル闘斧バトルアックス――迷宮仕様の完全装備である。


 エマのみ重量が桁違いなので気の毒だったが、気安く着れる予備の装備というものが、エマたちにはない。


「だいじょうぶです。ここ一週間で、また力、強くなりましたから」


 ふん、と力を篭めて、片腕で闘斧を持ち上げてみせるエマであった。

 レベルが上がることによる筋力値の上昇では実際の筋肉は付かないものの、冒険や日常生活での運動は普通に肉が付く。ダグラスのような肉体労働職が筋骨隆々としているのもそれが理由だ。


 奴隷商人の元から引き取ってきたばかりのころと違い、いまやエマの全身は引き締まりつつも、筋肉の厚みが付き始めていた。身体が丈夫になったと喜ぶ反面、このままいくと年頃の少女がマッチョになりかねないのは悩ましいことであった。


 四頭立ての馬車が列を為して、開拓村へと続く道を進む。

 例によって石で舗装されていない、踏み固められただけの土の道路であるため、

ところどころに埋もれた石や段差の上を馬車が通るたびに、ごとりと揺れる。


 空の背嚢を尻に敷けばいくらかましなのだろうが、元々エリーゼは背嚢を持たず、エミリアは何が入っているのかわからないが、中身が膨れた背嚢を後生大事そうに抱えていた。

 がたがたと揺れるたびに顔をしかめる二人である。板金鎧のエマだけが涼しい顔をしていた。


 ちなみに俺も、すっかりこの段差による振動を忘れていたため、敷物等は用意してきておらず、度重なる揺れと突き上げによって尻が痛かった。レベルが上がっているせいか、銀蛇の皮鎧のおかげか、赤の盗賊団を討伐したあの日よりもましな痛みではあったが。


「おう、くるくる嬢ちゃん大丈夫か? 何ならケツ撫でてやろうか? がはは」


「帰ったら奥さんにチクってやるから覚えてなさいよ。結構仲いいんだからね」


 ご機嫌なダグラスの顔が、みるみる青ざめて縦線が刻まれだすのは放っておこう。


 十台を超える馬車一行の中で、俺たち五人が乗っている馬車は最後尾の一台である。ダグラスを含めた俺たち五人と、武器防具を詰め込んだ木箱を満載しているので、お世辞にも広々とした快適空間ではない。


 定期的に開拓村へと向かう輸送物資の運搬に、有志の商人が自前の馬車を駆って参加する、毎週末の風物詩がこの行列なのだそうだ。

 じゃあ、護衛代は各自の負担――言い換えれば、ダグラスが俺たちに払う護衛代は自腹か?と聞いてみたのだが、新たな土地の開拓は公共事業なので、そこへ向かうための護衛を雇う分には、冒険者ギルドから補助金が下りるらしい。


「まあ、これだけいれば魔物も襲ってこないだろうが」


 十台を越える、馬車の大行列である。俺たち以外にも護衛を雇っている馬車はあるだろうし、赤の盗賊団は壊滅したので賊の出現もおそらくないだろう。

 付近の山々や森には野生の魔物が住み着いているというが、少しでも知恵のある魔物ならばこれだけの大所帯に襲いかかるということもあるまい。せいぜい、知能の低い昆虫系の魔物が散発的に現れるぐらいではなかろうか。


「そんな弱い魔物でも、街の外に畑を持ってる農夫なんかには深刻な脅威なんだぜ。あいつら、人の目をかすめて農作物を食い荒らしたりするからなあ。たまに人死にも出る」


「あまり街の外側に出たことはないんだが、なんでまた城壁の内側で畑を作らないんだ? その方が安全だろ?」


「そりゃお前さん、金だよ。城壁の内側は土地の数が限られてるからな、土地代も高いのさ。食うのに困ってるやつは、畑一つ作るにしろ街の外に出なきゃなんねえ。スラム街を見たことがあるか? あそこらを根城にしてるのは、貧民の中でもまだマシな暮らしをしてる奴らなんだぜ。もっと貧しい奴らは、犯罪奴隷とかと協力して街の外に小屋を建てて、畑を作るのさ。もちろん衛兵の守備管轄外だから、魔物に襲われても自己責任さね。街の周囲を巡回する依頼とかを駆け出し冒険者のためにギルドが張り出したりするけどな、四六時中目が届くわけでもなし。一口に五十万人って言っても、壁の内側に住めてるのはその半分ってとこじゃねえかな。残りは郊外やら開拓村に住んでるんだ」


「はあ。生きてくだけで大変なんだろうな」


「お前さんも他人事じゃないんだぜ? 怪我とかで迷宮に入れなくなった冒険者が

食うのに困って外で暮らしたり、さらに食い詰めて賊になったりなんていうのは良くある話なんだ」


 ふと、思い当たる節があった。エマの父親も、確かそういった経緯で身を持ち崩したのではなかったか?


「生きてさえいれば、ジルは私たちが食べさせてあげるわよ。かなり投資してもらったし」


 なぜかエミリアが胸を張る。エマの方をちらと見るが、面頬から覗く表情は普通で、特に先ほどの話を気にしている風ではない。もう両親のことは割り切っているのだろう。


 しばらく話題が途絶えた。馬車が道を行く、がたごとという音だけが響いている。


 エミリアが、ちょっと悩んだ顔をしていた。

 何かを言おうとして、また口を閉じる。切り出すべきか切り出さぬべきか、思いつめている風だ。


 何となく用件に心当たりがあったので、見守っていた。やがて、髭モジャだしいいか、と呟いてエミリアは口を開く。


「なんで加護、返したの?」


 予想通り、加護を返した件についてだった。特に異論を示さなかったのはエマだけで、エリーゼもエミリアも納得はしていないのである。

 

「言ったろ、油断の原因になるからって」


「お前さん、どういうことだ、加護を返したってのは?」


 家族会議の最中なんだから黙ってて、そのヒゲ焼くわよと言われ、馬車の隅で

地面に字を書いていじけるダグラスであった。


「言い出さなかったけど、ジルの加護があれば色々な戦法が取れるわ。例えば、ジルが行けるだけの深部まで走りこんで、集まってきた魔物のど真ん中で死ぬのよ。朱姫様が現れて魔物は一網打尽、魔石と素材はボロ儲け、帰還の指輪で帰ってくるとか。あとは、誰かの身代わりよね。エマが危険になったら、身体を張ってジルが攻撃を食らうのよ。もしジルが死んでも生き返れるし、エマは助かる。いいこと尽くめね」


「あなた、そんなことを考えてたの? 私たちがご主人様を庇う側でしょう?」


 エリーゼが、すっと目を細めた。元から細い目だというのに。

 これは、本気で怒っているときの特徴だった。しかも今回は、かなりキている。


 加護があるんだから庇わなくても死にゃしないわよ、とエミリアは続けた。


「与えられた状況と手持ちの札で、最高の利益が出せるにはどうしたらいいかを考えるのが私の仕事よ。加護を有効活用する方法を考えたら、自然とそういう発想が出てくるの。他にもあるわよ? 朱姫様が『開拓者フロンティア』のボーヴォさんより強ければ、各ギルドの首脳部を武力で脅せるわ。俺の言うことを聞かないと朱姫様をけしかけるぞって言えばいいのよ。合議制じゃなく、絶対王政に移行できる。やったじゃないジル、あなたこの街の王様よ?」


「マジか、そりゃすげえな。王冠は鉄兜よりも重たい金ピカのでかいやつにしようぜ」


 俺の台詞に、エリーゼとエミリアの気勢も少しは削がれたようだった。


「ほんとに、油断の原因になるからって理由だけ? 加護を返してきたの」


「というと?」


 誤魔化しきれなかったなあ、と俺は半ば諦める。ここまで突っ込んでくるなら、

不自然な点を論破する自信があるのだろう。内心、白旗を振っているところだ。


「油断なんて、気の持ちよう次第よ。加護があろうとなかろうと、人間だからいつか油断はするわ。そのときに、加護がなくて助かりませんでした、ってことにもなりかねないのよ?」


「じゃあ、反論させてもらう。傷を抉るようで悪いんだが、俺が日常的に恐狼ダイアウルフの討伐に行ってなかったら、エマは恐狼に挑もうと思ったか? かなり素早く、巨大な獣だってことは言ったろ?」


 ふるふると、エマは首を横に振った。


「ご主人様と同じ魔物を倒して、わたしも一人前だと自慢しようと思って、むりをしました。今までで一番強い魔物だときいてましたから」


「ダグラスの剣は――まあ運良く手に入った分類にしたとして、銀蛇の皮鎧はチェルージュのおかげで手に入った装備だからな。これがないと、今でも恐狼と戦うのは怖いよ。普通の鋲皮鎧とかだと恐狼の牙に負けるから、突進を正面衝突で迎え撃つのに失敗したら死ぬからな。初めて恐狼と戦ったときだって、心のどこかで加護をあてにしてたような気がする。最悪の場合でも、死なないって。エマがそんな俺を見て、自分もやれると思って危険な魔物に挑もうとしたのなら、それはやっぱり俺のせいなんだ」


「それは違うわよ。エマのせいよ」


 ばっさり切り捨てるエミリアであった。


「エマの判断ミスは、エマの責任だからこそ本人が自覚して成長するのよ。ジルがその責任を奪う義務も、権利もないわ。あとね、私、誤魔化されるのが嫌いなの。

父親が事業を傾かせたのは、ひいては私が売られたのは、たちの悪い詐欺にひっかかったからなの。もう一度聞くわよ、なんで加護を返したの?」


「あ、やっぱりバレてる? 誤魔化そうとしてるの」


「当たり前よ。これだけ一緒に過ごしてたら、あんたの性格とか嘘吐くときの癖とかわかるようになるわ」


「なんだそれ、怖いな――かなり繊細デリケートな話題になるんだが、それでも聞きたい?」


 加護を返した理由は、他にあった。個人的には、言いたくなかった理由である。

チェルージュにも、エマたちも言いたくはなかった。


「当たり前よ、家族でしょ? 何を隠してるのか知らないけど、言いなさい。嘘吐いたら本気で怒るわよ?」


「俺たちの間に気まずい空気が流れること確定なんだが、それでも聞きたい?」


「早くしなさいっての!」


 苛々した様子のエミリアが、馬車の床をばんと叩く。

 俺は諦めて、口を開いた。せめてチェルージュには聞こえないよう、滅多な理由では解除しない、瞳へのマナの流入を止めておく。あくまで返した加護は、不死身の部分だけなのだ。





「女が欲しかったんだ」




 俺はこれ以上ないというほど真顔で、胸を張りながら言い切った。

 ふう、胸のつかえが取れたような、非常に清々しい気分である。


 エミリアとエリーゼが、ぽかんと口を開けて俺を見ている。対照的に、エマの眉間には皺が寄った。


「なんで好かれたか知らんが、最近チェルージュがかなり言い寄ってきてくれるんだ。でもまあ、加護で守られてるってことはさ、チェルージュに養ってもらってるようなもんだろ? 養ってくれる相手に好きですって言われて、わかった嬉しいよ付き合うって言えるかっていうと、それはダメだろ。男としての沽券に関わるよ。せめて対等な立場じゃないとな」


 開き直り、というのだろう。もはや賽は投げられた。言ってしまったのだ。


「そもそも俺は健全な男子であるからして、ここのところ欲求不満が続いてて辛くてなあ。エマも最近は落ち着いてきたみたいだし、毎晩一緒に寝るのも、俺の理性が危ないという観点からそろそろおしまいにしようと思うし」


「――えっと、俄かには信じられないんだけど。本当にそんな理由だけで、加護を返したの?」


 うん、と爽やかな笑顔で親指をぐっと立てた。

 本当は、それ以外にも理由があったけれど、それは女が欲しいという理由よりもっとひどくて、言えない。


「男なら、あるよな。うんうん、わかるぜえ」


 俺の肩をぽんぽんと叩きながら、何度も深く頷くダグラスは、髭の先を作火の魔法で焦がされて悲鳴を上げた。知り合い同士でもさすがに許されないほどに強い火力だったと思う。


「あんたね、そんな理由で――」


 この後のエミリアの反応も予想がついた。どうせ、バカじゃないのって俺を怒るに決まってる。


「女が欲しかったらあたしたちがいるでしょう!?」


 あっれ、予想とずいぶん違った怒られ方だぞ。


「女が欲しかったらエマがいるでしょう!?」


 自分が何を口走ったかに思い至ったのか、少し顔を赤らめてエミリアは言いなおした。勢いで誤魔化そうとしているのが伝わってきて微笑ましいが、それにしても躊躇いなくエマを売ったなこいつ。 


「いや、そりゃダメだよ。俺だからこそダメだ。みんなを買った理由が身体目当てになっちゃうだろ? ないと思うけど、仮にみんなから迫られても受け入れられないよ。みんながちゃんと大人になって独り立ちして、誰か好きな人を見つけて結ばれれば、俺にとってはそれが一番嬉し――」


 話を最後まで言い終える前に、最も予想外な角度から、最も強力な拳が俺の頬をぶち抜いた。板金鎧の小手と鉄兜がぶつかる硬質な衝突音。


 俺は真っすぐ後ろに吹っ飛ばされて、すぐ後ろの武具を満載した木箱に頭をぶつける。木箱が少なからずめり込む、ばきりという音。


 鉄兜の上から殴られたというのに、目の前に星が飛んだ。鼻の奥がつんとする。下手したら鼻血が出ている。骸骨剣士スケルトンウォリアーもこんな気分だったのだろうか。面頬を上げていたため、一応は防具のある頬の部分を殴ってくれたようだが。


「あ――」


 エリーゼも、エミリアも、絶句していた。

 

 ふっ、ふっ、と荒い息を吐きながら、俺の顔面を強打した鉄拳を握り締めているのは、エマである。


 そう、俺をぶん殴ったのは、エマだった。


 突如殴られた理由もわからず、俺が痛みと驚きで混乱する中、エマは感極まって泣き始めた。


 兜の面頬を上げてあるとはいえ、板金鎧の小手を装備しているため、手で涙を拭くことはできない。涙をこぼすままにしゃくりあげるエマの顔を、懐から取り出したハンカチでエミリアが拭った。


 つい一週間ほど前にも、似たような光景を見たような気がする。


「今のはお前さんが悪いな」


 肩にぽん、と手を置かれた。見れば、いつの間にか復活していたダグラスが生温い眼差しを俺に向けている。

エミリアとエリーゼも、なぜか冷ややかな、見下すような視線を俺に注いでいた。


「え、俺が悪いの? 俺、何かした?」


 誰も答えてはくれず、開拓村まで続く馬車の旅は、場を沈黙が支配する大層居心地の悪いものとなった。

 

 




(いやあ、まさかあそこまで本気で泣かれるとは)


 馬車の外で風に吹かれながら、俺はちょっと後悔した。

 

 今、俺は一人だけで馬車の屋根に腰かけていた。四頭引きの馬車とはいえ、そもそもが輸送用であるからして、重量を軽くするために荷台の屋根は板ではなく革布の覆い、幌であった。その上に乗ってはさすがに壊れてしまうので、四隅の木材で出来ている部分に腰をかけて足をぶらぶらさせているというわけだった。


「ちょっと外の様子を見てくるよ」


 そう言い残して俺は荷台の中から逃げ出した。気まずさに耐えかねたのである。

ダグラスですら閉口してしまったほどに、三人娘の沈黙は重かった。


 馬の速度にあわせて、ゆるやかに景色が流れている。荷台を曳いた馬の歩みは、のんびりとしたものだった。

 そろそろ、開拓村と街の中間だった。赤の盗賊団と戦ったのがこのあたりだった。森の形に見覚えがある。


 ささやかな向かい風が面頬を上げた兜の中に吹き込み、脂汗をかいた肌に心地良い。


(失敗したかなあ)


 無論のこと、エマを泣かせてしまったことである。


 多方面から鈍い鈍いと言われている俺であるが、エマが憎からず俺のことを想ってくれていることには、当然ながら気づいている。ほんの数ヶ月とはいえ、彼女たちと過ごした日々は濃密で、もう短い付き合いと呼べるようなものではないし、常日頃から好意を寄せられていれば悪い気はしないのが男という生き物である。


 エマが怒った理由は、わかっている。

 最後まで言い切れなかったが、他の男を見つけろと俺が言ったことにショックを受けたのだろう。


 しかし、どの道、いつかはそうしてもらわなければならないのだ。遅かれ早かれ、というやつだろう。女として花開きかけたばかりである幼さや年齢を度外視しても、俺は彼女たちに手を出すつもりはない。

 それは俺が主人であり、彼女たちが奴隷である以上、俺の中で決めた明確な線引きであり、譲れない自重だった。エマが俺をぶん殴るのは許しても、俺が彼女たちに手を出すのは許されない。


(とはいえ――)


 もっと上手い言い方があったのではないかと後悔はしている。この後悔は、二重のものだった。

 

 加護を返した理由を誤魔化したいがために、下手な言い訳をしてエマを泣かせるのは、本意ではなかった。最もインパクトが強くて納得できそうな理由を選んで言ったつもりだったが、失敗だった。


 加護を返した理由――本当のところ、何が一番大きな理由なのかを、未だもって俺が整理できていない。


 


 


(あの日の夜――)


 恐狼と戦ってエミリアが負傷した日、ベッドの中で俺は再発防止策を考えていた。十割すべてとは言わないが、俺の責任も多分にある。エマの逸り癖には気づいていたから、釘を刺すぐらいのことはしておかなければならなかった。



 しかし、眠りに落ちるか落ちないかという状態で考え事をしていたのが良くなかったのか――思考は様々な方面に飛んだ。

 

 

(チェルージュから加護をもらったばかりのころは、彼女ぐらい強くなって自分が何者なのかを教えてもらおうと思ってたなあ。どれだけチェルージュが強いかも知らなかったけど。今じゃ俺の素性とかどうでもよくなってきてる)


 初めて迷宮に潜ったときは、四苦八苦した。幼体の大ムカデ一匹を命からがら討伐し、得た報酬の400ゴルドの重みを思い出す。


(しばらくは、自分の食い扶持を自分で稼ぐことに躍起になってたっけな)


 赤の盗賊団を討伐したときに出会った、桁違いのベテラン戦士たち。味方としてはシグルド、敵としてはフィンクス、ウキョウ。結局、俺はウキョウに殺されて――あのとき初めて、チェルージュに助けられた。


(思えば、あれが最初のズレだったような気がする。あの時点で、自分一人だけの力で冒険者として生きていくという目標は、打ち砕かれていたんだから。それを言い出せば、そもそもチェルージュに最初の資金として魔石をもらった時点で、すでに彼女の力は借りていたんだよな)


 エマたちを買ったのは、単純に見捨てておけなかったからだ。奴隷商人に手付け金を払った時点では、分割払いの代金を完済できる見込みすらなかった。ただ、たまたま顔を合わせた。手元には、少しだけ彼女たちを自由にできる金があった。


(縁があった、というだけだ)

 

 見て見ぬ振りをせず、突発的に彼女たちを買う決断をしたが、間違っていなかったと今では胸を張れる。すでに、彼女たちは金額以上のものを、俺に返してくれている。人のぬくもりとは、いいものだ。


 あの後、他の奴隷を見かけることが何度もあった。首輪をしている人間は、目立つ。胸を痛めはすれど、無理をして彼らを買い取ろうとは思わなかった。俺の手元にそんな余裕はない。エマたちのときと違い、彼らには俺の手は届かない。

 

(そういえば、最近は強くなろうとはあまり思わなくなったなあ)

 

 いや、もちろん向上心はあるし、レベルが上がれば色々と楽になるだろうなとは常々思っているが、闇雲に迷宮で力を付けようと思っていた昔とは、原動力が少し違っている。


 生活が楽に、楽しくなればいいなと思いながら日々迷宮に潜っている。もっと金があれば、エマたちに美味い飯やいい服を買ってやれる。そういえば私服、買ってやらなきゃなあ。


 ときどき躓くこともあるけれど、迷宮探索は軌道に乗っていて、概ねのところ順調だ。衣食住には困っていない、仕事は順調ときて、あと、俺が満ち足りていないものといえば、女ぐらいのものだろうか。


(身の回りに花は多いが、果たして恋人なのかと言うと、話は違ってくるしなあ)


 恋人候補としては、エマたち三人は除外である。

 チェルージュに率直な好意を表明されているが、愛玩動物が可愛がられているような現状だった。言ってみれば、ヒモのようなものだしなあ。

 

 というか、俺がヒモなのであれば、俺の家族であるエマたちもまた、世間的にはヒモなのではないだろうか。


 いくら同格の家族だと思って過ごせとは言っていても、いつぞやのエリーゼの台詞ではないが、家長は俺である。その俺の養い親はチェルージュであり、つまり俺の世帯丸ごとがチェルージュに養われているようなものではないだろうか。


 そう気づいたとき、少しだけ俺の意識は覚醒した。


(それは、嫌だな)


 エマたちは俺の家族だ。彼女たちと一つの家庭を築いていることに、俺はちょっとした誇りを持っている。

 

 しかし、その実――チェルージュに養われている、ヒモの集合体みたいなものでしかなかったのか?


(情けないなあ)


 ヒモみたいな立場にエマたちを置いている自分の不甲斐なさにも、気づいてしまった。


 いつか彼女たちが自立する日が来たときに、俺ではなく、チェルージュに礼を述べる三人を夢想する。俺の財布の出所はチェルージュであるから、彼女たちに金を使った恩人はチェルージュであるとも言えるから、間違ってはいない。


 (それは、嫌だ)


 親代わりだと言っておきながら、その実、ただの中間管理職ではないか。


 そのことに思い至ったとき、俺の内側から湧き出てきたのは――焦燥と、憤怒。俺の心の内に、ここまで黒い感情が巣食っていたのかと驚くほどの、強くどろどろとした嫉妬だった。 


 あれほどの大恩があり、なおかつ俺に好意を表明してくれているチェルージュに対して、俺は憎しみすら抱いているのだ。


(ひどいやつだな、俺は)


 冷静にそう判断する俺がいる。その横で、例えチェルージュであろうと、エマたちを渡したくはないと叫ぶ別の俺がいる。


 考えれば考えるほどに、独占欲は強くなっていった。

 

 恩人であるチェルージュが相手であっても、俺はエマたちを自分のものだと主張したいのだ。彼女たちは物ではなく、血の通う人間だというのに、まるで所有物のように独占したがっているのだ。


 渡したくない。奪われたくない。


 声を大にして、エマたちは俺の家族だと叫びたい。


(なんで、こんな気分にならなきゃいけないんだ?)

 

 なぜ、一緒に暮らしている彼女たちを、誰かに奪われるかもと怯えなければならないのだ?


 なぜ、自分で手に入れたものが、逃げていくかもしれないと恐れなければならないのだ?


 どうすれば、自分は胸を張って、得たものを得たと、エマたちの家長だと、高らかに誇れるのか?




 ――加護があるからいけないのか?




 そう思いついたとき、俺は自分の身勝手さに戦慄した。

 死んでいたものを、助けられているのだ。本来であれば、俺は深く感謝し、チェルージュの恩に報いるべく東奔西走するのが当たり前ではないか。


 しかし、実際に俺の内には、独占欲が湧いていた。チェルージュに養われているうちは、言い換えれば加護のある中で安穏と狩りをしていては、胸を張って生きているといえないのではないか?


 独占欲のみならず、独立欲までが俺を蝕む。

 欲しいか欲しくないかでいえば、チェルージュは欲しかった。真っすぐに好意を表明されているのだ、俺としても憎からず思っているし、応えたいと感じるのは男の性である。


 ただしそれは自分の物にしたいのであって、彼女の物になりたいのではない。


 チェルージュの庇護下に甘んじている状況で、彼女と恋人同士になるという選択肢は俺の中にはなかった。思えば、チェルージュからデートに誘われたときも、心のどこかで後ろめたさのようなものがあって、少しぶっきらぼうに振舞っていたような気がする。


 吸血鬼の館でチェルージュと初めて会ったときの、琥珀色の瞳を思い出す。

 いつの間にか見慣れてしまったが、とても美しい瞳だと思ったものだ。


 彼女に加護で守られているうちは、彼女の横に並び立てない。


 加護を返してしまえばいいという、思いつきでしかなかった選択肢が、ほんの僅かな間に大きくふくれあがって俺を急かす。


(ふう、冷静になれ、俺)


 もし加護を返してしまったら、迷宮での探索で命を落とすかもしれないのだ。


 加護があれば、誰かの身代わりとなって助けることだってできるかもしれない。どうしようもない状況に陥ったとき、自らの喉を長剣で刺し貫いて死ねばチェルージュが全滅の危機を助けてくれる。


(だから、どうした?)


 自分が死んでもいいという覚悟があれば、加護なんてなくたって身代わりにはなれる。


 俺は想像する。このままチェルージュの加護を得たまま冒険を続ける日々を。

 大過なく成長し、財産を作り、リカルドのようにどこかに家の一件でも買って悠々と過ごす――。チェルージュには相も変わらず頭が上がらないけど、多分恋人っぽいものになって、同じ家に住んだりして、たまに独り立ちしたエマたちが遊びに来たりするのだ――。




(絶対に、嫌だ)




 俺は、自分の手で、抱えていたいのだ。





 朝起きたときは、昨夜の思考とテンションを思い出して少し恥ずかしくなった。

 宿の外では、小鳥が囀っている。


 色々と湧き出てきた身勝手な欲望は、かなり薄れている。明晰な思考を取り戻してもいた。


 エリーゼはすでに起きていて、ベッドに腰掛けながら髪を梳いていた。毎日みんなを起こすために、彼女はいつも早起きである。エマとエミリアはまだ寝ているので、視線で朝の挨拶を交わす。



(加護を、返そう)



 やけにあっさり、そう思い切ることができた。

 

 他人には理解されないかもしれないし、エマたちだって賛同してくれないかもしれない。それでもいいや、と思う。


 人は損得だけで生きるのではない。嫌なものは嫌なのだ。

 





 結果としてチェルージュに加護を返し、少しばかりの冒険を挟んで、週末の今日――馬車の中でエミリアから説明を求められたというわけだ。危機管理が鈍るという、一見して無難な説明では、彼女は納得してくれなかったようである。


 どのように伝えるか説得に迷い、「女が欲しかった」というわかりやすい理由で誤魔化そうとしたところ、繊細デリケートな部分に踏み込んでしまって俺が鉄拳制裁をくらったというわけである。


「説明しにくいんだからしょうがないじゃん」


 ダグラスの真似ではないが、少し拗ねてみせる俺である。

 加護を返すに至った思考をすべて説明しきれば、エマたちは心の底から納得してくれるかもしれない。しかしそれは、俺が抱いている生々しい欲望とかを彼女たちに曝すことと同義である。それは気恥ずかしいし、彼女たちに気持ち悪がられないか不安でもある。


 何とか誤魔化せないかと苦心した結果、もたらされたのが、馬車の中の気まずい空気というわけだった。

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